小澤修論


遂行機能と抑うつ傾向の関連について

小澤千尋

  厚生労働省が実施している患者調査によれば,日本のうつ病患者数は年々増加傾向にある(厚生労働省, 2017)。うつ病は職場においても大きな問題となっており,厚生労働省 (2018)が行っている「労働安全衛生調査」よれば,メンタル不調により連続1ヶ月以上休職又は退職した労働者がいる事業所の割合は事業所規模1000人以上の事業所では91.9%であることや精神障害等の労災補償の支給認定件数が500件台を超え,社会的損失も膨大になっている(厚生労働省, 2019a)。
職場でのメンタルヘルスに対応するため,厚生労働省はラインケアなどを通じた事業所内の他者による支援を明記している(厚生労働者, 2019b)。抑うつ状態にある労働者自身には自己の状況を抽象的に判断することが困難である傾向が指摘されているため(谷原・福崎, 2014),職場において管理監督者や衛生管理者が労働者の状況を把握し援助を行うことが有益であると考えられる。このことから,特に「いつもと違う」部下の様子に早く気付くための行動が具体的に提示されているが,うつ病だけでなく,健康な人の抑うつ傾向や気分の変調によってどのような行動を取りやすくなるかについて知識を持つことも必要である。
遂行機能 (executive function)とは,予期,目標選択,プランニング,モニタリング,フィードバックの使用を含む,意図的な問題解決に関係する一連の能力である (Stuss & Benson, 1986)。遂行機能の評価方法として,Frontal Assessment Battery (FAB),ウィスコンシン・カード分類検査(鹿島・加藤, 1995)など様々な方法があるが,机上の評価や構造化された場面では観察することのできない生活上の問題を評価する事ができるものとしてBRIEF-Aがある。本研究では,健康な人の生活上の問題を評価するため,BRIEF-A日本語版(以下,BRIEF-A)を使って遂行機能を評価する必要がある。
 遂行機能とうつ病に関する研究において,遂行機能障害はうつ病患者で報告され,注意の切り替えによる困難が含まれていることが示されている(Murphy, Sahakian, Rubinsztein, Michael, Rogers, Robbins, & Paykel, 1999)。さらに,質問紙による研究においても遂行機能とうつ病に関連が見られ,BRIEF-Aとうつ病の臨床評価であるCAD(Bracken & Howell, 2004)の関連を調べた研究ではBRIEF-Aの「抑制」,「感情コントロール」のみがCADの下位尺度と中程度に相関していた(Roth, Isquith, Gioia, 2005)。以上より,遂行機能とうつ病には関連があり,遂行機能の中でも特に「抑制」,「切り替え」,「感情コントロール」が,うつ病に関係していると考えられる。しかし,健康な人の抑うつ傾向については検討がされていないため, POMS2日本語版(以下,POMS2)を使用し,健康な人の抑うつ傾向や他の気分と遂行機能との関係も検討する必要がある。
 本研究では,「抑うつ-落込み」とBRIEF-Aの下位尺度全てにおいて相関が見られたことから,抑うつ傾向と遂行機能の関連が示された。さらに,抑うつ傾向に影響を与える要因を検討するため,「抑うつ-落込み」を基準変数,BRIEF-Aの下位尺度を説明変数とする重回帰分析を行った。その結果,BRIEF-Aの下位尺度である「切り替え」「抑制」「発動性」がPOMS2の下位尺度である「抑うつ-落込み」を説明している可能性が認められた。このことから,抑うつや落込みのある人は「切り替え」「抑制」「発動性」という遂行機能の低下が発現しているものと考えられる。うつ病患者は自己の状況を判断することが難しいため,職場において管理監督者や衛生管理者が労働者の状況を把握する必要があることを考慮すると,本研究の結果である遂行機能の状態に注目することが指針になると考えられる。管理監督者や衛生管理者がこの指針に沿って注意しながら部下の状態を観察することによって,部下のメンタルヘルス不調の早期発見に役立てられると考えられる。
 さらに,本研究ではネガティブな感情が強い人は遂行機能に問題があるという関係があることが示された。感情・気分の障害と遂行機能障害はどちらも前頭葉という基盤が同じであることが示されている。そのため,本研究において気分と遂行機能の関連が見られたことは,健康な大学生においても関連が見られ,怒りや敵意が高まっているときには適切な判断ができなくなったり,混乱や当惑があるときには将来の展望が持てなくなってしまう可能性がある。したがって,抑うつだけでなく,このような気分の変化も整えていくことで,遂行機能が高まることも考えられる。