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Chapter
T


_ESCAPE,RESCUE,AND RECAPTURE:
FAMILIES AND THE WARTIME STRAUGGLE FOR FREDOM



Jhon.A.OQ.Dennisの手紙(pp.45-46) 担当:木村亮
              1864年7月26日(マサチューセッツ州 ボストン) John.Q.A.DennisからHon.Stanへの手紙 pp.45〜46


 アメリカ合衆国で、奴隷という身分から解放された黒人の中には、家族や仲間を助け出すために自分ひとりで行動を起こすことが危険である、また、行政当局に助けを求めるのは無駄である、と思っている人もいた。メリーランドからの元奴隷であるJohn.Q.A.Dennisもその中の一人で、彼は自分の家族と再会することの手助けを戦争長官であるHon.Stanに求めた。以下はその助けを求めた手紙の要約である。


【要約】
 まだJohnが奴隷だった1859年、彼の愛する妻が彼と彼の子供から引き離されてしまう。その後、彼も彼の主人によって、子供たちから約64キロ離された所へと連れて行かれてしまった。そのため彼は、自分の小さな子供たちのために何もしてあげることができなかったと嘆いている。
 ある日、彼は子供に会う機会を与えられ、子供のいる場所に行くが、そのとき彼が見た光景は、自分の子供たちが、預けられている家で食事や服を少ししか与えられておらず、犬のようにたたかれているというものであった。彼はこの光景を見て、非常に心を痛めた。

 John自身は、1863年の十一月まで奴隷だったが、Cornel Borne(別名Wiliam Birney)という北軍側の人がメリーランド州のウスター郡にやってきたおかげで、奴隷身分から解放された。しかし、Johnには糧が無く、生活は苦しいものであった。子供たちはというと、ウスター郡の別の場所にいて、二人の息子はMr.Josep.Enneseという人に、娘はMr.Iven.Spenceという人にそれぞれ預けられている。

 Johnは子供たちを奴隷という身分から救い出したいと切に願っている。彼はHon.Stanに三つほど希望を書いている。ひとつは自分が子供たちを救えるかということを教えてほしいということ、二つ目は、もし助け出すことが可能なら、子供たちを連れ帰る許可証を出してほしいというものだった。三つ目は、John自身が体に障害を負っているため自由に動けないので、Hon.Stanと綿密に連絡を取り、子供を救い出したい、そのためにHon.Stanと会いたいというものであった。

 しかし、戦争省はこの手紙に返答することは無かった。


【考察】
 黒人の人々は奴隷という身分から解放されても、生活するための糧は無く、また家族と離れ離れのままで、幸せを手に入れたわけではなく、満足していなかった。そして、こういった元奴隷の貧困や不満に対し、行政当局が何もせず、戦争省が手紙を無視したということから、1864年という奴隷解放がなされたばかりのときにおいて元奴隷の生活保護や不満の解消をするという対策が不完全であったことが読み取れる。



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