黄斑円孔手術体験記


いかにして睡眠剤から離脱するか


2010年9月〜11月

ロヒプノールという「睡眠導入剤」1mgを2錠(2mg)処方されています。この薬はアメリカでは禁止薬物だそうです。濫用があったからだそうですが、ということは勝手に増やしては危険ということです。わたしは、どちらかというと、いつも少なめにしようとしています。1錠にして6時間以上眠れることもありますが、夜中に目覚めてしまって追加で0.5錠(切れ目に沿って割る)飲むことが多いです。医師は、同時にデパスやコンスタンという精神安定剤を飲むことを勧めています。確かにそうすると、夜中に起きることなく、連続して眠れます。

睡眠障害は不安のせいだから、眼の障害に慣れ、病院での生活習慣や手術のトラウマを忘れていくにつれ、睡眠剤の必要量が減っていく、あるいは突然必要なくなってしまうと思い込んでいました。医師が「薬をやめると2〜3日のリバウンド(眠れない)がある」といっていたので、ということは、何日か飲まずにがんばれば、もはや睡眠剤は必要なくなるのだろうと思い、自分で不安の程度をはかり、減らすきっかけを探していました。飲む量を半分にして、眠れなかったり、夜中に起きてしまったりして、翌日は元に戻す、というようなことをしていたのです。わたしは理性的な人間だから、いつも薬を減らそうとしている、薬に溺れていないなどと考えていたのですが、それにしては、薬が不要になるような体の状態にならないのは、なぜか・・・。


2010年11月16日

今日は診察の日でしたので、思い切って「睡眠剤のやめ方を教えてください!」といいました。すると医師は、「そんなにお酒が飲みたいんですか?」とか、「10年以上飲んでいるひともいる」「定年になってからやめようといっているひともいる」というようなことをいい、やめることをやめさせようとします。「ちょっと待て」と思いました。この医師は、わたしに10年以上通院させようとしていたのか!?

医師はいかにやめるのが大変かを説明しました。睡眠剤とは一種の鎮静剤であって、3日間体内にとどまってじわじわ排出される。ということは、今日1mg飲んだとして、それがわたしを眠らせるのではなく、昨日の3分の2、一昨日の3分の1とあわせて、飲んだ量の2倍量が体内で働いていて、毎晩わたしはその量を補給していたにすぎない。つまり、「睡眠導入」剤とはウソで、一定量の鎮静剤で一日中わたしは鎮静させられており、その副作用のようにして睡眠しているのです。入院したときにちょっと眠れないからといって、医師はこんな薬、やめるのに大変な努力が必要となる薬を処方したんですね。

結局、医師はあきらめたようにして、やめ方を教えてくれました。まず量を半分にする、2〜3日眠れないが、そのままがんばっていると一週間後には以前の状態に戻る(戻らなかったらもう1週間)、そうしたらまた量を半分にする。それをくり返して、最後は見えないほどの小さな粒にまで進めて、その後、ようやく薬なしで寝るようにする、ということでした。「2〜3日のリバウンド」ということの意味がこれでしたか!・・・2分の1、4分の1、8分の1、ゼロとすれば、4週間、約1か月です。次回の診察は12月27日ということでしたが、「薬をやめましたからキャンセルします」という電話をするぞ、と内心で決意して帰ることにしました。医師は、「大丈夫ですよ、ちょっと眠れなくても、必ず眠れます、ひとは死ぬときにはみな眠るんですから」といって送りだしてくれました。眠れない不安のひとに対して、これって激励?


2010年11月17日〜12月27日

16日(月)の夜から睡眠剤を0.75(4分の3錠)にしましたが、7時間、6時間と普通に眠れました。ときどきそういう量にしたこともありましたので、その延長なのでしょう。しかし、18日(水)は4時間しか眠れず、これが2〜3日のリバウンドなのでしょうが、それだけでなく、夕方になると妙な緊張感が強くなり、イライラしていました。そして翌日からは断片的ながら5〜6時間は眠れるものの、午前中は体が動けずソファでじっとしているだけ、ときどき動悸がし、夜はやたら眠いのに眠れないという状態になりました。ほぼ寝たきりの病人です。眠れるかどうかよりも、この体調の厳しさこそ、睡眠剤がやめられない理由でしょう。

薬を減らしてちょうと1週間後の22日(月)から、さらに減らすべきなのですが、到底そんな状態ではありませんので、いわれたとおりさらに1週間、0.75mgの延長でした。その後、体調に何とか慣れてきたので、28日(日)に意を決して0.5mgにしました。ちょうど水に潜るときに大きく深呼吸するような気分で、恐怖に怯えながら半錠を飲み込み、「眼が覚めても絶対追加しない」と自分にいって聞かせ、寝ぼけてそうしないように薬をベッドから遠くに置きます。

0.5mgはいわば第2ステージです。体内では3日分あわせて2mgだったのが、これで半分の1mgになるわけです。これまでも0.5mgを試して、追加したりしていましたが、要するに3日で2mgは維持されていたのでしょう。一日ごとに薬の量を見ても仕方ない、3日以上継続して、はじめて減らしたといえるのです。

それにしても、体調の変化は、第1ステージよりもさらに過激でした。睡眠時間は、何回も目覚めて合わせて6時間、5時間半、5時間と似たようなものですが、朝からすごくイライラしており、耳鳴りがします。手のひら足のうらに、拭いても拭いてもびっしりと汗をかき、靴下が濡れてしまうほどです。体中の筋肉がわなわなしていて、手足の力が抜け、首や腕が痛いような、きついような感じがして動くことができません。これが12月3日(金)まで、約1週間続きました。

どうしてこのような症状が?・・・睡眠剤は鎮静剤なのだから、鎮静の度合いが減って、その裏返しに、体が勝手に興奮しているのではないでしょうか。子どものころ、交通事故にあったときにこんな感じでした。おそらく戦場の兵士は、戦闘のあいまに、こんな状態になるのではないかと想像しました。自動車が迫っているわけでも、弾丸が飛んでくるわけでもないのに、わたしの体は臨戦態勢です。

またしても2週間たち、かなり落ちついてきたので、12月12日(日)に第3ステージ、0.25mgに入りました。やはり、脱力感、わなわなした状態、舌が荒れるなどの症状が出ますが、その変化に慣れたのか、第2ステージほどひどくはありません。その代わりといっては何ですが、腕と脚と背中がちくちくするように痛みます。

相変わらず断片的な5〜6時間睡眠を続けながら、12月19日(日)、今度は1週間で睡眠剤ゼロ、第4ステージに移行しました。診察日も近いので、がんばってみました。海の底まで潜るつもりのような勇気が必要でしたが、やってみたら意外にうまくいって、体はもはや大した抵抗はしませんでした。22日(水)には、ゼミの忘年会で数ヶ月ぶりにビールを飲みました。やっとお酒が飲めるようになったのです。12月26日(日)には、病院に電話して、「薬をやめましたので診察はキャンセルします」と告げました。


2010年12月28日

睡眠剤をやめる決意をして、体調が変になった11月20日ころから、はじめて連続的に6時間眠ることができました。これで、完全に睡眠剤と切れたといっていいでしょう。睡眠剤を飲んで寝るのと、ビールを飲んで寝るのとどちらがいいか、絶対に後者ですが、わたしは別にお酒を飲みたくて薬をやめたわけではありません。飲む量も大した量ではありません。わたしが薬をやめたのは、いつも寝る時間を気にし、何時間寝たか気にし、どのくらい薬を飲むべきか気にする生活はどうかしていると思ったからです。たとえそれで早寝早起きといういわゆる健康的な生活が送れるにしても、それは形だけ、本当に健康なのは眠たくなったら寝て、やりたいことがあれば夜更かしし、起きるまでは寝ていて、何時間眠ったかなど気にもしないという生活だと思います。とはいえ、現代の社会生活でそれができるひとは限られており、薬を飲んでも飲まなくても変わらない生活を強いられているひとも多いことを忘れるわけにはいきませんが・・・。

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