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幻視について 2010年7月13日 3年のあいだつきまとっていて3ヶ月前から急速に4倍の大きさになった水滴、2年前から暗いところの無地の壁に、まばたきするたびに、急に眼を動かすたびに現れた黒い不気味な影、6月4日には、それはどこにでも現れる奇妙な形をした紋章のようになりました。それがストーカーのようにして、わたしを不安がらせ、苦しめてきました。 わたしの病気は、いつ頃から病気として認知されるようになったのでしょうか。眼底で窪みができてしまう、それにも関わらず、眼は何とか正常に見ようとして、かえって視野にさまざまな不思議な現象を本人に見させてしまうというこの病気は。 少なくとも、前近代、あるいは百年前までは知られていなかったことでしょう。そしてこの病気を患った過去の無数のひとびとは、さぞかし驚き、恐怖したことでしょう。発症についてのページに書いたように、「のっぺらぼう」の恐ろしさは、この病気にかかったひとの話から生まれた怪談ではないかと、ほぼ確信しています。 片目だけがそうなって、両眼視ではそれを上手に隠してくれて、ときどき状況次第で、影や異常なものを見させます。カルト集団にかぎらず、宗教や国家のシンボルマークのようなものには、わたしの見た影の形に似たものが多いように思います。地図で北をさす矢印がありますが、あれもちょっと似ています。また、太陽をかたどったように見えるものは、みなそうです。 他方、線を歪めていた水玉のようなものは、対象が溶け出すように見えましたので、これには魔術的な印象を受けます。いままで形あったものが奇妙に溶けていく、といった雰囲気ですが、これはいかにも魔術師たちの話を作り出しかねません。 多くの怪物やおばけのイメージは、しばしば大抵は死産する畸形児から発想されたといわれ、畸形児は、女性が悪い夢を見たり、まずい食べ物を食べたせいにされますが、同時に、そうした夢を見させる魔術があるとも考えられていたわけです。 このように考えてくると、自然科学のなかった中世の魔術や妖怪たちのしわざには、科学で説明できるようになったさまざまな病的経験が積み重ねられてきているともいえそうです。怪しい話を聞いたとき、それはだれかが、まだ知られていない病気によって経験している話かもしれないと、考えることもできそうです。 しかしまた、そうやって科学がすべて解明してくれるというのも、現代では期待しがたくなってきました。科学はわたしの眼を治してくれましたが、治せないたくさんの病気があるでしょうし、科学的に考えれば考えるほど分からなくなっていくものもあると思います。 医師たちは、眼球をカメラのような機械とみなし、その機械を調整するようにして、わたしの手術をしてくれました。眼はただの機械、見ているのは脳と考えているのかもしれませんが、脳も機械ということになると、脳を調整してくれるといろんな思考をすることができるようになるかもしれません。 「精神安定剤の威力はすごかった」と書きましたが、薬は、わたしの不安や恐怖を消してくれたのではありません。その原因としての諸症状を、あたかも他人事のように感じさせてくれたから効いたのです。それを飲み続ければ、多分、わたしの思考も人生も、何であれ、他人事のように感じられるようになることでしょう。 |
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トップページ: ある散歩者の思索(黄斑円孔手術体験記) 船木 亨 (c) FUNAKI Toru 2010- |