第12回 専修大学ゼミナール討論大会提出論文
部門番号 − 部門名 国際金融論
テーマ アジア通貨危機
サブテーマ
専修大学 経済学部 野口ゼミナール
代表者氏名 長谷川 直
参加者氏名
長谷川 直 石橋 洋子 石田 美樹
酒井 宏之 石塚 信吾 阪井 伸行
渡辺 尊俊 住友 良子 杉原 亜樹
立川 みどり 渡辺 一憲 藤原 英知
三本松 憲生
参加人数 13名
〜目次〜
序章 アジアの経済発展 p1
第1章 アジア通貨危機のメカニズム p3
通貨危機にいたるまで p3
ペッグ制のメリットとデメリット p3
通貨バスケットにおける米ドルの役割 p5
第2章 各国の状況 p6
インドネシア p6
香港 p7
第3章 各国・アジア諸国全体とIMFの対策 p9
IMFの役割 p9
各国の対応 p10
アジア地域での対応 p11
終章 p13
第1節 アジア通貨危機における日本への影響 p13
第2節 日本とアジアの展望 p13
参考文献 p15
序章 アジアの経済発展
1965年から90年にかけて、東アジアの9つの主要な市場志向型の国家の大半が、高度経済成長を遂げていた。この持続的急成長をもたらしたのは何であるか。
第一に初期条件として、その国あるいはその経済の水準がその時点における世界の先進諸国に比べて著しく低かったということが挙げられる。
第二に高度成長以前に大きな政治的変革が起こった。それは第2時世界大戦における敗戦、中央集権的社会主義体制の解体、輸入代替工業化志向の開発政策の転換などを経て、その後の政治体制や社会制度が従来市場経済中心で、企業間競争の盛んな市場志向的体制へと改革されたことが挙げられる。
第三に高度成長を遂げた国は積極的に開放的な国際経済関係に参加し、モノとサービス、ことに技術の貿易、直接投資をはじめとする資本移動を少なくとも従来は自由に、かつ段階的に一層の自由化を進めていった。ここに教育が行き届き、「質」の上がった余剰労働力を生かして高度成長を成功させたのである。
こうして1980年代に飛躍的に生産力を拡大させていたアジアの発展途上国は、世界の「生産基地」としての地位を確立し、その勢いは90年代に入っても一向に変化する気配を見せなかった。アジアには世界の「グロス(成長)センター」である、という認識が広く受け入れられてきたのである。
1997年までアジア各国の驚異的な経済発展は、世界の羨望だった。しかし同年5月中旬以来、高まってきたバーツの売り圧力に屈する形で7月2日にタイが従来の主要通貨によるバスケット方式をバーツの管理変動性移行に伴い、通貨危機が発生した。この余波はマレーシア、フィリピン、インドネシアなど他のアジア通貨にも広がった。今回の通貨危機は、資本自由化、為替システム、国際金融協力の在り方など、多岐にわたって、多くの教訓を残している。
そこで第1章ではまず全体像をつかむために、通貨危機にいたるまでの背景をふまえ、その根本的な原因、ペッグ制、通貨バスケットについて詳しく触れ、基本的な知識をおさえる。
第2章では、アジア各国の状況を、特にインドネシア、香港について見ていく。言うまでもなく、今回の通貨危機の状態を正しく理解することは、今後の見通しや方向性を予測可能にするのではないだろうか。
そして第3章では、こうした状態に対し、どういう対応をとったのかという事を、アジア各国とアジア全体の視点から考えていき、さらに国際機関の果たした役割も検討していく。
最後に、アジア太平洋地域経済の今後の展望を具体的な影響を取り上げ、アジア通貨危機が与えた日本への影響と対応について見ていきたいと思う。
第1章 アジア通貨危機のメカニズム
1−1 通貨危機にいたるまで
過度の積極的な外資導入策と、外資が流入したあとのマクロ経済政策の運営、そして、その失敗が今回のタイバーツの危機をもたらしたと考えられる。それが最終的にタイの企業業績などに影響して、危機感を持った投資家等が株の売りに出たのだと思われる。
アジア諸国、特にタイを中心にした東南アジアには、比較的安定した政治的背景と経済運営があったこと、また農業国であるため、農村に余剰労働力があったことなどに裏付けされて、70年代半ば以降、東南アジア諸国に日本企業の直接投資が拡大されていった。
高い貯蓄率を背景に直接投資、要するに非債務性の資金を取り入れて自国の経済成長を引っ張っていく政策を取ってきた。
しかしながら、貯蓄を著しく上回る、過度な投資という、そのギャップを何でカバーするかというところで、93年にBIBF(バンコック国際金融市場)というオフショア市場を創設して、ここを通して不足の資金をどんどん取り入れたことが、バブルを導いた大きな原因の一つだと思われる。
また、為替の問題では、タイの自国通貨をドルにリンクさせていたため、投資者側からみると為替リスクはほとんどなく、投資者はドルをBIBFから取り入れ、タイ・バーツに変え国内投資を増やしていった。その資金の一部がオフィスビルや、外国人が増えたための外国人居住施設等の不動産分野に流れ、過度な不動産投資という結果をもたらし、それが不良債権化していった。バーツの切り下げによる不安から、シンガポールあたりを中心にバーツの売りが出たということが今回の危機の大きな背景になっていると思われる。
結果として、大きな資本流入と、為替レートが事実上大きく切り上がったことが、東南アジア危機の背景にあったと思われる。
1−2 ペッグ制のメリットとデメリット
ここでは、今回通貨危機に見舞われた国の共通点であるペッグ制について詳しく説明する。その前に変動相場制のメリット、デメリットを説明する。
まず変動相場制のメリットだが、変動相場制を採用している国が各自独立した金融政策を取れるという点にある。金融の引き締めや、引き下げなどを景気の動向に基づいてその国で自由に決定できるため、景気の動向をある程度までコントロールすることが可能である。
次にデメリットだが、変動相場制の制度を採用しているということは、通貨価値が為替の変動に大きく左右されるということである。一定のレートで固定していればその国の通貨の価値は安定しているといえるが、為替相場が毎日上下するので非常に不安定なものであるといえる。発展途上国では通貨の価値が不安定だと外国からの資本が流入しにくくなってしまう。つまり変動相場制は日本のような資本が豊な国が採用できる制度であるといえる。
上記を踏まえて、ペッグ制とは、政府が為替レートを一定の値に固定する制度であるといえる。開発途上である国が、貿易が盛んに行われている先進国(アメリカなど)の通貨と自国の通貨を連動させ、貿易、投資を活発に行うために採用されるものである。
次にペッグ制のメリットについて触れることにする。上記したが、ペッグ制はアメリカ・ドルなどの国の為替と自国の通貨をリンクしているため、基本的に為替変動のリスクが少ない。そのため海外からの資金が流入しやすい。海外からの流入された資金は、国内の投資に活用されペッグ制を行っている国の経済を活発化させることが可能である。また、その他にも通貨の安定化、外貨を多く獲得できるメリットが挙げられる。
次にデメリットについて説明する。他の通貨へ自国の通貨のリンクは海外からの資金の流入を呼び起こすが、リンクしている国の金融政策の自由を奪う。たとえば、アメリカ・ドルにタイのバーツがリンクしていたとする。アメリカが経済の調子が悪く金利を引き下げたとする。タイでは景気が良く、金利を引き締める政策を取りたいがリンクしている以上、アメリカの金融政策に追随せざるを得ない。この場合はタイに高インフレーションが発生してしまう。
また、ペッグ制は投機アタックの対象となってしまう。タイ、マレーシアなどの東南アジア諸国は90年代初期にヘッジ・ファンドによって何十億ドルもの資金を流入された。これは90年代初頭、ドルの金利が急低下する一方でアジア諸国は資金需要を反映して高水準のままであった。しかも、アジアの通貨の多くはペッグ制をとり、そのほとんどがドルにリンクしていたので為替リスクがなかった。そのため特にタイへは巨額の海外資金が流入し、タイは経済成長に必要な資金を調達することができた。反面、対外債務は急激に膨らみ、不動産投機、株投機が起きた。
ヘッジ・ファンドは、ドルとバーツとの金利差に目をつけて投資資金をタイに呼び込む役割を果たしてきたのである。しかし、投資資金を呼び込むヘッジ・ファンドが、タイは、巨額の対外債務を抱えている、不動産市場は過熱している、銀行の不動産融資が急増し不良債権化している、貿易収支・経常収支が大幅に悪化している等の判断を下し、これまでの行動とはまったく逆のバーツ売りを仕掛け、アジアの通貨危機株価危機の引き金を引いた。
以上のことから、ペッグ制は資金を集め、経済を活発化させるメリットを持っているが金融政策の自由がないために、景気動向のコントロールが難しく投機アタックの標的にされてしまう。
1−3 通貨バスケットにおける米ドルの役割
発展途上国が自国通貨を主要通貨や通貨バスケットにリンクすることに何ら問題はない。現にフロート制は主要先進国に限られ、ほかの多くのIMF参加国は何らかの形で固定相場制をとっているのである。今回のアジア通貨危機問題の共通点として米ドル中心の通貨バスケットに自国通貨をリンクさせていたことを上げることができるが、それはどのようなことなのか。まず通貨バスケットにリンクするとは、国(発展途上国)がどの国と多く取引しているかによって決定するのだが、多くの場合主要通貨たとえばドル、ポンドなどの加重平均をして決まる。通貨バスケットへのリンクは、貿易、投資に見合う内容であれば為替相場の変動を少なくし、経済を活発化させるメリットがあるのだが、問題はそのバスケットが実体経済に合致した加重平均にあるのか、さらに関係国と関係変化に適切に調整されていたか否かにあり、つまりウエイトがきちんと調整せいされていたか否かにあるのである。タイのケースを分析してみると、輸出相手国別シェアは、米国18%、日本17%、シンガポール12%の上位三国で全体の半分近くになる。ところがタイの通貨バスケットの内容は、公表されておらず詳細は不明だが米ドルのタイにおける輸出相手国別シェアは18%なので、対外取引実態とはかなりのギャップが存在し、実質的には米ドル・リンクに近い為替相場体系であったのである。
戦後の米ドルは圧倒的経済力を背景に世界経済の価値基準として機能していたし、IMF体制は金・米ドル為替本位体制であった。しかしニクソンショック後フロート制に移行することになり、金との兌換が停止された。それにもかかわらず米ドルの利便性がゆえに米ドルは基軸通貨として機能し続けている。したがってアジア各国が通貨バスケットにリンクしているといっても、米ドルにリンクしているのである。
第2章 各国の状況
2−1 インドネシア
インドネシアも通貨が大幅に下落し、IMFを中心とする総額350億ドルを上回る緊急支援を得ることが決まった。
インドネシア・ルピアは、97年12月9日に1米ドル=4550ルピアと年初来、実に93%の下落となった。
インドネシアについてはコンフィデンス(信頼)の問題だといっているわけだが、インドネシア・ルピアは通貨下落後の93年ぐらいの実質為替レートに比べても、相当切り下がっている。為替市場の状況から言いますと、まったくドル売りがないのである。インドネシアの居住者、たとえば輸出業者がドルを持っているが、全然手放さないのが現状である。輸入業者は出てくると飛びつくということで商いが極端に薄くなっている。インドネシア・ルピア、インドネシア経済に対する信頼が失われてしまったというのが状況である。もちろんこれは大統領ファミリーの問題なども絡んでいるが、信頼を回復する手を打つことが非常に重要である。
多くのASEANの国は政府が強いというけれども、滞在的にはいろいろ問題を抱えていて、たとえばインドネシアでルピアを売っているのはインドネシアの企業だという見方もある。表面的には従いながらも、どうもそれだけの強い信頼性を持った政府でありつづけるのかという点も多少疑問である。
インドネシアは、IMFに支援を要請する前の9月3日の大幅下落を受けて、10項目に昇る「経済健全化策」を発表した。
この内容は、高金利政策の是正、財政支出の抑制、対外収支の改善、金融の健全化などであり、特に、財政支出抑制の観点で、政府の大型インフラ・プロジェクトのうち、81案件が延期されることになった。しかし、IMFはこの経済健全化策に加えて、金融セクターの改革、緊縮的な財政運営、金融為替政策の見直し、農産物の輸入自由化を含む規制緩和など、さらに厳しい改革を迫ることとなった。
これらの政策を実行に移せば、98年のインドネシア経済はかなりのデフレ圧力がかかる。特に、インフラ・プロジェクトの延期、見直しは、内需の足カセとなるとともに、長期的な成長力にも影響を及ぼすだろう。さらに、インドネシアの場合、経済再建を進める過程で、スハルト大統領や側近の関連ビジネスが大幅に見直されることにならざるを得ない。このように、インドネシアはかなり厳しい構造調整局面を迎える。
2−2 香港
97年10月の世界同時株安の発端は、香港株の大暴落であるが、そのまた発端は97年4月のタイ・バーツに対する売り投機である。
タイの通貨危機はアジア通貨危機へと広がったが、そうした中で、頑固に固定相場制を維持しているのが、香港である。97年10月中旬以降、投機筋の売り圧力は香港に集中した。
この時期になぜ香港株が急落したのか。まず注目されるのが、週明けとともに、香港ドルに対する売り圧力が 急に高まった点である。通貨当局は毎日10億ドルの介入を行ったといわれる。これで株式市場への資金流入が細り、株価の下げ足を速めた。
では通貨防衛姿勢を強調すると、なぜ株価が下がるかといえば、それは金利上昇につながるからだ。
香港ドルは固定相場制に分類されるが、正確にはドル連動(ペッグ)制である。香港ドルはイギリス植民地時代の1983年から、米ドルにペッグしていた。中国に返還された後も、中国政府はペッグ制を続ける方針を発表している。だが、イギリスは自由な為替市場の運営に慣れていたが、中国政府はその方面の経験をあまり積んでいない。中国元の為替は、今も管理されており、自由な相場ではないからだ。そうした中国の弱点も投機筋の狙い目だった。
香港は、ほかに例を見ないほど純粋な為替本位制を採用している。すなわち、発券銀行は為替基金に米ドルを預けて、1米ドル=7.8香港ドル換算の債務証書を受け取り、これに相当する額の香港ドルを発行する。もし為替市場で香港ドルが売られれば、為替基金がこの水準を維持するために公開市場操作を行う。為替基金を管理する金融庁の使命にとって、通貨価値の安定すなわちペッグ制維持である。一般には、インフレ抑制こそ通貨価値の安定である。
それでは、いっそのこと香港ドルの切り下げを行うか、タイやインドネシアのように、管理変動相場制に移行すれば、よさそうなものだが、実は、そう簡単な話ではない。英領植民地であった香港は戦後も、英ポンドに連動していたが、その英ポンドが変動相場制に移行したため、1972年米ドル連動に変わった。そのあとすぐ、世界的な流れに沿って74年、香港ドルも変動相場制に移行した。ところが、82年に中央交渉が始まると同時に、資産家は北米への移住を考えるかたわら、資産を海外へ移すといった動きを見せた。香港ではよく、コンフィデンスと言う言葉が使われるが、それが失われたすなわち将来に自信を持てなくなったのである。
香港では、為替レートの問題は単なる経済問題ではありえない。コンフィデンスの問題とみなされる。もっと具体的に言えば、中国の統治能力に対する信頼度を示すものである。香港の人たちはいつでも、手持ちの資金を米ドルに交換する事ができる。そうした安心感が逆に、米ドル連動制を支えている。
外貨準備は土地資金の保有分を加えると800億ドル、これに中国の持っている1000億ドルがあるのだから、投機筋もうかつに手出しできないと思われていた。
香港ドル防衛が失敗した場合、単なる切り下げではすまないで、変動相場制に突入するかもしれない。同じ固定相場制とはいっても、為替本位制の場合は、売り投機に対する相場維持 努力は経済の実態を無視した高金利を招来する。その結果として、実体経済を過度に締め上げる事になる。通貨当局が相場維持に狂奔すればするほど、株式市場は冷やされる事になる。
香港の場合、外的ショックに対して、きわめてブルネラブル(脆弱)である。外的ショックを直接受けないようにするには、変動相場制をとるほかない。そうすれば政策の自由度は増す。それが変動相場制のメリットだ。だが、ここで香港特有の問題が生ずる。誰が政策を決めるのか。「一国二制度」だから、香港独自で決められるようにもおもえるが、自由放任主義の香港には、そうした仕組みが欠如している。中央銀行がない事には一長一短があるが、そこが自由経済・香港の真骨頂である。米ドル連動制をとる限り、裁量的政策の余地はないが、変動相場制になれば、その余地が生ずる。
香港の人々が米ドル連動制にこだわるには、それなりの理由がある。裁量的政策の行使を放棄しているために、外的ショックも大きいという弊害はわかっていても、過去の経験がある。1960年代の香港暴動、80年代の中英交渉、90年代天安門事件、どのたびに、経済は動揺し、為替レート、株価及び地価はゆさぶられた。そこに香港のダイナミズムがある。政策不在は犠牲者も出す一方、昔から香港企業を描写する言葉になっている「雑草のようなたくましさ」も、ここから生まれる。
米ドルにリンクしているため、他通貨が米ドルに対して下落すれば、その国との貿易量に応じて、実効レートは上がる。
香港が株価を犠牲にしてまでも、通貨防衛に走らざるを得ない政治経済学的背景は、以上の通りである。
各国・アジア諸国全体とIMFの対策
3−1 IMFの役割
IMFは、過去にラテンアメリカで起きた通貨危機、社会主義国の市場開放において、援助の手を差し伸べている。そのときの支援策をを参考にして、今回の通貨危機に対して処方箋を出そうとしている、しかし、これには大きな落とし穴がある。ラテンアメリカ通貨危機、市場開放とアジア通貨危機を比較、研究してみると、通貨危機のメカニズムが全く異なるのである。また、危機国内での政策等で危機から脱出できる程度のものであることもある。この点をIMFは、早く認識すべきである。また、処方箋と引き換えにIMFが政策を引き換えに援助の手を出すという条件をつけているが、その支援政策のレベルが高いため、危機に面した国々が、なかなか援助を受けられないというのが現状である。
ラテンアメリカで起きた通貨危機の場合は、一時的な流動性が無くなったため、危機が起きた。したがって、その時の処置としてIMFは、短期債務再編のため、融資銀行間の調整・強調・支払期限の延期長、利払い相当額のための一時的な信用の追加供給を手配した。
韓国でも、同様な事態になった。国内債務の対外債務はGDPのわずか30%程度であった。しかしながら、IMFは、総額570億ドルの融資調達を取り纏め、韓国に融資することになった。その見返りに、韓国経済の抜本的改革、税金率引き上げ、歳出抑制、高金利政策という、緊縮型のマクロ経済政策の実施を要求した。
このIMFの対策は以下8つの問題点を改善する必要があると勧告している。
1.外国からの投資の制限
2.国内金融市場の閉鎖性
3.輸入制限
4.優れた信用基準の無視
5.中央銀行の独立性の問題
6.企業の幅広い展開
7.企業の自己資本に対する外部負債の比率が大きい
8.労働法の問題
IMFの対策は、韓国の国際資本市場への再アクセスと言う点では必要ない措置である。
IMF本来の目的は、限定的な金融融資である。加盟国の要請があって初めて支援プログラムを作成するが、当事国で何が起こっているかしっかり調査、研究、分析した上で、専門知識に基づいた助言、勧告を行うべきである。危機的状況に対処し、ふたたび危機に陥らないような状況を作り上げるための最低限必要の限定的な金融支援のみに止めるべきである。
3−2 各国の対応
この通貨危機は、タイバーツの暴落に端を発したわけだが、今回のアジア通貨不安には各国それぞれに固有の問題がある。しかしその共通点は、米ドル中心の通貨バスケットに自国通貨をリンクしていたことである。1章でも書いたが、発展国が自国通貨を主要通貨や通貨バスケットにリンクすることは何ら問題ない。通貨バスケットへのリンクはそのバスケットが貿易投資に見合う内容であれば、為替相場の連動を少なくし、経済を活発化させる大きなメリットがある。この結果、為替レートは安定し貿易や投資の中継基地としての香港経済の発展に大きく貢献してきた。しかし問題は、そのバスケットリンクが実体経済に合致した適性水準にあるか、さらには関係国との関係変化に適切に調整されていたか否かにある。そして、ファンダメンタルズにギャップのある2つの通貨を固定するためには相対的に弱い通貨の金利は高く設定せざるを得ない。例えば香港も自身の景気動向・金融政策に関わらず、アメリカに追随して利上げなければならなかった。つまり、米ドルとのリンクはその国の金利政策の自由度を奪うものになる。固定相場制をとる国々がその固定レートをいつまでも維持しつづけられる保証はない。域内相互依存関係が、深まっている現在、域内通貨の相互安定の必要性は高まっている。今後アジア地域が再び発展していくには地域において、競争的な通貨引き下げが起きる事態を避けなければならない。各国の経済自体に即し国際的な市場の変動に対し柔軟に対応できるとともに、他方域内経済関係の相互依存の状況にかんがみ、域内貿易、地域投資等に発展に資する安定的な制度の検討が必要である。
震源地となったタイが、やはり最も深刻な状況に陥る可能性が高い。その要因は、次の3つにまとめることができる。第1は、通貨発生以前から、景気、特に輸出の伸びが大幅に鈍化していたことにある。タイの輸出の主力である衣類や履き物などの労働集約的な製品は、中国やベトナムなどの台頭により、急速に競争力が失われてきた。このため、通貨不安が仮に発生しなかったとしても、タイの景気は後退を免れない状況にあった。
第2は、経済再建を余儀なくされたタイにおいて、IMFとの協議に基づいて策定された経済再建計画は、きわめて厳しい内容になっていることである。例えば、98年の経常赤字の対GDP比率を1.7%に引き下げるほか、公共料金の引き上げや増税による財政の健全化などが盛り込まれているが、これらを実行するために、98年はかなり緊縮的な政策運営を余儀なくされる。
第3は、バブル崩壊に伴う金融不安が、クレジットクランチという形ですでに実体経済に影響を及ぼしているということである。現在91社ある金融会社の58社が営業停止になり、そのうち56社の閉鎖が決定した。また、その他の金融機関も経営面ではかなり厳しい状況にあると伝えられている。政府は10月に、外資による出資規制の大幅緩和や、不良債権処理のため,公的機関の設立等を盛り込んだ「金融安定化策」を発表したが、不良債権額は1兆3千億バーツともいわれており、その処理には相当の時間を要するものと見られている。
これらの状況を勘案すると、タイは緊縮的な経済政策の結果、97、98年と2年連続のマイナス成長を記録するものと見られる。さらに、もう1つのリスク要因は、政治的なリーダーシップの不在である。前首相のチャワリット氏は通貨危機発生後、何ら経済低迷を克服する道筋を示すことなく辞任に追い込まれた。チュアン新政権については、経済再建の手腕は未知数ながら、金融再編などの具体的措置が好感されている面がある。しかし、連立政権という基盤の弱さから、強力なリーダーシップを期待することは難しいのではないかと見られる。そして、98年初の総選挙を控え、仮に政治情勢が、混迷すれば、タイの経済再建の道筋も不透明になる可能性がある。
インドネシアも、通貨不安による景気への影響が極めて深刻である。インドネシアもタイと同様通貨が大幅に下落し、IMFを中心とする緊急支援を得ることが決まった。インドネシアは「経済健全化策」を発表したが、IMFは、更に厳しい改革を迫った。これらの政策を実行に移せば、98年のインドネシア経済はかなりのデフレ圧力がかかる。
このような状況の中で、なにより重要なのは、不安定な政権を一日も早く安定させることだろう。同時に、的確な経済政策を打ち出していくことだろう。確かに、金融システムの安定化策など、手を打ってはいるものの、しかし失業者対策や物価対策など、低所得層の救済策は後手に回っている感は否めない。回復までの時間が多少は長引いたとしても、それまで堪え忍ぶだけの価値を、確かにこの国は持っているようだ。単に賃金が安いだけでなく、労働力は良質、定着率も高い。愛社精神もある。なによりも資源は豊富だし、2億人の巨大マーケットが控えている。将来は確かなものがある。
3−3 アジア地域での対応
ラオス・ミャンマーがASEANに加盟した。この2カ国を加えてASEANは「ひとつの東南アジア」(ASEAN自由貿易地域=AFTAの形成や加盟国の拡大)へ大きく前進することになるが、これについてアジット・シン事務局長は「人口4億8千万人の市場ができる」と加盟の意義を強調し、域内の持続的経済成長を図っている。このことにより、各国の輸出量が一定になり、通貨危機から立ち直る上で重要視される内需拡大が確保される。今後、ASEANがアジアの一大経済圏を形成するには、組織力の強化、後発国への支援体制の強化など、経済的協力体制の強化を図るととともに、健全な経済活動を裏付けるための政治的な安定へ向けた協力への取り組みも必要となってくる。
両地域にも当てはまることは、今後、ドル・ペッグ制を継続するか、廃止するか、そして、廃止した場合、新しい通貨体制をどういう形態にするかである。この問題は慎重に検討をしなればならない。また、ドル・ペッグ制を離れた各国がどのような通貨体制を指向するかの模索が続こう。またアジア各国・地域の金融システムの改革は安定を取戻す上での重要なポイントである。不健全な金融システムは、対外的には世界の投資家の不信を買い、国内的にはクレジット・クランチを 招来し、各国が必要とする資本の調達を著しく困難にしている。したがって、金融システム改革を中心とした構造改革を進めることで、国際的信認と安定的資本流入を 回復させ、成長経路へ再び戻っていく道筋を探る必要がある。また、当局間の緊密な協力も不可欠である。
従来、アジア太平洋地域では、貿易投資が活発化しているのにそれを支える通貨・金融面での協力は手薄だった。例年のAPEC蔵相会議で情報交換や技術協力の話し合いの域を出なかった。ただ各国が実質的に米ドルにペッグして通貨価値を安定させ、他方慎重なマクロ経済政策を運営してやってこられたのである。その脆弱性が今回の通貨危機で一遍に露呈した。通貨危機対策は、バンクーバー首脳会議の最優先課題にされたが、アジア経済のファンダメンタルズの確かさと,IMFを補完する協力支援制度への支援が表明されたものの、国難に遭遇したメンバー諸国にとって心強い対応とは受け止められなかった。その後の大蔵大臣会合でも問題の深刻さと協調支援の必要性が叫ばれるが,IMFに委ねて市場監視の強化以外に具体的な支援策がない。また、APECが協議の場から交渉の場に自主的自由化から自由化の義務化に変質する模様を見ると今後のAPECの連帯に危惧を感ずる。今、東アジアは市場経済化・自由化の過程で経済運営を誤り経済破綻を招き、これをいかに修復し再生を図るか試練の最中にある。次回会議で苦境に喘ぐ東アジアへの認識をどう表現し、何を話し合うかはAPECの将来を占う上で看過できまい。
終章 これからの日本とアジア
4−1 アジア通貨危機における日本への影響
近年の日本経済は90年代に入り、93年を底として、97年初めまで穏やかな回復過程をたどってきた。しかし97年夏以降、景気に影響を及ぼしかねない問題がとして、アジア通貨危機が挙げられる。具体的には輸出入の減少、不良債権の増加、現地日系企業の収益悪化の3点が考えられる。特に日本の輸出の減少だが、日本のアジア向け輸出入比率は、全体の約4割を占めている。そうした中で、アジア諸国の経済成長率が大幅に鈍化した場合、日本の輸出は減少すると思われる。またアジア諸国の生産の停滞により資本材や中間財、消費財が日本の消費の低迷により輸入の減少を招くと思われる。
日本の対応として内需を拡大するべきだと言われているが、政府が経済成長率を引き上げるべく努力しても、それがアジア経済に及ぼす効果は限定的なものになると考えられる。日本の対アジア輸入数量の所得弾力性等を考え合わせると、仮に日本の実質成長率が1%高まったとしても、アジア全体でみた実質GDP成長率は0.1%程度押し上げられるに過ぎない。今回のアジア危機は金融危機としての性格を色濃く持ちあわせている。だとすれば、日本がアジアに対して果たして行くべき役割は、従来の政策による内需おしあげというより、むしろ現地金融システム混乱の早期解消をするような取り組みであると考えらる。
4−2 日本とアジアの展望
1980年代に「東アジアの奇跡」と呼ばれるほどに急速に発展していった東アジアは、1997年7月のタイバーツを皮切りにアジア通貨危機が連鎖的に発生した。今や、タイでは1998年の経済成長率が消費、投資のいっそうの冷え込みが響き、マイナス5〜6%の水準まで落ち込み、インドネシアにおいては、1998年の経済成長率がマイナス8.5%、消費者物価上昇率が60%程度、失業者も1300万人以上に達すると予想されている。
しかし、現状は厳しいがアジア経済の再興は十分可能であろう。なぜなら、通貨危機によって大きな打撃を受けたにもかかわらず、東アジアの奇跡を支えた高貯蓄、勤勉かつ質の高い労働力、教育への投資、社会的上昇志向は失われていない。
これからのアジアは、通貨危機の教訓を生かし、裾野産業などの産業構造、中進国化の過程のままである長期金融市場、債券市場、金融調節機能などの金融システムの調整、また着実な経済運営、資源配分の政策決定プロセスの明確化が必要である。
日本は現地金融システム混乱の早期解消をするような取り組みをし、そしてIMFは、各状況に応じた最低限度での限定的な金融支援を必要とする。
以上のようにアジアは、先進国、各機関の協力を得て、多少の調整期間が必要となるが、世界の平均成長率よりも高い成長を維持していくようになるであろう。
40×344=13760字
[参考文献]
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柏谷光司「アジア通貨危機とインフラ投資」『正論 』(サンケイ新聞社) 306 1998.2 p286〜294。
小宮隆太郎・山田豊『東アジアの経済発展』東洋経済新報社、1996。
榊原英資・小山光俊・井上和美(他)「座談会 アジア通貨危機をどう見るか」『三田評論』(慶応義塾) 997 1997.12 p4〜16。
真野輝彦「今年のIMF総会を振り返って――アジア通貨危機,日本の3つの貢献」『週刊東洋経済』(東洋経済新報社) 5454 1997.11.1 p92〜95。
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