演劇する都市ウィーンあるいはブルク劇場 秋の巻再び

  ―――クルト・シュヴィッタース『原音ソナタ』上演について

                                  寺尾 格

 

    「新しい芸術は抽象的ではあるが、それは人間的関連が実際において抽象化したことと軌を一にしている。」      アドルノ『美の理論』より

 

プロローグ:音符舞い飛ぶ神無月

第一幕:上演タイトル

第二幕:音響リズム

第三幕:現代演劇の視点 

エピローグ:声のパフォーマンス空間

 

 

プロローグ:音符舞い飛ぶ神無月

 10月ともなればウィーンも秋本番になる。迫り来る冬の寒さの準備に、木々が美しく色づくのは日本と変わらない。ただしウィーンの秋を彩るのは、煉瓦塀を這う蔦や葡萄の葉の赤さを除けば、「紅葉」と言うよりも、むしろ圧倒的に「黄葉」ばかりが目に付くので、日本の秋のように紅や黄色や緑が混然とした「錦秋」という印象とは異なる。特に近場にあるウィーンの森にはブナの木が多くて、一面が「黄」葉の一色に染まる。次から次へと黄色の木の葉が、風と共に舞い落ちる様子は目の覚めるような美しさである。

ところが町中にあるマロニエは、5月のリング通りを華やかな白い花で覆い、夏には涼しい木陰を用意してくれたのだが、かなりの寒さを迎えても、いつまでも梢に木の葉をしがみつかせて、なかなか色づかない。それどころか、夜の間に霜がびっしりと町中を白く覆い尽くすような、本当に気温の低い朝が来た時に、ようやく葉を一度にドサッと落とす。マロニエの葉は大きくて、端が薄茶色に汚く破れてはいるものの、まだ緑も十分に残したままである。それが大量に歩道を覆い尽くして積み重なっているのだから、いかにも刀折れ、矢も尽きて、しぶしぶ、仕方なく、嫌々落ちたようで、まるで屍累々といった雰囲気さえ漂わす。日本での通常イメージの、木の葉が一枚一枚、ヒラヒラと、嫋々と舞い落ちる様子を「枯れ葉よ〜♪」とセンチメンタルに歌う気分とは全く対照的で、ひどく即物的な風情にしか見えない。ちなみにドイツ語で「センチメンタル」という言葉は「感情過多な」という完全にネガティヴなニュアンスであり、「あいつはセンチメンタルだ」とは、要するに「何も考えていない馬鹿だ」という意味にしかならない。[1]

  冷え冷えとした秋には街角のアイスクリーム屋も店じまいをして、その代わり、通りのあちこちに焼き栗の屋台が現れる。日本円で100円少々の額を出すと、熱々の焼き栗を大きなドラム缶の釜から七、八個ほど、新聞紙に包んでくれる。それをホクホクとほおばりながら歩いていると、道端から様々な音楽が聞こえてくる。もちろん歳末の商店街の景気づけによく耳にする、安スピーカーからのエンドレス流しっぱなしの音楽などではない。生の音色である。街角での演奏はヨーロッパでは特に珍しくもないが、ウィーン中心部の一区、とりわけケルントナー通りやグラーベンのメインストリートなどでは、車との分離も徹底されているために、鑑賞を妨げる余計な騒音が聞こえてこない。バイオリンやチェロ、フルートなどの楽器の独奏や重奏、オペラの歌声、時にピアノを引っ張り出すことさえある。通りの向こうから風に乗って漂って来る音符の端々は、ウィーンに欠かせない風情の一部とも言えるだろう。クラシックのみならず、ジャズ演奏や南米のフォークロア調、ロック風の演奏も多い。通行人も耳が肥えていて、質の良い演奏だと立ち止まって耳を傾け、二・三曲楽しませてもらったお礼に、「頑張れよ」とばかりに焼き栗代ほどを帽子に投げ入れて去る。それなりに腕に覚えがあれば、飲み代稼ぎにちょっと一・二時間も演奏すれば、結構な実入りになるのかもしれない。ただしヘタクソだと、鼻も引っかけてもらえないのだが。

   演劇でも音楽でも、夏休み明けの新しいシーズンは9月に始まる。しかし実はまだラインナップが必ずしも本格化していない。9月当初は再演中心で、必然的にレパートリーもいささか単調にならざるをえないのは、劇場側の都合だけでもないのだろう。事実、ブルク劇場もパイマンが総監督をしていた頃は9月1日に始まっていたのだが、バッハラーにバトンタッチした2000年の秋からは、9月半ばの開始にずらされてしまった。

 精力的に劇場に通うと、必然的に二度目の舞台も多くなり、自然と劇場以外に足を運ぶ機会も増えてくる。ウィーンと言えば周知のように「音楽の都」で、その中心は国立オペラ座(シュターツ・オーパー)と楽友協会(ムジーク・フェライン)ホール、さらにコンツェルト・ハウスや、あるいはあちこちの小ホールや教会等での演奏会も多い。

有名な楽友協会の黄金ホールは「響き」の良さでは定評がある。初めて足を踏み入れたのは、確かチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲であったと記憶しているのだが、二階席の隅っこの安い席であったにもかかわらず、オーケストラが全体のバランスを保ちながら、まるで目の前で演奏されているかのように、それぞれの楽器の音がひとつひとつクリアに響いてくる。私のように音楽には素人のザル耳ですら、思わずウ〜ムとうなって、「ホールの音響が良いとはこういうことか」と得心した次第である。これでは客演に来る外国のオーケストラも気合いが入らざるを得ないし、ウィーンの聴衆の耳も、更に一層肥えない筈がないだろう。

 そのようなウィーンの雰囲気の中での、いかにもウィーンらしい舞台が9月末、ブルク劇場のアンサンブルで初演されて、その後も二回ほど通いつめてしまった。なにしろ副題が「俳優のためのコンサート」なのである。場所は、春の巻でも触れた「フェスティビュール」、ブルク劇場の正面左側に設置された物置小屋風の小ホールである。[2]  

 

第一幕:上演タイトル

『フュムス・ベー・ヴェー・テー・ツェー・ウー&リブル・ボブル・ピムリコ』(初演:1997年9月30日 演出:フィリップ・ティーダーマン)[3]

 

 さて、「いかにもウィーンらしい」と言わざるを得ないのは、これがいわゆる通常の舞台演劇とはかなり趣を異にするからで、「俳優のためのコンサート」と銘打っているように、何かの具体的なドラマ世界の類が展開されるわけではない。「コンサート」との副題のごとく、俳優の肉声のみによる一種の音楽的なパフォーマンスと言える。

まず題名から説明しよう。いつもながら開演に遅れないように早めに席に着くと、どんな舞台なのかとの期待に満ちてはいるものの、ただ待つのは退屈なこともある。そんな時にはお隣さんに話しかけて情報交換に努めるのがよろしい。ついでに予習で理解できなかった箇所などを尋ねてみると、おおむね丁寧な答えが返ってくるし、時には前の席で返答を聞きつけた客の「それは違う!」といった反論が出てきたりして、意外な収穫の得られることも多い。ちなみに質問の相手が若者だと、面倒くさそうに早口のぶっきらぼうな返答が多いし、あるいはお年寄りの場合には丁寧なのだが、老眼鏡がないので・・・と言われて、かえって恐縮することもある。従って最適の質問相手は中年御夫婦の場合であろう。

この時も「この題名には何かの連想が出てきますか?」と隣に座った妙齢のウィーン婦人に尋ねてみると、「さあ、なんだかサッパリわからない題ですね。」と楽しそうにアドヴァイスしてくれた。要するに全く意味の無いナンセンスな題名なので、そのままカタカナ表記をせざるを得ないのであるが、ところが、この題名自体に簡単には見過ごせない様々な問題が隠されている。というのも、所詮はナンセンスな題にすぎないと、簡単には一刀両断できないからで、それは「翻訳」の困難さということと、何よりも演劇表現の本質にも通じる問題だからである。

まずカタカナ表記で抜け落ちるニュアンスの第一は、「ウムラウト」と呼ばれるドイツ語に多用される特殊な変母音である。a o u の母音が、それぞれ e または i の音との中間音へとずらされた音、いわゆるウムラウト(変母音)となり、ä ö ü と表記される。ドイツ語の初級の解説書をひもとけば、「ä a の口で e を発音し、ö o の口で e を発音し、 ü u の口で i を発音する云々」と説明されているはずで、初心者が最初につまずきやすい発音である。そのために日本語での表記は本質的に不可能であって、それが題名の苦しいカタカナ翻訳(?)となっている[4]。すなわち「フュムス( Fümms )・ベー( )・ヴェー( )・テー( tää )・ツェー( zää )・ウー( Uu ) 」である。

このタイトル は、最後の「ウー」以外はいずれも変母音ウムラウトのオン・パレードである。従って、なんだか意味はわからないものの、「音」から連想する変母音ウムラウトのイメージは、確実にドイツ語の雰囲気以外の何モノでもないという混乱した印象が与えられる[5]。ドイツ語に多用される発音である「ウムラウト」の日本語表記の問題は、明治時代の昔から苦しみぬかれた課題で、有名な例では、かの文豪ゲーテが正確には Goethe と書くのだが、真ん中に出てくる 幹母音「エー oe」がウムラウトの「ö」の音なので、日本語表記は悩ましい問題となる。一般には「ゲーテ」と書かれるのが普通だろうが、その書き方が定着するまでには様々な可能性が模索された。「ゲエテ」や「ゲェテ」はともかく、「ゴエテ」とか、あるいは「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言ひ」という有名な川柳もある。従って、題名の冒頭だけを見ても、Fümms ü は「フムス」の「ュ」とは全く異なった「響き」なのである。

カタカナ表記の問題の第二は、変音以前の「母音」の発音そのものにある。日本の学生諸君へのドイツ語入門の最初として、十年ぐらい昔であれば、まずアルファベートから入ったものだったが、最近は更にその前提である「母音」から教え始める。もちろん「a e i o u 」と簡単そうに思えるかもしれないのだが、これを明瞭にキチンと発音できない学生が非常に多い。というよりもむしろ、日本人の多くの発音は母音を抑圧する傾向が著しいので、何となく無意識に発音された母音は、ほとんどの場合は聞きづらく、そのままではドイツ語のアルファべートの練習に入ることができない。

母音抑圧の理由の第一は、例えば母音相互の区別がひどく曖昧にしか発音されない点に現れる。そもそも意識されずに漠然としか発音されていないので、日本語でも、いわゆる「滑舌」が不明瞭となり、何となく言葉が聞き取りにくい場合の基本的原因のひとつとなってしまう。もちろん「ア」の音は、他の「エ、イ、オ、ウ」とは異なるという当たり前すぎる事実を、誰もが頭では理解している。しかしながら、これを実際に口に出させると、必ずしも十分に区別の出来ていない学生がほとんどである。例えば早口言葉で「おアヤや、母親にお謝り!おアヤや、八百屋にお謝りとお言い!」と、大きくはっきり三回ほど続けて言わせれば、おそらく誰にでも了解されるはずである。あるいは「青巻紙、赤巻紙、黄巻紙」でも良い。「ア」と「オ」あるいは「ア」と「イ」とが、口の形として明瞭に区別できていれば、何の困難もなく繰り返すことができる筈なのだが、まず、ほとんどの学生は、どこかしらで必ずロレツが回らなくなる。

ロレツの回らなくなる基本的原因は、何よりも「ア」の口が明瞭に「開かれていない」からである。口の開かれていない「ア」は、必然的に他の母音との区別を難しくする。つまり「ア」と「オ」の区別が頭では了解されていても、その区別が明確に口頭発音として「身体化」されていないからである。もう少していねいに言えば、第一に区別が明瞭に「意識化」されていないからであり、さらに第二に、より根本的なのだが、そもそも「口」を開くために必要なほどに「からだ」が準備されて「開かれていない」からであり、さらに言えば、「からだ」が開かれていないのは「こころ」が開かれていないから・・・という相互関係の悪循環の堂々巡りが生じているのである。

ちなみに「からだ」を開くというのは「呼吸」に関連しており、発声の基本となる「姿勢」の確保の際に重要なポイントとなるのだが、本稿とは趣旨が違うので詳述は避ける。少なくとも「ことば」の背後に、それを支える「こころ」と「からだ」という大きな問題が隠されていることだけを指摘しておく。幼少時から「静かにしなさい!」と常に言われ続けた結果、必然的に「からだ」も「こころ」も常に抑圧されたイジケタ状態にあり、それが「ことば」の問題として顕在化するのである。怪しげな外国語の教師ふぜいに「声を出して!」と言われても、そう簡単に「こころ」は開けないし、「からだ」も開けないし、まして「声」など出せるはずもない。従って「開いた」口で「ア」を発音することも、言われるほどには簡単ではない。つまり、それほどにわれわれの抑圧の根は深いのである。

「ア」と「オ」の区別が明瞭に発音できない口では、「ウ」は更に難しいし、「イ」と「エ」も同様である。五つの母音の発音を明瞭に区別することは、全ての「発話」の土台なのだが、そこが何となく不明確なままで、ただ知識だけを次々に詰め込まれても、そのような知識は、いわゆる「使える」ものとはならないし、ましてや「ア」と「エ」の「中間音」となるようなドイツ語のウムラウトの発音などという難しい応用問題は、遙かに遠い彼方の目標となってしまう。要するに最初に挙げた題名の冒頭、Fümms は「フュムス」ではないのである。

 カタカナ表記の抱える問題の第三は、上述の母音抑圧の問題の更に第二点目となる。母音相互の発音の区別以前に、一つひとつの母音そのものの発音の抱える問題である。厳密に言えば、発音はそれぞれの音の意味的な区別では「音韻」論、生理的な音の区別では「音声」学と分けられるし、肺から喉頭までを使って音そのものを出す「発声」と、出した音を口腔や舌、唇、鼻等によってコントロールする「調音」とに分けられるのだが、用語の厳密な分類にはあまりこだわらないことにしよう。以下に述べるような「ア」の出し方の微妙なコントロールに関しては、そもそも「発声」と「調音」との厳密な区別がなじまないからである。

例えば「a」はカタカナで書くと「ア」となるのだが、日本語の「ア」とドイツ語の「a」とは本質的に全く異なる「響き」である。正確に言えば、「a e i o u」の基本母音の全てにおいて、日本語とドイツ語との間には、重要な響きの相違がある。何よりもまず「母音」の中で最も根源的とも言える「ア」は、母親の胎内から出てきた瞬間に新生児の発する音としては、おそらく人類に共通の「母」音なのであろうけれども[6]、これが「言葉」として了解され始めるに従って、それぞれの言語文化に特有のバイアスがかかってくる。ヨーロッパ系の発音から見ると、通常の日本人の「ア」の発音は、すでに述べたように十分に口腔が開かれていないのみならず、舌の位置が上がったまま、むしろ「エ」に近く、比較的に狭い口腔から無理に発声される場合がほとんどで、しっかりと口が開く「ア」は、通常の日常生活ではなかなか発音されがたい。

 「ア」が抑圧的に、「イ」や「エ」に近く発音されるために、日本語の母音は、基本的に口腔の前の部分を多用する結果、口腔の後ろの部分を使用する「オ」や「ウ」が、「ア」に対してひどく曖昧になってしまうのである。先ほどの「おヤや」が「おヤや」になって、「ア」と「オ」が区別しがたいのは、まずは先ほど述べた「ア」と「オ」の口の形ができていないためであるのだが、より根源的には「ア」において口腔全体を「開く」構えの土台ができていないために、「オ」とうまく差異化できないことの方が遙かに重要な課題なのである[7]

 ドイツ語では、口腔全体を開いた「ア」の発声が基本となって、「オ」や「ウ」の音が作られる。従って、具体的には口腔の「奥」まで開いた「ア」は、日本語よりもノドの「奥」にぶつける響きとなる。これが声楽訓練で洗練されると、しばしば「あくび」とか、「口蓋垂を上げて舌根を下げてノドを開ける」とか、「オペラ・ポジション」とか言われるベル・カント唱法の「響き」を生み出す土台となる。[8]もちろん真のベル・カント唱法のためには、姿勢や呼吸、さらに音のぶつけ方や共鳴の方法等々の工夫が欠かせないのだが、ともあれ、しばしば「ウをイで発音する」と説明されることの多いドイツ語のウムラウトの「ü」は、「ノドの奥を開く」という条件のついた上での「ウ」と「イ」なのであるから、従って題名の冒頭の Fümms の母音の ü は、断じて「フュムス」とは異なるのである。

 題名のカタカナ表記の問題の第四は、「子音」の発音である。ドイツ語入門講義でも、「母音」の練習に続いて「子音」に移る。簡単な確認作業として、まず「f  l  m  n  s 」あたりを発音させると、「子音」の意味が全く分かっていない学生も多くて、なかなか興味深い反応が出てくる。言うまでもなく、s は「エス」ではない。日本語では母音をつけないで子音単独の発音がそもそも存在しないために、子音単独の発音に困難を覚える学生は多い。「エル・エム・エヌ」も同じであるが、この点に関しては、最近の学生の多くは十年ほど以前よりも、いくらかは改善されている印象があり、指摘されて「意識」しさえすれば、おおむね正しく発音できる場合が多くなっているように思える。

しかしながら f は相変わらず難題の一つである。もちろん歯唇音の「 f は、両唇摩擦音の「フ」の発音とはことなる。応用練習として英語の「food」と「hood」の区別、あるいは「b ベー」と「w ヴェー」の区別などで、なかなかに「遊べる」のである。従って、何度も繰り返すが、題名の冒頭の Fümms は、以上述べられた四点の様々なレベルから、断じて「フュムス」ではないということがおわかり頂けると思う。    

 

第二幕:音響リズム

 

 さて、題名にこだわるのはこれぐらいにしよう。狭いフェスティビュールにしつらえられた60名ほどの仮設の客席は、すでにほとんど満杯である。暗くなると、いきなり入り口のドアが激しく叩かれて、思わずドキッとする。黒い頭巾をかぶった中世修道士風の男が、おもむろにドアから入って来ると、舞台奥の祭壇めいた場所にロウソクを点火して祈り(?)を捧げる。何やら怪しげな儀式めいた雰囲気の中で、スピーカーが語り始める。「初めに言葉ありき・・・」もちろんヨハネによる福音書の冒頭部分であるが、聖書では「言葉は神であった云々。」と続く筈なのだが、「言葉はであった。は神であった。すべてのものはこれによらないものはなかった・・・」と、人を喰った文句が響く。これは今回のシュヴィッタース作品の発展系とも言えるコンクレート・ポエジーの実験詩、ヴィーナー・グルッペの代表者の一人、エルンスト・ヤンドゥルの詩の一節である。

 男が修道士風のマントを脱ぐと、白いシャツに蝶ネクタイ、黒の上下服でビシッと決めた正装のスタイルをしている。舞台を覆っていたビニールのカヴァーを男が取り去ると、横一列に並んだ椅子に座っていた三名の俳優たちが現れる。そこに最初から動かずにジッと座っていたのだ。椅子はバーのカウンターにあるような止まり木風のスタイルである。中央右の空いた椅子に男が座ると、男三名と女一名の四名が横に並ぶ。それぞれの前に譜面台が置かれている。男が「導入!」と述べた後に、四名の「朗読」の掛け合いが始まるのだが、これが全く意味のない音の断片ばかりであるので、プログラムに載っていたテクストの冒頭を以下に示す。ちなみに提示した「導入」とされている部分は、全体の2%にも満たない量である。

 

 Fümms bö wö tää zää Uu

pögif

kwii Ee

  Ooooooooooooooooooooooooooo

dll rrrrr beeeee bö

dll rrrrr beeeee bö fümms bö

   dll rrrrr beeeee bö fümms bö wö

          beeeee bö fümms bö wö tää

                 bö fümms bö wö tää zää

                    fümms bö wö tää zää Uu[9]

 

 まず一人が Fümms・・・ (フュムス ベー ヴェー テー ツェー ウー)と冒頭の一行をゆっくりと述べる。これが基本テーマ形で、以後、次々と変奏されながら繰り返されることとなる。一人目の語りに続いて、他の三人の語りが様々に重なり、ずらされ、絡み合う。その響きの多様さに眼目のある舞台ということになる。基本テーマに限らず、以後の変奏のすべては、上の例を一見してわかるように、言葉以前の全く「無」意味な断片的な「響き」にすぎない。それにもかかわらず、例えばこの基本テーマは、すでに述べたようにドイツ語の変母音ウムラウトである「 ü ö ä 」、母音の「 u i e o 」、および「 f m s b w t z 」等の子音を基本とした言語的な響きによって、無意味であるにもかかわらず、ドイツ「語」的な音声特徴を明瞭に示している。そうなると断片的な響きは、一方では単なる無意味な「音 Laut」としてではなくて、言葉という「意味」への志向性を持った「声 Stimme」としての印象が与えられつつも、しかし他方では、例えば「叫び」のように、不明瞭ではあっても「声」としての最低の条件である意味の方向性を全く持っていないので、一切、具体的な意味へと取り込まれることなく、いわば意味 (声)と無意味(音)との間の宙吊りの状態が維持されたまま、我々の耳の中に「声」以前の素材としての「原音 Urlaut」そのものが直接に、意味のバイアスを経過せずに入り込んでくることになる。これが作品名としての『原音ソナタ』であり、ブルク劇場アンサンブルの上演では、あえて無意味なタイトルを前面に出すことで、「無」意味性をことさらに強調している。

人間の「声」の響きという点では、時に音楽的な和音風の合唱(コロス)の響きとして聞こえることもある。しかし決して和声的な音響秩序(歌・声 Sing-Stimme)に統御されることなく、あるいは逆に反和声的な不協和音(Dissonanz)や雑音(Geräusch)に解消されることもなく、あくまでも「言語」への志向性を持った「声」としての意識を保ったままであるのだが、もちろん、それは志向性にとどまり続けて、「声」本来の核である「言語」としての「意味」が確定されることは全く行われない。「声 Stimme」と「音 Laut」、「意味 Sinn」と「無意味 Unsinn」との奇妙な緊張関係の中で次々と繰り出される「変奏」の展開は、反発と共感のバランスを失して、しばしば「笑い」という形での反応を余儀なくされるのである。[10]

 冒頭テクストの変奏をもう少し丁寧に検討してみよう。一行目の音声的展開を基本として、二行目の pögiff および三行目の kwii Ee は、一行目の基本テーマを意味の裏側から、すなわち音声的に補強している。

一行目の基本母音だけを取り出せば、 ü – ö – ö – ä – ä – u と並んでいる。真ん中に暗音と明音の中間音である a を置いた展開では、暗音で始まる u と o を際立たせながら u で終わる。最後以外で繰り返されるウムラウトは、すでに述べたように、Fümms の母音 ü の背後に i を、bö と täの母音の背後に e というそれぞれの明音を音声的に隠している中間音である。ウムラウトの中間音を明示的に表記してみれば、ui – oe – oe – ae – ae – u となる。

従って母音の発音を表記という記譜法(Notation)の点から見れば、 u – o – o- a –a – u という三つの母音の流れが、ウムラウトを構成する i – e – e – e – e - ×という別の母音の流れと絡み合わされている。この二つの流れに目をとめれば、冒頭の ü の背後の i に比べて、ö と ä の背後にある e は、 第一に ö – ö – ä – ä と連続したウムラウトに隠されてはいるものの、i に比べて一層反復的に、しかも ö から ä へと変容されながらも持続して示されている。また第二に、 e はそもそも中間音の a に対しては i よりも近い響きであるので、一行目の Fümms の 背後にある i が、冒頭の ü から最後の Uu まで、 i の排除は、かなり意識的に徹底されながら、結果として最初と最後の u の深い音を強く印象付ける配列になっている。従って文字表記において明示的な基本母音の系列 u – o – o- a –a – u と、そのウムラウト構成要素である暗示的な系列 i – e – e – e – e - ×との二つの系列は、もちろん時間的には同時に発音されるにもかかわらず、その記譜的な表現からは、ふたつの音が同時に鳴り響く和音の連続のような印象を与える。

明示的なu – a – o と暗示的な i – e とのふたつの系列による母音の絡み合いは、続く二行目の pögiff では更に複雑になる。まず pö- による ö の導入によって一行目と重層的に e を反復しながら、次に -gif と、一行目で暗示されつつ抑圧されていた i を明示化し、三行目では Kwii と 改めてi を強調しつつ、最後にやはり一行目において暗示的に反復されていた e を明示的、意識的に Ee と反復している。

これらの母音の明示的および暗示的な組み合わせによる軽やかな変奏は、それによってウムラウトの持つ中間的な「音声」の特徴を自在に操りながら、一方では「声」の「音韻」的変化を聴覚レベルで無意識に立ち上げることができるし、他方では記譜という視覚的なレベルでの「音韻」的変化に光を当てることができる。この点で、単なる「音楽」的な演奏の類と重なる印象を与えつつも、しかし本質的に異なった「詩的言語」へと意識の焦点を当てていると言えるであろう。

反復しつつ、微妙なズラシで変容するという展開については、母音のみならず子音についても同じことが言える。一行目はf – b – w と唇音による漸進的な反復的展開が、t – z と歯音から硬口蓋音へと、別の響きへと移るのだが、二行目はp – g – f と唇音-硬口蓋音-唇音と回帰的に移行しつつ、一行目と微妙にズラシながら、b → p の濁音から清音への変化から新しい g の音が現れて、一行目冒頭の f へと回帰する。さらに三行目では二行目の新しい音である g を k へと、やはり硬口蓋音を濁音から清音へと同様に移行させ、しかも母音をはさまずに子音 w をk に直接続けて、kw という硬口蓋音と唇音との子音的な一体化を起こしている。

最初に耳にしたときには、全く無意味な音を即興的な思いつきで単純に連続させているだけのように思えるし、事実、言語的には全く無意味なテクストである。しかしながら音声リズムの点から「聞く」のみならず、記譜的に「見る」ことによって、明らかに反復とズラシによる発展的なリズムの変容が見事に立ちあらわれてくる。その変容のリズムは言語を意味(ロゴス)に統合させる音韻レベルとは異なるものの、しかし、それにもかかわらず、あたかもそこに言語が存在するかのような、未知の言語を耳にしているかのような「音韻」的特徴は、すでに述べたように、明らかにドイツ語的な印象を強く生み出すのである。知っているような印象でありながら、実は全く知らない人物に出会った時に感じる、親近と疎遠の入り混じったような奇妙な戸惑いの中に置かれた場合に似てくる。シュヴィッタースの『原音ソナタ Ursonate』では、それに触れた者の意識を既知と未知の間で揺らしながら、音韻のロゴス的な枠組みでは意識されえない言語の無意識レベルが、まさに「原音 Ur-」の「ソナタ Sonate」として音声的に立ちあらわれてくる。それによって、存在しない言語の音韻的「非」在性へと、自ずと意識の焦点が結ばれて来るのである。[11]

言語の「響き Klang」という音楽的視点は、詩的ポエジー論においても、しばしば韻律論として指摘されるところである。ただしその場合の韻律の「響き」は、しばしば音韻論的前提からほとんど一歩も出ることがない。[12]前提としての言語のロゴス性は確固として不動なのである。あるいは音楽学においては、言語を超越した「響き」自体の非ロゴス的な官能性は最初から前提であるものの、音楽の非ロゴス性を強調するあまりに、かえって逆に言語のロゴス性を裏側から強調する結果に陥りがちである。それは例えば「音楽か、それとも言葉か」という提出のされ方をされるオペラ論争などに典型的であり、[13]そのように不毛な二項対立的発想の前提にある言語のロゴス性理解自体は、やはり確固として不動なのである。

シュヴィッタースの「上演」において問題となるのは、言語を「意味」という意識感覚(Sinn)ではなくて、むしろ「身体」的な感応という音声レベルでの知覚感覚(Sinn)から再構築しようとする試みである。あるいはひどく没論理の言い方にしかならないのだが、非ロゴス的な「意味」として形容矛盾的に立ちあらわれてくるようなリズム的な音/言語レベルなのであり、これは単にテクストの問題ではなくて、むしろすぐれて上演を統御する「演出」におけるテクストと、俳優それぞれの身体性との問題としてとらえることができる。そこでの「テクスト」とは、すなわちすでに述べた「記譜法」からも見えてくるリズムにおける問題であり、そこでの「俳優」とは、実は具体的な「パフォーマンス」における問題ということになる[14]

 四人の俳優による「コンサート」は、様々な声の多様な響きのオンパレードである。例えば三行目の Ooooooo・・・は全員で合唱されるコロス(音楽的にはコーラスと言う。)なのだが、四人の素の声のコロスは、各自の自然で自由な音程で語られるが故に、音楽的、和声的にコントロールされていない響きの絡まりあいである。それは和音でも不協和音でもない。美しいような美しくないような、微妙に揺れる不思議なユニゾンとなる。そうなるとOoooooo・・・のユニゾンは、言語的には全く無意味なのだが、無意味であるにもかかわらず、まぎれもなく俳優の身体を通した「声」の響きそのものとしての独特の迫力を生み出すことになる。しかしそれは単なる音楽的な効果なのだろうか?

ここで重要なのは様々なレベルでの反復とズラシのリズムである。[15]リズムとは、まずは「反復」であるのだが、しかし単なる「反復」だけでは実は「リズム」にならない。「反復」の中に生まれる「変化」がなければ、そもそも「リズム」としての「意識」が生まれないからである。「反復」の志向しているのが繰り返しの持続による「永遠」の意識であるとするならば、それをズラスことによる「変化」が志向しているのは、それぞれの瞬間ごとに「切断」される時間意識である。従ってリズムを具体的に支える言葉や身体は単なる「反復」のみではなく、あるいは単なる唐突な「切断」のみでもない。「反復」と「切断」、「持続」と「変化」というふたつの相対立する根源的な要素が単純に対立するのではなく、実はより高次のレベルでの一体化を目指すというダイナミックな志向性、その現実化が「リズム」というものであるだろう。そのような観点に立てば、言葉も身体も全く同じ「リズム」に支配されていることになる。[16]これを声の「響き」という点に絞れば、「音声」と「音韻」、あるいは意味と無意味との境目に焦点を当てることこそが、演劇という「舞台」表現の身体的核心であると思われるのだが、少し先回りをしすぎた。

四行目の dll・・・も最初は三人の声で語られる。しかし繰り返される dll・・・の合間に、一行目の Fümms ・・・が別の一人の声で断片的に差し挟まれる。ただし断片的な響きによる一行目の挿入は、突然に中断する形で行われ、一行の全体を言い終わることがないので、ジグゾーパズルのピースが不完全なままで放置されたような、いわばタタラを踏んだような気持ちを引き起こしつつ、それが何度も繰り返されながら進行する。断片的な反復は少しずつ、fümms bö / fümms bö wö / fümms bö wö täa / fümms bö wö täa zäa というぐあいに反復しつつも増幅しながら漸層的に進む。その結果、一番最後に fümms bö wö täa zäa Uu と全体が語られると、あたかもジグゾーパズルの最後のピースの断片がきっちりと収まって、全体が完成したようなまとまった印象が生じる。

以上のように経過するのが、最初のわずか数分の「導入」である。これは以後の多彩な変奏の単なる一例にすぎない。「第一部:ロンド」「第二部:ラルゴ」「第三部:スケルツォ、トリオ、スケルツォ」等々、第九部まで、多様な基本形と変奏とによる「コンサート」が、手を変え、品を変えて、次々と繰り出される。全体は約三十五分である。四人の俳優たちそれぞれの、無意味な言葉の断片の響きによる音声パフォーマンスでは、観客の耳は思いがけなく展開する様々の「声」に常に引きずり回され続けながらも、その反復と変化の響きのリズムは、全く飽きさせることがなく続いてゆく。同時に、終始、笑いが絶えないという点から、単なる音楽的な響きの没入とは異なった、上述した非ロゴス的言語という矛盾した「距離」感が指摘できるだろう。それより何よりも、人間の「声」の持つ可能性と、それを十分に生かすことの出来る俳優たちの表現力には舌を巻かざるを得ない。

  さて、これが単なるアヴァンギャルドな現代音楽の「コンサート」と異なるのは、音符を統御する楽譜による「音楽」的なパフォーマンスではなく、あるいは響き自体の可能性を探る騒音利用的コンサートでもなく、無意味ではあるにせよ、「ことば」の断片が様々なイントネーションで絡み合う「語り」の一種と思われるからである。「舞台」で様々な音の響きを作り出すのは演奏家ではなくて、俳優たちである。ちなみにヨーロッパ語では、演奏家と俳優のどちらも Spieler / Player と全く同一の単語を使う。俳優たちは「声」でプレイをするのだが、それは「歌」として「演奏」するのではなく、「ことば」としての無意味な「語り」を「演じ」るので、無意味さにおいて音楽の演奏と共通しつつも、あくまでも「ことば」の表現の範疇に属さざるをえない身体表現である。

通常の歌手の表現訓練では難しい身体表現なのではないかと思われるのは、例えば dll rrrrrr beeeee bö というような部分の表現から納得されうるであろう。ちなみにドイツ語のrの発音は、ノドの「奥」の口蓋垂(いわゆるノドチンコ)付近を震わすように響かせる発声であって、日本人の殆どはこの音を十分に出すことができないし、たとえドイツ人であっても、r を美しくきちんとノドで発声できるためには、いささかの訓練を必要とする場合が多く、ドイツにおける俳優としての基本的な発声技術の一つである。

四名の俳優たちは、いずれも比較的に若手ながらベテラン勢であり、例えば四人の中で中心的役割を担っていたヨアハネス・クリッシュは、同じころに上演されたブルク劇場での『ロメオとジュリエット』および『塔』でも主役を演じている。ブルク劇場の俳優の層の厚さは格別である。彼らは取り立てた「演技」をおこなうわけではないし、そもそも「意味」を欠いた響きの絡み合いには、いかなる具体的な「心理」もありえないので、「言葉」のレベルにおける「声」と言うよりも、単なる「音」あるいは「響き」と言わざるを得ない。にもかかわらず、それらの音を出すためには、実は俳優たちの「顔」や「手」や全身の「動き」も総動員されているので、これが聴覚に限定されない豊かな「身体」表現となる。

通常の演技のような特定の「意味」を伝達するのではないにもかかわらず、意味を欠いた不自然な「響き」を引き出さなければならない俳優たちの全身からは、一種の感情にも似た、あるいは感情以前の何かアウラのような存在感が、必死な形相と共に放出され、観客の耳のみならず全身を感応させることができる。そうであるからこそ、これは「コンサート」と銘打っているにもかかわらず、やはり「舞台」表現としての性質を強く持つ「パフォーマンス」なのである。単なる響き自体の美しさやおもしろさへの興味を中心に追求する音楽の「コンサート」とは異なって、「舞台」表現という演劇的な相貌を示すことになる。ここでは「言葉」が「意味」から全く遊離した単なる「声」として、「イントネーション」として、「響き」として立ち現れてくるのみならず、同時に俳優の「身体」を通して「聞こえ」、「見え」、「感じられる」のであり、そのような全身的な感応を生み出す官能的な「ことば」は、やはり「演じ」られているとしか言うことができないだろう。

 

第三幕 現代演劇の視点

     

 さて、以上に述べたブルク劇場における「上演」の具体的な説明は、作者シュヴィッタースの実験的な詩の試みの具体化であるにとどまらず、実は現代演劇そのものの可能性とも通底する。むしろ現代演劇の視点に立つことによって、シュヴィッタースの試みの、より積極的な意味付けも見えてくるのではないだろうか。つまりナンセンス詩というアヴァンギャルドなポエジーの単なる多様な表現のひとつとしての「朗読」スタイルのみならず、現代演劇におけるテクストの「上演」として見えてくる問題性である。[17]

 詩としてのこの作品は、1921年9月、プラハでラウル・ハウスマンの行った『 fmsbwtäzäu 』の朗読を基にして、シュヴィッタースが時間をかけて練りあげ、最終的に『原ソナタ Ursonate』というタイトルで1932年に完成したものである。あらかじめワイマール、イェナ、ハノーファー等で行われたダダの集まりで発表され、1925年にはシュヴィッタース自身の朗読によるレコード吹き込みも行われている。[18]様々なアヴァンギャルドな実験詩の試みによって、ダダ詩人として有名なシュヴィッタースの作品の中でも、「音響詩 Lautgedicht 」として知られるが、絵画的コラージュでもある「アンナ・ブルーメに寄せて」や「視覚詩 Bildgedicht」、「アルファベット詩」などと共に、シュヴィッタース独自のメルツ理論、あるいはそもそもダダ特有の言語破壊を説明するための好例のひとつとして有名である。

 ただし、そのような従来のシュヴィッタース理解は、いかにもダダ的な言語「破壊」という側面に焦点を当てるアプローチが中心であり、大きな枠組みではやはり文学的なポエジー論に属するだろう。その場合、シュヴィッタースの言語破壊あるいは言語の遊戯的解体の徹底性をいかに積極的に評価するにせよ、文学的ポエジー論としての「言語」の視点を超え得ていないように思われる。つまり言語の破壊、秩序の拒否、ダダ的なカオス、反・芸術という方向での理解であり、それは、要するに従来の枠組みに対する「アンチ」の宣言であり、その限り「解体」される当該対象の「言語」観に取り込まれざるをえない運命を持つ。その結果、ダダの衝撃力それ自体には強い説得力を認めながら、一種の「一発芸」的な衝撃の後に、それを超えて更に具体的に展開する困難さが伴わざるをえない。この点については、例えばハンス・ティース・レーマンがシュールレアリスムと比較して次のように明確に述べている。

 

  未来派の運動やダダイズムの繁栄がわずかの間だったのに対して、シュールレアリスム運動の息が長かったのは、おそらくは速度の純粋美学や純粋否定が規範を作れなかったのに対して、夢や幻想や無意識への新しい探究は豊富な新しい素材を切り拓いたからではないだろうか。[19]

 

 19世紀末から20世紀初めに繰り広げられた歴史的アヴァンギャルドの運動、つまり印象主義、キュビズム、フォーヴィズム、未来派、表現主義、ダダイズム、シュールレアリスム等の一連の流れの中で一貫しているのは、19世紀的な実証主義の持つ「対象」の客観性・現実性・具象性への疑問であり、それがまずは美術において、様々な「抽象」表現の試みとして顕在化した。文学的ポエジー論においても、同様な問題性が「言語危機」の意識として、19世紀後半に様々な文学ジャンルで現れている。演劇テクストにおいては、とりわけチェーホフの作品において、まだ19世紀的な枠組みの中での先駆的な試みではあるのだが、既成の表現を脱構築するような新しい表現方法の模索が明瞭である。例えば『三人姉妹』の次の一場面を、ペーター・ションディが「対話の否定」として具体的に位置づけている。

 

  フェラポント なんと答えたらいいかさっぱりわかりませんね・・・耳が遠いんで・・・

  アンドレイ  おまえの耳が遠くなかったら、ぼくはお前なんかを相手にして話したりはしないだろうよ。[20]

 

 ションディによる「対話の否定」の指摘は、「ドラマの危機」という視点によるものであり、歴史的アヴァンギャルドの「言語危機」という発想と共通する問題意識に基づいている。『三人姉妹』のみならず『桜の園』においても、直面する競売の危機を逃れようとして、ロパーヒンが対応策を語れば語るほど、逆にラネーフスカヤ夫人をはじめとした聞き手の無理解が増幅され、何の対策も真剣に検討されることがなく、ロパーヒンの言葉は全く何も伝わらない状況が一貫して繰り返される。どちらのチェーホフ作品でも、語られる言葉は明瞭であるにもかかわらず、『三人姉妹』では「耳が遠い」ために文字通り肉体的に、また『桜の園』では状況を正面から見つめようとしないために心理的に「耳に入らない」ことが、対話の不能性を際立たせている。

しかしながら『三人姉妹』の第三幕には、対話の否定とは全く別の可能性を示す場面も見いだせる。

 

  マーシャ:トラム・タム・タム・・・

  ヴェルシーニン:タム・タム・・・

  マーシャ:トラ・ラ・ラ・・・・

  ヴェルシーニン:トラ・タ・タ・・・ [21]

 

ここだけを引用したのでは全く理解できないテクストなのだが、この場面では『三人姉妹』におけるヴェルシーニンと次女マーシャとの関係、すなわちもともとお互いに憎からず思っていた二人が決定的に親しくなるという大きな変化が、「あうん」の呼吸で描かれている。二人の間の物理的な距離が、心理的距離を伴って接近し、最後に全く共鳴するに至るまでの変化が、それ自体としては本来、全く無意味な音楽的リズムしか表わしていない「トラム・タム・タム・・・」という言葉以前の言葉のやりとりによって、わずか四行で効果的に示されている。リズムとしての符号以外には全く無意味であるが故に、それは感覚的な身体表現と一体化した「ことば」としての意味を伴って、効果的に二人の心理的な「距離」感を表現している。ここでは言葉が身体的リズムとして表現され、言葉と身体とが互いの境界領域で相互につながりあっているのである。[22]

 先駆的なチェーホフの作品をひとつの分水嶺として、20世紀初頭の歴史的アヴァンギャルドでは、文学においても演劇においても、従来の意味での「言葉」への不信を明確に示すようなテクストが様々に書かれてきた。特に演劇においては、テクスト作品のみならず、それに呼応した実践的な演出や演技の「上演」レベルで、「語られない」演劇、心理と言語の統一を前提としない脱・文学化された演劇へと大きく変貌して、演技の基本である身体統御に対する考え方もまた大きく変化している。この点では心理との一致を前提としたスタニスラフスキーの身体統御が、言語危機に対する身体表現での対応という側面を一方では持ちつつも、しかし他方では、言葉に代わる信頼を身体に過剰に与えることで、心理と言語の一致という19世紀的な心理リアリズムの言語観という基礎が透けて見えることにもなる。この点でスタニスラフスキーを批判したメイエルホリドのビオ・メハニカの論は、身体を生物機械のように統御することで、俳優の身体を心理からも言葉からも解放することとなり、身体ベースでの演劇表現は自ずと「抽象化」への可能性を一気に広げることとなった。[23]

 さて、以上の流れを前提とした上で、あらためてシュヴィッタースの「上演」に戻ることとしよう。ここではメイエルホリドの場合のようなアクロバティックな身体運動が行われているわけではないのだが、すでに述べたように、俳優たちによる舞台表現は単なる詩の「朗読」ではなくて、全身体的な「語り」であり、その語りは言語テクストの単なる音韻的現実化にすぎないのではなくて、身体表現としての「声」の独自な統御による、身体としての「ことば」の全く新しい表現可能性を志向している。ここでの「声」とは、歴史的アヴァンギャルド以降の脱・文学化された現代演劇の表現、つまり「空間のパフォーマンス性」における決定的な要素として立ちあらわれている。

 印象主義からシュールレアリスムまでの歴史的なアヴァンギャルド運動は、演劇や文学的な運動の前に、むしろ美術を軸に展開していた事実が示すように、それは最初から空間処理を常に強烈に意識していた。特に絵画の課題は、現実の立体的な空間をどのように画布という平面空間に映し出すのかという空間処理の問題である。教科書的に単純化すれば、印象派は光、キュビズムは多面性、フォーヴィズムは色、未来派は運動、表現主義は主観性、シュールレアリスムは無意識というそれぞれの素材を、絵画表現という空間性に新たに取り込んだことになる。それらの歴史的アヴァンギャルドに共通する「抽象」意識は、とりわけダダイズムにおいては、表現主義とも共通する総合的な運動感覚に焦点を当てており、自ずと「空間のパフォーマンス性」に表現の可能性を模索していたと言えるだろう。

シュヴィッタースに五年ほど先立つ1916年、チューリヒで行われたフーゴー・バルの抽象的音響詩(Lautgedicht)[24]『キャラバン(象の隊商)』は、全く無意味にしか聞こえない朗唱を独特の奇妙な衣装で、ミサ風に、あるいは呪文のように、読経のように変化させる「訳のわからなさ」に、観客が騒ぎ出すスキャンダルとなった「ダダ的カオスの世界」の好例だが、それは同時に単なる破壊ではなくて、「矛盾し相反する多種多様な要素を内包し、一つの生命体のように多方面へ生成発展する存在」[25]でもあった。

 シュヴィッタースのダダ的意識も、いわゆるダダを否定するに至るまでの積極的な構築意志を持っており、彼の独自のメルツ理論を提唱することにもなるのだが、そこでは明らかに舞台表現というパフォーマンス性に重点が置かれていた。

 

  真の意味におけるメルツ総合芸術作品はしかしながらメルツ舞台である。・・・メルツ舞台はメルツ戯曲の上演に使えるものである。メルツ戯曲とは芸術の抽象的な作品である。普通の演劇やオペラは、概して台本が元になって成り立つものであり、この台本はそれ自体、舞台なしで完成したものであって、舞台装置、音響効果、演技などはこの台本の説明に貢献するにすぎない。これに対しメルツ舞台のすべての部分は不可分に連結している。これを文字にして読んだり聴いたりすることはできない。これは劇場においてのみ製作されるものである。・・・メルツ舞台は全ファクターを融合し、一つの作品に作り上げることしか知らない。」[26]

 

 メルツ舞台に関するシュヴィッタースの興味深い説明は、さらに相互に無関連な素材を非合理的に結び付ける可能性の提唱にまで続くのだが、ここでシュヴィッタースが主張している総合芸術としての「上演」性は、ほぼ同じ時代に始まった演劇「学」の揺籃時代と共通の問題意識に立っている。「上演」という素朴な用語を洗練させた「パフォーマンス」という表現が演劇学において使用され始めるのは1970年代以降なので、シュヴィッタースはまだ19世紀的な用語を使わざるをえないのだが、演劇における「上演」が、戯曲テクストである「台本」とは異なった「全ファクター」の「融合」にあるという彼の視点は、そもそも演劇学の、そして明らかに現在の「パフォーマンス」的発想に基づいている。

1914年に『中世およびルネッサンスのドイツ演劇史研究』を書いたマックス・ヘルマンは、彼の演劇史記述の基礎を「上演」に置いて、文学研究としての「戯曲」分析と意図的に区別するという方法論的自覚のもとに、1920年、ベルリンに最初の演劇研究所を創設して、以後のドイツにおける演劇学の基礎を据えた。[27]戯曲という「作品」ではなくて、「上演」という「今、ここ hic er nunc」における一回性を演劇学の対象とすることは、対象のドキュメント化の困難という方法論的な難問を抱え込むことにもなって、戦前は演劇史研究や民俗学的研究に対象を限定する意識が強かった。しかし戦後はナチズムへの反省からも、特に1960年代末の学生運動の世代以降は、おのずと「同時代性」意識を先鋭化して、さらに社会学、構造主義、フェミニズム等の影響と、何よりも映画、テレビ等のニュー・メディアの発展の影響が著しい。1970年代までは「演劇性 Theatralität」と言われることの多かった「上演」の問題性は、特に1990年代からは「パフォーマンス性 Performativität」という用語で新たに再構築され始めている。[28]

シュヴィッタース等の歴史的アヴァンギャルドが提唱した「上演」の総合性は、新たに「パフォーマンス性」としてとらえ返すことで、言語危機から言語破壊という「アンチ」の方向性を超えた、より積極的な理論的統合の可能性が見えてくるのではないだろうか。

 

エピローグ:声のパフォーマンス空間

 

   演劇は決して単に「見る・空間(テアトロン theatron )」であったのみならず、「聴く・空間( auditorium)」でもあった。[29]

 

「演劇Theater」の伝統的な理解とは、そのギリシャ語の原義(theatron)から言っても、舞台と、それを囲む観客との相互関係を空間的に確定しようとする表現形式である。ヨーロッパ語では「演劇」と「劇場」とを区別することができない。あるいは「俳優Schauspieler」とは、ドイツ語では「見るSchau」「演技者Spieler」であり、英語でも「行動する者actor」と、空間的に理解されている。また俳優の演技を統括する「演出」も、ドイツ語ではInszenierung、すなわち「場面Szene」の確定(In-die- Szene)であり、英語でもdirection、すなわち「直線的なdirect」指示を原義とする空間的な定義である。

他方、演劇の空間性を「意識」へと立ち上げる「パフォーマンス的な空間」では、「見る」際における客観的な空間「意識」にとどまらず、そこに参加するすべての人間の主観・客観の枠組み自体を解体して、新たな変容を生み出すダイナミックな場として空間を捉えている。そこでは「声」によって作り出される、俳優と観客との相互的な身体リアリティが重要な要素として決定的となる。というのも、「パフォーマンス空間」では、舞台と観客という二項対立的な関係性を無化すること、従って論理的な意味了解における肯定/否定の選択によって形成される具体的な空間の枠組み自体を問題視するからである。

「声」とは、それを「発声」する側にとっても、あるいは「聴く」側にとっても、それぞれの身体の中に相互的に入り込むが故に、冷静で、客観的であることのできない媒体である。またロゴス的な言語の意味性が、「声」においては身体感覚として内側からも感応することによって、語り手である俳優と、聴き手である観客それぞれの身体が相互的に動かされ、活気づけられ、変容させられる。そのような媒体が「声」なのである[30]。その限り「声」は、苦しみと喜びとの、あるいは語り手と聞き手という二項対立的な発想を無化することによって、「上演」そのものの持つパフォーマンス的な意味を最も強く意識させうる媒体であろう。[31]従ってシュヴィッタースは、「このソナタを読むよりもっと良いのは、このソナタを聞くことである。」[32]と説明したりもしている。

最後に、シュヴィッタースの求めた「聞く」ことの試みを、さらに現代演劇において追及している例の一つを紹介して、本稿の結びとしておきたい。20072月にベルリーナー・アンサンブルで初演されたペーター・ハントケ『迷える者たちの痕跡』(クラウス・パイマン演出)は、[33]日常の様々な場面の断片を解体的にモンタージュした作品である。

ハントケは、1960年代の一連の「純粋言語劇 Sprechstück」で有名であるが、散文でも演劇テクストでも、一貫して「語り」の可能性を精力的に追求している。1980年代以降の演劇作品では、とりわけ非ドラマ的に「語り」を肥大化させる傾向が強いのだが、特に『迷える者たちの痕跡』では、言葉と身体表現の両者の関係において、様々な場面の断片的なコラージュが徹底されている。「様々な二人組が行きかう」のみならず、「第三者」や「観客」としての「私」も登場して、言語も身体行動も、意味以前の「原音」へと遡及的に断片化されて提示される。例えば一部だけを示すと、「Ich habe g-. Ich möchte st-. Ich will nicht mehr sp-. Weg mit m-. Ich gehöre längst gesch-.(以下続く)」 [34] ここでは文の意味を確定するために最も重要であるはずの文末の動詞が、全て最初の子音のみしか発話されずに、次々とたたみかけられている。舞台上で語られる動詞の「原音」的断片からなる文の連続は、単なる意味の断片表現だけにとどまらず、同時に身体的に強烈な経験でもある。語る者にとっても聴く者にとっても、ちょうど急ブレーキを踏まれた時のような急激な「切断」意識が喚起されて、「無」意味さが、言葉と身体とのそれぞれの境界的な意識として立ちあらわれてくるのである。

あるいは別の場面。「妻の死の時にあって、彼の言葉のひとつひとつが、ひどく明瞭に語られる。特にア、エ、イ、オ、ウの母音(Selbstlaute)。死が近づくにつれて、彼の言葉の母音( Vokale )はますます強くなる。つまりApfEl, StAUb, WAldwEg, LEUchttUrm, NOrdpOl, NUmAncIA…[35] この母音強調の単語の羅列テクストは、これまでシュヴィッタースについて述べてきたことの延長上に、明らかに位置づけられるものだろう。

 そもそも言語も身体も、あるいは聴覚も視覚も、実は決して単独で特権的な地位にあるわけではない。「上演」における「パフォーマンス空間」とは、言葉の意味のみならず、聴覚、視覚、触覚等々の五感についても、常に全体が相互的に関わらざるをえないという表現媒体の本質的なあり様を明らかにしてくれる概念である。それが「身体感覚」ということの核でもあるだろう。シュヴィッタースの試みた「原音」による「声以前の声」は、言葉の「・音」のみならず「・音」を示すことによって、「意味」を調和的に前提してしまうような、物、媒体、記号として理解されるような「言語」を越え出て、言語以前に焦点を当てた非・媒体的、非・記号的な表現の可能性を我々に示してくれる。しかしそれ以上に、何よりも「意味」自体が「言語」を超えうるような関係性を我々に自覚させ、言語と身体との境界的な緊張関係の中で、常に新たに非ロゴス的な「ことば」と「からだ」と「こころ」との相互関係性が多様に変容し、創造する可能性を我々に提示してくれる。すなわち「パフォーマンス的空間」に触れるという、そのような機会を与えてくれたのが、ブルク劇場におけるシュヴィッタースとハントケの上演だったように思えるのである。

 

(本稿は平成十八年度の専修大学研究助成による成果である。)

 



[] ドゥーデンの独々辞書によれば、「しばしば軽視する意味であり、あまりにも感情過多であること」Duden. Das große Wörterbuch der deutschen Sprache. 3.Auflage. Band 8. S.3537.

[] 参照:寺尾格、「演劇する都市ウィーンあるいはブルク劇場 春の巻」専修大学人文科学研究所月報第190号、1999年、16頁。

[] 公演後に上演CDを販売していたのだが、現在では入手できないようだ。199941日までの上演回数は60回で、総観客数は3600名、客席占有率89.9%という数字である。Siehe:Weltkomödie Österreich. 13 Jahre Burgtheater 1986-1999. II Chronik. Österreichischer Bundestheaterverband. 1999. S.401.

[] この詩の元となった部分が「翻訳」されて、以下に掲載されているが、当然、カタカナの羅列だけで、肝心な点はおそらく何が何だかわからないであろう。カール・リーハ『ダダの詩』宇佐美幸彦訳、関西大学出版部 平成16年 236頁以下。なお、同書の218頁以下の「メルツDADA」の説明において、詩作品「原音響ソナタ」の成立過程が簡単に紹介されている。

[] シュヴィッタース自身が「ここに使われる文字はドイツ語において発音されるのと同じである」と自註で述べている。Kurt Schwitters. Zeichen zu meiner ursonate. In: Kurt Schwitters. Das literalische Werk. Hrsg. v. Friedhelm Lach. Band 1. Lyrik. S.313.

[] Aは、ほとんどあらゆるアルファベットで首位を占めており、母音の王とみなすべきことに争いの余地はない。じっさい、それが純然たる記号として用いられるときにさえ、第一のもの、至高のものたることを告げている・・・ヤーコプ・グリムはAをたたえて、Aは第一の、もっとも貴い家系の母音、いわばあらゆる音韻の母と呼んだ。」エルンスト・ユンガー『言葉の秘密』菅谷規矩雄訳 法政大学出版局 1968年 36頁以下。

[] アとオの区別が曖昧になるのはウィーンを含むドイツ南部方言も同じである。aの発音はむしろoに近く発音されることも多く、これをåと表記して区別することがある。河野純一『ウィーンのドイツ語』2006年、八潮出版28頁参照。また「我々はaoとの間に揺れる音を示す文字を持っていないし、また「鼻に抜ける」音を示す文字も持っていない。」とのウィーン方言辞典編纂者の嘆き(Julius Jakob, Wörterbuch des Wiener Dialektes. 5.

Auflage. Gerlach& Wiedling. Wien 1972. S.3.)は、シュヴィッタースの音声詩の試みの持つ意味を我々に明らかにしてくれるだろう。

[] 「この<あくび>の状態で五つの母音を発声していきますと、響が揃ってまいります(中略)・・・深みがあり、丸みのある声が出てまいりました。共鳴腔を無駄なく上手に使いますと、母音が揃う<ベル・カント>の発声ができるようになります。」菊原千栄「イタリア・ベルカント唱法における母音について」 『声楽ライブラリー6 発声と発音』1984年、音楽之友社48頁以下。

[] テクストは上演プログラムに掲載されている。クルト・シュヴィッタースの『原音ソナタ』を素材にして、演出家のフィリップ・ティーデマンが再構成したテクストであると、上演CDに説明されていたが、全集版のテクスト(Kurt Schwitters. Das literalische Werk. Hrsg. v. Friedhelm Lach. Band 1. 1988. S.214ff.)と基本的な変化はない。ただし一晩ものとするためか、休憩に続く第二部では、イギリス亡命時代に書いた英語による作品RIBBLE BOBBLE PIMLICOを続けている。ドイツ語と英語との響きの相違が興味深い一夜となった。

[10] 「笑い」が「矛盾と対照性」(カント、ショーペンハウエル)から起こるにせよ、あるいは「緊張と弛緩のメカニズム」(ベルグソン)から起こるにせよ、「こころ」と「からだ」と「ことば」との相互的な緊張関係の中で、その関係性自体への意識を、全体として一気に創出するという意味で、「笑い」とはすぐれて「演劇的」なパフォーマンス行為であると言える。

[11] 『原音ソナタ(ウアソナタ)』の「ウア Ur -」とは、本来、時空を超えた構造的特性に焦点を合わせることによって、その生産性が発見的に了解されうるような接頭辞であろう。これを時間軸の方向でのみ理解すると、必然的に根源の実体化、あるいは歴史的な価値評価と結び付く政治主義に陥りがちである。二十世紀前半の歴史的アヴァンギャルドは、問題のあり様を正しく示しながらも、19世紀的な実証主義的方向に対する反発の強さからか、過度に政治主義的な反応を示しがちで、その後のナチズムへの対応でも、実体化に足をすくわれることにもなった。表現主義やダダイズムの政治主義的傾向に距離を置いたシュヴィッタースがタイトルとして用いた「ソナタ」という用語も、古典的な調性に基づく音楽的用語としてではなく、むしろ本論で示されるような新しいパフォーマンス表現の可能性として、そのような場合の表記・記譜法を念頭に置いた試みと理解されるべきである。何しろソナタの原義は、イタリア語のsonare(響く)というのであれば、詩と音楽とを根源的にさかのぼる「原音」としての「音響作品 Klingstück」という意味を読み取るべきだからである。ちなみに平井正はシュヴィッタースの記譜を含めた「原音ソナタ」の現代的な可能性については、以下のように全く否定的な見方しかしていない。「作曲を目指して和声学の勉強に励んだものの、結局ものにならなかった『原音ソナタ』の記譜は、いわばその情熱の転化した発露である。しかしそれは音楽的には、間違った試みだった。調性の体系から外れ、作曲法の求める音響性からほど遠いアーティキュレーションに拘束されているからである。」平井正『表現主義・ダダを読む』白水社、1996年、218頁以下。

[12] 「こういう様々な呼吸の仕方が起こる原因は、肉体的な呼吸器官にあるというよりは、むしろ、語り手がその語られる内容に関わるその関わり方、要するに、その時の気分にあるのである。」ゲールハルト・シュトルツ『詩とリズム』坂田正治訳、九州大学出版会 1978年 10頁。シュトルツのリズム理解の基礎にあるのは、言語と身体が一致するような「意味」認識である。その前提に「気分」という具体的な「意味」、すなわち「心理」の実体化が見られるのは明らかであろう。なお引用の傍線は引用者による。

[13] 具体的にはしばしば総譜(音楽)と台本(言葉)のいずれを重視するべきかという問いかけとなる。この種の二項対立的発想は、特にオペラの現代演出に対する不毛な批判と結び付く場合が多い。演劇論からの問い直しとしては、以下を参照。Christopher Balme. Einführung in die Theaterwissenschaft.  4.Auflage.  Berlin  2008. S.104ff.

[14] 「シュヴィッタースは、詩作品における素材は非本質的なものにすぎず、それに対してリズムという形式が芸術の全てを意味していることをよく知っていたのである。」Friedhelm Lach. Vorwort. In: Kurt Schwitters. Das literalische Werk.a.a.O. S.19.

[15] 「芸術とは・・・リズム以外の何物でもない・・・電車の切符であれ、油の色、丸太であれ、詩における言葉であれ、音楽における響きであれ、任意の素材で単純にリズムを与えるのが良い・・・素材に目を向けてはいけない。なぜならば素材は非本質的だからである・・・見慣れぬ素材であるにもかかわらず、形式と色におけるリズムを認識するように努めるのだ。」Kurt Schwiters. Was Kunst ist, wissen Sie… In: Kurt Schwitters, Eile ist des Witzes Weile. ReclamUniversal-Bibliothek Nr.8392. 1987. S.138.

[16] 「リズムとは組織化する原理であり、別の原理やシステムを考慮することなく、諸要素や素材の出現と消滅を統御するのである。」Erika Fischer-Lichte. Ästhetik des Performativen. edition suhrkamp 2373. 2004. S.238.

[17] 1973年のシュヴィッタース全集の編集者は、「今日の芸術への影響」として、「たとえばコンクレート・ポエジー、ポップ・アート、ヌーヴォー・レアリスム、ハプニング」の名前を挙げている。Siehe: Vorwort. In: Kurt Schwitters. Das literalische Werk. a.a.O. S.7. あるいは「シュヴィッタースのジャンルを超えた実験は、今日では、音楽家や演劇人と同様、詩人によっても正面から取り上げられている。ウア・ソナタの作品はピエール・シェフォールによるムジーク・コンクレートの実験に先行し、メルツ舞台はリヴィング・シアターやハプニングに先行し、映像詩や数字詩はコンクレート・ポエジーに先行していた。」a.a.O. S.23.

[18] シュヴィッタース自身の朗読は以下のCDで聴くことができる。Wolfgang Hörner & Herbert Kapfer (Hg.) Alles Lalula. Songs & Poeme. Originalaufnahme von Valentin über Schwitters bis zur Beat-Generation. Lido. 2003, der Hörbuchverlag von Eichborn.

シュヴィッタースによるテクストの「朗読」を、ブルク劇場アンサンブルの上演CDと比較すれば、本稿で取り扱っている舞台「上演」との相違が理解し易いだろう。

[19] ハンス=ティース・レーマン『ポストドラマ演劇』谷川道子他訳 同学社 2002年 84頁。あるいは「ダダイズムは死んだかもしれないが、それは永続的な可能性であり、今日まで無・形式として生きている持続的な芸術形式である。」Deutsche Literatur 14 Expressionismus und Dadaismus. Hrsg.v.Otto F.Best. Reclam Universal-Bibliothek  Nr.9653. 1978. S.292.

[20] ペーター・ションディ『現代戯曲の理論』市村仁・丸山匠訳、法政大学出版局 1979年 41頁。この場面は以下のようにまとめられている。「相手は耳が遠いという動機づけを設定し、それを支えとしながら、対話の形でここに現われてくるものは、実のところ、アンドレイの絶望的な独白であって、それがフェラポントのやはり独白めいた話を重ねることによって強調されている。」 同42頁。

[21] チェーホフ『桜の園・三人姉妹』神西清訳 新潮文庫 198頁。

[22] この場面について、フィッシャー・リヒテは以下のように述べているが、明らかに従来の「言語危機」の意味合いでしか位置づけていない。「真実の感情は、その適切な表現をただ言語の外側でしか見いだせない。この点でチェーホフは深い言語危機に満たされており、ホーフマンスタールがあの有名な『チャンドス卿の手紙』において述べたものと比較できるものである。」Erika Fischer-Lichte. Geschichte des Dramas. 2, Von der Romantik bis zur Gegenwart. 2.Auflage. UTB 1566 1999. S.116. ちなみにチャンドス卿の言語危機意識は、言語と外界との不一致という意味論的発想からの不安表明であり、それが時代状況とも対応しているのだが、シュヴィッタースはその不一致を、むしろ積極的な構築への意志へと転換しているのである。                                       

[23] メイエルホリドの身体統御については以下を参照。Andreas Kotte. Theaterwissenschaft. Eine Einführung. UTB 2665  2005  S.177f.

[24] 表音詩、騒音詩、声音詩とも訳されるが、バル自身はKlanggedichtと言っている。以下を参照。リヒャルト・ヒュルゼンベック『ダダ大全』鈴木芳子訳 未知谷 2002年 101頁以下。あるいは『表現主義の詩』ドイツ表現主義1 訳者代表高安国世 河出書房新社 1971年 207頁および241頁。

[25] リヒャルト・ヒュルゼンベック『ダダ大全』同上、282頁。

[26] クルト・シュヴィッタース『メルツ』In:『表現主義の理論と運動』ドイツ表現主義5 訳者代表高木久雄 河出書房新社 1972年 389頁。 

[27] Christopher Balme. a.a.O. S.14f.

[28] 「パフォーマンス性」は、1990年代以降の現代演劇を語る際の最も基礎的な概念であり、この視点からの演劇論の読み直しが進行中である。管見するところ、以下の記述が、凝縮した的確な説明を行っている。Metzler Lexikon Theatertheorie. Hrsg. v. Erika Fischer-Lichte, Doris Kolesch und Matthias Warstat. 2005. S.234ff.

[29] Erika Fischer-Lichte. Ästhetik. des Performativen. edition suhrkamp. 2004. S.210.

[30] 「声Stimme」および「声の音響性Stimmigkeit」については、ポストドラマ的観点からの以下の論文に、その問題性が簡潔に要約されている。Doris Kolesch. Szene der Stimme. Zur stimmlich-auditiven Dimension des Gegenwartstheaters. In: Text + Kritik. Sonderband. Theater fürs 21. Jahrhundert. Hrg. von Heinz Ludwig Arnold. S.156-165.edition text + kritik 2004. なお、本稿において扱ったような完全にナンセンスで断片的な声のあり様を扱う場合、ドイツ語での「声Stimme」は、動詞「調和するstimmen」を原義とするので、おのずとロゴス的な方向を示唆せざるをえない。従って「音響性・調和性 Stimmigkeit」という用語よりも、むしろ非ロゴス的な身体性を示唆する「音響性・騒音性 Lautlichkeit」を使用した方が、シュヴィッタースのブルク劇場における上演の意味とそのパフォーマンス性を的確に理解しやすいのではないかと思われる。声の身体性・空間性・音響性については、Erika Fischer-Lichte.Ästhetik. a.a.O.209ff. 特に219ff.参照。

[31] 「声とは、苦しみを発話する喜びにおいて生じる。」Hans-Thies Lehmann. Theater und Mythos. Metzler. 1991. S.41.

[32] Kurt Schwitters. Zeichen zu meiner ursonate. In: Kurt Schwitters. Das literalische Werk.a.a.O.S.313.

[33] Peter Handke: Spuren der Verirrten. Suhrkamp.2006. 同年5月には、ウィーン・アカデミー劇場(Friedrike Heller 演出)でも上演。

[34] 同上、76ページ。

[35] 同上、84ページ。