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2005年度
>pp.36-38 Samuel R.Curtisの手紙(担当:伊藤友貴)
Chapter
T
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ESCAPE,RESCUE,AND RECAPTURE:
FAMILIES AND THE WARTIME STRAUGGLE FOR FREDOM
Samuel R.Curtisの手紙(pp.36-38)
担当:伊藤友貴
1864年3月13日、Kansas 州Fort Leavenworth、Samuel R.CurtisからGeneralへの手紙(pp.36-38)
【要約】
この手紙は1864年3月13日付けでKansas州北軍司令官Samuel R.CurtisがKansas 州Fort LeavenworthからMissouri州のGeneralに送った手紙であるが、この中でCurtisは逃亡奴隷Sam Marshallが彼に語ったエピソードについて述べている。
そのエピソードとはSam Marshall、Kansas州Leavenworthに住む逃亡奴隷が自分の子供を連れ帰るため、Missouri州Platte CityのMr. Greensプランテーションに向かう途中でMarshallがMissouri州軍Captain David Johnsonの率いる軍隊により捕縛され、暴行され重傷を負ってしまったという内容である。この話からSamuel R.Curtisは北軍の状態と問題点を指摘しそれについての意見も手紙の中で述べている。
北軍の中には正規兵の他に、賃金は支払われてはいないが衣類や食事は与えられている逃亡奴隷などで構成されている非正規軍も含まれる。Sam Marshallを捕らえ暴行を加えた軍隊も非正規軍の一隊だと考えられる。が、それに対してCurtisは軍隊は奴隷州と自由州の間の問題や奴隷を捕たり、暴行することに関わるべきではないとしている。
リンカーン大統領の奴隷解放宣言では、連邦を脱退した奴隷州の奴隷が解放の対象とされたが、連邦に留まった奴隷州であるMissouri州などはその埒外とされた。その結果、北部奴隷州には奴隷商人が多く集まり、また奴隷商人や奴隷所有者と結びついた州軍によって逃亡奴隷の逮捕、暴行などがなされた。Sam Marshallのエピソードはその一例であるといえる。
【考察】
このSamuel R.Curtisの手紙からわかる事は、連邦軍内部でも正規軍と非正規軍などさまざまな形で兵士達が戦い、その構成員もさまざまで逃亡奴隷などもそれに含まれていたこと、そして各々がそれぞれの利害に従って行動していたということである。奴隷商人、奴隷所有者、軍隊、そして法律、奴隷解放宣言までもが奴隷家族の離散にそれぞれ影響を及ぼしていた、と言える。
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