ドイツ演劇 2012

    「いつまでも嵐」あるいはハントケ、ローアー、イェリネク

                                寺尾 格

 

2012年はベテラン勢の活躍が目立った。まずは1960年代の一連の純粋言語劇で衝撃的な存在感を示したペーター・ハントケは、すでに70歳にもかかわらず、昨年報告でチラリとだけ触れた『いつまでも嵐』[i](ディミーター・ゴットシェフ演出、2011812日初演、ザルツブルク演劇祭、ハンブルク・タリア劇場との共同製作)が今年のミュルハイム劇作賞およびテアターホイテ誌によるベスト戯曲作品で、注目のトップになった。

作者ハントケと思われる「私」による一種の「夢十夜」のような、ただし150ページにもわたる長い作品で、初演も5時間近くかかったらしい。登場するのは作者の母と祖父母、および母の兄弟たちによる、オーストリア・ケルンテン州の田舎の谷をめぐる生活と戦争の忘却された歴史の掘り返しで、ハントケ自身の記憶への旅とも言えるだろう。

ただし日本の連続テレビ小説のように感傷的な過去の美化?と正反対なのは、もともと彼らがスロヴェニア人であり、オーストリア的な多民族・多文化の混交から来る「同化」の抑圧の現代史が絡むからである。しかも戦後のオーストリアがいち早く占領軍から独立を確保した背景には、ナチに対する彼らの抵抗運動の事実が大きく貢献しているのだが、戦後の冷戦に伴う占領政策と国境線確定をめぐる混乱と悲劇の事情は複雑である。戦争前の貧しいが平和な日常が最初に美しく語られた後、戦争、徴兵、脱走とパルチザン活動、さらに戦後の短い希望と大きな政治的挫折等々、次々と悲哀の出来事が語られる。

ハントケはコンマの多い短く切った言葉を、どこまでも続くようなモノローグに仕立て、あるいは時に美的な、時に罵倒の台詞などを反復しつつ、あくまでも私的で具体的な視点を維持し続けている。かけがえのない「平和」と「母語(スロヴェニア語)」とが、「歴史」の「嵐」に翻弄される様子は、少数者のアイデンティティの苦しみへの視点を喚起するので、テクストに対する評価は非常に高い。それ故にと言うべきか、多くの劇場での舞台演出に対しては、対照的に辛口の批評が目立ったようである。

 

 ハントケ『いつまでも嵐』 

  ハンブルク タリア劇場HP   Hamburg Talia Theater

 

 

41歳の中堅と言えるスイスのルーカス・ベーアフスの『二万ページ』(ラルス・オーレ・ヴァルブルク演出、201222日初演、チューリッヒ・シャウシュピールハウス劇場)も、同じく歴史の忘却を扱うのだが、こちらは主人公の頭の上に、スイスの戦争責任を扱う資料集が落ちてきたおかげで、2万ページにもわたる内容の全てが頭の中に入ってしまうという、かなり人を食った設定による悲喜劇である。誰も興味を持たない過去の戦争責任(!)の記憶が、最後には「もっと有意義な」知識、例えば中国語、映画、物質科学、情報科学、経営学、古典教養としてのゲーテとシラー、料理など内容と交換されたあげくに、主人公はロボットのように「無感動」になってしまうという結末。

 

ドイツでの上演数ナンバーワンとも言われる45歳の人気作家、ローラント・シンメルプフェニッヒの『飛ぶ子ども』(ローラント・シンメルプフェニッヒ演出、201224日初演、ウィーン・アカデミー劇場)も記憶をめぐるが、これは自分の子どもをひき殺してしまうという個人的な悲劇の記憶である。ただし事故を起こす前の40代の夫婦、事故の後の50代と、さらに十年後の60代の夫婦という、実は同じ夫婦の三つの時間軸を舞台上で交錯させるという仕掛けで、時を経るにつれて、むしろ記憶の痛みは一層強くなるという趣旨である。ちなみに今年の6月には、「外から見た日本」という視点でのシンメルプフェニッヒの新作『つく、きえる』の世界初演が、新国立劇場で予定されている。

 

すでに十六作もの劇作によって「ドイツ最重要の現役の劇作家」[ii]とも言われる48歳のデア・ローアーの最新作『黒い湖にて』(アンドレアス・クリーゲンベルク演出、20121026日初演、ベルリン・ドイツ座)も、同様に子どもの死をめぐる記憶の対話劇。15歳の少年と少女が、「愛は死、死は愛」との置き手紙を残して、何の兆候も見せずに突然に湖で自殺してしまう。後に残された親である二組の夫婦が、自殺から四年後に再会して、「出口の無い」問いかけや相互の責任追求を空しく繰り返す。これもギリギリとねじ込むように反復が多用される硬質なテクストの評価が高い。クリーゲンベルクの演出は、四名の俳優の身体表現の多彩さが注目されたものの、弦楽や受難曲の執拗な「音」が圧倒するように覆い尽くす舞台には、テクストの「責任」のモチーフが背景に退くではないか、との批判的な評価が多いようである。

 

 デア・ローアー 『黒い湖にて

ベルリン ドイツ座HP Deutsches Theater BerlinHPより

 

 

大ベテランの訃報がふたつ。まず1989年のビロード革命後に初代チェコ大統領となったバツラフ・ハベルが、一昨年の12月に75歳で亡くなった。日本では政治面でしか取り上げられないが、もともとは1960年代から70年代にかけての社会主義体制批判を、カフカやベケットを思わせるような不条理で包み込んだ劇作で国際的に有名な作家で、1968年にはオーストリア・ヨーロッパ文学賞などを受賞している。非常に知的な問題意識の高い政治家でもあったことは、例えば以下のような引用から明白だろう。

 

「文化とは人と人との関係性である。つまり強者が弱者に、健康者が病者に、若者が老人に、大人が子どもに、企業が客に、男性が女性に、教師が生徒に、士官が兵士に、政治家が市民に、等々の関係性のみならず、人間が自然、動物、環境、風景、村、町、庭、家に対して持つ関係性であり、耕し、住み、経営する文化、そして大企業の、小さな店の、労働や宣伝の、衣装の、行為や満足の文化であり、さらに法的、政治的そして経営的な文化や、あるいは国家の市民に対する文化というような、そういった意識が無ければ、そもそも考えることすらできないものが文化なのである。」[iii]

 

もうひとつの訃報が、やはり東欧系のブダペスト生まれのイヴァン・ナーグルである。49日に80歳であった。ユダヤ迫害で戦争中にスイスに亡命し、戦後にアドルノやホルクハイマーの下で学び、ドラマトゥルクや演劇批評からキャリアを積んだ。1972年にハンブルク・シャウシュピール劇場の総監督になって、ここでロバート・ウィルソン、リュック・ボンディ、ペーター・パリッチュ、ヨッシ・ヴィーラーなど、旧態依然のテクスト墨守に対して批判的な多くの若手の演出家を育てた。特に1976年のペーター・ツァデック演出の『オセロ』上演のスキャンダルが有名で、ヨーロッパ人の黒人差別を浮き彫りにすると共に、いわゆる教養主義からポップへの解放を象徴して、それまでの美的な演出の雰囲気を変えるような伝説的な舞台となった。また無名時代のボート・シュトラウスやクレッツの作品などを積極的に初演し、あるいはベルリン・フォルクスビューネ劇場にフランク・カストルフを総監督に引き入れて、1990年代以降のドイツ演劇を活性化させたのも、彼の功績である。

 

ヨーロッパの金融危機に対応した予算削減という「いつまでも嵐」の中で、例えばボンの市長が、オペラに対する「チケット一枚あたり150ユーロもの補助金は削減!」と表明したが、背景にはボンと統合したケルンのオペラ劇場が累積赤字解消と芸術的質の維持のために3400万ユーロを要求して、総監督の辞任表明まで出た結果、3200万ユーロで決着したという騒ぎがある。またシュツッツガルトの劇場改築は2400万ユーロの予算で2012年秋完成の予定が、「技術的問題」により20133月まで延期されて、費用も900万ユーロ増加したために責任問題となった。市当局は350万以上の追加は出さないと表明したものの、総監督の来期ワイマール移動はすでに決まっているらしい。演劇よりもオペラがメインになっているザルツブルク祝祭も、新総監督のアレクサンダー・ペレイアが2013年の予算6400万ユーロを要求して、6000万ユーロに値切られた様子。

 

明るい話題としては、ブレヒトの生地アウグスブルクで、「ブレヒト舞台劇場」が470万ユーロで完成し、5月に『男は男だ』でこけら落としをした。あるいはバイロイトの辺境伯歌劇場が「ヨーロッパで最も美しいバロック劇場」としてユネスコの世界文化遺産に選ばれ、1870万ユーロをかけて2016年までに改装計画を発表し、「文化のバイエルン州」を標榜している。それからドイツ舞台芸術連盟による2010/2011年の演劇統計発表によれば、観客数は前年度よりも50万人増の約3500万人で、上演数も4パーセント増加で、新演出数は約3000で、これも約7パーセントの増加で、労働市場としての重要性(公立劇場数140、オーケストラ数130、私立劇場数200、芸術祭数68)も強くアピールしている。

 

テアターホイテ誌による若手劇作家のベストに選ばれたのが、エッセン生まれの34歳のアンネ・レッパー『ケーテ・ヘルマン』(ダニエル・クランツ演出、201215日初演、ビーレフェルト劇場)で、立ち退きを拒否する母親と息子と娘の三人家族だけの閉塞した対話劇だが、コンマを排除した異様な文体から繰り出される、幻想と区別の付かない願望の重なりが、やはり一種の「出口無し」の奇怪な多幸性と結びつけられ、「ヴェルナー・シュヴァープ以来、最も偉大な対話の才能」との評価すらある。[iv] 

 

日本では、そのシュヴァープの実質的なデビューとなった『女大統領たち』(「デリ」1号掲載の拙訳では『かぐわしきかな天国』)が、ルーマニア語からのいささか怪しげな重訳だったが、『シェフェレ 女主人たち』(2012323日、神楽坂・黒テント劇場)と改題されて、モルドバのヴェァチェスラヴ・サムブリシュ演出で日本初演され、畑山佳美のマリードゥルは、浮遊感を漂わした怪演に説得力があった。

 

  黒テント シェフェレ ゲネプロ写真 撮影:那波智彦

 

 

また2月にはドイツ文化センターで、前回報告済みのホルガー・ショーバー『HIKIKOMORI』(高橋文子訳、長谷川寧演出)と、ニス・モメ・シュトックマン『もう船は来ない』(寺尾恵仁訳・寺尾格監訳、作者本人の演出と一部朗読)のリーディング上演。

 

秋のフェスティバル・トーキョーでは、オーストリアのイェリネクが全面展開した。まず昨年のメイン報告であった『光のない』が、一昨年のリーディング上演に続いて、池袋の東京芸術劇場で2012119日に本邦初演されたのはよろこばしい。三浦基の演出は、三輪眞弘によるアルゴリズムによる「揺らぎ」の音楽と対応させて、言葉と意味とを乖離させた無機的な「語り」を意欲的に造形し、中断やイントネーションを自在に変動させ、日本語の情緒性を払拭したポストドラマ的な緊張感を二時間も持続させて、秀逸の舞台と思える。

 

  光のない  フェスティバルトーキョーHPより

 

 光のない 木津潤平のブログより

 

kiz-architect.blog.so-net.ne.jp/2012-11-19

 

 

高山明構成の『光のないU』は、イヤホンでイェリネクの朗読を聴きながら東京を巡るフクシマ体験路上パフォーマンスなのだが、残念ながら個人的な事情で参加出来なかった。さらに三つ目が2009年の本報告でも取り上げた『レヒニッツ(皆殺しの天使)』で、これはミュンヘン・カンマーシュピール劇場の招待公演。ちなみに演出のヨッシ・ヴィーラーは、2012年のドイツ演劇ファウスト賞の音楽劇演出部門を受賞した。

これらの三作品は、林立騎による翻訳(白水社)が秋に出版された。またイェリネクやシュヴァープなどの背景についての拙著『ウィーン演劇とブルク劇場』(論創舎)も秋に出たので、最後にちょっと紹介させていただく。



[i] Peter Handke: Immer noch Sturm. Berlin. 2009.

[ii] Gerhard Jörder: Andreas Kriegenburg inszeniert “Am schwarzen See” in Berlin. In : Die Zeit. 31. 10. 2012. Nr.45.

[iii] Vaclav Havel: Sommermeditationen. Berlin. 1992, S. 139.

[iv] Peter Michalzik: Autorin Anne Lepper Verlorene Kinder. In : Die Zeit, 13.9.2012. Nr.38.