黄斑円孔手術体験記


近視について


1982年

わたしの近視は強いですが、30歳まえころに進行が止まりました。人生のおおまかな方向は、30歳までに何をしていたかで決まると思います。体の方も、それにあわせて成長していき、30歳ころに決まってしまうのではないでしょうか。

健康診断のときなど、眼科医やメガネ屋さんが、視力が1.2以上でなければならないかのようにひとを脅かすのはやめてほしいものです。視力1.2以上が「健康」なのではありません。生活に必要な程度はひとによって違い、近くをよく見つめるような仕事をしているひとにとっては、0.8以下でも、電車に乗ったり、スーパーで買い物をしたり、テレビを見たりするのに何の不都合もないのです。

視力がいいことは、パイロットのような仕事では重要なことですが、ひとによって「健康」の範囲に入る視力はそれぞれなのではないでしょうか。


2010年8月1日

最近、どうも左側の眼の近視が少しよくなってきたような気がして、うれしいです。理由は何か、ひとつに毎朝1時間半も森を散歩しているからではないかと思います。森は漠然としていますから、見つめるようなことはなく、いろんな方向、いろんなものをぼんやりと見ています。

あるいは、5時間に1度、手術した方の眼に目薬を30分くらいかけてささなければなりませんが、そのとき左側の眼も瞑っているので、自動的に眼を休めていることになります。どんなにパソコンに向かっても、5時間経つと30分休む、これがいいのかもしれません。この調子で視力が改善されていくとすれば、しばらくすると近視がなくなってしまうのでは、・・・それはありそうにないですが。

近視は、レンズの調節力の問題だけではなく、眼底までの距離(眼軸の長さ)が関係します。しかし、若い頃に眼軸が伸びたなら、眼軸が縮むということもありえないことではないかもしれない。身体の大多数の細胞は2年間で入れ替わるといわれています。入れ替わるときに、生活に適応して微妙に形が変化していくとしたらどうでしょうか。

近視になるということは、病気ではなく、本を読むなど、近くを見る仕事をするために体が適応していると考えてはどうでしょうか。それなのに、遠くを見るのに都合のよいメガネをかけると、同じ過程がくり返されてしまい、近視の度が強くなってしまうのではないでしょうか。

仮性近視になったら、裸眼か、度が弱いメガネをして、毎日公園に行って、1時間ほど樹木を見上げていればいいのではないかと思います。ただし、ぼんやりと見るのではなく、高い樹木を見上げたり、足元の草花や昆虫に見入ったりと、「見たい」という気持が大事だと思いますが。

老眼の場合はどうか、これについても、近視のひとは度を弱くすることで対応した方がいいと思います。眼のいいひとは、つぎつぎに老眼鏡を作りなおしたりすると、上記の推論からすると、遠視になってしまうのではないかと思います。わたしの母がそうでした。

以上のわたしの考えについては、医学的生理学的根拠も、それに関する疫学調査もありません。

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