ドイツもいろいろ
 
 ベルリンの壁崩壊後10周年の感慨・・・と言っても、学生諸君にとっての10年は遙かに石器時代の出来事のようなものかもしれません。でも、ドイツの戦後史は、東西対立の歴史だったんですよ。40年もの間、異なった社会意識と異なった社会スタイルが続けられたわけですから、「統一ドイツ」となって10年も過ぎているのに、現実にはまだ様々なズレやきしみが残っています。たとえば失業率などは、今でも東は西の倍です。
とはいえ「ドイツ」は、もともと「統一」とはほど遠い長い歴史を持っていました。そのため「ドイツ」と言っても、実は単純に一言でくくれない多様性が内部に秘められています。
 ここ数年、わたしはもっぱらウィーンにばかり行っています。オーストリアはドイツ語圏ですけれども、北ドイツ・プロイセンを中心にした、いわゆる「ドイツ」とは全く異なる文化環境を持っています。
 レストランに入れば、一目瞭然です。???となって面食らうのは、ドイツ語基礎単語の知識が不足しているためだけではないでしょう。レストランのメニューには、現在のチェコ、ハンガリー、旧ユーゴスラヴィア等の東欧圏から、ヴェニスを含む北イタリアまでの広大なハプスブルク帝国の歴史が反映していて、随所にチンプンカンプンの言葉が並んでいるはずです。
 たとえばパン(普通のドイツ語ではブレートヒェン)は「ゼンメル」、もともとはハンガリー語です。雌鳥(フーン)は「ヘンドゥル」、トマト(トマーテン)は「パラダイザー」、ごく普通にジャムにするアンズ(アプリコーゼ)は「マリーレン」・・・といった調子です。ビールを注文する時の大きさも、誰も大(グローセス)とか小(クライネス)などとは言わず、皆が口にするのは、「クリューゲル」とか「ザイデル」。
 かく言う私も、ウィーンで最初にメニューを見たときには頭がクラクラして、それまで培ってきたドイツ語の自信がガラガラと崩れ落ちるようなショックを覚えました。でも、ゆったりと流れるような独特の響きのウィーン方言が、今では耳に快く感じます。地方性と言えば、日本では否定的に響きます。でも自分の住んでいる地域(ゲマインデと言います。)それぞれの歴史と文化に高い誇りを持って、それを維持しようとの強い思いが、いわゆる方言へのこだわりのみならず、「ドイツ」の多様性と「深さ」をも生み出しているのです。  経済学部・助教授 寺尾 格(ドイツ語)
       専修大学LLだより 第5号 1999年
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