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2004年度
>pp.200-204 Ishrael Massieの話(担当:野島祐樹)
Chapter
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SLAVE CULTURE:
"honest and fair service to the Lord and all mankind everywhere"
Ishrael Massieの話(pp.200-204)
担当:野島祐樹
ここで話題になっているのは、現在黒人聖職者であるIshrael Massieさんが若い頃ヴァージニアで直面した出来事を思い出して話したものである。
事実、われわれ黒人奴隷たちには、教会というものはなかった。私たちが説教師からの説教を与えられる時間というのは、私たち黒人奴隷が白人たちの教会に夕食を運びに行く時でしかなかった。白人説教師の白人に対する説教が終わった後で、私たちは教会の外の低木の下に連れて行かれ、そこで1時間ほど説教を聞いた。
説教師は本を持たずに説教をする。彼らは彼ら自身の教訓というものを持っており、聖書も持たない。我々黒人は、自分に読める本があっても読ませてもらえなかった。私たちには学校というものもなく、その類のものはない。ある日、婦人が子供に勉強を教えようとしたが、主人がそれをすぐに止めさせた。
ある集会でのこと、年老いた説教師が笑いながらたきつけ用のヒモを持ってやって来た!それに火をつけると、小屋の中にいる説教師、黒人たちは一斉に外へと駆け出し、監視官がその誰もいない小屋をノックした時には、すでに部屋は熱くなっており、監視官がドアを開けた瞬間、監視官の顔に火の粉が飛び散る。そして、すぐに黒人たちを追いかける。ただし、監視官が一番激怒する相手は説教師たちである。なぜなら、説教師がその集会のメンバーの中のリーダーであるからだ。
黒人たちはリーダーのたいまつの火を追いかけて、暗い森の中を走って逃げる。そして私も走って逃げて行く。見覚えのある場所へ抜け出ると、私はそれを神のおかげだと信じ、神に感謝するのである。
考察:黒人奴隷には教会がなく、学校もなく、勉強する場所さえもなかった。私たちの現状では考えられないが、当時のアメリカの奴隷社会ではそれが現状であり、彼らにとって見れば当たり前のことであった。それは黒人たちの反抗心、反抗するための能力の育成というものを消し去るという、白人たちの思惑だったのだろう。黒人たちは学習することもできず、白人たちに対抗する術も失ってしまった。ただ、彼らが唯一学び信じることができるのが、説教師の教えと神の存在であって、神を信じることが彼らにとっての他ならぬ助けの道であったのだ。奴隷制時代からのこの厚い信仰心は、現在でも彼らの中で生き続けているのではなかろうか。
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