ドイツ演劇2010年 マルターラーとシュリンゲンジーフとフェスティバル/トーキョー

                               寺尾 格

 

 ドイツの演劇事情という本来の趣旨からは外れるように見えるかもしれないが、まずは11月のフェスティバル/トーキョーについて触れたい。マルターラーとシュリンゲンジーフという二人の演出家が初めて日本で本格的に紹介されたからだけではない。

 

クリストフ・マルターラー演出の『巨大なるブッツバッハ村』(初演:20095月ウィーン芸術祭)は2004年にチューリヒの劇場監督を辞めてフリーになったマルターラーが、美術のアンナ・フィーブロックおよびドラマトゥルクのシュテファニー・カープも交えたアンサンブルを率いて、世界の演劇フェスティバルと提携した作品の二作目で、2010年のベルリン演劇祭の招待作品でもある。経済危機のグローバル化を背景に貧困化する社会の現実を、脈絡のない対話や身振りや合唱のコラージュによって、時にユーモラスに構成する。冒頭、奇跡の経済復興の1960年代や1970年代を思わせる家具の置かれた舞台では、それらの家具が競売されるのを大げさに全身で悲しむようなダンス?や、「全てを失ってしまった!」と嘆く女性に、役人風の男が冷ややかに「ここは遺失物の窓口ではない!」と答える。あるいは舞台の奥から客席に向かって、モンロー・ウォークで順番にひとりずつ出てくる場面では、最初はおしゃれな衣装にダンディできどった挨拶であったのが、繰り返し何度も出てくるうちに少しずつ衣服が粗末になり、動作も投げやりな雰囲気へと変化していく。みじめな現実と対比される「美しい」合唱の響きはマルターラーの真骨頂なのだが、例えば最後に歌われるのが『フィデリオ』の囚人の歌で、本来は暗い牢獄から外に出て「ああ、何という喜び!」という歌詞を、狭く押し込められた状態で歌い続ける。コンテナの扉が閉められた暗闇に響く失業者たちの歌は、低い声で悲しげに、静かに何度も繰り返される。

 

マルターラーの舞台は、ウィーンの後はベルリン、ナポリ、アテネ、アヴィニヨンと続く世界各地の演劇フェスティバルのつながりという位置づけであるから、単にドイツの同時代演劇を日本で紹介するだけにとどまらず、グローバル化の中で共通する課題を現代演劇がどのように表現するか、あるいは「フェスティバル」の意味という類の問題意識が、自然に観客の側に立ちあがってくる。キュレーター(フェスティバル・ドラマトゥルク?)の相馬千秋のインタビューがテアター・ホイテ誌12月号に大きく掲載されて、日独相互の問題意識の共有化が図られているし、20115月のウィーン芸術祭には、高山明の『個室都市東京』(初演201011月フェスティバル/トーキョー)と三浦大輔『夢の城』(初演20063月)が招待されており、ドイツ語圏での反応が楽しみである。

 

フェスティバル/トーキョーでは様々なトークやパフォーマンスなどと並んで、貴重な映像資料と触れる機会も新たに設けられていた。例えばカントール『死の教室』などの上映と並んで、マルターラーがスイスのホテル空間で『家族会議』(初演:20086月)を作り上げる過程を追ったドキュメント映画(サラ・サディンガー監督2009年)も公開して、いかにもポストドラマ的で難解?な本公演に対する理解をメイキングの視点から補強していた。ちなみにこのドキュメントは10月にドイツ文化センターでも一回だけ上映された。マルターラーは美術のフィーブロックと合わせて、「21世紀の演劇と音楽劇における新しい美学の扉を開けた」という評価で国際演劇協会賞。

 

さらにフェスティバル/トーキョーでは、クリストフ・シュリンゲンジーフが20045月のウィーン芸術祭で行った『外国人は出て行け!』の映像ドキュメントも公開された。演劇という枠を超えようとするドイツ現代演劇のアヴァンギャルドなパフォーマンス性が非常によく理解できるドキュメントであったのだが、残念ながらどの映像も二回ずつの公開でしかなかったので、今後、何らかの上映機会を工夫していただくことを望みたい。

 

音楽家のマルターラーに対して、スキャンダラスな映画監督から始まったシュリンゲンジーフは、やがて1990年代にベルリン・フォルクスビューネ劇場での舞台演出で注目を浴び、さらに2000年代には造形美術から政治や経済などへも広がるような、ジャンルの枠を超えた社会的なパフォーマンス活動をも重ね、自らの死病を見つめる日記がベストセラーにもなった。8月に肺ガンにより50歳で死去したのは残念であった。昨年報告でもブルク劇場の『メア・クルパ』に触れたが、1970年代に演劇から映画へと活動を移したファスビンダーを一段とスケールアップしたような活躍ぶりであった。2004年のバイロイトで『パルジファル』を演出して、アヴァンギャルド嫌いのオペラ観客からは、すさまじいまでの罵倒の嵐を被ったこともあるシュリンゲンジーフだが、彼の演出は現代演劇における新たな総合芸術の試みと理解されるべきであろう。バイロイトと言えば、2008年に総監督を降りたヴォルフガング・ワーグナーも3月に90歳で亡くなり、祝祭劇場の建築計画も1000万ユーロの資金がネックで頓挫しているようだ。

 

2010年は1633年からの伝統を持ち、10年に一度開催されるオーバーアマガウ村の受難劇上演の年でもあった。2000名もの村民たちによって演じられるイエス・キリストの舞台は、4500人収容の受難劇ホールで6時間も続く長さだが、世界中から50万人もの観光客を集め、100ステージも行う夏のフェスティバルである。1990年から演出を担当するクリスティアン・シュトゥックルが三回目となり、マルチなパフォーマンスの表現を一層進める一方で、反ユダヤ主義との批判に答えて「ユダヤ人イエスとユダの後悔」を強調する現代化の方向へと踏み込んだ舞台である。制度化した教会への批判ともとれるラディカルさを示すので、伝統主義の観客や村の関係者からは、セミプロ化の傾向をも強めた上演への懸念も強くなっている。また湖上オペラで有名なブレゲンツ・フェスティバルは「中欧で最も有名な夏のフェスティバル」として2009年のベスト文化マーケット賞。他方、ヴォルムスのニーベルンゲン・フェスティバルは財政危機で中止。エルランゲンの人形劇フェスティバルも30万ユーロ倹約のために隔年化に縮小。

 

財政緊縮の大波がドイツの各自治体および文化財団を襲っており、特に小劇場系統が苦しいようで、ライプチッヒのスカラ劇場は資金不足のために3年間の閉鎖を決定。ハンブルクの劇場改築も資金不足のために延期。ハレのタリア劇場も今シーズンで閉鎖。またケルンのケラー劇場は55年の伝統で俳優学校も持つのだが、年間予算が17万ユーロに対して10万ユーロの赤字で閉鎖の危機。やはりケルンのオペラ座およびシャウシュピールハウスの改築計画は当初予定よりもコストが大幅に上昇し、一度は中止決定されたが、5万人の署名で議会を動かして改築の方向を確認させた。ただし代わりに州立劇場と州立フィルハーモニーの創設を断念するらしい。そのケルン・シャウシュピールハウスは2007年に総監督がカリン・バイアーになってから斬新な舞台で注目を浴びており、例えばバイアー自身が演出したグリルパルツァー『金毛皮』(20085月初演)は2009年第四回のファウスト賞を得ており、ケルン・シャウシュピールハウスはテアターホイテ誌による2010年のベスト劇場にも選ばれている。

 

 ただしドイツ舞台協会による2008/2009年の劇場統計によれば、むしろ公的資金は200万ユーロ(2.2%)増えており、自己収入も48000万ユーロと1.5%ほど増えている。あるいはベルリン市は他の国や自治体の削減傾向に対抗して、逆に2010年から文化予算を1600万ユーロ増やして39000万ユーロの予算を「文化のための明確なシグナル」と位置付けて、「文化首都ベルリン」を積極的に打ち出している。

 

「演劇文化首都」ベルリンを代表するのがベルリン演劇祭で、ここへの招待がドイツ語圏の劇場のステイタスになっている。最初に挙げたマルターラーもラインナップに挙がっていた招待作を以下に挙げる。イェリネク『商人の契約書』は昨年に報告済み。ペーター・ハントケ『私たちが互いを何も知らなかった時』(演出:ヴィクトール・ボドー、20095月、グラーツ・シャウシュピールハウス)には鈴木仁子訳(論創社)がある。デア・ローアー『泥棒たち』(演出アンドレアス・クリーゲンベルク、20101月、ベルリン・ドイツ座)は12名もの登場人物たちが、それぞれの不安や苛立ちを示す短いエピソードの断片を、対話や報告やモノローグ等々で複雑に絡み合わせる「陰鬱な、それにもかかわらずコミカルなパノラマ」。これはミュルハイム劇作賞での観客部門賞と、テアターホイテ誌のベスト演出を獲得し、さらに立体的に回転する舞台はベスト美術ともなった。ところでデア・ローアーの作品の翻訳として、8月に『無実/最後の炎』(三輪玲子+新野守広訳 論創社)が出版された。

 

ウィーン・ブルク劇場が元気で、二作品がベルリンに招待されたので、二年目の総監督マティアス・ハルトマンは胸をなでおろしているだろう。ひとつはニューヨークのオフ・オフ・オクラホマ自然劇場との共同制作『人生と時間、エピソード1』(コンセプト:ケリー・クーパー+ペイヴォル・リスカ、20099月初演)は「人生を語れるか?」というコンセプトで8歳から15歳までの少女の心身の変化を示し、一人の「語り」が集団的な「声」の記憶となるようなパフォーマンス。もうひとつがローラント・シンメルプフェニッヒ『金龍亭』(演出:シンメルプフェニッヒ、20099月初演)で、これはテアターホイテ誌のベスト戯曲およびミュルハイム劇作賞にもなり、作者は「最も上演される現代劇作家」としてエルゼ・ラスカー・シューラー賞も得ている。中華料理屋で不法労働をしていた女性が虫歯で苦しみ、無理やり抜いた歯は中華スープに混じって、常連の客であるスチュワーデスの口に入る。抜歯のために死んでしまった女性は河に投げ捨てられ、その死体は海へ出て、北極海、ベーリング海、黄海から揚子江を遡って、はるばる中国の故郷にまで骨となって流れ着く。中華料理屋の上の階に住む男は働き者のアリで、飢えたキリギリス女に客をとらせて酷使する。

 

ストーリーだけを書くと、相当に人を食った寓意的な設定なのだが、一人の俳優が三つから四つの役を目の前で早変わりして演じるように最初から指定されており、それぞれのエピソードを断片的に絡み合わせて進行しながら、そこに様々なメニューの中華料理の内容がメニュー番号と共に幾度も唐突に読み上げられる。人物同士が俳優による複数の役の絡み合いと混ざりながらハイ・テンポで進む。さらにト書きと台詞の重なる語り方はシンメルプフェニッヒの特徴で、語りと身振り、役と俳優、現実と非現実等々が、複雑にズレながら幾重にも重なることで、奇妙な寓意性が説得力を持った現実味に変わって行く作品である。

 

2010年は7月に世田谷パブリック劇場で、2007年に報告済みのマイエンブルクの『醜男』(演出:河原雅彦、内藤洋子訳)が上演された。新作のリーディングも盛んで、8月にドイツ文化センターのドイツ同時代演劇リーディングシリーズの第一回目で、フィリップ・レーレ『走れゴスポディン』(演出:中野志朗、寺尾格訳)は、所有と貨幣を拒否して生きようと決意する男の皮肉なコメディで昨年報告済み。11月にパルメツホーファー『ハムレットは死んだ、重力なんてない』(演出:杉山剛志、大塚直訳、黒テント)も昨年報告済みだが、最初は脈絡のないように聞こえる若物たちの言葉が徐々に家庭に隠された闇をあぶりだす複雑なミステリー風構成のテクストの緊張感がよく出ていたリーディング。12月に国際演劇協会主催による「紛争地域から生まれた演劇」第二回でザイモグル『ヴェールを纏った女たち』(演出:赤澤ムック 初見基訳)はトルコ女性のモノローグ劇で、これも2007年に原題の「黒い乙女たち」として報告済みで、「デリ」8号(2008年)に翻訳が載っている。「デリ」10号にはオーストリアの現代民衆劇のフェリックス・ミッテラー『シベリア』(池田信夫訳)が掲載され、こちらは老人介護施設に収容されている老人の傲慢さと虚勢、尊厳と悲哀が胸にしみるモノローグ。

 

2010年にはドイツ演劇に関わる2冊が出ている。まず『演劇インタラクティヴ』(谷川道子・秋葉祐一編、早稲田大学出版)は、演劇におけるドイツと日本との相互作用(interactiv)を明治から現代までを様々なテーマで扱うが、グローバルな視点からの現代日本演劇論ともなっている。もう一冊が平田栄一郎『ドラマトゥルク』(三元社)で、重要なキーワードであるにもかかわらず、必ずしも十分な理解がなされていない「ドラマトゥルク」について、ドイツの演劇事情に照明を当てつつ、徹底的かつ懇切丁寧に説明し、さらに現在の日本演劇との「インタラクティヴ」の視点も含む。レーマン『ポストドラマ演劇』およびフィッシャー・リヒテの『パフォーマンスの美学』に加えて、「現代演劇」に関する理論的かつ実践的な理解が一段と深まる必読基礎文献である。

なおドイツ演劇に関する新しい情報は「ドイツ演劇プロジェクト」のHPを検索してご利用いただきたい。