コロスとモノローグ
 
 ーエルフリーデ・イェリネク『スポーツだんぺん劇』のブルク劇場初演をめぐってー
 
                                 寺尾 格
 
                     演劇は、それを創造した人々が希求した
                     始源の姿で生き続けるだろう。
                         (ジョルジョ・ストレーレル)
 
1)ブルク劇場とイェリネク
 
 ヨーロッパの都会を歩いていると、しばしば路上広告塔を見かける。高さが2ー3メートルぐらいの円筒で、太さは大人二人が両手で抱えるぐらいであろうか、香水や家具、ビールなどの商品の広告のみならず、音楽会や美術展、芝居の予定なども貼られていて、なかなか便利である。英語では advertising pillarと即物的な名称だが、ドイツ語ではLitfaßsäule(リトファスの柱)と呼ぶ。「リトファス」とは昔の警視総監の名前で、1855年のベルリンに、この人の奔走で第一号を設置した故事にちなむ。1)ウィーンの街のあちこちにも、このリトファス柱が多い。季節季節に様々なポスターが貼られ、とりわけ人気の高いのが、某インナーウェアのブランドの宣伝で、街角を曲がると、目の前に突然、グラマーなウィーン美女が現れて、艶然と微笑みかけてくれる。
 さて、1997年の3月のウィーンに、黒い下着の美女と並んで目立ったのが、「パイマン辞任す Peymann hört auf」という文字であった。「パイマン」とはウィーン・ブルク劇場の総監督クラウス・パイマンのことである。また、「目立った」とは比喩的な意味ではなくて、文字通りに、この文句が街のあちこちに張り出されていたのである。
 オペラ座の初演が新聞の一面をにぎわすウィーンのことであるから、ブルク劇場の総監督の進退ともなれば、当然ながら高いニュース価値を持っている。しかし号外のポスターまでが出現するとは、さすがにウィーンにおけるブルク劇場の地位の高さを如実に示す出来事ではないだろうか。そのようにひとりで感心していたら、しばらく後になって、完全に当方の思い違いの早とちりと判明した。
 「パイマン辞任す」の大きな文字は、実はラジオ・ウィーンの宣伝文句であったのである。人々の注意を喚起するべく、まずは「パイマン辞任」と大きく貼り出し、続いてその文の後ろに「ラジオ・ウィーン」と続ける。すると Peymann hört auf Radio Wien.(パイマンは聞いている、ラジオ・ウィーンを。)となり、「終わる、辞任する」という動詞 aufhören の前綴りと思われたaufが、実は「聞く」という動詞 hören の前置詞であったという「落ち」になる。なかなか良くできたアイデアだったのだが、「落ち」となるはずの第二弾のポスターを張り出す前に、「本当に」パイマンが辞任を発表してしまったのであるから、とんだ「瓢箪から駒 Aus Scherz wird unerwartet Ernst」である。しかし下着の美女が人々の目を引きつけるのは説明不要だろうが、「パイマン辞任」の文句が宣伝コピーに選ばれるのだから、やはりウィーンでは、ブルク劇場に対する関心には格別のものがあると言わざるをえない。
 ところでパイマンは、1986年、ブルク劇場総監督に就任して以来、繰り返し「辞任」を口にしては撤回して、ウィーンのマスコミをにぎわしてきた。そのような事情の故に、「パイマン辞任」のポスターが人目を引くことにもなるのであるが、パイマンにして見れば、「辞任表明」はウィーンの保守性への批判を含んだ挑発的態度の一環ということになろう。この場合の「保守性」とは、ひとつには演劇における「名作」中心の教養主義であり、いまひとつはナチズムの過去に目をつぶり、右翼ポピュリズムに寛容なオーストリア的政治風土のことである。
 そのようなウィーン的教養主義の保守頑迷ぶりを批判するためにパイマンの選んだ方法は、ブルク劇場のラインナップを「現代作品」へと方針転換することであった。例えばペーター・ハントケ、トーマス・ベルンハルト、ペーター・トゥリーニそしてエルフリーデ・イェリネク等の、いずれもオーストリアのみならす、現代ドイツを代表する劇作家の作品がブルク劇場に多数登場できたのは、やはり総監督パイマンの業績であり、彼の「野蛮な」努力無しには到底不可能であったろう。また、これらの作家達の方でも、ウィーン的な「心地よさ Gemühtlichkeit」やオーストリア的小市民主義の欺瞞をあぶり出すような問題作品を書き続けることによって、パイマンの期待に作品面から応えてきた。他方、伝統的な演劇を楽しもうとする古くからの常連には、パイマン風現代化は「下品で騒がしく」、「古き良きウィーンの雰囲気」を汚すと評判が悪い。2)パイマン・ブルク劇場は、クーリエやノイエ・クローネンなどの大衆的保守的な新聞コラムの格好の攻撃材料となって、しばしば論争、騒動、スキャンダルの場となったのである。3)
 中でもとりわけ最近の論議の的となっているのが、エルフリーデ・イェリネクである。社会的抑圧に対してラディカルに反応する彼女の言動は、政治的にはもちろん、作家としての露骨な性表現の上からも、かなり過激な挑発に満ちており、オーストリアの保守層からの反発はとりわけ強い。「国家の敵」「オーストリアでもっとも憎まれている女性作家」「ポルノ・ピープ・ショウ」「左翼テロのシンパ」等々の罵倒に近いレッテルが貼られ、1995年の選挙の際には、極右的傾向が危惧されるオーストリア自由党党首のイェルク・ハイダーから、例えば次のようなスローガンを投げつけられたほどであった。
                                           我々の愛するのは、イェリネクやパイマンなのか、それとも芸術と文化であるのか?4)
 
 しかしそのような批判と非難にもかかわらず、あるいはまさにその故に、パイマンはイェリネクの作品を次々と、熱心にブルク劇場に引き込んできた。具体的には4作品の名前が挙がる。まず1992年、ハイデガーをパロディー化しつつ、「自然」「故郷」「健康」といった言葉を際限のないモノローグに包み込んだ『トーテンアウベルク Totenauberg』(アカデミー劇場初演)は、言葉の断片を音楽(Sprach-Musik)として用いながら5)、バイエルンやオーストリアの保守性の背後に根強く残るナチ的な要因を浮かび上がらせている。次に1994年『レストハウスあるいは好きにして良いのよ Raststätte oder Sie machens alle』(アカデミー劇場初演)では、薄汚いタイル張りの公衆トイレを舞台に、二人の「オーストリア女性」の性的欲望と抑圧を描くという展開のグロテスクさが紳士・淑女の顰蹙を買い、更に1997年『棒、杖およびナチ野郎 Stecken, Stab und Stangl』では、ウィーン近郊の爆弾テロ事件を素材に、実際の発言や記事をコラージュすることで、オーストリアのマスコミに公然と流布している差別意識やファシズム的土壌を挑発的に暴露している。そして四作目が1998年1月23日、ブルク劇場初演の『スポーツだんぺん劇 Ein Sportstück』である。6)
 彼女の活動に対するドイツ語圏での評価はすでに非常に高い。1986年のハインリッヒ・ベル賞および1998年のビュヒナー賞の受賞は、いずれも彼女の散文作品を主たる対象としているが、劇作品に対しても、テアター・ホイテの年間ベスト戯曲にすでに四度も顔を出している。最初が1986年の『ブルク劇場 Burgtheater』、1994年『トーテンアウベルク』、1996年『棒、杖あるいはナチ野郎』そして1998年が『スポーツだんぺん劇』である。7)これを上回るのは、五回を数えるボート・シュトラウスだけである。しかしシュトラウスの五回目の『時と部屋 Die Zeit und das Zimmer』は1989年であるから、ボート・シュトラウスが80年代の新しい舞台を支えたとすれば、90年代のドイツ演劇はエルフリーデ・イェリネクということになるだろう。
 
2)スポーツ批判としての『スポーツだんぺん劇』
 
 『スポーツだんぺん劇』はイェリネクの十作目の劇作品である。彼女の作品は、いずれも社会的な差別あるいは抑圧を内容としている点では、初期作品から常に一貫している。ただし初期の素材では、ラディカルなフェミニストの視点から女性の抑圧を描くという姿勢が明瞭であったが、時代が下るにつれて、より一般的な、社会的抑圧そのものを対象とする表現へと舞台世界を深めているようである。とりわけ1988年初演の五作目『雲、故郷 Wolken. Heim』以降、様々なテクストのコラージュあるいは断片的なモノローグの集積といった表現方法が前面に出てきて、時系列に沿ったいわゆるドラマという形を解体しつつある。そのような素材と方法の深化が、テアター・ホイテ年間ベスト戯曲に四度も選ばれるという高い評価を生みだしたのだが、『スポーツだんぺん劇』も、いわゆる劇的な対話は全く見られず、膨大なモノローグの非ドラマ的な繰り返しである。「スポーツ批判」という作者の主張は明瞭であるが、しかし具体的な筋や行動も見られず、そもそも設定や登場人物までが著しく抽象的であいまいなために、舞台イメージという点ではひどく難解で、言葉だけが脈絡無く、焦点を欠いて自己増殖しているような印象を与える。
 難解な内容の理解を助けるためか、190ページに渡るテクスト出版に際して、以下のコメントが添付されているので、全文引用する。作品の内容紹介という点では、以下の引用に尽きるからである。  
 
   この劇は、スポーツを素材とした現在の大衆状況を提示する。競技場で異常に興奮 する暴力的観客が、アフリカや旧ユーゴの内戦などと関連させて示される。そもそもス ポーツに於いては、常に戦争と同じ用語が用いられている。勝者と敗者のそれぞれが、 相手を圧倒するという美学を自己のものとする点では、スポーツも戦争も何ら変わると ころが無い。他方、兵士の方でも、ジーンズと野球帽のスポーツ・スタイルで現れる。 ギリシャ劇風のコロスは アディダスやリーボック、ナイキのシューズを履き、統一され たジャージを着て、最新のスポーツ情報を観客に知らせる。スポーツ・スタイルにおけ るユニフォームが、自分たちの勝利を祝うのである。この劇で問題となっているのは  「殺す」ということであり、無数に「積み重なる」大量殺戮の死者たちである(原注: エリアス・カネッティによる)。「殺す」ことに注意を向けない大衆には共犯者がいる。 最初の母殺しであるエレクトラ、狂乱する愛の「兵士」ペンテジレーア、ナチズムを扇 動した思想家や文学者たち。しかしそれらの共犯者たちに対しては、個人的な自己主張 を試みる原型的人物がいる。まず「母」の登場であり、彼女は自分の息子をスポーツの ために「失って」いる。次に死んだ「競技スポーツ選手」、あるいは「作者」エルフィ ・エレクトラが現れるが、さてさて、これらの原型的人物は今ではすっかり古めかしく なり、パロディーでしか登場できないようでは、Aクラス昇格を目指すスポーツ大衆に 対して、はたしてどれほどの対抗力を持ちうるであろうか?
  『スポーツだんぺん劇』は、膨大なモノローグから成立している。それは、読者自ら が「読み」という演劇行為を行うために作られた、散文による通路なのである。
                      
 上述の通り、『スポーツだんぺん劇』の内容は、「大衆状況」としての「スポーツ批判」であり、その具体的な形象化は、ひとつが「膨大なモノローグ」、いまひとつが「ギリシャ劇風のコロス」である。アディダスやナイキの「ユニフォーム」で統一されたコロスは、大衆としてのウニ(等質な)・フォルム(形)という没個性を表現しながら、「殺す」ことに関与しつつ無関心であり続けたファシズムの過去を現在へと引き寄せる。例えば競技中の事故により「死んだ競技選手」は、筋肉増強剤で死んだ息子を嘆く「母」と共に、スポーツの持っている抑圧構造を浮かび上がらせる。
 イェリネクは、雑誌Bühneとのインタビューの中で、作品の内容に関して以下のように発言している。
 
   スポーツは、これまでの私の人生を通じて、常にお気に入りの憎悪対象でした。も ちろん新鮮な空気の下で体を鍛えること、そういうこと自体に反対しているわけではあ りません。問題なのは大衆現象としてのスポーツです。ショーヴィニズムやファナティ ズムをあおり立てるメディアとしてのスポーツ、要するに戦争としてのスポーツこそが 問題なのです。 8)
 
『スポーツだんぺん劇』初演が1月末であったのは、その直後の2月に始まった冬季長野オリンピックを視野に入れていた可能性もある。至る所にスキー場のある山国オーストリアであるから、スキー競技に対する熱狂ぶりは、オリンピック開催国であった日本を凌駕するほどであった。9)テレビ・新聞・雑誌は特別体制を組んで、「自国」の選手の結果やインタビューを連日連夜伝え続け、国旗の乱舞する映像や写真が至る所で目に入る。そしてオリンピックに続いては、サッカー・ワールドカップである。事情は日本も同様であろう。
 従って、国中がスポーツで高揚しているさなかに、ブルク劇場の舞台では、逆にスポーツ罵倒の台詞が響くということになる。このようなあり方に、イェリネクおよびそれを支えるパイマンの挑発ぶりのひとつの典型を見ることが出来る。
 インタビューの中でスポーツを「貧しい人々へのコカイン」と言い切るイェリネクは、特に「オーストリアでは、スター選手への同一化がナショナルな感情の代替物として機能して」10)いる点を懸念し、具体例としてカール・シュランツの名前を挙げる。シュランツは金メダル確実と言われながら、広告写真のためにアマ資格を疑われ、札幌冬季オリンピック参加を拒否されたスキー選手であるが、IOCのこの決定に憤激したオーストリアでは、彼はまさに「英雄」となった。ウィーン中央の「英雄広場」に集まった人々から歓呼の拍手で迎えられたのである。前の大統領のワルトハイムが、ナチ疑惑で西側諸国から排斥されることで、逆に国内での人気を高めたのと同じ構図である。ちなみに「英雄広場」は、ドイツ併合時にヒットラーが演説した場所であり、オーストリア・ナチズムを罵倒し続けたトーマス・ベルンハルトの最後の戯曲タイトルでもある。
 もう一人の名前がアーノルド・シュヴァルツェネッガーである。日本でも人気の高い、この肉体派の映画俳優はチロル出身であり、オーストリアでは「アーニー」と呼ばれて、様々なイベントに引っ張りだこの人気者である。イェリネクが重視しているのは、ボディビルに夢中の若者が、自分もシュヴァルツェネッガーのようになろうとして筋肉増強剤に頼り、不自然な死を引き寄せた事件である。このように「肉体を偶像視することと精神を軽蔑することと」が、『スポーツだんぺん劇』では繰り返し問題にされる。特に筋肉増強剤による死は、ファシズム的閉塞の個人的現れであると共に、スポーツにおける商業主義の告発とも重なる。
 スポーツに現れるナショナリズム・ファナティズムの高揚も、勝つために危険な薬物を乱用する非人間性も、スポーツのマイナス面としては周知の事実である。その意味ではイェリネクの批判は、とりたてて目新しい意見ではない。しかし、「自己の価値欠如に潜む攻撃のポテンシャルは巧みなデマゴーグに利用されやすい。」11)とイェリネクが述べる時、戦後のオーストリアという文脈の中では、それは、ハプスブルク帝国という過去の栄光の喪失を、「永世中立」「ヨーロッパ統合」「多民族主義」といった口当たりの良いポジティヴな自己規定で埋め合わせようと装うオーストリア国民の健忘症への告発となる。とりわけ最大の健忘症は、ナチスによるドイツ併合を被害者としてしか理解しようとせず、現実のファシズム的可能性に無知なままの現状ということになる。閉塞的な内部評価が客観性を欠くゆえに過剰な熱狂へと進む危険性は、ファシズムの基本的な土台となるからである。
 
   スポーツによって我々は他人の破壊や死を学び取る。我々自身の父親をどのように 縛り上げるのか、我々自身の母親を買い物袋や薄汚いシーツの中にどのように押し込ん で、どのように刺し殺せば良いのか、それらを学び取る。何しろ戦争の中では、何事も 許されるのだから!それ以外に我々がスポーツを始めた理由などあるだろうか?スポー ツマンは兵隊なのだ。誰もが最善の力をスポーツウェアの中に求める。オリンピック  は、我々が機械の中にある手足(Glied 部分)にすぎないと教えるために存在するのだ。                                      42
 
3)多層構造としての『スポーツだんぺん劇』
 
 しかし、以上のような内容的な方向のみからでは、イェリネクの作品の独自性は決して明らかにならないだろう。というのも、インタビュー等でのイェリネクのメタ言説はひたすら明瞭であり、理性的であり、社会批判、スポーツ批判の彼女の舌鋒は誤解の余地無く鋭いものの、作品テクスト自体は、必ずしもインタビューにおけるようには明確に整理しえず、実に錯綜した文体を見せているからである。その錯綜ぶりは、ひとつには彼女の「テクスト・コラージュ」という方法の故でもあろう。
 イェリネクに関するこの方面からの研究は、フェミニズムあるいはジェンダーとの関わりと共に、従来からかなりの蓄積がある。12)しかしながら『トーテンアウベルク』以降、彼女のテクストは、「すぐれた政治演劇の可能性」13)といった内容的な発想でも、あるいは「引用のモザイク」、「多声的なミクロコスモス」、つまりは「間テクスト性」14)という形式的発想でもとらえきれない方向を我々に提示しているように思える。具体的検討のために、まず全体の冒頭モノローグを引用する。
 
   エルフィ・エレクトラ:ようやく静かだわ。私の父親の血で真っ赤に染まった流れ は、もうまたきれいになっている。それともすぐにまたママとの新しい戦争が始まるの かしら?どうでも良いわ。だって私には、大衆の反応の方がずっと気になるのですもの。 皆それぞれが自分の衝動で動いているはずなのに、突然、まるで目に見えない時計が響 いて、みんなの頭の中ををたたき壊したみたい。一斉に架空の時間に合わせているのか しら。みんな一緒にチクタクチクタク。スポーツ用具を手にして互いに殴り合って、隣 の飲み物を欲しがって、せっかくお皿をさっき手にしたばかりなのに、もう粉々にしち ゃうのね。素敵に用意された朝御飯のテーブル、それとも酒場。さあ乾杯。奴に一発お みまいしろ、でもきちんとね!杯を上げろ!頭を下げろ!鱒が腹を上にして橋の下を次 々と押し合いへし合い。でも鱒なんかは、外国人にとってもうどうでも良い。なにしろ トゥーリズムで大事なのは見ることだけれども、ここにはもうなんにも見るものがない のだから。さあもっと先に行け、次の場所へ!魚はもうだめ、行ってしまった。どうか 先に進んで!すぐお隣の流れで明日か、遅くとも明後日に何が起こるか、知ってるかし ら?                                  8
 
 幾本もの糸が、もつれ合い絡み合いながら枝分かれして、部分的に先の方でひとつになりながらも、また別の方向にも延びて行く。ちょうどそのような文体であり、具体的な設定や筋はもちろん、文章そのものの文脈までがしばしば捉えがたくなる。しかしこの冒頭部分からは、テクスト全体の多層的意味構造の示す先が、おぼろげながらも見えてくるようである。
 まず第一に、既に述べたスポーツ批判のレベルがある。「みんなが一斉に」「スポーツ用具を手にして殴り合う」。それぞれのスポーツは、それぞれの種目に固有の道具を介しての競い合いであり、原理的には「殴り合い」と変わらないであろう。「殴り合い」に様々な取り決めや制約を課して洗練させたのがスポーツであり、それをイベントとする商業主義は、飽きやすい「観客」の興味を引くべく、新しい見せ物を次々に探し求める。その様子は名所旧跡を求めて次々と移動するトゥーリズムと何ら変わるところがない。橋の下を群れをなして進む魚の鱒は、見られる選手と、見る観客との両方の「流れ」を暗示し、特に均質な大衆の押し合いへし合いの熱狂ぶりの連想表現ということにもなろうか。
 しかしながら、そのようなスポーツ批判は、例えば直後のコロスでの冒頭、「何故あなたたちは自分の息子を、スポーツという戦争へ送り込んだのか?22」のように明瞭な挑発としては表現されていない。冒頭モノローグに於いては、むしろ理性的なスポーツ批判とは別個の相の方が前面に出ているだろう。
 それが第二のエルフィのレベルである。エルフィとは、作者エルフリーデ・イェリネクの愛称であり、イェリネク自身の個人的回想レベルということになる。「私の父親の血」とは唐突でわかりにくいが、イェリネクの父親はウィーンでは名士のユダヤ人であった。戦争中、化学研究での戦争協力の故に強制収容所行きを免れ、戦後の50年代はじめに精神病院行きとなり、そのまま1969年に死亡している。これについては、最後の場面で「作者あるいはエルフィ・エレクトラ」が、「パパ、パパは闘いの中で打ち倒されはしなかった。どうして根が生えたように立ちすくんでいたの?どうして逃げなかったの?185」と、父親の戦争責任を意識しつつ、しかし「私のパパが殺された時、私自身がそれを一緒に手伝ったの。184」という自虐的な理解と重なる。
 従って冒頭に流れる「父親の血」とは、第一にイェリネク自身の父親の死を示すと共に、更に父親世代が戦争で流した血、第三に強制収容所でのユダヤ人の血、そして第四に、父親の血と重なる作者自身の肉親としての血である。「血」という父親と自分との個人的な肉親関係が、同時に戦争と父親、更には戦争と自分との社会的関係の意識を呼び起こさざるをえない。
 
   パパ、前に見つけたのに今はまたどこかに置き忘れてしまったあの言葉はどこにあ るの?パパは時々ユダヤ人みたいに話したわね。パパへの不安はなかったわ、でもパパ への私の不安は絶対的なのではなくて、ただパパが決してパパが決してパパが決して語 らなかったことが不安だったの。時には何週間も。だから語ら「ない」ことは怖いわ。 「ある」ものは怖くない。沈黙していること、語らないこと! 184f. 
 
 「パパが決して語らなかった」ことに激しく拘泥するイェリネクの不安は、「パパが決してパパが決してパパが決して語らなかったこと sondern daß du nicht daß du nicht daß du nicht geredet hast 」という不自然な反復による文体の乱れに明確に示されている。「語らなかったパパ」に対して、一種異常に「語り続ける」イェリネクがいる。イェリネクのファシズムに対するこだわりには、社会的正義を意識した政治モラルを超えた、一種の心理的強迫観念とも思える痛みが伴っているところは、肉親の情愛が、戦争責任の告発に重ならざるをえないとの自意識に裏付けられているのであろう。
 ただし、父親との関わりについて言えば、冒頭部分ではむしろ母親との確執が前面に出ている。「ママとの新しい戦い」とは、例えば1983年の小説『女性ピアニスト Die Klavierspielerin 』において示されたような、ジェンダー的「自我」への疑いと絡めた、過干渉の母親と作者自身の確執ということになるが、「不在の父親」への執着と復讐とも言えるだろう。
 それが第三のエレクトラのレベルで明らかである。「父親の血」「母親との新たな戦い」とは、何よりもアイスキュロスの悲劇『エレクトラ』の物語である。トロヤとの戦いに於いて、アガメムノン王は娘のイフゲーニエを生け贄として殺した。それを恨んだ母親のクリュタイメストラが、帰国したアガメムノン王を湯殿で殺して、娘の復讐とする。しかし殺された父親の仇として、今度は娘のエレクトラが母親への復讐を願い、弟のオレストが母殺しを実行する。直系の肉親同士で繰り広げられる復讐の連鎖の物語は、血が血を呼ぶアトレウス家の悲劇として、ソフォクレス、エウリピデス、ジロドー、ハウプトマン、サルトル等、幾人もの作家が劇化を試み、特にホーフマンスタールの戯曲をリヒャルト・シュトラウスが作曲してオペラ化したものが有名である。復讐の苦しみを、ホーフマンスタールはエレクトラに語らせている。「でもわたしは獣ではない。わたしは忘れることが出来ない!」15)
 結局冒頭部のテクストは、社会批判レベル、個人史レベル、神話レベルという三つのレベルが絡まりあい、それが例えば、冒頭の「流れ Die Flüsse」という言葉の広がりに対応している。「流れ」は、まずはエルフィとエレクトラという個人的および神話的、二つのレベルの「父親の死」であり、そして社会的批判レベルでは、「鱒」に託された「スポーツ大衆」である。「父親の血に染まった」「流れ」からは、三つのレベル全体を統御する「死」のイメージが、個々の言葉の表面的文脈の背後から立ちのぼってくる。「血」の「流れ」は、「殺人」に依拠した人間の歴史的連続としての悲劇性と、個人史の中核をなす父親との生命的連続に対する愛憎と、更に現実の大衆行動としてのスポーツ行進の「流れ」の持つファシズム的危険性との三つを示す。のみならず、更に文字通りの「流れ」、つまり自然の河川へも表現の連想をつなげている。その場合、「橋の下の鱒」という形で、鱒ならぬ「マス」としての大衆へと、再びイメージを回帰させる結果ともなる。
 
   まるで兵士達のように均質で統一的に見える。ジーンズ、Tシャツ、野球帽。哀れ な流れに起こるのと全く同じ。新しい制服が皆に支給されてぞろぞろとオリンピック行 進。人々の流れは、その流れをいかにも自然な人工物となしている・・・いや、むしろ いかにも人工的な自然をなしていると言う方が良いかも。もちろんそう。どんなに新し いベット/河床が縫い上げられても、流れは相変わらず昔と同じ悪意に満ちたままで、ど んなに固いテーピングが覆っていても、そんなものは手足を保護はしない。流れは、そ もそも再び流れとなるためには、その自然がまず保護されなければならないのだから。                                    9
 
 ここで「いかにも人工的な自然」と言われているのは、「兵士のような」スポーツ選手が行進すること、およびそのようにして不自然な大衆が作られてゆく事実への批判であるが、同時に、「何百年来、コンクリートで固められた河床Bettを流れている人工的な河川」への批判でもある。
 
   今や人々は、再び自然を支配するために、流れのコンクリートを引き剥がそうとす る。流れは昔のように再び蛇行して良いのだ。川岸には川の水を吸収する美しい形を持 たせてあげる。本当に美しい形かはともかく、景色という肉体への適合は生物学的でな ければならないの。 9
 
 暗示されているのは、ドナウ河畔等のコンクリート護岸を「再自然化」する試みである。近年のエコロジー的発想の高まりを反映してか、既に現実的政策として部分的に実施されている人工河川の再自然化16)への言及は、当然、そのままでスポーツにおける人間理性の「再自然化」とも関わる。河川の再自然化はエコロジー的には好ましい事実であるのだろうが、いまや人間が自然を人工的に作らざるをえないのだから、人間による自然支配の更なる一層の進展の結果とも言える。いまや真の自然などは幻想でしかない。
 それではスポーツはどうなのか?スポーツも、闘争心という「野蛮」を人間理性が支配・統御する場として位置づけられるはずであるのだろうが、そこに国家が介在することで、統御された「野蛮」が、今や更なる「野蛮」を醸成し、人間理性そのものを再び野蛮化する装置となっているのではないのだろうか?17)「平和時における戦争の別名」であるスポーツは、人間理性の名を借りた「戦争」そのものではないのだろうか?
 以上のようなイェリネクのスポーツ批判は、ファシズム批判としては首尾一貫している。理性をかなぐりすてて熱狂する野蛮なスポーツ大衆は、ファシズム的大衆操作と重ねられることで、彼女の「お気に入りの憎悪対象」となっていたのだが、しかし被害者もまた、大衆そのものである。過酷な訓練と筋肉増強剤の犠牲となった息子を嘆く母親は、息子をスポーツという「戦場」に追いやった張本人でもある。この事実は、自分の父または母を殺すアトレウス家の悲劇的な血の連鎖と、構造としては同じことであろう。息子をスポーツに捧げた母親がモノローグを続ける。
 
   息子よ、今日はいつものように競技場へは行かないでおくれ!お前の顔をもう    二度と見られなくなるのではないか、私は心配なのだよ! 17
  いつの日か、お前はひどい事故にあうだろう。そして、やがてお前については誰も何  も何も耳にしなくなるだろう。・・・お前が事故で死んだ後、私は悲劇という印象の  中に立つことになるだろう。 18
 
 「悲劇」という表現は、もちろん単なる「悲しみ」の強調表現ともとれる。しかし冒頭のモノローグにおける神話的「悲劇」のモチーフとの呼応は、力を誇示し、作者を罵倒するアキレスとヘクトールのモノローグ的対話18)と並んで、スポーツに託した現代社会批判の言説という表層の奥に響き続ける通奏低音のありかを示している。母親の嘆きは、エレクトラが語る暴力と血の連鎖を倍音とすることで、錯綜した因果の連鎖が、単純な善悪の二元論を無化する。そしてそれによって、「嘆き」は「嘆き」のモノローグとして、演劇的に立ち現れてくる。
 社会的レベルでの批判が明瞭であるにもかかわらず、彼女のテクストがひどく難解であるのは、文脈の見えにくいモノローグや断片的コラージュの堆積という表現方法のためであるのだが、重要なのは、そのような方法を支えている発想であるように思える。彼女の明晰な、いわば啓蒙的な発言が、作品に対する彼女の自覚的レベルであるとすれば、実際のテクストのモノローグ堆積から出てくる断片的難解さは、言葉が彼女自身の意図を超えて自己増殖して行く無意識の過程を現している。言葉の自己増殖をモノローグとして定着させようとする彼女の試みは、血が血を呼ぶ歴史の悪循環の悲劇と照応する。それ故に彼女の無意識の言語操作による批判は、単なる言説の批判を超えて、一方では個人史の悲劇に、また他方では歴史の悲劇に重ねられて、スポーツ批判に媒介されながら神話的暴力の認識を陰画的に浮かび上がらせるのである。それ故に、一見脈絡のないモノローグの集積を介して、従来見られなかった「嘆き」の演劇的表現が具体化される。「語り」が「身振り」を圧倒し、逆に言えば、いわば語られる「嘆き」自体が、モノローグとして身体化されるのである。
 ところで1993年に、イェリネクは週間新聞ファルターとのインタビューで、次のように述べている。
 
   演出家のファンタジーを引き出すのが自分のテクストです。テクストは演出家が選  ぶためのサンプルに過ぎない。19)
   私はただ言葉だけです。芝居で興味あるのは、私の頭の中に現れるもの、それを言  葉で運ぶ出すことだけ。演劇の実践には興味はない。20)
 
 単なる謙遜、と理解することもできるが、非ドラマ的「語り」に終始するイェリネクのテクストに、あらかじめ具体的な舞台イメージが作者の側に存在するとは思えない。劇作家であるにもかかわらず、舞台を配慮しないと明言するイェリネクの一種倒錯した作劇法は、しかし逆にイェリネクのテクストをして、舞台化に制約されない「語り」の可能性を産み出すことになる。それ故に演劇人の側にしてみれば、舞台化への挑戦意欲が刺激されるのである。
 
   私の人物は、様々な心理を持ちながらお互いにコンタクトを持って登場するのでは  ないのです。<生きている>人間として考えているのではなく、並外れた言語機械と  して現れるのです。常に語り続け、あらゆることを語る。心理的に正しく作られた人  物ならば決して語らないであろうような真実を語るのです。21)
 
 つまり従来の演劇には、近代劇以来、「心理」表現こそが「真理」であるとの大前提があった。しかしイェリネクの舞台の人間は、「心理」という了解可能な真理を語るのではない。「言語機械」となった人間の語る言葉は、単に意味を媒介するための透明な道具ではなくて、言葉自体が我々の前に、あたかも機械のように物質化して、それ自体の冷え冷えとした存在感を持つ。それがイェリネクのモノローグであろう。「機械」と化した人間の疎外状況と一体化した偏執狂的なモノローグが、言語そのものの疎遠な身体化として現れてくるのである。
 しかし他方では、そのようなモノローグに対抗するかのように、『スポーツだんぺん劇』冒頭ト書きには、コロスに対する非常に強いこだわりがある。
 
   作者はあれこれとした指示は与えない。どのように演じても良い。しかし無条件に  守っていただきたい条件がただ一つだけある。それはギリシャ的コロスである。数人  であれ、もっと多数であれ、コロスはスポーツの服装をしていなければならない。こ  れはスポンサーにとっては実に魅力的な場ではないだろうか?全員がアディダスやナ  イキ、あるいはリーボック、ピューマ等々のブランドで統一したコロス。 7
 
具体的な「筋」や「行動」の無いイェリネクの芝居にあって、『スポーツだんぺん劇』冒頭に見られるこの指定には目を引かれざるを得ない。ジャージのスポーツ服で統一したコロスという発想には、なによりもまずスポーツにおける「大衆操作」の視覚化の意図があるだろう。ユニフォームで登場するコロスは、例えばスポーツ行進の「流れ」に代表される没個性への埋没を示すには、大変にわかりやすい形象である。しかしコロス冒頭の台詞はこうである。
 
   何故あなたたちは自分の息子をスポーツという戦争へと送り込んだのか。すぐにま  た戻って来てほしいと願うくせに。 22
 
 スポーツ大衆の姿をしたコロスの口から、当のスポーツに対する疑問が挑発的に提示されるのである。疑問と言うよりも、むしろ罵倒に近い言葉が続くのであるから、コロスによる「観客罵倒」は、理性的な言説批判を越えた自虐的性質をも醸し出す。しかもコロスによる挑発は、しだいにエスカレートして行く。
 
   骨が折れる、腱が切れる、血管が破裂する、靱帯が延びきる、それでも何とか生き延  びる。スポーツの身体はピザの箱か、それとも使い捨ての紙皿か。最初はきれいだけ  れども、利用された後は、結局は捨てられるだけ!でもなんと言っても洗って再利用  できるし、お手入れ簡単。モダンな繊維素材のおかげ。うまく作ったものだ。特にこ  の種の人間は、威厳という甘ったるい永劫の罰の中、ブラウン管を内側から筋肉繊維  でなでている。 27
  
 スポーツの暴力性を訴える言葉は、無冠詞の名詞と不定形の動詞が並列される単純な文の並列(Knochen krachen, Sehnen reißen, Adern platzen, Bänder überdehnen, überleben trotzdem irgendwie.)である。文法的な活用や変化を拒否した最も単純な言葉の羅列は、コロスによる斉唱となることで、言葉の意味が響きによって圧倒される。斉唱という「響き」の嵐に圧倒された言葉は、いくつにも重なる意味イメージの中で、軽やかな、微妙なニュアンスの外皮を吹き飛ばされ、最も中心的な意味の核だけがグロテスクに露呈する。
 例えば頭語反復を伴った最初の「骨が折れる Knochen krachen」は、「骨を折れ」との非常に強い命令文とも読むことができるし、そのように読むべきであるのかもしれない。しかし「叫び」へと単純化された言葉においては、もともとのグロテスクな暴力的意味が、単純化という更なる暴力へと押しやられているのだから、微妙なニュアンスはそもそも拒否されている。イメージの広がりを拒否された形で言葉の意味が露呈した姿は、「叫び」の暴力に屈服した「意味」の姿である。そこでは言葉は、もはや微妙な差違を問題にせず、裸のままで互いにぶつかりあっている。なぜならば、それが暴力というものの真の姿であるからだろう。
 単純な叫びに続く散文的な文(Die menschliche Körper beim Sport sind wie Pizzaschachteln oder Wegwerfbecher, und dann sind sie benutzt, ja : vernutzt!)も、スポーツの、スポーツによる、スポーツのための肉体が、ただ「利用されbenutzt」るだけであることを述べる。レトリックとしては、使い捨て容器のようだとの分かり易い直喩と、もうひとつは benutzt - vernutztとの連想的地口が用いられている。しかしながら「捨てられる」と訳したvernutzen は一般的な語ではない。少なくとも通常の辞書的レベルでは見出しにくい新語である。非分離前綴りのver-を、verbrennen verzehren verbrauchen vertrinken と同様に、消滅・消費・浪費の方向で理解して「捨てられる」と訳したが、verkunden versinkenのように単なる強意、あるいはverlernen verlesen のように歪曲・失策の方向で訳すこともできるだろう。というのも、なにしろ新語なのだから、意味の方向は曖昧な形でしか明らかにならない。翻訳とは、多方向に広がり漂う意味をひとつの方向に確定することであるから、厳密に言えば、この言葉は訳せないこととなる。ところが、そのような言葉であるvernutztには、ja と共に更に!まで付けられて、いわば別格の強調扱いをされている。従ってテクストを眼にした者にとっては、イェリネクの作品とインタビューと同様の分裂した事態に立ち至らざるをえない。つまり、一文全体の意味の方向は「スポーツ批判」として明瞭であるにもかかわらず、造語vernutztの意味は、benutztとの言葉遊びの枠組みの中に捉えられる以外には、輪郭がぼかされるのである。中心の意味のありどころは漠然と見えるにも関わらず、眼を凝らして見つめようとすると焦点が合わなくなる。そのような苛立ちを覚える。
 直前のKnochen krachen では、暴力的な叫びによって言葉の意味の広がりが吹き飛ばされ、核だけがむきだしにされた結果、あたかも言葉そのものが我々を脅迫するかのように肉体的に迫って来るのに比べると、ここでは意味の核がbenutzt - vernutzt の言葉遊びの枠の範囲にとどまる結果、核の意味が曖昧になり、意味の広がりが広がりのままで焦点を結ぶことがない。それぞれの言葉の意味の位相は、一方ではむきだしに、他方では漠然と、全く対照的な形を取りながら、表現としては直接に連続する。その結果、例えて言えば、クローズアップと俯瞰とが連続したカットでつなげられたような酩酊感が産み出される。読む側は、あるいは聞いている側は、意味の方向は理解できながらも、その方向が一点に収斂することのないまま、言葉が自己増殖的に錯綜する印象だけが強く残ってしまうのである。
 しかし、まさにそのような酩酊感を通じて、イメージとの平和な結びつきを欠いた言葉の肉体そのものが、つまり多様な意味イメージから乖離した言葉の響きが、我々の目の前に迫って来ることとなる。そこではテーマとされている「スポーツ」が、言葉自身の肉体性を伴って、暴力的に我々の前に立ち現れる。言葉それ自体が、いわば「スポーツする」のである。それが「言語機械」の言葉であり、「心理的に正しく作られた人物なら決して語らないであろうような真実」なのである。イェリネクの挑発的言辞の文学的意味は、おそらく言語表現におけるこの種の「暴力性」を開拓しつつある点に見るべきであろう。
 
                                    
4 アイナー・シュレーフの演出
 
  『スポーツだんぺん劇』の演出によって、アイナー・シュレーフはテアター・ホイテの年間ベスト演出家に選ばれている。更に舞台美術も他の二つと同数で年間ベストとなり、衣装はベスト8票に対して7票を得ている。作者のイェリネク自身が年間ベスト作家となっていることも含めて、このような高い評価を集めた事実から、『スポーツだんぺん劇』が1997・98年のシーズン最大の話題作であったことが伺える。
 さて、そのシュレーフ演出であるが、190ページにも渡るモノローグ・テクストを約5時間弱の舞台に圧縮して、これを基本の版 Kurzfassungとし、また別に7時間弱の延長版Langfassungも提供している。もともとのテクスト自体に具体的な設定など殆ど無いのであるから、膨大な抽象的モノローグをどのように実際の舞台形象にまとめあげるかは、全面的に演出家の力量に任されている。テクストのカットや入れ替えはもちろん随所に見られる。また、テクストとは別に、ホーフマンスタールの『エレクトラ』とクライスト『ペンテジレーア』、1888年のブルク劇場開設時の挨拶用小場面、更にモーツァルトやヴェルディ、ハイドンの歌、民謡等も挿入されて、かなり多彩な舞台となっている。
 しかしシュレーフ演出が最も冴え渡るのは、やはりコロスの扱いであろう。作者自身が唯一指定した「スポーツ服のコロス」という発想を軸に展開したのがシュレーフ演出であり、旧東ドイツ出身のシュレーフ自身、これまで一貫して集団アンサンブルに重点を置いた演出活動をおこなって来た経緯がある。『スポーツだんぺん劇』における集団アンサンブルも、非常に様々なスタイルを取っているのだが、特徴的な場面として、二カ所を挙げることができる。
 ひとつはコロスの入場とそれに続く場面である。息子を失って喪服姿の「女」の長い嘆きのモノローグが終わると、女は「位置について、用意 Auf die Plätze, fertig」と叫び、ホイッスルを鳴らす。すると修道僧のような黒いマントを着た50人ほどの男女が、舞台奥から全力疾走で舞台前面に走り込んで来る。舞台前面を横一杯に並んだコロスは、まずハイドン作曲のハプスブルク賛歌を斉唱し、そして最初の単語を一斉に叫ぶ。「何故 Waaarum!」。
 
   何故、あなたたちは自分の息子をスポーツという戦争へ送り込んだのか。
  Warum /haben Sie Ihren Sohn in den Krieg /des/ Sports/ geschickt?   22
 
 最初のWarumは母音aを伸ばして、激しくゆっくりと叫ぶように語り、一拍置いて、次のhaben Sie Ihren Sohn in den Kriegは速く低く一息につぶやく。また一拍置いて強くdesと叫び、一拍の沈黙の後に再び強くSports、また一拍の間、そして最後にゆっくりとgescickt。
 舞台前面に並んで声をそろえて、テクストを様々に語り、唱い、ささやき、叫ぶコロスは、あるいは速く、あるいは遅く、高く、低く、様々なイントネーション、リズムとメロディーのハーモニーを次々と繰り出す。舞台上で大勢の俳優がひとつの台詞の声を合わせること自体は、特に珍しくはない。しかしブルク劇場のコロスは、通常のアンサンブルよりも遥かに細かく、一語一語の響きとリズムを厳密に統御し、語るかと思えば唱い、唱うかと思えば歌う。
 最初にコロスを耳にした時は、その整然たる進行ぶりに、とても信じられない思いに駆られたほどである。しかし二度目の舞台を見た折りに、ようやく、二階正面の観客席に立ち上がって両手を動かす指揮者に気がついた。この指揮者の手の動きに合わせることで、初めてあの厳密な統一が可能だったのであり、つまりコロスは、文字通り「コーラス」として語っていたことになる。50人全員の語りの響きが、あたかも楽譜の音符をたどるかのように整然と進行するコロス。コロスの言葉の意味の広がりは、叫ばれるにせよ、ささやかれるにせよ、50人の口を通しつつ、イントネーションという音楽的響きの方向が、通常のアンサンブルよりも遥かに増幅される。言葉の意味が、言葉の響きに圧倒されるのである。
 しかし意味は響きに解消されつくされることにはならない。というのも、響きによって強調されるイントネーションは、音楽的なリズムとメロディーに純化されきることはないからである。むしろ、例えばKrieg/des/Sportsといった呼びかけの挑発的な意味の核心部が、響きという肉体性によって、かえってむきだしにされる。コロスはコーラスとなることによって、コロスの語る言葉の意味の暴力性が、いわば言葉自体の肉体となって我々に提示されるのである。
 シュレーフ演出における集団アンサンブルには、もう一カ所とりわけ興味深い場面があった。白い短パンに白いランニングのスタイルで、コロスが舞台一杯に並び、格闘技の型のような体操を全員が一斉に行いながら、テクストを唱和する。この体操の繰り返しと唱和は、いつ果てるともなく続く。実に26分も続いた。先述のコロスがコーラスであったとすれば、このコロスは、体操というスポーツそのものを体現する身体的語りである。体操の一連の動きは、区切り毎に「sieben, acht!(七、八!)」と掛け声を唱和する。全員が一斉に同じ動きを繰り返す体操は、もともとそれ自体が全体主義的な雰囲気を強く伴っているが、体操の中身が格闘の型の繰り返しであるために、スポーツの暴力性と「スポーツは戦争」との基本主張が大変に分かり易く提示される。しかも同じ型を延々と半時間あまりも繰り返す間に、舞台上の俳優達の演技は、肉体としてのスポーツ選手の身体となる。 最後に疲れ切って、汗びっしょりとなったまま舞台上に倒れ込む様子は、すでに演技というよりも、スポーツの試合、あるいは競技場で演舞を観戦しているような雰囲気を醸し出す。その時、動きの中で語られる言葉は、体操の掛け声である「sieben, acht!」の響きに圧倒される。ここでも言葉の意味が、俳優の文字通りの肉体の動きを通して、掛け声という響きの中に肉体化されてしまうのである。
 これら二つの印象的なコロスの扱いは、一方ではコーラスとしての音楽性に、他方では演舞としての肉体性に、それぞれの演出の重点を置いている。イェリネクが指定した「ギリシャ風のコロス」は、「肉体賛美と精神の軽視」を体現する「スポーツ大衆」に対する彼女の批判的表現を意図したものであろうが、シュレーフ演出は、作者自身の意図を更に一歩進めた可能性を我々に提示している。 
 というのも、もともとギリシャ的コロスをどのように扱うかは、西洋演劇の発展史において、常に大きな課題のひとつであったからである。17世紀におけるシェイクスピア受容に触発されたドイツ近代演劇の発達は、心情的にはギリシャ演劇に対する評価に支えられていたわけだが、その場合のギリシャ演劇の理解は、当時の民衆的な茶番劇に対して、より格調の高い文学的な理想像を求めるといった内容的な方向が強く、コロスの理解も高尚な韻文形式という文学的な面に重心が置かれていた。22)他方、それとは逆に、16世紀のイタリアに於いて、古代ギリシャ悲劇の復活を意図してオペラという形式が生まれたが、通常の台詞を歌で表現するという特異な形式による音楽性重視は、コロスをコーラスへと純音楽化することとなる。23)
 演劇史におけるコロスの文学化に対して、オペラ史におけるコロスの音楽化と、対照的な試みが存在してきた。いずれにせよ、近代における古代ギリシャ劇の復興の試みにおいては、コロスの実現が常に難問として控えていた。コロスにおける音楽というミュトス性を排除する方向に進んだのがドイツ近代劇の発展であったとすれば、オペラの発展は、コロスにおける言語というロゴス性を疎外する方向を進んだと言えよう。そして、いずれにせよ古代的コロスの持っていた舞踏という身体性を欠落させてきたのであり、蛇足ながら、この面がバレーとして発展したとも言えるのだろうが、コロスにおける舞踏は、音楽と言葉が一体となった祝祭空間の表現である限り、やはりバレーとは本質的に異なると思われる。
 いささか図式的な説明となってしまったが、コロスに関する問題点を念頭に置いた場合、シュレーフ演出のおもしろさが見えてくるのではないかと思われる。しかしシュレーフの演出に対しては、一方では高い評価があると共に、他方に非常に強い批判もある。24)
 批判の基本的な視点は、作者イェリネクと演出家シュレーフとの相違に着目する。例えばシュピーゲル誌によれば、その違いは、「いつも湯気を出して、熱血で、さかりのついた(dampfende, immer blutwarme brunftwarme)ゲルマン男のシュレーフと、クールで、人嫌いで、優雅さと皮肉の針をまとったオーストリア女性イェリネク」25)となる。
 あるいは、二回の休憩を加えると6時間となる短縮版Kurzfassungとは別に、3月15日と16日、更に二時間増しの延長版 Langfassungでは三箇所に映像を使用したが、これにも批判が集中した。映像の第一は冒頭、ブルク劇場の屋上からの風景を緞帳全体に映写して、それと同時にテクスト冒頭のモノローグを、殆ど聞き取れない異常な早口でスピーカーから流す。第二は丸裸の男が一人、数匹の犬と共にブルク劇場を地下から屋上まで逃げ周り、あるいは探し回る。第三はクリムトの天井画で有名な「階段の間」で、大勢の半裸の男女がオルギー的に絡み合っていたかと思うと、一転して凄惨な大量殺戮の場面となる。映像を主とした延長版は、あまりの長時間に途中で帰宅する人も多かったが、他方、終演後の拍手が、コロスによるアンコールを夜の11時過ぎても何度も繰り返させるほどの熱狂ぶりを見せた。劇評は、延長版のエネルギーは評価するものの、コンセプトが理解できないとの批判で埋まった。26)
 シュレーフ演出批判として最もまとまっていたのは、テアター・ホイテにおけるフランツ・ヴィレの批評であろう。批判の基調は「シュレーフの印象的な舞台作り」が「イェリネクの作品とは何の関係もない。」27)点にある。「イェリネクの『スポーツだんぺん劇』はシュレーフの伸ばした手を拒絶している。」28)特に重要な批判点をヴィレは、「イェリネクにとって脅威であるはずの大衆が、シュレーフにとっては逆に満たされぬ希望の姿であり、最も純粋なユートピアとなっている。」29)とまとめている。
 ここでヴィレは、第一にコロスをスポーツ大衆と短絡的に一致させているが、作者イェリネクのテクストにおけるコロスは、スポーツ大衆に対する批判を意図しているものの、そうであるが故に、描き方も単純ではない。繰り返すが、イェリネクのスポーツ批判をテクストレベルで見れば、批判は、自分自身の出自に関わる父親の沈黙に対する錯綜した愛憎および神話的暴力の表現と重なっている。コロスの提示も、そのような文脈で理解するべきであろう。実際、コロスはスポーツのファナティズムの表現であると共に、他方では観客に対する挑発の台詞を語らせているのであるから、作者イェリネクとコロスとは、単純な対立関係には立っていない。イェリネクのメタ言説としてのスポーツ批判と、テクストとの位相の差に注目するべきであろう。
 第二に、ヴィレは、演出家シュレーフのコロス理解を「満たされぬ希望、純粋なユートピア」と書いている。これは、おそらくシュレーフのエッセイ『ドラッグ ファウスト パルシファル』における言い回し、例えば「あらっぽく言えば、ドラッグは社会的ユートピアを発展させるために必要」であり、そのために「コロスによるドラッグの服用」を求めるという挑発的文章30)を、ヴィレが文字通りに理解しているためと思われる。しかしシュレーフにとって、「コロスは病気である、ペストに感染している」存在であり、そもそも「大衆は初めから病気に犯されているように見える。」31)その意味でのコロス的状況は、目指すべき目標と言うよりも、すでに我々の状況そのものであろう。ドラッグという言葉も、いかにも刺激的だが、「モノローグはドラッグだ、ドラマの人物が生き延びるのはただモノローグにおいてだけだ。思考はドラッグだ、回想はドラッグだ。」32)とたたみかける様子からも、とてもナイーヴな理解とは縁遠いものがある。むしろ「政治的テーマを拒絶された市民劇の弱さとデカダン」33)をあぶり出すための挑発のひとつとして選び取られた方法的用語であろう。「我々は大衆の時代に生きている。個人が存在したのは、カスパー・ダヴィッド・フリードリッヒなどのロマン主義なのだ。けれども私が家に帰って、どこに個人がいるのだ。ここに私がいて、あそこにテレビがある。それだけだ。」34)と語るようなシュレーフの演出に対するフランツ・ヴィレの批評は、ドイツの「進歩的批評」が陥りがちな二元論的硬直性の良い例であるように思えてならない。
 
5 最後に
 
 イェリネクには、演劇に対してコメントした、次のような言葉がある。
 
   心理化に反対し、個人化に反対する演劇(antipsychologisierende, und antiinduvi  dualisierende Theater)は、別に新しい主張ではない。演劇の脱人間化(Entpersönl  ichung)の類は、どんなに遅くとも、すでにベケットにはあった。35)
   奇妙なことに、演劇におけるベケットの革新は、ひたすら空転し続けてきた。ベケ  ット以後の演劇は、何も進んでいない。美的に一貫したベケット作品は、今日までま  だ乗り越えられていない。36)
 
 この引用から明らかになるのは、イェリネクの明示的な批判言説では覆えないドラマの形式的特性という演劇美学的な方向である。イェリネクの評価するベケットは、ドラマを構成する具体的な状況あるいは人物の描写という「意味」を抽象した非ドラマ的ドラマを作り上げていた。イェリネクに於いても、ドラマを構成する具体的な設定が何もない以上、従来のドラマトゥルギーは破綻せざるをえない。むしろ「言語」それ自体の存在性、肉体性を追求しようという思いが、彼女をして「言語機械」という表現を使わせるのであろう。
 しかしイェリネクの反ドラマ性はベケットとは異なり、広義のイデオロギー批判をも武器としている。日常の中で抑圧された偏見、非人間性、差別を暴露する脱神話Entmythisierungという具体的な主張を持っている。観客への挑発という意味では、イェリネクのテクストは、ベケット的モノローグに加えて、一種のシュプレヒコールとも言えるコロス的要因を加えている。すなわち、沈黙へと向かうベケットに対して、挑発を武器とする冗舌のイェリネクである。37)
 ところで冒頭のエレクトラの「父殺し」への言及から始まったテクストは、最後に再び同じテーマを提示する。父親の罪に自らの罪を重ねつつ強迫的に語り続けたエルフィは、次のように突然の中断で長いモノローグを終わる。
 
   誰かが死ねば、その人は戻ってこない。もう充分に話した。ほんの一瞬、言葉を
  疑ってみよう。でもそれはすでに終わりの後、そして沈黙沈黙、ひっそりと何の物音  もたてるな。 188
 
 モノローグは、冗舌のスタイルにも関わらず、最後は「沈黙」で終わる。モノローグも、コロスも、「悲劇」を前に沈黙せざるをえない。「父殺し」が全ての「悲劇」の始まりであったとすれば、イェリネクがモノローグやギリシャ風のコロスにこだわりつつ展開したアンチ・ドラマは、演劇の源としてのコロスにおける「嘆き」の表現形式を再確立しようとする試行錯誤の一つと言えよう。そうなると例えば、一見イェリネクとは対照的な舞台を作り出していながら、同様に悲劇以前へと触手を伸ばしているペーター・ハントケとボート・シュトラウスの二人が思い起こされる。ペーター・ハントケ『不死のための用意 』38)は、不在の王様の復活(の不可能性?)をめぐる寓意劇であり、ボート・シュトラウスの『イタカ 』39)は、オデュッセイアの帰国物語である。どちらも悲劇以前の神話・寓話世界を具体的にドラマとして舞台化しつつ、我々の「暴力」の根源のイメージを作り出そうとしている。ちなみにイェリネクは「ハントケは知的inntelligent、ボート・シュトラウスは才気渙発geistreich」40)と述べているが、むしろハイナー・ミュラーの方を評価している。41)
 スポーツの暴力性を見つめようとするイェリネクも、あるいはドイツの歴史の暴力性に焦点を合わせるハイナー・ミュラーも、ハントケやボート・シュトラウスと同様、「暴力 」の表現という点では共通の課題を負っている。いささか大風呂敷を広げるならば、それが二十世紀末の演劇状況を語るキー・ワードであるのかもしれない。しかし演劇とはそもそも、ギリシャ悲劇以来、一貫して「暴力」を見つめ続けてきたとも言える。そうなると、例えばアウシュヴィッツ、ヒロシマそしてサリンという暴力を内に抱える我々は、神話的「暴力」を前におののいていたギリシャ悲劇のコロスと、そもそ一体どこが違うというのだろうか?
 
  付記:本稿は、1998年6月5日、明治大学におけるオーストリア文学研究会での 口頭発表を元にしている。
 
(註)
1 dtv Brockhaus Lexikon Band 11, 1989, S.80.
2) 全く個人的な体験だが、ウィーンでの私の下宿の大家夫妻も、「パイマンがいるブルク 劇場などには行きたくない。あんなものはドイツで演れば良いので、ウィーンはウィー ンらしい作品を提供するべきだ。」と強固に言い張っていた。
3) 拙稿 『クラウス・パイマンとブルク劇場』 専修大学人文科学研究所月報 第14 2号(1991年)参照。
4) zitiert aus:"Koks der Armen", in "Bühne". Nr.1. 1998, S.15.
5)"Ein Stück großer Sprach-Musik, mal rauschhaft, mal klirrend, immer trotzig   böse."  Rolf Michaelis, Trotziger Trauergesang.in:Die Zeit, Nr.40. September   1992. 翻訳は、『トーテンアウベルク』 熊田泰章訳 三元社 1996年
6) Elfriede Jelinek, Ein Sportstück. Rowohlt Verlag, 1998. なお本書からの引用ペ ージは本文中に数字で示した。
7) Theaterheute. Das Jahrbuch 1998. S.84.
8) Bühne, S.15 「スポーツというのは、平和時における戦争の別名にしかすぎないので す。」a,a,o., S.16
9)本稿筆者は、在外研究で1997年4月より一年間、ウィーンに滞在している。
10)Bühne, S.16.
11) Bühne, S.16.
12) Vgl.: Marlies Janz, Elfriede Jelinek. Sammlung Metzler 286, 1995. 本書はロラ ン・バルトを援用しつつ、「神話破壊」「イデオロギー批判」という視点で、『トーテンアウ ベルク』までのイェリネクの全作品を概観している。
13) Ute nyssen, Nachwort, in: Elfriede Jelinek Theaterstücke, Rowohlt Taschenbuc  h, 1992, S.267.
14) ジェンダーという視点からの言説批判に立って、一種の「本歌取り」としての「間テ クスト性」の方法を駆使するのが、中込啓子 『ジェンダーと文学 イェリネク、ヴォ ルフ、バッハマンのまなざし』(鳥影社 1996年)。
15) Hugo von Hofmannsthal, Elektra, in:Elektra. Sophokles Euripides Hofmannsthal  O'Neill Giraudoux Hauptmann. Hrg.v.Joachim Schondorff. Langen-Müller Paperbac ks.1965, S.118.
16) 例えば1996年10月にオープンしたドナウ湿地自然公園(Der Nationalpark Dona u-Auen)のパンフレットによると、従来は堤防で閉じこめられていたドナウ川の氾濫水を、 意図的に湿地に引き込むように作られている。この新しい方法は生態学的な自然「回復」 への「画期的な第一歩」であると宣伝されている。
17) 例えば明治以降の日本については以下を参照。坂上康博『権力装置としてのスポーツ ・帝国日本の国家戦略』 講談社選書メチエ136 1998年
18) 「なあ、作者さんよ、何だってそんなに攻撃的なんだ?おれらはあんたに何にもして ないよ。どうしてそんなに毛を逆立てているんだ?劇場へ行くのが一等好きさ。あんた の言ってることなんて、おれらには興味ないんだ。」130
19) Wolfgang Reiter, Wiener Theatergespräche, Falter Verlag,1993, S.18.
20) a.a.O., S.15.
21) a.a.O., S.22.
22) 「登場人物は理想化され、人間化され、コロスは全く欠落していた。」 Helmut
 Flashar, Inszenierung der Antike, Verlag C.H.Beck, 1991, S.52.
23)「オペラ化がコロスを演劇から疎外してしまった。」 Sieggried Melchinger, Das Th eater der Tragödie, dtv 4535, 1990, S.62.
24) 日本でも例えば、岩淵達治「ブレヒト百年祭のドイツを歩く」 『テアトロ』 19 98年6月号 43頁。
25) Urs Jenny, "Nix Fit for Fun", in: Der Spiegel, Nr.6. 1998, S.157.
26)「この7時間におけるシュレーフは、5時間で言わなかったことを何一つ言ってはいな い。なぜメディアを変えたか、シュレーフはその理由を明らかにできずに失敗した。」
 Wolfgang Huber-Lang, Abtauchen in das Meer der Worte, in :Der Standard 16.3.19 98
 延長版は「スポーツ服を着た場合は50シリング」の特別料金となり、様々のスポーツ 服の若者でブルク劇場が埋まった。クーリエ(16.3.1998)によれば、「だからね、こい つはイベントってもんじゃないかい? Oiso, is des jetzt a Event oda net?」上演後 にスポーツ服のコンテストが行われ、1位がS席の指定予約券から、5位がパイマンと 一緒にソーセージ・スタンド立ち食いまでの賞品が出た。ちなみに1位は全身スキュー バダイビング姿にアクアラングまでつけた男性で、5位はアディダス・チーム。
27) Franz Wille, Gespenster der Gegenwart, in:Theaterheute, Nr.3.1998, S.9.
28) a,a,O., S.9.
29) a,a,O., S.9.
30) Einar Schleef, Droge Faust Parsifal, Suhrkamp, 1997, S.7.
31) a,a,O., S.274.
32) Aus: Spiegelgespräch "Die Droge bin ich" in: Der Spiegel, Nr.20, 1998. S.218.
33) Droge Faust Parsifal, S.275
34) Spiegelgespräch, S.218.
35) Wienertheatergespräch, S.20.
36) a,a,O., S.20.
37)「ベケットには群衆が存在しない。」 ピーター・ブルック『何も無い空間』高橋康也 ・喜志哲雄訳 晶文社 1971年 87頁
38) Peter Handke, Zurüstungen für die Unsterblichkeit, Suhrkamp, 1997.
39) Botho Strauß, Ithaka, Hanser, 1996. 拙稿「ボート ・シュトラウス『イタカ』に おけるホメロス改作」『ドイツ演劇・文学の万華鏡』 同 学社 1998年 345 頁以下 
40) Wienertheatergespräch, S.21.
41) 「劇場における美的な革新はまだ確立されていない。もしかしたらハイナー・ミュラ ーには少しあったかもしれない。」Aus: Wienertheatergespräch, S.21.
 
*欧文タイトル
 Chor und Monolog
  --Über die Uraufführung von Elfriede Jelineks "Ein Sportstück" im Burgtheater
 
専修大学人文論集 第64号 1998年 33頁〜64頁