![]() |
||
|
発症して病院に行く 2010年6月4日(金曜日)14時40分 わたしは金曜日の14時45分から15時15分まで青山で「現代思想」という科目を講義しています。その日、講師控え室から教室に向かおうとしたとき、廊下の先の窓に月のような丸くて白いものが見えたので、びっくりしました。教室について、教壇に立ち、さらに驚くことになりました。学生さんたちがそれぞれの席に座っていますが、髪型や服装や姿勢は分かるのに、どのひとも顔が見えない、だれがだれか分からない。怪談にのっぺらぼうの話がありますが、まさにそれでした(学生さんたち、ごめんなさい)。どのひとを見ようとしても、顔の部分だけ白く抜けているのです。左眼は普通に見えますので、講義内容を書いたメモを見ながら、とりあえず1時間半の講義をしました。 その日のそのあとは、信じられない気持で、ぼうっとして過ごしました。何度確認しても、状態は同じでした。たとえば速度制限などの道路標識を見ると普通に40などの数字が見えますが、左眼を瞑ると、ただの真っ白い板なのです。これは何かの変調であって、一晩眠ると元に戻っているのではないかと期待して眠りにつきました。 翌朝眼が覚めて、寝室の白い壁を見たとき、同心円状の黒い影が見えました。壁にかけている丸い時計と同じくらいの大きさで、周囲が太陽光線のように放射状に光った不気味な文様、何かのシンボルのような光の彩でした。文字を読もうとすると、その光の彩の逆に濃い部分と薄い部分があって、中央は白く抜けていました。水滴がついているという風で、まさに読もうとする字が読めません。土曜日は、一日中ソファに座って何もせずに過ごしました。 翌日も状態は変わらず、もう病院に行くしかないと思いましたが、日曜日でしたので、もう一日待たなければなりませんでした。失明するのではないかとの不安から、2日間あわせても、数時間しか眠れませんでした。 2010年6月6日 月曜日の早朝から、眼科では定評のある東邦大学病院に行って、診察を受けました。瞳孔を開く目薬をさされたあと、特殊な機械の前に顔を乗せるようにいわれましたが、それは瞳を通して眼球の断層写真を撮るという、どうやっているのかすごい機械で、あっというまに病名が分かりました。それが「黄斑円孔」でした。はじめて聞く名前の病気です。しかし、ディスプレイに映された画像を見て、何が起こっているかはよく分かりました。左右から伸びた一本の糸が眼底の一部にくっついていて、それが眼底を引っ張りあげるようにして眼底中心部に深いくぼみ、ないし襞といった方がいいかもしれませんが、「円孔」を作っているのです。これでは、瞳から入った光は、眼底中心部にはまともに像を作れません。 医師は、「手術すれば治ります」と、明るくいいました。「ただし、2週間入院してうつぶせをし続けなければなりません」ということでした。「大急ぎでやらなければならないほどでもないし、スケジュールのいいときに手術すればいいですよ、数パーセントのひとは自然治癒することもあるし・・・」ともいわれました。少し安心して、家に帰りました。あとで、自然治癒ということはないということを知ることになるのですが・・・。 それにしても、手術には3つの怖さがありました。ひとつは、手術それ自体怖いです。『アンダルシアの犬』(ダリどブニュエル)のような映画を見るべきではありませんね。この手術は部分麻酔で行われますので、意識のあるまま受けるのです(多分勝手に体を動かさないためです)。二つめは、その後の2週間のうつぶせ状態、拷問のようです。あとは、同時に白内障手術、レンズを人工のものに代えなければならないということ。というのもガスを一度いれると、半年くらいで、ひどい白内障になってしまうそうなのです。人工レンズは調節力がないので、いきなりすごい老眼になるようなものです。ちょっとためらいます。 |
|
トップページ: ある散歩者の思索(黄斑円孔手術体験記) 船木 亨 (c) FUNAKI Toru 2010- |