大森修論


視空間ワーキングメモリの個人差が認知課題と侵入記憶の関係に及ぼす影響

大森淳

背景と目的
 我が国は自然災害の多発する国であり、大規模自然災害によって生じる心的外傷後ストレス障害(Posttraumatic Stress Disorder: PTSD )への対策は重要である。PTSDとは生死に関わるような実際の危険にあったり、死傷の現場を目撃したりするなどの体験により、強い恐怖を感じ、それが心のトラウマとなり、何度も思い出されて当時と同じような恐怖を感じ続ける精神的後遺症である。PTSDには、① 侵入記憶、② 回避、③ 認知や気分の陰性変化、④過度の覚醒などの症状があるが、これらの症状が続くと、日常生活に支障をきたす。そういたことから治療や予防についての研究が行われてきた。 
PTSDの治療については認知行動療法(CBT)を含む心理療法、SSRIと中心とした抗うつ薬を使用した薬物療法が確立されており、無作為化比較試験によって効果が実証されている。一方、PTSDの予防については心理的デブリーフィング ややサイコロジカルフィーストエイドなどがあるが、効果は実証されていない。また、早期のCBTは効果が実証されているが、専門的な治療者が必要とされ、大規模な災害時にPTSDハイリスク者全員に提供するのは困難である。そこで治療者を必要としない予防法が有用だと考えられる。
 治療者を必要としないPTSDの予防の研究として、PTSDの中核症状である侵入記憶をテトリスなどのゲームなどの認知課題によって減少させる研究がある。Holmes, James, Coode-Bate, & Deeprose(2009)では、実験参加者にストレス喚起映像を視聴させ、その後1週間の侵入記憶数を検討するトラウマフィルムパラダイムという手法が用いられており、映像視聴後にテトリス課題を行なった群は行なわなかった群と比較して、侵入記憶数が有意に減少していた。Holmes et al. (2009)では記憶定着には6時間の時間の猶予があり、その間に視空間ワーキングメモリ(以下、視空間WM)を奪う認知課題を行うことで侵入記憶の定着が妨げられ、侵入記憶数が減少したと説明されている。しかし、視空間WMの大きさには個人差がある。視空間WMが大きいものは認知課題の影響を受けにくいと考えられ、視空間WMが小さいものと比較して侵入記憶数が多くなる可能性がある。そこで本研究ではそのため、視空間WMの容量の測定課題を行う。また、トラウマフィルムパラダイムを用いて、トラウマ映像視聴後にテトリス課題を行うことで実験後1週間の侵入記憶数と視空間WMの大きさとの関係を検討する
方法
 本研究では、堀越ストレス喚起映像を見た後にその後一週間の侵入記憶の頻度を検討するトラウマフィルムパラダイムを用いた。日本人を対象にトラウマフィルムパラダイムを行なった堀越・榎本・山上・吉田(2016)が使用した作品のうち、『American History X』『The Pianist』の2作品を使用した。手続きとしては、視空間WM容量(視覚タッピング課題・視覚パターンテスト)を測定する課題を行なった後、ストレス喚起映像を見て、その後テトリスを11分間行う群を実験群、同じ時間静かに座っている群を統制群として実験を行なった。また、その後1週間の侵入記憶数についてアンケートメールを用いて測定した。一週間後、ストレス喚起映像の内容についての再認課題を行なった。
結果
実験群と統制群の実験後1週間の侵入記憶数について独立したサンプルのt検定を行なったが有意は差が見られなかった (t(12)=.-.37, p=.71,r=0.11)。また、視空間WM容量の測定課題のうち、視覚パターンテストにおいてSpearmanの順位相関分析において正の相関(r=.66)が見られたが、有意な相関ではなかった(p = .10)。
考察・結論
 テトリス課題の侵入記憶の阻害効果が見られなかった。これを堀越他(2016)と本研究の方法の違いから考察した。本研究は堀越他(2016)と比較して、ストレス喚起映像の作品数が少ない。堀越他(2016)では日本語字幕のものを使用していたが本研究では日本語吹き替えのものを使用した。そういった違いから、ストレス喚起効果が減少したため、実験群・統制群の両群において全体的に侵入記憶数が減少した可能性がある。
 また、侵入記憶数と視覚パターンテストにおいて正の相関がみられたが、有意ではなかった。これは本研究の実験群のみの分析のため標本サイズは小さく(n=7)、検定力が下がってしまい、有意にはならなかった可能性がある。今後、より大きいサンプルサイズで視覚パターンテストとテトリスによる侵入記憶の阻害効果を検討することを必要があるだろう