黄斑円孔手術体験記


黄斑円孔の徴候


2007年5月

運転免許更新の年だったので、視力検査をパスするよう、コンタクトレンズを新しいものに換えました。長期使用タイプのソフトレンズですが、古くなると透明度が落ちてくるのです。わたしはかなりの近視ですが、コンタクトレンズを40年近く使いこなして、裸眼視力のいいひとと似たように生活してきました。

余談ですが、使い捨てや2週間のコンタクトレンズが普通になりつつあるのは、プレス機械で安い値段で作れるのに、煮沸消毒で2年も使われると、メーカーがつぶれてしまうから、ではないかと、わたしは少し疑っています。

それはさておき、家で見え方をチェックしているとき、奇妙なことに気づきました。手元にある直線状のものを見ると、小さくくねっと丸く曲がっている場所があるのです。気持は悪いですが、歳のせいかなと思いました。とても小さいのでよほど注意しなければ気づきません。


2008年2月

遠くにある直線状のものにも同じように丸く曲がる部分が見えました。いまから思うと、その部分が少し広がったのでしょう。両目でみるときには、もう一方の目がうまくカバーしてくれるので、そうした奇妙なものは、普段は気づかないものなのです。そして気にしないようにしていれば、まったく差し支えないのです。


2008年11月

室内の電灯のもとで、眼をあけた瞬間や、眼を早く動かした瞬間に、部屋の壁のような無地の部分に、黒い輪になった薄い影が見えるようになりました。これは、上に書いた丸く曲がる部分の反映だろうと思いました。わたしの推理では、丸く曲がる部分が、ちょうどガラス窓に水滴がついているような印象だったので、角膜などに小さな窪みが突起ができていて、水滴がレンズの働きをするようにして、そのように線を曲げて見せるのだろうし、その影響で無地の部分に影ができるのだろうと考えたのでした。

この推理がまったく間違っているのは、その水滴のようなものの大きさが、距離と無関係に、同じ大きさだったことをふまえなかった点にあります。近くだと小さく見え、遠くだと大きく見えるのは、視野のなかの比率が同じだからであり、したがって、瞳に近いところで起こっているのではなく、眼底で起こっている現象だ、と気づくべきでした。

そのころ、円孔は段々深くなって、瞳の方からすると崖のようになりつつあり、像の中心は正しい位置からずれてしまう、その範囲が広がっていったのでしょう。しかし、それに気づくような状況を無意識に避ける生活を送りながら、症状としては、ほとんど変わりませんでした。

2010年4月

水滴のようなものが、急に、当初から比べると3倍くらいになり、はっきりと、その部分の左側にあるものが右側にはみ出しているように見えはじめました。指を見ると、肌色の点が指の先にこぶのように出現します。それはもう一方の眼でごまかせるようなものではなく、直線のあるいたるところに出現するようになりました。

6月に発症と書きましたが、5月末までは水滴は完全に中心にあるわけでもなく、右眼でも文字は読めましたし、周囲ははっきり見えていたのです。病状はゆっくりと同じような速度で進んでいたのでしょうけれども、最悪になったときに劇的に現われました。

 トップページ: ある散歩者の思索(黄斑円孔手術体験記)   船木 亨
                                                  (c) FUNAKI Toru 2010-