黄斑円孔手術体験記


たばこをやめるべきか


2010年7月3日

手術から2日経ちました。たばこが吸いたくなりました。手術前日の夜にたばこを吸って以来、こんなに長く吸っていなかったのは、イギリスから帰ってくるときに飛行機に14時間乗って以来です。それほどヘビースモーカーではありませんが、海外に行こうと思いつくとき、たばこをどうするかが最初の難関だというくらいのスモーカーです。

実は、手術前日はたばこを吸ってはいけないことになっていたのでしたが、それは手術中に痰が出たりしたら困る、という立派な理由がありました。わたしは吸ったあとに注意書きを読んだのです(ウソではありません)。とはいえ、たばこの害については、あまり信用していません。わたしの父はヘビースモーカーでしたが、平均寿命程度は生きて、肺ガンなどの大した病気にもなりませんでした。

たばこの害は疫学調査によるものです。疫学調査というのは必然性を示すものではありません。どんな指標を取り上げるかで、結果がかなり違ってきます。たとえば、コーヒーを一日に何杯も飲むひとは大腸ガンになりにくいといわれましたが、一日に何杯もコーヒーを飲むひとはお金持ちで健康状態がいいひとだという反論もありました。たばこが喉や気管を痛めることについては必然性があると思いますが、ほかの病気にどう影響するか、はっきりとした理由はないのです。

では、どうしてたばこが問題にされるのか、第一にはとても調べやすいということがあるでしょう。一日何本、何年吸っているかという計算がしやすいです。第二には、他人が吸うたばこの煙が嫌いというひとがいるからです。これは学術的ではなく、道徳的な理由です。唇にリングを通したひとを見かけて、気持わるいひとたちが、その自由は尊重はするが、金属成分から胃がんになるのではないかといいだしたくなるようなものです。

J・S・ミルが『自由論』で述べていますが、たばこは趣味の問題であって、全面的に禁止すべきものではないのです。ミルの主張は、当時、アメリカで炭酸飲料が体に悪いといって禁止されたのに対して、反論した文脈でしたが、最近またアメリカで、炭酸飲料に高い税金をかけて、飲むのをやめさせようとしていると聞きました。今度はメタボ対策ということらしいです。

それはさておき、疫学調査が調査しやすい指標をばかり取り上げるということも問題です。たとえば一年に何回くらい何分間モーツァルト(JPOPでもいいですが)を聞くか、などは調べようがありません。もしそれがうつ病と有意な関係にあると出れば、神奈川県知事は、神奈川県のすべての公共施設や海岸でモーツァルトの音楽を聞くことを禁止するのでしょうか。ただし、イヤホンでMP3携帯プレーヤーを使っているひと、どんな音楽であれ、10年後に難聴になっている可能性があると思います。

ともあれ、たばこで成功したことを、行政はいまやメタボで着々と進めています。つぎは何が対象になるのでしょうか。こうした事情を、ミッシェル・フーコーは「生命政治」と呼びました。警察などの力によらず、知を使ってひとびとのふるまいを強制する現代権力の政治技法です。

話は戻りますが、わたしはこの日は3本しかたばこを吸っておらず、ひょっとしたらこれを機会にめられるかもしれないと思いついたのです。というのも、病院の喫煙場所は、西棟1階の出口付近にあり、わたしは東棟5階にいたので、喫煙場所に行くのが大変だった、そんな元気がなかったからでした。

わたしは、大変な覚悟のうえで、心療内科の医師に、「どうせ2週間もいるのだから、禁煙処方も受けたい」と申し出ました。ところが医師は、「それなら内科にかかってください」といいうのです。喫煙というのは、依存症なのだから、当然心療内科の守備範囲だと思ったのですが。それで、わたしはたばこをやめることをやめることにしました。


2010年7月26日午後8時ころ

大学院生たちが集まって、退院祝いをしてくれました。わたしのたばこの吸い方が少なくなっていたので、ひとりのひとがたばこがないのではないかと心配して、自分のたばこを勧めてくれました。

わたしは、たばこの本数が減った理由について話し、「やめようとおもったけどやめるのはやめた」という説明をしました。すると、ほかのひとが、「10月から値段が上がり、1.5倍くらいになるらしいけど、どうしますか?」と聞きました。

わたしは、「ヨーロッパでは、どこも1000円近くしていた、ギリシアだけが日本とおなじような値段だったけど、いまギリシアはどうなっている?」といってから、「もし値段が1.5倍になるなら、吸う本数を3分の2にしてはどうか」といいました。

「なるほど」といわれましたが、どうやって減らすのかという話になったので、最近のわたしのたばこの吸い方を思いだしました。わたしも、どうも心身症的な喘息気味で、できたら本数を減らしたいと思っていたからです。

わたしの提案はこうです。わたしがたばこを吸うのは、朝一番、仕事にとりかかるとき、出かけるとき、食事のあと、寝る前といったタイミングです。「それはやめよう」といいました。何かするときに吸うのをやめて、何かしたあとに、ご褒美として吸うことにしよう。たばこは、そういうときがおいしいのです。そしてまた、何かしながら吸うのはやめよう。たばこは、おいしいから吸うのです。気づかないうちに吸ってしまうのでは無意味です。

朝は顔を洗ってコーヒーを飲んでから、仕事についてはそれが済んでから、出かけるときはやめて、帰ったときに、という具合にです。そうすると、どっちみちそういうタイミングでも吸っていたのだから、全体として本数は減るんじゃないかな、と思います。しかも、この方法のいい点は、たばこを吸いたくなったら、やっておくべきことをやってしまおうと感がえるので、自分の動きが高能率になるところです。

試していますが、日によっては3分の2になりますが、仕事をいっぱいすると減りません。でも仕事をいっぱいした日は、もともと1.5倍くらい吸っていたのかもしれませんね。

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