イェリネクのノーベル賞受賞、および日本におけるドイツ年2005年のために  

                                寺尾 格

 2004年のトップニュースは、やはりエルフリーデ・イェリネクのノーベル文学賞受賞であろう。この報告においても、彼女の作品はほとんど毎年のように必ず言及されており、ここ十数年のドイツ演劇の世界では、最も注目を浴びていた作家であり、昨年だけでもレッシング賞やミュールハイム劇作家賞等の四つを受賞していた上に、更にノーベル文学賞ということになった。ただし彼女の難解なモノローグ作品は、演出とアンサンブル等に対して、相当程度のオリジナルな力量を要求されるだけに、その上演がそう易々とブームのように重なるとも思えないが、力のある演出家であれば、格闘する意欲を駆り立てる性質のテクストを提供しているのがイェリネクである。

 

 もうひとつの大きな話題は、「労働市場における現代的サーヴィス提供のための第Wの法律」、通称「HartzW」と呼ばれる失業手当の給付に関する法律である。従来の失業手当の給付基準は、三年間で360日以上の労働日が必要というもので、これを利用している演劇人は数多い。この基準が2006年からは、二年間で360日以上と、一挙に基準が厳しくなった。赤字に苦しむシュレーダー政権の改革の一環であり、「定職」を持たない者への圧力を強める意図がある。細かな説明は省くが、「定職」を持つ方が少数の演劇活動の実態に即して見れば、小劇場に関わらず、かなり広範囲の演劇人に対する悪影響が確実視されている。

 

 2004年はレッシング生誕275年となる。もともとレッシングは人気作品だが、特に誕生月の1月を中心にラインナップが集中した。ミュンヘンやベルリンでは『賢者ナータン』、ハンブルク、ベルリン、ウィーンの『エミリア・ガロッティ』、フランクフルト、ボーフム、ヴィースバーデン等の『ミンナ・フォン・バルンヘルム』と盛況で、ウィーン・ブルク劇場の『エミリア・ガロッティ』(アンドレア・ブレート演出)はネストロイ演出賞。いずれの舞台においても共通するのは、歴史的な雰囲気は映画に任せるものであって、演劇においては「今日性」こそが問われるという点。一例だけ挙げれば、ベルリーナー・アンサンブルの『ユダヤ人』(ジョージ・タボーリ演出)では、最後に主人公がユダヤ人と判明したとたんに、それまでニコヤカにくつろいでいた周囲の人間たちが瞬時に固まってしまう。そしてホストの男爵による「宥和」の台詞が、能面のような表情で、早口に、機械的に述べられると、皆がソソクサと立ち去り、ユダヤ人だけが一人、後に取り残されて幕となる。

 

他方、10年前の元旦の朝に36歳で若死にした奇才ヴェルナー・シュヴァープをしのんで、2003年12月のウィーンでは『ヴェルナー・シュヴァープへのオマージュ』(シュテファン・ロートカンプ演出)。40歳以下の若手のオーストリア作家四人(フランツォーベル、レグラ、シュツットラー、ヴェフル)が、シュヴァープに即した創作オムニバス作品をそれぞれ書いて、コロス的、道化的、混沌と混乱の「定義不能のゴッタ煮の2時間半」との批評。

 シュヴァープ劇やイェリネク劇に典型的なような、テクストと演出とが一体となった「ポストドラマ」の方向性は、特に若い演出家を中心にした顕著な特徴と言える。劇作家(のテクスト)に縛られずに、演出家の「コンセプト」を重視する舞台作りは、フリッツ・コルトナーからペーター・シュタイン、クラウス・パイマンへと続いた、いわゆる「演出家演劇」の方向性を前提としつつ、旧世代とは異なった姿勢でテクストを扱おうとするものだろう。ちなみに自分のテクストを他人に演出させたものの、その舞台が気に入らずに中止させたルネ・ポレシュの曰く。「再現的な演出」はくだらない・・・劇場は「演出の使い古しの場所」ではない・・・「保証された芸術理解」とは関わらないのが、自分の活動するベルリン・フォルクスビューネの小屋「プラーター」なのだ云々。とはいえ、そのような試みが、むしろ観客の関与を逆に奪っているのではないか、コンセプト重視と言いながら、結局は特定の俳優の力に依存しているのではないかというような批判もある。

 

とはいえ、そのようなアヴァンギャルドな試みを支えているのは、演劇王国とも言われるドイツの強みとなる広範な観客層の存在であろう。昨年統計に出た公的劇場の観客数は約1990万人(前年比+35万人)を数える。公的補助金の総額は、赤字に苦しみつつも約82億ユーロ(直接の地方自治体が約37億、州政府が約36億弱、国は約10億強)、これは名目国内総生産の0.4%、公的予算の1.66%にあたるとのこと。最多上演は、2000年に初演したバウエルジーマ『ノルウェイ、今日』の人気が衰えず、28演出・450回公演。二位は『真夏の夜の夢』が22演出・308回公演、三位が『ファウスト』22演出・307回公演と続く。ただし四位のレッシングの『たくらみと恋』が20演出ながら、公演数だけならば445回と二位で、観客数だと13万2千人の一位となる。

 

ちなみにオペラは『魔笛』がダントツの46演出・515回公演で、観客数も演劇よりはかなり多くて37万1千人。二位の『カルメン』が26演出・302回公演、観客数26万人。『ヘンゼルとグレーテル』が25演出・230回公演の15万人となる。

 観客を豊富に産み出しているのは、もちろん各地域の公立劇場の日常活動の成果だが、それと共に、ドイツ中で行われる芸術祭・演劇祭の類も無視できない。有名どころを挙げれば、例えば春ならば5月のベルリン演劇祭(20日間)、ウィーン芸術祭(約一ヶ月半)、ルール・トリエンナーレ(約一ヶ月)などで、夏だとザルツブルク芸術祭(約一ヶ月強)やバイロイト芸術祭等。更に野外劇や野外オペラの企画ならば無数にある。秋はグラーツの「シュタイヤーマルクの秋」などが有名だろう。いずれもそれぞれの地域のアピールと地元以外の人間を呼び寄せようという趣旨であり、季節の良い春から秋にかけては、ほとんどドイツ中のあらゆる地域で様々に、切れ目無く開催され続けている。それらの芸術祭関連の客席数を全て合わせると約160万席近くにもなり、前年比6万席の増加という数字も明らかになっている。

 

 「今日の演劇」誌による昨年前半までのシーズン・ベスト作品は、フリッツ・カーター『我らはカメラ/イアーゾン・マテリアル』(2003年12月ハンブルク・タリア劇場初演)。東西冷戦下でのスパイが、家族と共にフィンランド経由で東側に亡命しようとする話だが、様々なレベルでの過去と現在を複雑に絡み合わせるパズルのような構成と、コンマを廃した独特な文体で映画的な実験ショットを思わせる。演出のアルミン・ペトラとは作者自身のことである。二位はインスブルック生まれの36歳、若手作家作品のベストともなったヘンドゥル・クラウス『野蛮または悲しい眼の男』(2003年9月ハノーファー初演)。たまたま降り立ったのが忘れられたような地方都市。そこで出会った奇妙な家族の中にイヤイヤながら取り込まれていく話は、カフカ的とも言えそうな不思議な迷宮的徒労感にあふれている。三位のファルク・リヒター『エレクトロニック・シティ』(1月ベルリン・シャウビューネ劇場初演)は、グローバル化する経済とパート労働の中で自分を失う男女の閉塞を、早いテンンポでシュールに示す。これも作者自身の演出で、映像とコロスを効果的に使って、現実とフェイクとの境界をあいまいにした焦燥感が、いかにも現代的。

 

ベスト演出は二つが同数で、ハイナー・ミュラー『タイタス解剖 ローマの没落』(2003年11月ミュンヘン・カンマーシュピーレ初演)のヨハン・サイモンと、ゴーリキー『避暑地の人々』(1月デュッセルドルフ初演)のユルゲン・ゴッシュ。ベスト劇場は新しく再発足したベルリンの「ヘーベル・アム・ウーフアー劇場」。二位がハンブルク・タリア劇場。三位がミュンヘン・カンマーシュピーレとチューリッヒ・シャウシュピールハウス。

 旧東ベルリンの国民劇場とも言われた「ドイツ座」の2006年からの総監督として、ベルリン市が東ドイツの作家クリストフ・ハインを発表したが、本人が批判に嫌気をさして辞退後、混迷している。

 

昨年後期の話題作としては、ローラント・シンメルプフェニッヒ『昨日の女』(9月ウィーン・アカデミー劇場初演)は、24年前の愛の誓いを守って欲しいと突然押しかけて来た女に翻弄される中年夫婦の話で、ありえないような設定に現実味のある対話を絡めて、相変わらず才気の勝った構成の工夫がおもしろい。テレージア・ヴァルザー『放浪娼婦』(10月シュツッツガルト初演)は、疲れたようなポルノ俳優の男女が公園で、男四人がレストランで、女四人がバーで、三つの場面が互いに絡むことなく、時に詩的と言えないことも無いような人を喰った奇妙な調子を交えながら、喜劇的なタッチで互いの抑圧をアナーキーに展開する。ちなみにポルノ男優を演じているのが76歳のトラウゴット・ブーレだから恐れ入る。マリウス・マイエンブルクの新作『エルドラド』(12月ベルリン・シャウビューネ劇場初演)は、これまでの心理抑圧のマイエンブルク世界を広げようと苦労している。具体的な展開は、幸せな生活を夢見て白樺を植える男女の挫折だが、背景がイラク戦争を思わせるような荒廃した戦場都市であり、様々なテーマがゴッタ煮のように混ざり合っている。

 

ところで2005年の今年は「ドイツ年」とのことで、現代ドイツを代表するアンサンブルの日本公演が多い。3月にベルリン・フォルクスビューネ劇場、6月はピナ・バウシュのダンス、ベルリン・シャウビューネ劇場、更にベルリーナー・アンサンブル、8月にルネ・ポレシュ、来年3月には個人的に一押しの演出家タールハイマーの舞台が予定されている。それ以外にも様々なドイツ演劇絡みの催しが目白押しである。例えばゲーテ協会の支援によるドイツ現代演劇作品30本の翻訳プロジェクトも進行中。これらの情報を一元化するべく、「ドイツ演劇プロジェクト2005」のホームページを立ち上げた。特にドイツ演劇関連の公演情報が充実しているので、以下のアドレスのご利用をどうぞ。

http://homepage2.nifty.com/famshibata/index.html

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