黄斑円孔手術体験記


ここから始まるページでは、眼底に襞(窪み)ができる「黄斑円孔」という、あまり聞いたことのない眼の病気で手術したわたしの体験と、そのあいだ、そのあとになって考えたことについてお話しします。この病気と診断された方や、病院には行っていないけれども、徴候が似ているという方に参考になればと思います。

わたしは、結果的に、この手術を受けてよかったと思っています。多くのひとに迷惑や心配をかけることになりましたが、報告として病気の話をするのは、ひとによって反応がまちまちでとても難しく、詳しく知りたい方には、これを見てもらえばよいと考えました。

また、そのような病気になった人物が、どんな風に生活が変わり、どんなことを考えたのかに関心が起こったひとにも、読んでいただけたらと思います。

この病気は、「何をしたからなった」とか「何をしなかったからなる」といったような病気ではなく、体質的なものや不運によるものです(しかも、10数年ほど前から手術が可能になった幸運な病気です)。大多数の方には、一生関係なさそうな病気ですので、読んだからといって心配が増えるようなものではありません。でも一応、お断りしておきます。

眼の病気の話に不安を感じる方へ:これ以降のページには、症状や手術内容などが書いてあるページがあります(左の目次の上段の項目)。

なお、なかに書いている病気の説明については、医学的には正確ではないことが含まれている可能性がありますので、純粋に医学的関心のある方は、話し半分で読んでください。

2010年8月15日
                                    船木 亨

わたし自身、時間が経つにつれ、この貴重な経験を忘れていきそうな気がします。しかし、わたしの人生において、これほど怖く、不安だったこともなかったし、これほど短期間に自分が変わった経験もなかったと思います。

いまわたしの右眼は以前の半分くらいの視力で、医師は矯正視力0.5と判定しました。でも、わたしはこの病気に患って、手術を受けて、とてもいいことが起こったと思っています。「病気になってよかった」など、いまだからいえることですが、そんな気持になることもあるのです。

わたしは、以前とは少し違う人間になり、少し違う思考をするようになりました。その思索についても書き留めておきたいと思います。そもそも、以前なら、こんなホームページを作ろうなど、思いつきもしなかったことでしょう。

「ある散歩者の思索」という表題は、右眼に後遺症があって、ものを見るときに左眼ばかりを使ってしまって頭や首や肩が疲れるので、自然な両眼視をする訓練としていいかもしれないと思い、近所の森を散歩するようになりましたが、そうするなかで、おりおり思い出したり、ときに考えたりするようになったので、それを書き留めることにした、という意味です。

 トップページ: ある散歩者の思索(黄斑円孔手術体験記)   船木 亨
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