ファスビンダーのメロドラマと市民悲劇

 

『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』と『ブレーメンの自由』について

                                寺尾 格

1 はじめに

 

 米英のイラク戦争開始から、ちょうど一年を経た2004年3月後半のベルリンとウィーンは、前年のイラク戦争勃発直後の反対デモの盛り上がりとは対照的で、今や圧倒的な軍事力による既成事実の積み重ねが日常化したためか、表面的には静かな両都市であった。

 

 とはいえ3月27日、毎日降り続く雨のウィーンでは、高齢の枢機卿逝去のニュースが流れ、テレビは朝から特別ミサの実況中継を組んでいた。枢機卿とは教皇に次ぐ地位だそうで、カトリック中心のオーストリアでは、大統領以上に尊崇される立場であるらしい。観光地ウィーンの中心に位置するシュテファン大寺院周辺は、いつ通っても、気楽な服装の老若男女が大勢たむろして、教会の尖塔を見上げては、それをカメラのファインダーに入れようと無駄な努力を試みる何人かが必ず見受けられるような、そういうノンキな場所であるが、この日ばかりは、一様に沈痛な表情をした黒服の弔問の人々であふれかえり、長い列をなして、大寺院の周りを幾重にも取り囲んでいた。ミサの様子は、教会広場に設置された巨大なスクリーンとスピーカーでも同時中継され、葬儀の最後にはウィーン中の教会の鐘が鳴り響き、礼砲に続いて、大勢の儀仗兵に先導されながら、しずしずと棺が送られて行った。 

 

 枢機卿の厳粛な葬儀と哀悼の情景の似合う欧州の古都ウィーンに対して、現代史の坩堝にあるベルリンの新聞・雑誌では、2月末に公開されたメル・ギブソンの映画『パッション』への論議が目についた。ブッシュ大統領が見たがっていたとも言われる、この宗教映画は、イエス受難の最後をリアルに描いた話題作であるが、ベルリンでの反応を、目についたタイトルだけで挙げれば、「イエスはサーファー・ボーイではない」「イエス・・・失敗?」「血、汗そしてアクビ」「ファンタジーの畜殺場」「聖書を読みたまえ!」「『パッション』に反対する大連合」等々、*1あまり積極的な評価は見受けられない。特に最後の「大連合」とは、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教それぞれのドイツ代表者クラスの意見表明を示したタイトルで、ドイツでの不評の基本線が理解できる。つまり『パッション』においては、イエスに向けられた「暴力」のみがサディスティックに強調されすぎていて、宗教的に最も重要な「イエスの愛」を捉えようとする方向性が退いてしまっているではないかという点と、結果として出てくる「反ユダヤ主義」への危惧の二点である。

 

 特別ミサの内容を伝えたウィーンでの葬儀の実況中継が、当然、まるでおもしろくも何ともないしろ物であったのに比べると、『パッション』の虚構の「実況」中継の方は、比較にならないほどの圧倒的な迫力がある。「見せ場」として示されるイエスの「受難」を、肉体的な「痛み」として、観客の感覚にそのまま接続させるかのような力業は、まさに映像の強みと言えるだろうが、しかしそのような直接的な同化感覚が、ドイツの宗教指導者たちがそろって強調したような「反ユダヤ主義」の恐れと、すぐに結びつくような敏感さは、かなり典型的にドイツ的であるのかもしれない。すなわちイエスの「苦しみ」を、単に感覚的なレベルでのみ刹那的に把握する限り、開かれた「愛」のチャンネルへと転換させるための「距離」という批判意識を醸成させることがない。エモーショナルな効果のみを鼓舞するような商業的自閉性は、むしろ「憎悪」という短絡的な被害者意識を高揚させ易いからである。ニューヨーク・テロ以降のアメリカの全体的な気分を反映しているのかもしれないが、そもそも映画という媒体は、「売れる」という目的を通じて、深く国家戦略と結びついている。その意味での『パッション』は、「反ユダヤ主義」、つまりは「ファシズム」の危険性に対する感度の有無を、問題として気づかせてくれる作品ではあるだろう。

 

  ユダヤ問題あるいはファシズムに関して、ドイツでは常に強い防衛反応が示される。それは、もちろんナチズムという彼らの負の歴史的遺産の結果であるのだが、そのような経験と自覚的に取り組むような態度が、戦後、それなりに一般化して、一定の社会的合意に達しているように見えるのは、実はそれほど古いことではなく、多くのスキャンダルを繰り返しながら獲得されたものである。この点では、特に47年グループを初めとした文学者や知識人による戦後批判、更に、いわゆる1968年世代の活躍を抜きにすることはできない。*2戦後の繁栄の光と陰を見据えるためには、ナイーヴな厭戦やイデオロギー対立を越えた、より深いレベルでのファシズム理解が前提となるからである。その意味でも、1968年以降のドイツ現代演劇の転換に深く関わったファスビンダーの映像活動と演劇作品とは、以後のドイツの演劇活動にとって、かなり重要な役割を演じたように思える。すなわち『パッション』や『プライベートライアン』などに典型的な、ハリウッド的映像迫力の無自覚なセンチメンタリズムとは全く異なったファスビンダーの表現努力が、現在にまで続くドイツ演劇の一般的な土台を形成する役割を果たしただろうということである。 

 

 1968年の『出稼ぎ野郎』から1982年に37歳で死去するまで、15年間の短い活動中に書かれたファスビンダーの演劇作品は17本で、全てが1991年の全集に収められている。*3それらの中で、現在でもしばしば演じられる回数の多いのは1971年初演の『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』と『ブレーメンの自由』で、前者は60以上の、また後者は100以上の演出で舞台化されている。*4二作品とも非常にカッチリとした室内劇であり、翌年の1972年にはどちらも映画化されている。

 

 当初から映画に強い関心を寄せていたファスビンダーは、1967年の「行動劇場」への参加、翌年の『出稼ぎ野郎』初演から「反劇場」立ち上げに始まる彼の演劇活動と並んで、すでに1970年には7本(!)もの映画を作っている。「演劇から映画へ行ったのではなく、映画から演劇へ行ったのだ」*5との発言もあるように、ファスビンダーは、決して長くはない彼の活動期間において、演劇と映画とを常に両立させるのみならず、1976年の『ゴミ、都市そして死』上演中止のスキャンダル以降は、完全に映像にエネルギーを集中させ、その頂点が1980年の『ベルリン・アレクサンダー広場』となるのであるから、従来、映画監督としての彼が、主として語られて来たのは十分に理由のあることだろう。いわゆるニュージャーマンシネマにおけるファスビンダー監督作品の意義については、シンポジウムの発言に於いても繰り返し言及されている。

 

 しかしながら映画と演劇の媒体の相違を自在に乗り越えるような活動からもたらされるファスビンダー独特の感覚は、「ぼくは演劇を映画のように演出し、映画は演劇のようにカメラを回そうと、かなり頑固にこだわった。」*5という有名な発言からも容易に見て取れる。70年代以降の現代演劇に対するファスビンダーの映像・演劇活動の影響は、映像のように直接的ではないかもしれないが、実はかなり本質的なものではなかったのかとも思われる。しかしドイツ演劇におけるファスビンダーの演劇作品の位置づけは、必ずしも重いとは言えない。劇評家のペーター・イーデンが典型的だろうが、「演じることの自発性、素材理解を思いつきから理由付けしようとする傾向、舞台表現形式とのつながりにおける恣意性と軽率さ、しかし演じることへの猛烈な喜びと無造作で雑な攻撃性」*6云々と、ファスビンダーの舞台の迫力は認めながらも、その評価にはかなりの保留がつけられている。もっともファスビンダーは、ペーター・シュタインによる『タッソー』の伝説的なブレーメン演出(1969年3月)の基調をほとんどそのまま、同じブレーメンにおいて『コーヒー・ハウス』(1969年9月)の演出で剽窃し、しかも全員がハダシという類の挑発を行うのだから、シャウビューネ劇場に思い入れのあるイーデンにしてみれば、上記の苦々しい批評が出てくるのも無理はないかもしれない。

 

 ファスビンダーの活躍する1960年代末とは、実はこの「剽窃」、あるいはもう少し穏やかに言えば「引用」という行為の積極的意味が理解され始めて来た時期でもある。それは、普通、「ポストモダン」と言われた現象で、ミヒャヘル・テーテベルクによれば、「ポストモダンという言葉が刻印される遙か以前に、すでにファスビンダーは、その代表者であった。」*7という評価もある。

 

 ファスビンダーの演劇作品については、すでにテーテベルクが、特に『プレ・パラダイス・ソーリー・ナウ』(1969年)を中心に、「ブレヒトとアルトーの間」という視点からのすぐれた論考があるので、*8以下では、実際の上演という視点で評価の高い『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』と、特に『ブレーメンの自由』の二つに絞って検討してみたい。

 

2 『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』とメロドラマ               

 

 そこでまずは『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』である。古典的な五幕構成はファスビンダーの中では例外的で、そもそも幕構成自体が、これ以外にはゴルドーニの改作『コーヒー・ハウス』とローペ・デ・ヴェガの改作『燃える村』、それと没後に初演された処女作『熱い石への涙』の三つのみで、それらも五幕ではなく、より簡便な三幕構成にすぎない。上述の四作品を除いた他の作品は、いずれも場面並列的であるから、古典的構成ぶりは、彼の作品の中でも、相当に際だつ特徴である。構成の古典性は当然、内容にも深く関わらざるをえない。内容の大まかな展開を幕構成によって概観すれば、以下のようになる。

 

 一幕、女主人公のペトラの名声と女の自立の主張は<状況提示>。二幕、主人公の恋人となる若いカリンの登場は<対抗力の介入による展開>。三幕、カリンに対するペトラの愛の告白と成就は<頂点>。四幕、主人公の不安、母親と妹による非難は<転換と下降>。五幕、カリンとの愛の破綻は<破局>。

 

 アリストテレスの『詩学』やフライタークの『戯曲の理論』を思わせる典型的な五幕構成は、限定された場所と時間の中で、主人公の苦悩と破局に焦点を合わせる、いわゆる三統一の古典的なドラマトゥルギーであり、それを人気のファッション・デザイナーの女性の嫉妬と絶望という現代的風俗に当てはめている。登場人物の配置も筋立ても分かり易く、四幕では主人公の苦悩の長台詞も忘れていない。初演時には、キッチュなメロドラマであるとして、かなり不評であったらしい。*9

 

 不評を救ったのは、翌年の映画化に際して、結末をドラマティックに変更したことにより、作品の印象が改善されためである。しかし、それ以上に重要なのは、ファスビンダーの映画の撮り方とも関連するのだが、まさにメロドラマとして良くできていることと、それ故に舞台への「見方」そのものが問題視されていることであろう。いわばキッチュさへの意識を意識させるような、メタ方法的な受容と関わるのが、ファスビンダーのメロドラマであり、単なるキッチュだけで終わらない「居心地の悪さ」と言っても良い。あえて「キッチュ」に焦点を当てて、モダンにおける消費的芸術を問いかけ、文化産業との関係をえぐり出すような視点は、*10映画作家としてのファスビンダーの真骨頂とも言えよう。当時、まだ無名の劇評家にすぎなかったボートー・シュトラウスが、かなり的確にこの点を指摘している。

 

  ファッション・デザイナーのペトラ・フォン・カント、その不幸な愛の人生に関する 五幕のメロドラマは、その全くキッチュな物語を、実に芸術的に共感させるにもかかわ らず、あるいは共感させるが故に、人の心を揺り動かす。しかしセンチメンタルさと苦 しみの力は確固としており、オリジナルなものである。(中略)詩的に強調する形式は、 テレビドラマのリアル主義という詐欺的なイメージ映像に対して、もしかしたら、うま くその裏をかき、不自由な階級の感情世界への豊かなまなざしへの橋渡しを再び可能に するかもしれないのである。これは、何よりも演劇という芸術のチャンスでもあるのだ。                                      *11

 

 嫉妬と絶望という男女間の決まり切った誘引と反発の物語は、主人公ペトラを中心とした女性三人の関係においても、全く同様に繰り返される。決められたパターンの繰り返しという点ではキッチュであり、男女間では全くありふれた物語のメロディーなのだが、ファスビンダーにおいては、それが女性同士のホモ・エロティックな関係へと転調される。それによって、パターンには微妙なズレが生じる。このズレが、聞き慣れたメロディーへの不協和音となり、単なるメロドラマで終わらせない本質的な「居心地の悪さ」を産み出すと言えるだろう。

 

 メロドラマのメロドラマたる所以は、それが物語の内部に自閉することによって、苦悩の構造を再生産するというところにある。嫉妬も絶望も、男と女の誘引と反発の個人心理の「よくある話」に回収されて、男と女の対立の背後にある抑圧構造と権力関係が覆い隠されてしまうからである。苦悩は、ただそれ自体が描かれる限り、どのように微細に、効果的に描かれても、結局は単なる感覚的な浄化・排泄作用にとどまる。それが時間つぶしのキッチュ使い捨てメロドラマのセンチメンタリズムというものだろう。*12

 

 『ペトラ・・・』においては、そのメロドラマ風「よくある話」が、女性同士の関係に転換される。男嫌いのペトラが若いカリンに対して持つ執着と苦悩は、まずは古い女友達や母親の伝統的おしとやか女性グループから反発を受けるが、これは女の自立を体現するペトラを際だたせるだけである。しかし男の権力性にウンザリするペトラは、若いモデルのカリンを支配できずに苦しむのであるから、当の恋人であるカリンからの拒否は、自己の自立の主張の破綻であると共に、ヘテロセクシャルな相互抑圧から逃れた関係性の中で、全く同じ物語が繰り返されることにもなる。ペトラの苦悩には救いがない。救いがないのは、男女の肉体的相違や社会的立場の相違という「逃げ」が無いだけに、愛における権力関係が、より強く、より鮮明に打ち出されているからである。男女の愛というヘテロな関係の中では、「苦悩」という心理的な描写の中に取り込まれて見えにくくなっている隠された構造が、それをホモ・エロティックな関係へとズレさせることで、「愛」そのものの持つ相互の抑圧構造として浮き上がってくる。ファスビンダーの描く社会性が一筋縄で行かないのは、この種の抑圧を相対化するユートピア性を拒否する描き方を常に指向するからであり、ペトラに対抗する伝統的女性観の対置も、分かり易い背景をなしているが故に、抑圧という図を浮き出す効果的な背景をなしている。

 

  そうなると『ペトラ・・・』における一見キッチュなメロドラマ性は、同じような話の単純な繰り返しであるようなキッチュな部分こそが、まさに全体の要をなしているということになる。男女の間では珍しくも無いような苦悩の長台詞は、それがリアルによく出来ていれば出来ているほど、一方ではセンチメンタルな同化作用を惹起しながら、他方では苦悩の基盤である愛の抑圧構造への醒めた意識も喚起される。従って、一見センチメンタルな表現の中に、そのセンチメンタルさを否定する視点が常に倍音として響くことになる。ボートー・シュトラウスの指摘するファスビンダーの「オリジナルなもの」とは、そのような独特な「居心地の悪さ」により、「リアル主義という詐欺的なイメージ映像」の「裏をかく」ファスビンダーの基本的発想を示すものであろう。

 

3 『ブレーメンの自由』と市民悲劇

 

 同様に1971年に初演された『ブレーメンの自由』は、『ペトラ・・・』と同じ問題意識を、いささか別のレベルで試みている。それは「八つの場面からなる市民悲劇」との副題に集約的に示される。この副題を二つの面から問題にしてみたい。

 

 まず『ペトラ・・・』が古典的な五幕構成であったのに対して、『ブレーメンの自由』は「八つの場面」である。「八つ」を示すような場面の形式的な区切りの指示はなく、最初から最後まで同一の室内で演じられる。出ずっぱりの主人公と、彼女を巡る十名の出入りや時間の経過は、随所に現れる暗転または照明の変化のト書きで示される。従って「八つの場面」の特定は、古典的な幕構成のような形式面によるのではなく、むしろ殺人という内容的な展開と対応することとなる。すなわち、「八回」も繰り返される殺人の「反復」ということである。

 

 この作品の内容は、1828年のブレーメンで実際に死刑となった女性を素材にしており、主人公の女性ゲーシャは、男性支配の社会の中で自立しようと努力する点で、ペトラと共通する課題を負っている。しかし現代の成功したトップデザイナーのペトラに対して、『ブレーメンの自由』の主人公ゲーシャは、19世紀の家父長制に厳しく縛られて、軌道に乗りかけた小さな店の経営すら自分の思うに任せない。身近の人間が次々と現れては、彼女の自立の意図を砕こうとするので、障碍となる相手を、致し方なく彼女は毒殺する。最初は横暴な夫、次に母親、自分の子供、二番目の夫・・・、次々と殺し続ける。実際の事件では十五名の殺人であったらしいのだが、ファスビンダーはそれを九名に削り、毒殺を八回繰り返したあげくに、結末では、死刑になったはずの主人公も服毒自殺させている。

 

   ところで副題を「場面」と訳したドイツ語は、通常の戯曲であれば、SzeneあるいはAuftritttを用いるのだが、ファスビンダーはBilderという言葉を用いている。ちなみに1969年の『人狼』や1975年の『ゴミ、都市そして死』でもSzeneであるから、ここに少々こだわる。Szeneの語源となるギリシャ語の「スケネー」は、「仮設テント」の意味を持ち、ギリシャ古典期の円形劇場では、円形の踊り場や半円形の観客席に対して、横長となる背景と楽屋部分を指す。そのスケネーが発達して、現在のような舞台機構が作られるのは、演劇史の初歩的な知識である。*13従って、通常の演劇用語として用いられる「場面=Szene」は、語源的に見ても、楽屋との関連、すなわち人物の「出入りAuftritt」にアクセントが置かれている。例えば古典劇においては、誰かが舞台に出入りするたびに、それを「場=Auftritt」として分割し、複数の「場」を「場面=Szene」としてまとめることもある。

 

 それに対してファスビンダーの「場面=Bilder」という言葉は、「Bild=絵画、光景、イメージ」の複数形で、「具体的な姿や形」を意味する。人物の出入りという動的な言葉であるSzeneと比べれば、遙かに静的な、いわば絵画的なニュアンスと言えないだろうか。Bildは「映像、画像」の意味を持つのみならず、映画フィルムの編集に際しては、カット作業上のフィルムの一コマずつを示す言葉であり、映画作家ファスビンダーの映像的発想が、舞台の場面展開上の指定に現れているように思える。*14

 

 古典的なドラマトゥルギーにおいては、主人公を中心とした人間同士の対立=対話が筋=行動を形成するのであるから、「誰が」登場するかは最も基本的な関心事である。他方、『ブレーメンの自由』においては、主人公のゲーシャの対立する相手は特定の人物ではない。彼女の周りの登場人物全てが、彼女の自立を阻害する相手であり、結果としての殺害の対象となる。自分の子供すら例外ではない。そうなると、「対立」による主人公の心理的葛藤=苦悩が特定の破局に向かって直線的に深まるのではなく、むしろ障害をひとつ越えると、また同じような障害が次々と、いつまでも際限なく現れ、彼女の殺害もまた、いつまでも繰り返され続ける。そこに彼女の「苦悩」があるのだが、そのように「繰り返される」苦悩は、すでに古典的なドラマにおける直線的な「苦悩」とは質的に異なるだろう。

 

 毒殺を繰り返す彼女はもちろん「苦しむ」のだが、やがて「苦しむ」ことに「疲れて」しまう。繰り返される殺害に「慣れる」ことで、同じ事の反復に積極的な意味を見いだしえなくなってしまうのだ。夫に対する最初の毒殺に際しては、ゲーシャは十字架に向かって必死に賛美歌を歌う。しかし殺害が繰り返されるたびにゲーシャの祈りは短くなり、最後の八回目に殺される友人のルイーゼは、彼女にとって、さして意味のある殺害対象ではない。まるで日常のような平静さでルイーゼの死を見つめるゲーシャにとって、最後のルイーゼの「助けて!」という叫びは、何度繰り返しても状況が改善されない、不毛な努力の積み重ねに対する彼女自身の敗北宣言であり、彼女自身の意味喪失の不条理への叫びでもあるだろう。

 

 従って、『ブレーメンの自由』における「場面」展開は、殺害の繰り返しという発想に立つもので、「繰り返し」を描くためには、登場人物の出入りによる「筋=行動」を示す動的な「場面=Szene」よりも、静的な「場面=Bild」が幾つも並列し、いつまでも同じ場面を反復するような「複数・場面=Bilder」の方が、ゲーシャの「状況」に対して遙かに適切な表現となる。対話によるダイナミックな「変化」を基礎とする従来の古典的ドラマトゥルギーに対し、絵画的、映像的な発想による並列的な「状況」を示すのがファスビンダーの「場面」構成であり、他の劇作品においても、ファスビンダーの本質的な特徴となる。

 

  「八つの場面」における殺害の繰り返しは、副題のもう一つの問題点である「市民悲劇」においても重要となる。ここで「市民悲劇」はEin bürgerliches Trauerspiel であるから、厳密には「悲劇Tragödie」ではない。むしろ「市民的哀悼劇」とでも訳すべきだろうか。ただし「市民悲劇」という近代におけるジャンルに関して、「悲劇Tragödie」を「哀悼劇Trauerspiel」と区別するのはドイツに固有のこだわりで、そこからベンヤミンが独特のバロック演劇論を展開している。*15すなわち通常の人間性を越えた犠牲の神話としてのギリシャ「悲劇」に対して、キリスト教的救済史が世俗化された歴史劇/物語としてのバロック「哀悼劇」である。哀悼劇においては、悲劇性が人間化=個人心理化され、世俗化された教育的効果が道徳性として意識される。これをエムリッヒに言わせれば、「ギリシャ悲劇的な決断や葛藤はなく、一般的な悲しい世界状態への指示があるだけである。」*16

 

 そもそも初期啓蒙における市民層を基盤として成立した「市民悲劇」において内容的に重要なのは、悲劇=英雄神話の「高雅」な世界と、喜劇=日常の「世俗」の世界という二つのジャンルの区別(いわゆる身分条項)を無効化したという点である。くだいて言えば、我々のような俗な市民の日常にだって、神話的英雄や王侯に負けないほどの激しい苦悩があるのだぞ!ということで、日常生活を悲劇的に高尚に扱うことで、市民層の自己確認=道徳意識に合致する。と同時に、その日常を阻害する権力(貴族層からの無理難題=経済外強制=暴力)の不当さを浮き立たせることにもなる。「家庭=家族」の「私的」生活は、市民の拠って立つ基盤であり、宮廷に代表される貴族中心の「公的」社会の暴力に対して、時に死を賭して守るべき城となる。「市民悲劇」における「雅」と「俗」との混淆によって、「悲劇」における神話的運命という苦悩の高尚な不条理さは、市民に向けられた貴族の横暴による苦悩へと人間化・具体化される。神々や王侯レベルでの苦悩が平易な日常へと俗化されることで、苦悩の理由が合理的で明確になるのである。劇的効果としては、市民の道徳性が産み出す「共感」を基盤とするのであるから、「苦悩」を浮き立たせるための善悪の区別はかなり単純化され、後のメロドラマへの流れに親近性を持つ。

 

 ジャンルとしての「市民悲劇」は、上述の「苦悩」を高尚に訴えて共感を得る点で、レッシング、シラーが代表格で、ヘーベルあたりも含まれるようだ。20世紀には社会劇、政治劇へと遺産が受け継がれることになるのであるから、ファスビンダーが『ブレーメンの自由』の副題にわざわざ「市民悲劇」としたのは、意図的なアナクロニズムと言える。

 

 それでは「市民悲劇」として見た場合のゲーシェの苦悩とはいかなるものであるか? 作品の冒頭で、夫のミルテンベルガーが、子供の泣声の中で新聞を読んでいる。

 

  ミルテンベルガー:新聞・・・コーヒー・・・焼酎・・・窓を閉めろ・・・静かにし ろ!・・・バターパン(注:正確にはラードなどを塗ったパンで、日本では一般的でな いが、ドイツでは手っ取り早く安価なエネルギー補充として普通。寺尾)・・・塩・・ ・1814年10月31日、我らが愛する母、シュタインバッハ生まれのクララ・マチ ルデ・ベーツは神のみもとに・・・焼酎・・・静かに!・・・あの泣き声で死にそうだ ・・・もっとコーヒー・・・処刑は次の金曜日、1814年11月3日にマルクト広場 で行われ・・・焼酎・・・俺が焼酎と言ったら、瓶ごとだ、おい、これっぱかし何だ・ ・・乾杯・・・タバコ・・・火だろ、そうだ・・・暑い・・・この家で一度くらい静か な夜はないのか・・・静かにしろ!・・・窓を開ける!・・・ブレーメンでまた幽霊騒 動か・・・ああ、何だってこんなに暖房が強いんだ・・・この町では何度も奇妙なこと が起こるな・・・寝酒を片づけろ、頭が痛い・・・静かにしろ!・・・薬だ。

  ゲーシェ:それで私は?あなたと寝たいんだけど。

 (ミルテンベルガーはゲーシェを見つめる。長い危険な沈黙。彼は新聞を脇に置き、ゆ っくり立ち上がり、ゲーシェに近づく。一瞬、彼女を抱きそうな気分の後、彼はいきな り容赦なくゲーシェを殴る。床に倒れて泣くゲーシェの上に彼は仁王立ちになる。) 

  

  夫ミルテンベルガーの読む新聞記事から、1814年という舞台上の時代が明らかになる。ちなみに「市民悲劇」の代表作、レッシングの『エミリア・ガロッティ』が1772年、シラーの『たくらみと恋』が1784年だから、時代的な設定はそれほど離れていない。ただし、レッシングやシラーの場合のように貴族と交流のある裕福な市民ではなく、小さな店を経営している小市民の家庭内の対立であるから、権力関係は貴族と市民という公対私ではなく、夫と妻という家父長的家族内での男女の私的対立ということになる。「市民悲劇」における貴族に対抗する市民という関係が、『ブレーメンの自由』においては、男性支配に対する女性の自立主張にずらされていて、そこに作品の現代的意味があると、そういう一応の理解は容易なのだが、ファスビンダーはなかなか単純な図式的理解を許してくれない。

 

 夫は妻に対して、いかにも権威的に命令口調でしか話さない。あたかも家内奴隷のように妻を扱う夫の支配的態度は極端である。ただし妻のゲーシェも単に耐えるだけの女ではない。夫の細かな要求の全てに応えた後で、今度は妻から夫への要求を明確にするからである。それはゲーシェ自身の性的欲望の主張である。しかし夫はそれを許さない。夫は自らの主導権を無慈悲な肉体的暴力によって主張して「仁王立ちになる」。

 

 夫の非人間性は明らかであるが、しかしゲーシェの要求も唐突なのである。さしあたり「寝たいんだけど」と柔らかく訳したが、Und ich? Ich will mit dir schlafen.と、原文は簡潔にして非常に強い調子で、これを「ねえ、あなた、もう寝ましょうよ・・・」とは、とても訳せない。「寝ましょうよ」という相手への柔らかい促しではなく、「私は寝たいのである」という意志表明の助動詞を使う断固たる要求なのだから、夫としては自らの支配への挑戦と理解するのも無理はない。だから夫も同様に断固として暴力的に対応するのである。家父長制的男性支配に対する女性の権利要求という設定ではありながら、むしろ男と女の本能的対立の側面すら感じさせるのがゲーシェの最初の台詞である。

 

 ところで夫婦の愛憎が心理的にとぎすまされるような作品、例えばストリンドベリの『死の舞踏』などと比べてみれば、この夫婦の対立は実は質的に対等でない。もちろん家父長的権力の支配する19世紀社会では男女は対等でないが、そういう内容的社会的な意味ではなく、台詞の表現と構築力という演劇美学的な意味で、この二人の対立は対等でない。たとえ社会的身分的には対等でなくとも、舞台という虚構に於いては、弱者が弱者のままで圧倒的な力と対抗することが出来る。それが「悲劇」を構成する美的な時空間であろう。自分の娘を殺したナイフを公爵の前に投げ出して、「私を裁け!」と見得を切った、エミリア・ガロッティの父親オドアルドの迫力ということである。

 

 そのような見方からすれば、夫の暴力はもちろん理不尽さに充ち満ちているのだが、夫の要求と妻の要求とのレベルが違いすぎる。バランスがとれていないのだ。夫は確かに横暴ではあるが、その要求は窓の開け閉め、コーヒーや酒の世話といった生活上の細々とした必要にすぎず、むしろ子供っぽいとすら言える。他方、それに対するゲーシェの要求は、より根源的な男女間の性的欲望に基づくものであり、それを明確に口にする意志的な女性がゲーシェである。ゲーシェによる夫の毒殺も、後の場面で、夫の完全に一方的な性的要求が、ついに単純な暴力と化すことへの対応であって、必ずしも彼女が耐えに耐えて爆発するように描かれるわけではない。

 

 この作品の扱うテーマは、確かに「早すぎる自立要求の悲劇」なので、その意味で「市民悲劇」の副題は当を得ている。ただし市民悲劇が「貴族に対する市民の早すぎる自立要求」であるのに対して、こちらは「男性に対する女性の早すぎる自立要求」なのだから、市民から女性への重心の転換にファスビンダーの意図があるし、そのような理解が誤っているわけではない。*17

 

 しかし『ペトラ・・・』において、決まり切った設定をヘテロからホモ・エロティックな関係にずらしたことで、メロドラマの世界に「居心地の悪さ」が現れたのと同様、自立の対象を市民から女性へと変更したことは、単に啓蒙時代と現代との時期的な問題にとどまらない、ファスビンダーの扱いにくさを示している。というのも、「市民悲劇」においては、主人公の苦悩と破局がドラマの中心を形成し、それ故に結果としての自立の要求は明確に打ち出されていた。それでは『ブレーメンの自由』において、ゲーシェの苦悩は女性の自立要求へと単純に接続するだろうか?

 

 ゲーシェの苦悩として、例えば「子殺し」を例に出そう。最初の夫の代わりとなるゴットフリートも、前の夫と同様に子供達の泣き声が我慢できない。二人の愛を継続するために、ゲーシェは自分の子供を毒殺する場面を挙げる。

 

  ゴットフリート:やれやれ、ゲーシェ、ぼくの子供たちが、君の旦那との間にできた のと一緒にいるなんて、そんなのは見たくもない。ぼくの子供には自分たちだけで落ち 着ける家庭を作ってやりたい。ちゃんとした、誇りに思える生活をね。

  ゲーシェ:この世界がもう何だかわからない。愛し合ってるのに、可能性が無いなん て。

  ゴットフリート:忘れられるさ。ちょっと町に行って、一杯飲んでくる。じゃあな。

  ゲーシェ:行かないで。

  (ゴットフリートは戸口で振り返り、頭を振って、それから出て行く。部屋の外で子 供たちが泣いている。ゲーシェは泣きながら崩れ折れ、やがて気を取り直して子供たち の所に行く。子供たちはしばらくの間、さらに激しく泣く。ゲーシェが部屋に戻ってく る。十字架の前にひざまずき、聖歌を歌い始める。二番を歌う間に、子供達は突然静か になる。死の沈黙。)

 

 この場面を、例えばエウリピデスの『メディア』、あるいはレッシングの『エミリア・ガロッティ』の子殺しの場面と比べれば、その相違は一目瞭然だろう。そもそも殺すべきだとの決意と、自分の子供への人間的感情との板挟みは、浄瑠璃節ならば「人の親なら我が子をバ、なんで死ねと、エエエ・・・」と嘆き続ける「見せ場」となるのであろうが、ファスビンダーはひどく素っ気なく、「泣きながら崩れ折れ、やがて気を取り直し」と、二つのト書きだけで、台詞すらつけられていない。冒頭の夫の暴力に対する率直なまでの彼女の意思表明と同様、子殺しの場面においても明らかなように、ファスビンダーは、彼女の「苦悩」それ自体にはいささかの興味も持っていない。

 

 もともとの「悲劇」においての「苦悩」は、「死」の結末へと至る具体的経過として位置づけられる。他方、ファスビンダーの「死」は、決して直線的な「結末」として導かれるのではなく、幾たびも繰り返される多くの殺害行為のひとつとして、具体的例示として、「八つの場面」において並列的、反復的に描かれる。

 

 その際、殺害の手段となるコーヒーの小道具が決定的な効果を持つだろう。明示的にコーヒーを勧められるのは、母親、父親、借金返済を求める友人、弟そして女友達ルイーザの五回となるが、舞台上で繰り返し提供されるコーヒーは、ゲーシェの「苦悩」と対応するかのように、繰り返されるたびに、その重みを減じて行く。「コーヒー」という日常的な飲み物が「死」という非日常と直接に一体化され、「殺人による死」というオゾマシサが、舞台上では「コーヒー」という些細な小道具として反復的に現れる結果、一種の「価値引き下げ」に近い効果が生じる。具体的に言えば、「殺人」そのものが、舞台上で繰り返されるたびに、少しずつその緊張感を失い、日常化され、些末化されることで、「死」の反復が、むしろコミカルにすら見えてくるのである。*18 

 

 最後の場面、毒のコーヒーを飲まされたルイーザが「助けて!」と叫びながら倒れると、その瞬間、夫の友人のルンプフが入ってくる。

 

  ルンプフ:警察に行ったぞ、ゲーシェ、あんたがぼくのコーヒーに入れた白い丸薬を 調べてもらった。ぼくを殺そうとしただろう、ゲーシェ、どうしてだ?

   ゲーシェ:(肩をすぼめる。)今、私は死ぬ。(ひざまずき、聖歌を最後まで歌う。)

 (ゆっくりと暗転。)

 

 ゲーシェの最後の台詞はJetzt sterbe ich.であり、至ってシンプルな文章は、冒頭のゲーシェの最初の台詞と同様である。これを文字通り理解して、ゲーシェを舞台上で倒れさせるか、それとも歌だけで終わらせるか、演出家の悩む所であろうが、いかにも唐突な結末は、ゲーシェの最後の台詞とも相まって、舞台上の虚構性が自ずと強調されざるをえない。そもそも「今、私は死ぬ」という言い回しそのものが、ひどく大時代であり、それどころか殆どドタバタ喜劇の印象すら与えかねない。*19

 

 『ブレーメンの自由』の舞台構成の導因である「死」が、最後まで、コミカルな印象すら与えかねないように描かれるのは、示される「対象そのもの」と、対象の「示され方」との相違、深刻な社会問題とその表現とのズレに、ファスビンダーの焦点が向けられているからである。

 

 『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』も『ブレーメンの自由』も、問題提起としては「女性の自立」という社会問題をテーマとする。しかしその描き方、美的処理はメタ構造的であり、その限り、問題提起の土台そのものを問い返す種類のものではないだろうか。ナイーヴな制作と鑑賞態度への挑発とも言える、このズレから生じる「距離感」こそが、ファスビンダー以後のドイツ演劇に、独特の雰囲気を与え、社会性に対する敏感さの形成につながる。もちろん、それはファスビンダーのみに限らない、長い歴史的背景抜きには語れないのだが、西ドイツにおける1960年代のブレヒト再評価と、1970年代以降の「演出家演劇」の興隆との間に位置するファスビンダーの活動は、第一に両者を橋渡しする存在として、第二に映像感覚の舞台への導入として、今少し見直されても良いのではないか。特に「映像」という手段が、現実に対する「ドラマ」とは異なった「引用」表現である以上、舞台における映像シンクロが追求されている「現代」演劇において、ファスビンダーの行った映像と演劇とのマルチな活動の可能性は、従来とは異なった視点からの見直しも可能ではないかと思えるのである。

 

*1  "Jesus ist kein Surfer Boy" Berliner Zeitung, 17.3.2004; "Jesus - ein Flop?"Der Tagesspiegel. 22.3.2004; "Blut, Schweiß und Gähnen" Der Tagesspiegel.19.3.2004; "Im Schlachthaus der Fantasie" Der Tagesspiegel. 16.3.2004; "Lest die Bibel!" Der Tagesspiegel. 18.3.2004; "Grosse Koalition gegen Gibsons Passion" Der Tagesspiegel. 19.3.2004

 

*2 「だが総じて言えば、六十年代が終わるころには、知的野党の勝利は歴然としていた。(中略)政治的傾向のゆえではなく、発言の水準の高さのゆえである。」三島憲一 『戦後ドイツ』 岩波新書 1991年 102頁。

 

*3  Rainer Werner Fassbinder. Sämtliche Stücke. Verlag der Autoren. 1991.

 

*4  Michael Töteberg. Das Theater der Grausamkeit als Lehrstück. Zwischen Brecht und Artaud: Die experimentellen Theatertexte Fassbinders. In: Text und Kritik. Heft 103 Rainer Werner Fassbinder. 1989. S.25.

 

*5  R.W.Fassbinder. Die Kinofilme l. Hg.von Michael Töteberg. München 1987. S.9.

 

*6  R.W.Fassbinder. Die Anarchie der Fantasie. Gespräche und Interviews. Hg.von Michael Töteberg. Frankfurt am Main. 1986. S.51.

 

*7  Peter Iden. Der Eindruck-Macher. Rainer Werner Fassbinder und das Theater. In: Reihe Filme 2. München. 1974. S.18.

 

*8  Michel Töteberg. Rainer Werner Fassbinder. rororo Monographie. 2002. S.7.

 

*9  a.a.O.

 

*10  Michael Töteberg. rororo. a.a.O. S.69.

 

*11 マテイ・カリネスク『モダンの五つの顔』富山英俊・栂正行訳 せりか書房 1989年 309頁以下参照。 

 

*12  Botho Strauß. Über Rührung und Emphase. Was die Vierte Experimenta wirklich wert war. Theater heute. Nr.7. 1971. S.46f. Auch in: Versuch, ästhetische und politische Ereignisse zusammenzudenken. Verlag der Autoren. 1987. S.237ff.

 

*13メロドラマの特徴については、「正邪の区別、感情の揺れ動き、すべてにおいて過渡であり、心理的設定は粗雑で、筋の急展開(よくよく見ればわが子なり式)は、本当らしさなど考慮に入れず、そしてたとえ結果は悲惨であろうとも、単純な市民道徳が全編を支配している。」篠沢秀夫 『フランス文学講座』第四巻演劇 大修館書店 昭和52年 332頁。

 

*14  Heinz Kindermann: Das Theaterpublikum der Antike. Salzburg. 1979. S,187.  清水裕之 『劇場の構図』 鹿島出版会 昭和60年 105頁以下。

 

*15すでに初演評において、ゲーシェの連続殺人の描き方をモリタート(ニュース性のある殺人事件などを一連の絵を示しながら歌語りをする大道芸)として理解している。出来事の「叙事的」提示の方法としてのモリタートは、ブレヒトとも関わる大きなテーマとなる。初演評としては Helmuth Karasek: Mörderin, Vorläuferin. In: Theater heute. Nr.1. 1971. S.14. またモリタートについては、Karl Riha (Hrsg): Moritatenbuch.insel taschenbuch 559. 1981. S.505ff.

 

*16 ベンヤミン『ドイツ悲哀劇の根源』岡部仁訳 講談社学芸文庫 2001年 

 

*17  ヴィルヘルム・エムリッヒ『アレゴリーとしての文学』道籏泰三訳 平凡社 1993年 349頁。

 

*18  「服従か、それとも自由プラス犯罪の二者択一しか知らないジレンマ・・・」Helmuth Karasak. a.a.O.  「ゲーシェの悲劇性は、彼女の解放のエネルギーが、ただ拒否にしか遭遇しなかったことである。」Halenberg Schauspielfuhrer. Dortmund. 1997. S.273.

 

*19  筆者はウィーンの場末の小劇場スカラにおいて、2004年3月27日に『ブレーメンの自由』を見ている。ファスビンダーの初演の演出をなぞった十字架上の舞台構成で、場面転換のたびに髪のボサボサのアコーディオン弾きの女性が、舞台を取り囲む水の中をジャブジャブやりながら現れる、なかなか効果的な舞台であった。

 

*20 例えば、シェイクスピアの『夏の夜の夢』第五幕、職人達による「ピラマスとシスビの悲劇」では、「死ぬ、死ぬ・・・」と繰り返される。『ブレーメンの自由』の具体的な演出について、以下のような指摘もある。「ユルゲン・フリムは、この解放のドラマから陰惨なドタバタ劇Pssenspielを作りだし、ルック・ボンディはメロドラマ的要素を強調した。」Michael Töteberg. rororo. a.a.O. S.68.

 

専修大学人文科学研究所月報 第212号 ファスビンダー特集 2004年9月20日