トップページOur Readings2004年度>pp.211-212 Barney Alfordの話(担当:太田圭)

Chapter
X


_SLAVES NO MORE:
CIVIL WAR AND THE COMING OF FREEDOM



Barney Alfordの話(pp.211-212) 担当:太田圭

 Barney Alfordはミシシッピ州で元奴隷だった。Barneyはおもに南北戦争中のプランテーション生活について語っている。

 南北戦争がはじまった。奴隷たちはしばしば木の下に集まり「大きな戦争が起こった。」、「南部を倒すことができるのだろうか。」、「はやく戦争が終わらないか。」など話していた。奴隷たちは皆、リンカーン大統領が南部を倒し、そして自らが自由になることを望んでいた。夜、奴隷の数人は、自由への祈りを捧げるため小川へ下りて行った。その礼拝には他プランテーションの奴隷たちも参加した。

 そんなある日のこと、プランテーションにYankees(連邦軍兵士たち)がやってきた。女主人はその場を穏便にすませようと食料を渡した。しかし兵士たちは、燻製小屋の戸を壊し、肉や砂糖、小麦を根こそぎ、そして亡き主人の大切にしていた良馬2頭を取って行った。その上、機織小屋平気綿に火を付けた。奴隷の中にはラバ2頭を持ち、兵士たちについて行く者がいた。

 その後、南部の敗北が明らかになったある日、主人は大きなベルを鳴らし、奴隷たち全員を集め、もはや奴隷たちは「自由」であることを伝えた。そしてもし、このままプランテーションにとどまるならば、契約をかわし、給料を支払う旨を伝えた。奴隷たちの中には離れていく者もいれば、Barneyと彼女の母のようにとどまる者もいた。奴隷たちの給料は微々たるものであった。

 Barneyたちは、元主人が給料を払えなくなるまで5年刊働いた。その後、Great Easternへ行き、Osykaから離れた場所にあるJoe Bridwellの工場で働いた。1日1ドルで木材の皮むきの仕事を4年間した。

 奴隷たちは「自由」になったものの、何も持ってはいなかった。そして主人も何も与えてはくれなかった。元奴隷たちにとって大変苦しい時であった。


 このインタビューから、奴隷制を基盤としていた南部経済崩壊の図が見て取れる。いくら微々たる額とは言えども、元奴隷たちに給料を払うことは、主人にとって大変なことであったのだろう。今まで通りの経営では、Barneyの主人のように、もはや倒産するしか道はないぐらい、奴隷制経済は南部経済の奥底まで浸透していたのだ。



トップページOur Readings2004年度>pp.211-212 Barney Alfordの話(担当:太田圭)