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ガスのある風景 2010年7月2日〜7月16日 眼にガスが入っているとき、どのようにものが見えるでしょうか。医師は「屈折率が水と違うので、何も見えません」といっていました。一日中眼帯をしているのですが、目薬をさすときに眼帯をはずします。確かに、最初はただ真っ白に見えました。 しかし、目薬をさすたびに、何日かのうちに何か巨大なものが見えはじめました。それが目薬の容器でした。左で見るものの1.5倍以上あります。ぼんやりしか見えませんので、粗悪な大型凸レンズで見ているような感じでした。水がたまり、その分ガスは水に溶けていくのですが、それのに応じて、目薬の容器はすこしずつ小さくなり、そこに書かれている文字も読めるようになってきました。 しかし、これはあくまでも上を向いて見ているときです。しばらくすると、自分でも水がたまってくるのが分かるようになりました。それは、水平に眼をあけて見たとき、上の方に黒い固まりがあり、それが黒い緞帳のカーテンのように、日に日に下におりてくるのです。網膜像というのは上下左右が逆転しているので、眼球の下に溜まった水は、視界では上の方に見えるわけです。 下を向いて見てみるとどうなるか、ですが、ある日、突然視野の一番外側に黒い環が見えるのに気づきました。その環が、毎日毎日、ほんの少しだけ小さくなってきます。黒い環といい、さきに黒いカーテンといいましたが、それは室内の光に応じて変わります。ガスの部分はやたらと明るくて、小さな照明なのに、眼をつぶっていても昼間のようですが、水の部分は(当然ですが)暗闇でした。その境界はくっきりしていますが、水の部分の方でグラデーションになっていました。 水平に見たときの幕がおりてきて、眼の中心にさしかかるようになりましたが、それでも医師は20%といい、もう半分まできたと思うとき、医師は40%といいました。50%を越えて、はじめて医師は眼底を見ることができ、手術が成功しているかどうか調べることができるので、それは大事な数字でした。 途中で眼圧があがって、目薬や飲み薬を処方されるという一波乱はありましたが、順調にガスは減っていきました。わたしには、視野に傷や影の後遺症が見えているのが分かりました。もしかすると、眼底は、完全には平になっていないかもしれません。 そしてようやく、7月12日の月曜日、網膜の断面像を見せてくれるあの機械の前に座りました。医師は、すぐに手術前の画像と今回の画像を見せてくれて、「孔はなくなっていますね」といいました。わたしは、「何だか受験のときの合格発表みたいですね」と冗談めかしていいましたが、部屋に帰って、ベッドに座ったとたん、涙が出てきました。 その後、ガスが少しずつなくなっていく様子は、下を向いたときの円の大きさで分かりました。13日は80%になったから、ということで、退院でした。ガスが完全になくなったら仰向けになっていいといわれました。 もっと先かと思っていたら、7月16日は、朝からガスの環の様子が変でした、下を見るたびにどんどん小さくなっていくのが分かります。眼のなかは球なのですから、最後に近づくほど早いわけです。 午前9時半、これはいよいよガスが消えるぞ、と思いました。こんな一大イベントを見逃す手はないと思い、時計を片手に、ベッドの上で、腹ばいになってカウントダウンをはじめました。ひとさし指と比較していましたが、ガスはみるみる小さくなっていき、それから20分後、9時50分、ついに点のようになってぐるぐるすごい勢いで動いていたガスが、ふっとどこかに行ってしまいました。消えてしまったのです。 |
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トップページ: ある散歩者の思索(黄斑円孔手術体験記) 船木 亨 (c) FUNAKI Toru 2010- |