ボート・シュトラウス『イタカ』におけるホメロス改作 

                                寺尾 格

 ベルリンの壁崩壊後の混迷するドイツ社会という決まり文句が、多くのマスコミ報道の中で繰り返されている。同様に、直接的な社会論議とは異なる文学や演劇の世界においても、新しい状況に対する手探りに近い試みが幾つも行われている。文芸作品の毀誉褒貶は世の常ではあるけれども、しかし1993年のシュピーゲル誌に掲載されたボート・シュトラウスのエッセイ『膨れ上がる山羊の歌』をめぐる近年の論議ほど、ドイツのいわゆる文芸欄をにぎわしたテーマは珍しいであろう。極右による外国人排斥の報道の嵐の中で、あえて「右であること」を挑発的に擁護した「啓蒙批判」の内容のエッセイであったから、非難が沸騰したのも当然ではある。レクラム文庫が毎年出している『ドイツ文学 年間展望』は、二年も続けて「概観と論争」という項目で彼のエッセイを扱い、1993年版は60ページ、1994年版は80ページも割いて、批判と擁護の両陣営の主張を詳細に紹介している。

 ドイツでの活発な論議を背景にして、日本に於いてもこの二・三年、ようやくボート・シュトラウス関連の言及やモノグラフィーが目立ち始めている。しかしそれらの理解の方向は、「無意識のレイシズムもしくはエスノセントリズム」という具体的な政治状況への危惧を強く感じさせるか、あるいは逆にボート・シュトラウスの美的側面のみを一種禁欲的に見つめ続けているかの、いずれかであったように思われる。

 政治状況論として見れば、いまだに戦争責任問題が必ずしもまっとうに取り上げられない「戦後」の日本という異なった文脈にいる我々にとって、ドイツの主要新聞雑誌を舞台に繰り広げられる『山羊の歌』論争は、非常に刺激的であると同時に、そのヒステリックな調子が、インテリ層という限られた領域における一種の高尚なスキャンダルのような感じを持たせもする。

 しかしながら文学論として見た場合、『山羊の歌』をめぐる議論は、彼が「右翼」かそうでないか、あるいは「保守革命」かどうかといった政治的レベルとは別に、より原理的な考察に我々を導いてくれる。というのもボート・シュトラウスのいかにも挑発的な美的態度は、文学という虚構世界がどのように現実との危うい関係を探りうるのかという問題性の析出に根源があるように思えるからである。

 ベルリンの壁崩壊以前、1970年代以降のドイツ演劇におけるボート・シュトラウスの活躍はブームと言えるほどであった。壁崩壊後の『山羊の歌』論争を通して「右翼」のレッテルを引きずりながらの彼の劇作活動は、それとどのように関連づけられるのであろうか。言うまでもないことではあるが、単に社会全体の右傾化とか、あるいは作家個人の変節のレベルで捉える限り、文学論としてはほとんど実りある議論にはなりえない。

 ベルリンの壁崩壊以後のボート・シュトラウスの劇作品は、1991年に『合唱終曲』と『アンゲラの服』、1993年の『均衡』および1996年の『イタカ』の四作品である。これらの間にはそれぞれ密接な相互関連が見られるが、ここでは最新作の『イタカ』のみを取り上げて、ボート・シュトラウスの提起しようとしている問題と、その発想契機を可能な限り明らかにしてみたい。

 ところでボート・シュトラウスの多くの劇作品の中で、『イタカ』は従来のそれとはかなり異なった印象を与える。ホメロス改作の意志を、作者自身はかなり早くから明らかにしていたが、その改作ぶりが、あまりにもホメロスの『オデュッセイア』の原作(ただしオデュッセイアの帰国からの後半部)に沿いすぎているのである。もちろん『イタカ』は古典叙事詩の単なる舞台化・脚色とは異なるのだが、ほとんど単なる脚色にすぎないかのような印象が、まず最初に生じるほどに、従来のボート・シュトラウスの舞台とは大きく異なっている点がまず指摘できるだろう。

 というのも改作という点では、何よりも1981年の『公園』が思い起こされるからである。『公園』の前書きに於いて、作者は「登場人物や筋がシェイクスピアの『夏の夜の夢』の精神によって」いることを指摘していたが、しかしそれはあくまでも「精神」であって、具体的な舞台においては、テーマも登場人物も全く現代化されると共に、例えば台詞のひとつひとつは完全にボート・シュトラウスの世界であった。その結果、細かな作品解釈分析はともかくとして、享受の段階では改作の印象非常に薄く、あくまでもボート・シュトラウスの「新作」と言える。それに比べて「登場人物や筋」のみならず、「台詞」のレベルに至るまで原作をかなり忠実に援用している『イタカ』は、『公園』とは全く異なった改作態度である。

 ところで彼のこのような態度には、既に前例がある。実はボート・シュトラウスのそもそもの出発点にゴーリキー『避暑地の人々』の改作(1974年)があった。演出家ペーター・シュタインとの共同で行われたこの作業は、その成果が1977年の『再会の三部作』に結実するのであるから、ボート・シュトラウスの初期の劇作活動の中では相当に重要な位置にあると言えよう。この『避暑地の人々』は登場人物をかなり削ると共に、特に個々の場面や対話のつながりを、幕構成に至るまで大幅に入れ替えている。ただし台詞そのものは、相当に刈り込まれているものの厳密にゴーリキーに従っている。

 ゴーリキー改作の基本的意図は「前書き」で、「限られた場所での一群の人々の関係や出会いの複雑な姿を示すため」、あるいは「継起的につながる筋の展開ではなくて、むしろ内的・外的状況を包み込む」ために、「ドラマ」「演劇作品」「喜劇」というような表現は避け、単に「場面」と称する・・・と明記されている。具体的には例えばピクニックにおける大勢の散漫な「おしゃべり」が、様々なレベルで同時並行的に紡ぎ出されるようなリアリズムである。つまり従来のドラマであれば、外的身振りと内的心理とが呼応しながら時系列的に整理され、一定の出来事・行動・筋を生み出すのに対して、いわば複線的・並列的・同時的な言説の舞台世界を、社会全体のひとつの縮図として作り上げようというわけである。

 ペーター・シュタインを中心としたシャウビューネ劇場を初めとして、それ以後の1970年代、80年代、つまり壁崩壊以前の戦後西ドイツの現代演劇に、この改作が与えたアクチュアルな影響は著しいものがあった。ボート・シュトラウスの劇作活動自体が、基本的にはこの『避暑地の人々』の改作意図の発展上に位置していたと言える。

 以上のようなボート・シュトラウス自身の行ってきた二つの改作の試みと比較した場合、『イタカ』の独自性がすでに一定程度明らかになるのではないだろうか。明らかに『夏の夜の夢』よりも、『避暑地の人々』に近い改作態度である。しかし『イタカ』では、『避暑地の人々』のように大幅な場面の展開の組み替えは行われず、台詞も含めて、ほとんどの劇的要因が原作に対応している。

 とはいえ『イタカ』は、もちろん古典叙事詩の単なる「脚色」ではない。それは、異常に肥満したペネローペがお気に入りの求婚者に自分の立場を嘆く冒頭場面、一幕一場だけからも明らかである。続く二場でも、三人の侍女達が主人オデュッセウスのいないイタカの現状を嘆くのは、導入部の状況説明としての常套手段であるが、彼女達はそれぞれ「膝」「手首」「鎖骨」という奇妙な演出指示のある「三人の断片女」である。冒頭の二つの場面は、原作とは全く異なる「改作」場面である。ただしペネローペの嘆きや断片女達の一種叙事的な「語り」による状況説明そのものは、決して原作の設定を越えた内容を示すわけではない。

 もともと『オデュッセイア』そのものが、著しく劇的な構成を示している。例えば全体の約67%が直接話法で語られている(ちなみに『イーリアス』は約45%)との研究もあり、その劇的性質については、アリストテレスがすでに『詩学』の中で、「劇的な再現」のひとつの模範例としてギリシア悲劇と関連させているほどである。

 特に一幕三場以降は、原作との対応は顕著である。帰国、豚飼いとの出会い、乞食に身を変えて宮廷の宴会に紛れ込み、誰も引けないオデュッセウスの弓を手にしての復讐の宣言と殺戮、殺された求婚者達の親族との和解に至るまで、筋の展開と台詞はホメロスの原作そのものである。もちろん「叙事的低徊」を特徴とする古典叙事詩の唱うような「語り」を、現実の舞台での緊迫感のある「対話」へと圧縮するための細かな工夫は、ほとんど随所に見ることができる。しかし一幕一場や二場のように、原作との対応を見出しがたい純然たる改作場面や台詞はそれほど多くない。そのような非対応が特に目立つのは、第一に求婚者達に関わる部分であり、第二に結末の扱い方である。

 まずペネローペへの求婚者達は、すでに冒頭二場で「軍人、研究者、商人、哲学者、政治家、スポーツマン・・・」と紹介され、「すべてが勇敢な戦士とは全くの別物」とされている。求婚者達の性格規定が原作とは異なっているのである。もちろん彼らは原作通りに、毎日オデュッセウスの食料庫をぜいたくに飲み食いしながら、様々な議論や無意味なおしゃべりに明け暮れている。しかし例えば二幕三場での宴会に於いて幾つもの政治的演説がなされるが、その論点は、王の自由選挙制度や各地区の自治権の要求、奴隷取引の共通利益の促進、共通軍隊の創設、古代的祭式の禁止、民衆の平和と福祉、共通の敵であるフェニキア人たちの無個性ぶりと利殖欲への非難等々である。そのような演説からは、明らかに現代的テーマとの対応が読みとれ、マスコミとそこに寄生する文化人たちの「進歩的」な「おしゃべり」に対するボート・シュトラウスの揶揄が読みとれる。

 しかしそのような政治論議とは別に、全くたわいのない内容にしか聞こえない対話の中に、不毛な内面世界をちらつかせる、いかにもボート・シュトラウス的な場面も混ざっている。

 メドン:いいだろう、別の質問だ。君の前に焼きたてのパンがある。君はそれにかぶり  つく。すると歯に何かがカチリとあたる。金属の破片か、針か、硬貨か、あるいはナ  イフの刃が欠けた一部かもしれないが、ともかくパン生地の中に紛れ込んで、一緒に  焼かれてしまったんだな。そういうことだ。そこで君は、どうするかね?もちろん吐  き出すさ。しかしその後だ。まず1)パン全部をゴミ箱に捨てる。2)異物の見つか  った半分だけを切り取って捨てる。3)朝食そのものを止める。

 エウリャーデス:即刻、朝食を止める。そもそも食べることそのものを止める。少なく  とも三日間は何も食べない。どうも君にうまく、してやられたな、ぼくにとって、そう  いうのは人生で最も唾棄すべきことがらなのさ。口の中に異物が入るなんてゾッとす  る。どうして君にそんなことがわかったのか不思議だ。そんなイヤなこと、君は簡単  に思いついたわけじゃないだろう?

 メドン:君の言うことは信じられないね。

 エウリャーデス:何だって?

 メドン:たかだか針か何かを噛んだからといって、三日間も何も食べないなんてぼくに  は信じられない。

 エウリャーデス:絶対本当だ。三日だ、少なくとも。

 メドン:まあいいだろう。ぼくらがどういう事情かは、もう明らかになった。君が本当  のことを言っているのかどうか、それを知りたくてあれこれ質問してたのさ。

 

 本筋とは全く関係のないこのような対話を全体にちりばめれば、『公園』のような従来通りのボート・シュトラウスの舞台になっていた筈である。つまり一見社交的な会話を通して、たかだか朝食のパンに異物が混ざっていたにすぎないことに過剰に反応するエキセントリックさと、無害な質問に身を寄せた猜疑が、軽妙なやりとりの背後に見え隠れするお互いの抑圧構造として提示される。

 野卑である筈の求婚者達の一種のインテリ化に対応して、主人公のオデュッセウスのあり方も、野蛮な暴力の方向に大きく変化している。従って啓蒙と野蛮との対立という周知の図式が明瞭だが、両者の関係は、もちろん単純ではない。

 ボート・シュトラウスの改作を台詞の面から検討すれば、基本的には冗舌な叙事的語りを圧縮する方向にある。これはすぐに読みとれる事実であるので、例をあげるまでもあるまい。ところが原作における結末と、改作における結末とでは、その基本的な筋は変わらないにも関わらず、行動とスタイルの上では大きな相違がある。その点について以下、具体例を挙げる。

 求婚者達を殺戮したオデュッセウスは、今度は自らが復讐の対象者とならざるをえない。殺された求婚者の親族達が集まってオデュッセウスへの復讐に立ち上がる演説を、岩波文庫版の『オデュッセウス』(松平千秋訳)と比較してみよう。

 松平訳:「方々よ、あの男はアカイア人に対して、なんと大それたことを企んだことか。  あまたの優れた男達を、舟に載せて率いて行ったが、うつろな舟は失うし、部下たち  も死なせてしまった。また帰国してくれば、ケパレネス人の間でも、特に高貴な家柄  の者達を殺したではないか。されば方々よ、われらは逃げ足速くピュロスかまたは、  エペイオイ人の支配する聖地エリスへ着く前に出掛けよう。さもなくば、われらは今  後いつまでも、世間に顔向けがならぬであろう。わが子わが兄弟を殺した男たちに報  復せぬのは恥辱であるし、後の世の人に聞かれても恥ずかしい。さようなことになる  とすれば、わしとしては生きていて何の喜びがあろう。むしろ一刻も早く死んで亡者  たちの仲間に入りたいものじゃ。さあ、彼らがわれらの先を越して海を渡らぬように、  早速出掛けよう。」

  『イタカ』:「友よ、あの支配者オデュッセウスは犯罪者である。第一に、奴は我らの  最も高貴な人々を無理矢理に舟に載せて、そして無意味な戦争へと導いてしまった。  更にその後、奴は帰国の途中で、あの輝かしい船団の全てと残った人々とを失ってし  まった。この国では、トロヤでの英雄の誰一人をも我らは歓呼の声で出迎えることは  なかった。我らの土地の愛する人々の誰一人をも奴は戻していないではないか。そし  て今や、奴は再び自らの家に現れて我らの息子達を虐殺したのだ。最良の者たちを殺したのだ。大陸と島々の貴族のあらゆる家系の最も良い者たちだった。我らの幾つ  もの都市とその富を維持する者たちだった。最も賢く、最も確実な平和を作り上げる若者たちだった。それが、血に飢えて故郷に戻ってきたあの男の欲望の犠牲者になってしまったのだ。十年もの間、奴は自分の国を、あたかも孤児のように、ほったらかしではなかったのか。それなのに今ごろになって、まるで何も変わっていないかのように、昔の古い、とっくに忘れられた奴の王国を再び作り上げさせて良いものだろうか?とんでもない。諸君、そんなものは速やかに終わらそうではないか!さもなければ我らは後になって後悔し、今後は永久に血の支配の下で首をすくめていなければならなくなる。急ぐのだ。今こそ諸君の息子達や兄弟の殺人者を捕らえねばならない。奴の優位はまだわず  かなものである。我らが奴を見つけだっして、奴の罪をその場で償わせようではないか・・・」

 この攻撃に対抗して、原作のオデュッセウスは、簡潔に「父祖の家名を辱めぬように覚悟を」促すだけであるが、『イタカ』でははるかに激越な調子である。

 オデュッセウス:(誇張して)今や時は来た、テレマコス!もう一度だ!もう一度!今  日こそお前は父のかたわらで攻撃に赴くのだ。厳しい戦いが我らを襲う。最善の者の  みが戦いに耐えるのだ。いいか、我らが種族にはいかなる恥辱もない。世界のどこで  あろうとも我らの栄誉は守られる。我らの男らしさ、我らの強さ、我らの英雄的勇気  こそが他の全ての者を凌駕しているのだ。

 引用が長くなってしまったが、要するに原作においては宴会場での求婚者達への復讐と殺戮の後は、筋の展開のために必要最小限の情報しか語られていないが、そこをボート・シュトラウスは大きく膨らませている。求婚者の側の演説には論理的で格調高い説得性をより強く持たせているのに対して、オデュッセウスの側には、短く繰り返しの多い言い回しで、彼の「誇張した」感情の暴力的激越さをより前面に出している。

 その違いが更に明瞭なのは、アテネによる和解という最終場面である。原作では求婚者の親族達に対するオデュッセウスの側は終始優勢であり、今まさに新たな殺戮がオデュッセウスによって再び行われようとするその瞬間にアテネが現れて、それ以上の「流血の惨事」を止め、強制的に和解へと導く。

 それに対して、ボート・シュトラウスにおいては、求婚者の側ではなくてオデュッセウスの方が敗色濃厚なのである。疲れ切って「もうだめだ!」とオデュッセウスが口にするような状況にアテネが割って入る。しかもアテネの介入の言葉は求婚者の側への非難に満ちている。アテネを畏怖して武器を捨てる求婚者の側に向かって、息絶え絶えのオデュッセウスの粗野で口汚いののしりが下品に響く。原作では、主人公であるオデュッセウスの英雄らしい勇敢さは、常に狡猾さと冷静さに包まれていたのに対して、ボート・シュトラウスにおけるオデュッセウスは、強い不安に包まれ、しばしば感情的になり、英雄らしからざる弱さと激越な暴力性とが一体となっている。

 そのような英雄の「価値引き下げ」は、対抗する求婚者の側の「価値」を一定程度引き上げる結果となる。求婚者達に託して現在のマスコミ文化的知識人を揶揄的に扱っている点については既に指摘したとおりであるが、両者の関係は決して単純な対立を示していない。原作におけるオデュッセウス物語は、英雄の帰国と復讐を主テーマとすることで、求婚者たちの傍若無人な態度が強調されていた。ボート・シュトラウスは、物語における脇役にすぎない求婚者達に、揶揄的ながらも知的論理性を与えることによって、主人公の暴力と復讐の側面をいわば否定的に強く押し出している。叙事的「語り」における復讐は、現実の舞台における具体的な行動となって現れる時、物語が背後に隠している暴力的惨劇の様相を一層強く印象づけることにもなる。

 従ってアテネによる、いわゆるデウス・エクス・マヒナ(機械仕掛けの神)による解決も、ボート・シュトラウスにおいては、非常に唐突で理不尽な印象を与える。ここでは原作以上に暴力の反復性への疑念が強く現れざるをえない。

 壁崩壊以前の彼の劇作は、そのいずれもが男と女との噛み合わない対話を通して、愛の喪失をモノローグとして浮かび上がらせていた。それは一見すると現代風疎外の単なる巧みな心理劇化ともとらえられかねないが、しかしボート・シュトラウスが一貫して問題にしていたのは、決してそのような個人的な心理描写それ自体ではなかった。男女の愛の喪失は、常に語るべき言葉の欠落を通して見えて来る。その限り、登場人物達の多弁を通して現れ出る言語喪失が示す各自のトラウマは、経済的繁栄に自らを肯定的に理解しようとする戦後西ドイツ社会に対して、あふれ出る商品に自らを失いかねない自分自身の社会的状況を映し出す鏡ともなりうる。性的欲望が消費的欲望の形で現れる現代社会において、ボート・シュトラウスの作品は、自らが自らの奴隷になりかかっているかもしれない社会の無意識を顕在化する契機となっていたのである。

 そのような西ドイツ社会の一見きらびやかな現在が、とりわけ強く抑圧していたトラウマとは具体的には二つあった。まず第一は過去におけるおぞましいナチズムの記憶であり、第二は現在における壁の向こうの東ドイツ社会である。平和な日常の中で無理矢理に押し込まれた二重のトラウマこそが、戦後ドイツという存在をその根源から規定していたと言えよう。

 従って壁崩壊以前のボート・シュトラウスの劇作に対してしばしば使われた「分裂病的」という形容詞は、そのまま戦後の東西ドイツという現実の国家的分裂を示すのみならず、時と共に忘却へと押しやられる過去と現在との分裂状況の表現でもありえた。また、彼の作品に対して同様にしばしば使われる「難解な」という類の非難についても、「夢」や、あるいは精神病理における「妄想」の難解さが、それらを生み出す抑圧構造そのもののあり方を示していることを思い起こすべきである。文学ないしは人生が「夢」であるとの使い古された表現も、まだ決して「過去」のテーマとなっているわけではない。

 ボート・シュトラウスの舞台における徹底して私的な、噛み合わない冗舌の一見無意味な対話こそが、観客の心の深いところで、彼らを包みこむ戦後の西ドイツの社会が共通に抑圧してきた無意識と共鳴を起こしえたのである。そこに70年代以降のボート・シュトラウスの、ドイツにおける著しい人気の秘密を支えた基本的原因があったと言えるだろう。

  しかし単なる「流行」を越えて、ボート・シュトラウスの作品は更に原理的な方向へと自らを純化させているように思える。それが顕著になるのは、東西ドイツの対立が解消したベルリンの壁崩壊以後である。もちろん現実の統合は様々な社会経済問題を生み出してはいる。しかし、それらは何と言っても現実の問題である限り、いかに困難ではあろうとも、ともかく具体的な対策が可能であって、抑圧された無意識というヌエのような怪物とは本質的に異なっている。

 より強く無意識に残り続けるのはやはりナチズムという暴力の「過去」であろう。東ドイツとの分裂は、いかに抑圧しようとも否定しきれない目の前の現実であった。そうであるが故に一層強く抑圧されていたとも言えるのだが、ナチズムは既に目の前にある現実とは異なる種類の「現実」であり、それは常に喚起されることによってしか具体化されえない。その限り、現実の壁が崩壊した後にこそ、以前にもまして抑圧を深めて行く「現実」である。そうであるからこそ、常に無意識世界に逃げ込もうとするその種の「現実」をあえて語ろうとする文学の努力もまた、より一層の力技を求められているのである。ここに、ボート・シュトラウスが壁崩壊以後、ますます強く意識するようになった、文学を悲劇との関連で原理的に捕らえようとする試みの基本的な発想契機を見るべきであるように思える。

 イタカは、イオニア海に浮かぶギリシアの島であり、すぐ北がアドリア海である。オデュッセウスの帰国と復讐の物語は、過去の歴史が息を吹き返すことで内乱状況を生み出している旧ユーゴスラヴィアの出来事へと容易に移行することができる。あるいはドイツ統一を契機に現れ出た極右暴力が呼び起こすナチズムの記憶を、オデュッセウスの野蛮さに重ね合わすこともできる。もちろんボート・シュトラウスはあくまでも作家に過ぎない。しかし「アドルノ以後」の世代であるボート・シュトラウスにとって、美的であることの危うさは当然の前提である。それにもかかわらず現実の暴力、あるいは戦争に対する作家の現実的な無力さを目の前にして、悲劇の前段階とも言えるホメロスの神話的物語をそのままで素材としたことは、『膨れ上がる山羊の歌』論争を思い起こせば、明らかに彼の主張する「想起」「右であること」を「極右暴力」と短絡させたような批判に対する彼の劇作家としての返答であると、そのように言えるだろう。

 

  もしかしたら起こりうるかもしれない破局のひとつひとつについて、我々はその破局 の起こる遥か以前に、すでにあるイメージを持っている。(抽象に隷属しきっている今 日の我々は、それらの破局を前もって分析し、どの程度の広がりを持つかすら、すでに突き止めているのだ。)我々の世界像は、ダンテからコンピューター予測へと大きく変化してきた。しかし未来がくまなく光に照らし出されていると信じている点では全く変わっていない。どちらの基本イメージの中にも、未知のための空間は存在していない。

                 

 以上の文章は、問題となったエッセイ『膨れ上がる山羊の歌』に対して、作者自身が後から付け加えた部分から引用したものである。「破局」をすら予測の中に取り込もうとする「啓蒙」の全面化に対する批判としては特に目新しいものではない。しかし「未知のための空間」を無意味に神秘化することなく、具体的に現代の「悲劇」として作品化しようとする場合、西欧的啓蒙の根源にあるオデュッセウスの神話的物語の孕む暴力性を具体的に提示する行為は、戦後ドイツの悪夢であるナチズムのトラウマとの関連で、一定の有効性を持ち得るであろう。

 現実は刻一刻と過去へと追いやられる。共同体の全体に関わる大きな出来事も、時の流れの中で次第に過去へと、忘却へと少しずつ押しやられざるをえない。それを押しとどめようとする共通の努力が「歴史」として語られることになる。他方、共同体とは直接の関わりを持たない個人的な、身近の出来事もまた、やはり時の流れの中で次第に過去へと押しやられ、具体的には喪失の思いの重なり合いとなる。喪失の感情が作り出す虚の中心が「私」であり、「私」として語られるのが個別的な「物語」である。言うまでもないことだが、ドイツ語では「歴史」も「物語」も「ゲシヒテ」という同一の言葉であり、「歴史」という共通の大きな「物語」と、「私」という個別の小さな「物語」とが、共に忘却と喪失へのある抵抗感を発想契機として生み出された「書く」行為であることは、おそらくボート・シュトラウスの作品を語る際の最も重要な立脚点となりうるものであろう。

 共通の意識的な「歴史」としての過去にせよ、個別的な「物語」としての過去にせよ、どちらも忘却と喪失への抵抗として存在する形式である。逆に言えば、「歴史」も「物語」も、どちらもが実は自らが抵抗している当の忘却と喪失とに既に奥深く犯されている。現実の悲惨と不安の奥深くを、どのように文学に捕らえ返すべきか。「喪失」の美学から「神話」へと向かうボート・シュトラウスの危うい綱渡りは、しかし今後の文学の新たな拠点作りのためには、避けて通れない課題であるように思える。

 
 『ドイツ演劇・文学の万華鏡』 1998年 同学社 345頁〜358頁