ドイツ演劇 2008年  

「今日の演劇(テアター・ホイテ)」誌の劇評家アンケート

                         寺尾 格

 

 演劇人たちにとって気になるのが、新聞雑誌等でお目にかかる様々な演劇評であろう。数ある劇評の中でも、ドイツでは1960年に創刊された「今日の演劇(テアター・ホイテ)」誌の劇評が重要視されて、ここでの評価によって一躍有名となった劇作家も数多い。単なる劇評のみならず、様々なインタビューや新作のテクスト、あるいは演劇の歴史や社会事情、提言等々に関して、毎号、非常に読み応えのある記事を掲載して、ドイツの演劇界のみならず、文化政策などへの影響力も強いものがある。毎月発行される批評記事等とは別に、9月ごろに出される百数十ページの厚さの特別号では、全国の主要新聞・雑誌等で劇評を担当しているプロの劇評家たちが、シーズン・ベストについてのアンケートに答えて、その結果が発表されるので注目度が高い。多くの劇場では、同様に重要視される「ベルリン演劇祭への招待」と並んで、「テアター・ホイテ」によるアンケートでベストの名前が挙げられた事実を、壁などにレリーフの金文字を使って、いかにも誇らしげにアピールしているのを見ることも多い。

 

 20079月から20086月までの昨シーズン、37名の劇評家によるアンケートでのベスト作品は、デア・ローアー『最後の火』(20081月、ハンブルク・タリア劇場、演出アンドレアス・クリーゲンベルク)で、探索中の女性警部の車が8歳の子供を轢いてしまったことを動因にして、その子供の家庭の屈折した不倫関係や、テロリストの幻影、アルツハイマーの祖母、引きこもりの目撃者などが、ローアー独特の凝った文体で、時にコロス的な距離感をただよわせて、18回もの転換で複雑に絡み合いながら、出口のない悲劇へと収斂して行く。ローアーの作品は、今回の作品以外でも、代表作『タトゥー』(三輪玲子訳、論創社)が1993年に、続く1994年の『リヴァイアサン』がやはりベスト作品に選らばれており、『タトゥー』は新国立劇場で20095月に日本初上演(演出・岡田利規)が行われる。1990年代あたりからのドイツ演劇は、一種のテクスト破壊パフォーマンスの傾向が強かったのに対して、最近は「イベント性よりも知性を」ということも言われており、社会派の新しい流れを代表する作家の一人がローアーであろう。ちなみに『最後の火』はミュルハイム劇作家賞も同時受賞して、クリーゲンベルクの演出の方も、2008年のドイツ演劇ファウスト賞のベスト演出受賞という結果である。

 

 若手作家のベスト作品がエーヴァルト・パルメツホーファー『ハムレットは死んでいる、無重力』(200711月、ウィーン・シャウシュピールハウス、演出フェリキタス・ブルックナー)で、素通しの壁がそのままの小劇場の舞台隅に居間風のコーナーをしつらえて、そこに両親が座っている。その前で四人の若者が様々にからみあい、果ては赤いペンキをぶちまけあったりもする。内容としては、ひとりの若者の葬儀に出会った仲間たちの生態が、近親相姦やドラッグ犯罪と共にあぶりだされるということなのだが、ひたすら断片化されたセリフが速射砲のように語られて、聞いてるこちらの頭の中が渦を巻くような雰囲気の中で、言葉はしばしば行き場を失い、身体との同化も拒否されて、何だかよくわからないブラックな笑いを醸し出す。タイトルもヴェルナー・シュヴァープ風で、オーストリア的(?)グロテスクな饒舌のエネルギーとも言えるのだろうか。

 

 ベスト演出は、一昨年のシーズンでもベストを取った65歳のユルゲン・ゴッシュの再登場で、『ワーニャ伯父』(20081月、ベルリン・ドイツ座)のチェーホフ。ただし出番のない俳優たちが後ろでサッカーをやっているような「非センチメンタルでエネルギー発散のパフォーマンス」という批評。主役のウルリッヒ・マッテスは、ブルーノ・ガンツの演じたヒトラー映画の中での印象的なゲッベルス役と言えばわかるだろうか、ベスト男優に、およびエレーナ役のコンスタンツ・ベッヒャーがベスト女優となった。なおウルリッヒ・マッテスは、ファウスト賞の方でもベスト俳優を受賞。

 

またベスト美術はオラフ・アルトマンによるハウプトマン『ネズミたち』(200710月、ドイツ座、演出ミヒャエル・タールハイマー)で、床も含めた土色一色の舞台壁に、同じ色の出っ張りが横に長く続くだけの所に座るゴミのようにうごめく人間たちで、あるいは舞台真ん中に1.5メートルの高さの額縁を作り、そこで中腰にかがみながら演技する俳優たちのゆがんだプロポーションの強要というタールハイマーの演出も話題となり、年間ベスト劇場は、オットー・ブラームやマックス・ラインハルト以来の伝統を誇るベルリン・ドイツ座という結果になった。

 

そのドイツ座のアスベスト除去工事が、当初は12月に終わる予定が2月末にまで延びて、代替のはずのシラー劇場が1月からは国立オペラ座の改装の代わりなので、寒いベルリンの冬にテント公演なのだろうか。

 

三年目になるドイツ演劇ゲーテ賞は、アルトマンが舞台美術部門でもダブル受賞、振り付け部門はウィリアム・フォーサイスで、昨年からの「ヘテロトピア」などでは舞台を多数に分裂させて、観客は自由に動き回りながら、あちこちで同時に行われるダンスの一部だけを鑑賞することになる。ファウスト賞のベスト・ダンサーはピナ・バウシュのヴッパタール舞踏団で「バンブー・ブルース」を踊った高木賢二が受賞。ここのところ毎年のように賞をもらっているピナ・バウシュだが、今年はフランクフルト市のゲーテ賞。フリッツ・カーター(2006年からベルリン・マクシム・ゴーリキー劇場の総監督の演出家アルミン・ペトラスの筆名)はエルゼ・ラスカー・シェーラー賞で、ペーター・トゥリーニがヨーロッパ文学賞。

 

ちなみに雑誌「オペラ世界Opernwelt」による批評家アンケートでのベスト・オペラおよびオペラ座はエッセンにあるアールト劇場でのハンス・ノイエンフェルス演出のワーグナー『タンホイザー』。エッセン・フィルハーモニーもベスト・オーケストラにも選ばれた。しかし総監督のミヒャエル・カウフマンは150万ユーロもの赤字の責任を取らされて、9月末に交代。他方、ベルリンのレビュー・ショー劇場として有名なフリードリッヒシュタットパラスト劇場は、チケットの売れ行き好調とのことで、ベルリン議会は改装に必要な350万ユーロの借款を承認。対照的にベルリンで最も古いオフ・小劇場であるオルフ劇場は、内容に新味がないとのことで2009年より補助金打ち切りが決定。赤字に苦しむバイロイト祝祭の88歳の総監督ヴォルフガンク・ワーグナーの後継者であった後妻グードルンが200711月に63歳で亡くなって、29歳の娘のカタリーナおよび前妻の娘エーファ(62歳)の共同で後を継ぐことが発表された。

 

電子音楽の先駆者カールハインツ・シュトックハウゼンが昨年12月に79歳で死去。演出家のクラウス・ミヒァエル・グルーバーが6月に67歳で死去。グルーバーは1970年代の一連の伝説的な演出で、ペーター・シュタインと共にシャウビューネの人気をささえたが、例えば197712月のヘルダーリン『冬の旅』では、8万人のオリンピア・スタジアムの真冬の客席に800人を一ヶ所に座らせ、戦前のヒトラーのオリンピック・プロパガンダを想起させるような引用による演劇のイベント化は、当時の演出家演劇のメッセージ性の枠を超えた謎や連想に重点を置いた発想により、むしろ90年代以降にまで続く影響を与えたのではないだろうか。

 

70歳のクラウス・パイマンは、ブレヒトの『胆っ玉おっ母』イラク上演反対デモに見舞われたのが2月、ただし「戦争の恐れのある場所で反戦劇を上演することに意味がある!」と意気軒昂で、ベルリーナー・アンサンブル劇場総監督を2011年まで2年延長することが決定。ベルリン演劇クラブからベルリン文化への寄与でイフラント・メダルを受賞した。

 

2004年に初演されたルッツ・ヒュプナー作『名誉の問題』は、モデルとなった少女の母親が名誉棄損で州裁判所に提訴して2007年に上演禁止となったが、連邦憲法裁判所は、「モデルが認められうるにせよ、文学作品とは本質的には虚構であって、作者の虚構性を否定できない以上、作者による表現上の変更は、憲法第1条に規定されている“人間の尊厳の尊重”の否定にはあたらない」との最終判断を下した。

 

 作品に戻ると、社会派の話題作としては、30歳の若手のフィリップ・レーレの『名前はゴスポディン』(200710月、ボーフム・シャウシュピールハウス、演出クリスト・ザゴール)が、労働を拒否すると宣言した男の産み出す混乱を、むしろ軽やかにコミカルにオブローモフ的な気分をもただよわせつつ、失業の何が悪いと居直ることでの消費生活批判で、他方ではグリーンピースの活動を「同情商売だ!」と切って捨てる。

 

 テレージア・ヴァルザー『カタールの朝』(20083月、カッセル州劇場、演出シリン・コダダディアン)は、人身事故で停車した二等客車に居合わせた客たちが、取りとめのない会話やモノローグの断片を重ねる内容で、これも一種の社会派的なパノラマ劇だろう。折々の車内アナウンスや車掌への文句などを通して、テロリズムに対する各自の不安や偏見が増幅して行くのだが、カタールに新しいルーブル美術館を作ろうとする男の話から、「カタール」という地名がキーワードのように何度も使われる。

 

 ブレヒトの『下田のユーディット』は、ブレヒトがフィンランド亡命中、山本有三の「女人哀史」を読んで感心して、最初の五場面だけを書いたままで未完に終わっていた。これをフィンランドの作家ヘッラ・ヴォリョキが山本有三のテクストで補った完成作品が2004年に発見されて、ウィーン・ヨーゼフシュタット劇場が9月に世界初演(演出ヘルベルト・ザーセ)と銘打っている。身を捨ててユダヤの町を救った伝説の女性ユーディットを、唐人お吉への迫害とだぶらせる内容で、補作によって本来のブレヒトらしさがハリウッド風のキッチュになったと批評家には不評だが、話題性は抜群で、今シーズンの多くの劇場でラインナップに取り上げられている。

 

 日本でベストセラーになったドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(200712月、ウィーン・アカデミー劇場、演出ニコラス・シュテーマン)の舞台化は、マルティン・シュヴァープの父親が老ロック・ギタリストで、父なき時代の誘惑者として現れる。家庭劇+犯罪劇の薄っぺらさが現代だということなのだろう。最後にアリョーシャが少年に向かって言う。「無神論者だなんて、そんなこと、一体どこから覚えてきたんだい?」

 

 エルフリーデ・イェリネクが2003年に書いた『バンビの国』は、アイスキュロスの『ペルシア人たち』とからめて、詩人自身のイラク戦争への関与を扱った作品だが、これをテアター・コンビナート(演出クラウディア・ボッセ)が200810月から11月にかけて、ウィーンのリング通り沿いのシュヴァルツェンベルク広場で、イラク戦争のメディア化を問題視する政治的パフォーマンスに仕上げた。イェリネクのモノローグ・テクストをアンネ・ベネントが朗読するのだが、朗読を多重録音してコロスのような効果を作り出し、それを何台もの台車に乗せたパラボラの拡声器を通して、夜の広場で周りにガンガン響かせる。内容と表現形式におけるメディア的な強制介入というコンセプトだろう。

 

 2005年のドイツ年を機に企画されたドイツ現代戯曲選(論創社)30作品の翻訳がようやく完結した。日本でのドイツ現代演劇の舞台も、心なしか多彩になったように思える。5月に静岡芸術劇場でトーマス・ベルンハルト『エリザベス』がゲルト・フォスの一人芝居ヴァージョンで上演、6月にシアタートラムでマイエンブルク『醜男(ぶおとこ)』がリーディング、12月にはイェリネクの『ウルリケ・マリア・スチュアルト』(ベニサンピット、演出川村毅)。来年1月以降もトゥリーニ『ねずみ狩り』再演、リミニ・プロトコル『カール・マルクス:資本論第一巻』、イェリネク『雲。家』再演、マイエンブルク『火の顔』、シンメルプフェニッヒ『昔の女』と続く。詳しくは「ドイツ演劇プロジェクト」の以下のHPをご覧いただきたい。  http://homepage2.nifty.com/famshibata/index.html

 

         Theater Year Book 2009 諸外国の演劇事情

           (社)国際演劇協会(ITI/UNESCO)日本センター