トップページゼミ活動記録>野島祐樹「OKINAWA」

OKINAWA野島祐樹


 二月の一日から三日間、私たち、樋口ゼミ一同は、ゼミ合宿という形で沖縄に行った。この合宿における自分のテーマは、勿論、第一に沖縄戦争の歴史資料、アメリカ軍基地をこの眼で確かめて、歴史学を学ぶ一人として、様々な観点から沖縄戦争の歴史に触れてみて、現代の自分たちはこの戦争をどう捉えるべきかという事を考えることであった。あと、ゼミ合宿とはいえ、せっかく沖縄に来たのだから、沖縄の郷土料理、泡盛、青い海を堪能して帰ろう、という思いで沖縄歴史紀行に臨んだ。

 一日目に、私たちは、最近那覇市内に開通したモノレール、通称「ゆいレール」に乗って首里城へと向かった。古琉球時代にあたる十二世紀から十七世紀に、琉球は農耕社会を基盤としたグスク時代を迎えた。グスクとは、各地の首長と呼ばれる権力者が建てた城のことだが、そのグスクを基盤とした抗争が、この時代の琉球の島々が一つの国家を形成するきっかけになったそうだ。首里城は、1492年にその各地の権力を統一した尚巴氏から続く同じ尚氏の時代に建てられた巨大な城である。
 私は、まず一面に白と、淡い橙色に彩られた城の壁面を眺めて、これが琉球なんだな、という感覚を覚えた。門であり石段であり、一つ一つの建造物に歴史的な意味があり、その威風堂々とした城構えには、琉球を初めて統一したという、当時の人々の誇りを感じた。
それから私たちは、首里城の近辺や、那覇市内で沖縄独自の料理など食した。そんな風に、一日目を終え、夜は宿泊先で、夜遅くまで、アメリカ史ゼミの研究会を行った。
二日目は、メインテーマである沖縄戦争に携わる日となった。まずジャンボタクシーに乗り込んだ私たちは、那覇市より北の方の普天間町に向かった。その途中で、沖縄国際大学の敷地内のヘリ墜落現場を見た。現在も校舎の壁には、色濃く墜落の黒い跡が残っていた。アメリカ軍のヘリが墜落した日、現場の住民たちはその現場を取り囲み、警察も現場にすぐかけつけたが、現場ではアメリカ軍がすでにヘリの破片などを撤去しており、警察は現場検証もすることができなかったそうだ。
 普天間町の北の嘉手納町では、そこら中にフェンスや米国系のショップを見かけることとなった。特に、嘉手納町では町の75%ほどがアメリカ軍基地であり、間近で飛行機がもの凄い音を立てて離陸していた。沖縄戦争が終わって五十年近く経ったいまも、その辛い過去の記憶のようにアメリカ軍基地が多大に残っているという、沖縄県人の不安は増すばかりだろう。そんな中でも、嘉手納町で立ち寄った「道の駅」にさえ、アメリカ軍基地の沖縄領土への返還と平和の願いが込められた見学施設があり、私は沖縄の人たちのその願いの大きさを強く感じた。
沖縄戦争の史跡巡りとして、私たちは、サキマ美術館、平和祈念公園、ひめゆりの塔、海軍司令部壕、おまけに喜屋武岬へと行った。
それらの沖縄戦争の史跡を訪ねる度に、必ず目に入る数字が、沖縄戦戦没者の統計である。全戦戦没者数がおよそ24万人、その中で沖縄出身者数がおよそ15万人、外国出身者数が1万5000人、その他が、他の都道府県出身者ということだった。それだけで沖縄戦争の残酷さを窺うことができるが、本当に沖縄戦争が悲しい出来事だと痛感したのは、その戦争の中で生き、そして亡くなっていった人々の心の内を考えたときだった。
 ひめゆり学徒隊は、わずか十代の少女たちが、一切寝ることもなく、手に負えない数の血だらけの重症者を相手に看病した。あげくの果てに、解散命令が出されたあと、逃げ場を失った彼女たちは、毒薬で自殺、海岸から飛び降り自殺、などで短い生涯を遂げた。
 最後に見学した司令壕では、入り切れない数の兵隊たちが、血だらけの負傷者や死者に交じって待機し、生きて帰ることのない出撃の合図を待つ。
 私は、震えながら一歩一歩踏みしめて、その史跡を歩くことしかできなかった。戦争への憤り、戦没者たちの悲しみを、歩きながらずっと考えていた。知っていなければいけない事を知った一日になった。
 三日目は、沖縄の青い海をひたすら目指した。ゆったりとした沖縄の空と海は、時間を忘れさせて楽しませてくれた。

 沖縄で出会ったさまざまなもの、ゴーヤ、海ぶどう、さとうきび、ちんすこう、珊瑚、方言、家の様式などは、もともと沖縄が本州とは違う異国の地であったという事実を物語っている。その異国の地が、様々な過去の出来事と経緯によって今の沖縄となっている。三日目の自由行動のときに乗ったタクシーの運転手が、聞き取りにくい沖縄方言で話していた。「沖縄戦争がなければ、今の沖縄は存在してない。」と。今、モノレールができるまでに発展した那覇市にしても、今の姿になったのは、アメリカとの戦争があったからであろう。それは、アメリカが敵対国を作り争いながら、今の姿にまで発展させたと言うのと似通っているようである。
 沖縄戦争が築いたのが、良かれ悪かれ、今の沖縄であろう。私たちは、戦没者に畏敬の念をはらって、二度と戦争をしないことを誓わなければならない。沖縄は、戦争はあってはならないということを、強く教えてくれている。
 先に、良かれ悪かれと書いたが、海は青く、料理はおいしく、時間がゆったりと流れる、そんな今の沖縄が好きである。楽しかった。


トップページゼミ活動記録>野島祐樹「OKINAWA」