情報経済論の主要論点

 

最終更新日: 1998/07/18.

論点

 

G 情報化社会で考えるべき視点について自分なりにまとめよ
F 1ネットワークの組織と市場に与える影響を検討せよ。また、2ネットワークの外部性とは何か説明せよ。
Eサービス産業における情報技術の役割と影響を検討した後で、情報技術のこれまでの技術との違いを検討せよ。
Dソフトウエア生産における専門性に基づく分業と、柔らかい分業とを比べ、その功罪を論ぜよ。
C専門別分業(アメリカ)と柔らかい分業(日本)が、技術導入の際に与える影響について、その功罪を論ぜよ。
Bリエンジニアリングとリストラ、組織の水平化との違いを「例を挙げて」述べよ。
A演繹的方法と、帰納的方法の両者を技術と需要創造という観点から論ぜよ。
@「分業」と「逆分業」の矛盾について

 

その他

生産性、実質賃金、国際競争力の関係

 

akinori wakabayashi <e080123@isc.senshu-u.ac.jp>

物価上昇率(P)=名目賃金率の伸び率(W)−労働生産性の伸び率(H)と

いう式から、H=W−Pとなる。日本の場合、生産性を上げようと考えると、賃

金を上げずに価格の低下を求める傾向にある。また、H=(W/P)とも表わ

せ、生産性の伸び率=実質賃金という式が成り立つ。これは生産性があるから実

質賃金は上がるということを意味している。X=e(P/Pf)という式は、国

際競争力=実質為替レートの変化率である。e=為替レート(円の価値)、Pf

=輸入品の物価水準、P=国内の物価水準

日経NEEDSからデータを取った前に送った数値からも分かるように、eが上

昇すること(円高になること)や、国内の物価水準(P)が、輸入品の物価水準

(Pf)より上がることは、国際競争力が落ちているという事が分かる。X=e

(P/Pf)という式は、X=e+P−Pfとも表わせ、先ほどのH=W−Pの

2式から、X=e+W−H−Pfとなる。この式から国際競争力をあげるために

は、輸入品の物価水準が上がることや、生産性を上げること、円安になること、

などの条件が必要だ。では、生産性を上げるためにはどうすれば良いのだろう

か?生産性向上の決定要因は@科学知識の進歩、A企業の技術吸収力、B経済的

な技術取り込み意欲、の3つが挙げられるが、AとBが特に重要で、企業または

政府の技術吸収力が生産性向上には必要だ。専門的な分業と、柔軟な分業のとこ

ろでも考えたように、日本は柔軟であるために技術取り込み意欲や、吸収力は意

外と優秀である。しかし、日本のアメリカに対する競争力の低さや、物価が高い

ことは、労働生産性の絶対水準の低さが要因となっている。

 

G 情報化社会で考えるべき視点について自分なりにまとめよ

●●● E080596H 糀谷 一泰
7月8日の宿題 近い将来の2001年にやってくる金融日本版ビッグバンにおいて、日本が抱えてい る情報化社会における閉鎖性は危機迫るものがあると考えられる。まず今までは、日 本企業との間のぬるま湯にでもつかっているような、お気楽な市場で競合していたが これからは世界の企業を適にまわさなければいけない。特に情報先進国であるアメリ カは今まで培ってきた技術と大規模なネットワークを駆使して1200兆円ともいわ れる日本の個人貯蓄を取り込もうと躍起になってくるであろう。このままの日本の状 態では勝ち目はないに等しい。 中でも近年における世界の通信会社のグローバリズム化・自由化は目をみはるものが ある。情報通信機器や半導体の関税を2000年までに撤廃することを視野に入れ世 界は動いている。一ついえることは、金融・情報・通信の大競争はこれからである。 ものすごい早さで変化する情報通信技術に対応しつつ、FREE・FAIR・GRO BALな競争の条件を整備する必要がある。そのためには情報の開示がまずは不可避 である。日本を出来るだけ早く、完全情報下にしていかねばならない。 昨今の日本の経済状態ではこの問題から取り組むのは難儀だが、早急に不良債権問題 を処理し、情報産業における抜本的な規制緩和などを推進していかなければ今後の日 本経済全体に対する行く末は危ういものと思われる。

●●● E08-0860F 大慈彌 ゆう子
情報化が進むことは、基本的にはとてもいいことだと思う。 特に日本のように市場が閉鎖的な場合、情報化し開示していくことで今よりもか なり経済が活性化すると思う。現在の日本社会は決して情報化されているとは言 いがたいところにあり、そのために不完全な情報に基づいた意思決定、または財 の選択を行なっている。 これはある意味、日本社会は リスク・テイカーではないかと私には思われる。 このような非生産的な社会構造のままでは、日本がやっていけない事は明らかな ので、早く情報を明確にしていくシステム作りが重要となってくると思う。 ただ、情報がある程度明確になってきたら、そこで打ち止めしても良いと思う。 それは、世の中にはリスク・テイカーとリスク・アバーターがいるからである。 リスク・アバーターにとっては、今以上100%未満の明確な情報が手に入れば、 それに基づいた意思決定をはかれば良い。また、リスクテイカーは情報の確実性 は100%ではないので、そこに投資すれば良い。 どこまで、情報化を進めるのか、そしてどこまで情報化を進められるのか、これ は日本にとってとても大きな課題だと思う。

●●● Yadoiwa
 前回の日本電信電話公社がNTTに変わった理由で、技術の進歩が規制を排除していくのだと思いました。それまで 参入するのに莫大な費用を要した産業でも、技術の進歩がそれに取って代わり、新たな企業の可能性を引き出すことに なると思います。競争相手がいなければやはり成長はしないと思います。今回のような国による規制は、日本の電信電 話産業を弱体化してしまったことが分かりました。そのため現在、この産業の国際競争力がなくなってしまったのでし ょう。このような政府の失敗を繰り返さないようにしなくては行けません。これからの成長産業、特に情報産業では、 過度の規制はやめて、市場の失敗起こる時のみ、適格の場所に最小限の規制をするべきだと思いました。  今回驚かされたのは、アメリカでは60年代にすでに知識産業が定義づけられ、テクノクラートが社会の中心になっ て、情報化社会を引っ張っていくとしめされていたことです。 またその重要性から、高学歴主義の人材教育システムに換えていったいったことです。確かに日本はアメリカに比べ、 情報産業は遅れているけれど、この時間的な差を考えると、当たり前なのかもしれないと思いました。 これからは更に情報化が進むにつれて、テクノクラートの重要性は増してきます。そのためにも、日本も速い段階での 教育改革が必要だと思います。義務教育段階でコンピューターに深くなれさせることが必要だと思います。そこで基礎 をマスターさせて、大学でもっと専門的なことをする必要があるでしょう。  不完全情報のもとでの意思決定では、効用の受け止め方によって、決定の違いが出てくると分かりました。考えてみ たら、何でも成功を収める人は、リスクテーカーなのかもしれませんが、そのような人は日本人には少ないと思いまし た。今後の金融ビックバンでは、このようなリスクテーカーを軸にまわっていくのだろうと思いました。

●●● shunichiro mitsutake
前回の授業で、1985年にやっと通信の規制緩和が行われ、日本電信電話 公社が株式会 社になり、この規制緩和元年が大きな意味を持っていたことを知 った。しかし、実際のとこ ろ通信価格設定が高く、米国と比べると十分には下 がらず大きな価格差があったことを知っ た。 今回の授業では、不確実な情報の下での意思決定の問題で、期待効用が高く なるような選 択を行うことが合理的であるとなった。そして効用の受け止め方 により危険に対する態度が 異なること事が分かった。自分はその中でもリスク ァバーターであった。しかしこれからの 経済が発展していくためには、むしろ リスクテイカーが必要なのだと思う。リスクを背負う 分だけ膨大な利益を得る 可能性があるからだ。 これは不完全情報の場合であり、情報化社会により完全情報になっていき不 確実な情報が 明確になっていくだろう。そうすれば経済効率は今までより高く なるだろう。でも不完全情 報の場合の期待効用の理論で見られたリスクテイか ー的な態度は今後のビックバンの成功に も必要だと思う。だからこの態度は情 報化によって完全情報になっても失ってはいけないも のだと思う。

●●●Daisuke Unpou
情報化社会は不完全情報を改善し、より完全情報の状態に近づくことが可能であ る。完全情報の下では不完全な情報を与えられた場合より効率的な行動がとれ る。例えば、完全情報の下では生産量が上がる。しかし、情報化社会が進む事に より問題点もでてくる。知識を持つ人とそうでない人との格差の広がりや、情報 によってみんなが一斉に同じ方向に向くような危うい状態になる危険性も持つ。

●●● 朝賀 浩之
<情報化社会で考えるべき視点について>
これまでの不確実性の社会では、モラル・ハザードや逆選択などの経済行動をと ることが考えられる。また、不完全情報下での非対称性の存在は、今日の日本が 直面している多くの経済問題を生み出したといえる。しかし、今後の完全情報へ の進展(=情報化社会)は、これらによる経済効率の悪化を改善し、経済の活性 化を導き出すことが可能である。ここで注意しなければならないことは、より完 全情報に近づく情報化社会は経済の万能薬でなく、情報化によって新たな不安定 性が生じる可能性が否定できないことである。これらのことから、日本型情報化 社会の在り方について真剣に議論される時期にきているのではないだろうか。

●●● Daisuke Fukutome
情報化社会で考えるべき視点について。まず、情報化社会が進むとこれまで不確 実であった情報が改善され、そのことによって人々の意思決定が多様化していく ことが考えられる。期待効用の理論では、不確実な情報の下での意思決定におい て、risk taker/risk averter がある、ということが分かったが、今後情報化が いかに進み不確実性がいかに改善されようとも人々の意思決定においては、多様 化が進むであろう。なぜなら意思を決定する際にはその人の価値観や、人生観な どといった要素が経済効率などよりも大きなウエイトを占めているからである。 今後の情報化社会において、知識や技術といった要素ももちろん重要であると思 うが、様々な情報下での判断能力や処理能力といった要素がもっとも重要になっ ていくと考えられる。

●●● 7月8日の宿題

Tue, 14 Jul 1998 14:18:14 -0700

Youichi kondou <e080187@isc.senshu-u.ac.jp>

 

前回と今回で述べられた情報化社会で考えるべき視点について自分なりにまとめよ

e080187 近藤洋一

 

前回の授業では規制緩和元年がとても大きな意味を持っている事を述べた。そして米国が労働生産性と実質賃金率の伸びがとても高いという事がとても良く分かった。日本は、通信価格制度において米国に比べてなかなか下がらず大きな価格差があった。大きな変化といえば、1985年(通信規制緩和元年)に日本電信電話公社が株式会社となった。米国に対応する産業において日本には通信産業があったのである。この株式会社になるということは、市場への参入が認められるわけであるがそれにもいろいろな理由があるのである。これは授業で先生が述べたとうりである。

次に今回の授業においての情報化社会では、知識産業において考えた。マッハルプという人物の役割もとても大きいものであるとわかった。そして、ダニエル・ベルという人物により脱工業化社会(Post Industrial Society)が成立し、それはテクノクラートと呼ばれる情報を扱う事に優れたじんぶつが社会の中心となっていくという仕組みができた。そして、マーク・ポラトという人物により情報化社会が成立した。これは普通はGNPを、付加価値か最終需要のどちらかとしてみていたが、この人は両方を統合してみた。そして企業内で生み出される情報産業を計算し、評価した。その他にも目に見えない影の価格を再評価して計算した。それは機会費用にも関係するものであった。このように普通とは全く違ったものである情報化社会ができた。言い忘れていたが、1967年には米国は情報化社会に入っていたのである。その後出てきたのは、ジョンシャーという人物で、「全ての産業は生産部門と情報部門を2つあわせて形成される」と唱えた。そしてその2つは切っても切れない関係であり互いに助け合って成長していくことを意味した。

日本は米国に比べて情報化社会において10年遅れている。(教育においてはもっと遅れている)。米国においては、収穫逓増の法則によって通信産業などでどんどん生産があがっている。米国では、ウィンドウズやマックがいい例である。

現在の日本では、不完全情報のもとで意思決定が行われている。それは現在金融自由化の中にある規制緩和によって不完全情報での意思決定を余儀なくされている。一種のかけのようなものになっていくのではないかと自分は思う。このように我々日本は米国に比べるとぜんぜん劣っている事を実感した。この先情報化社会においてどのように発展していくか注目してみていこうと思う。

 

●●● E08−0621A 高橋牧子

6/23の宿題は難しくてまだ分かりません。

7/8の宿題

情報化社会の発展は経済を活発にする。今までの社会の中で不完全情報だった部

分が情報化によって完全情報になればより効用を高めるだろう。また、不確実な

情報のもとで意思決定をするとき期待効用が高くなる選択が求められる。情報化

はこのような不確実な情報を少しでも明確にするだろう。そして企業間の競争が

より活発になり、また、経済も活発になる。

 

 

●●● 情報経済論の宿題

Wed, 15 Jul 1998 17:19:02 -0700

megumi mathunami <e080626@isc.senshu-u.ac.jp>

情報化社会で考えるべき視点

新しいものがつぎつぎと開発され、コストが下がっていくと、自然独占の領域が

こわされていく。情報の非対称性が生じると市場において、経済効率が悪くなる

からこれはいいことだと思う。ただ、わたしは、情報の非対称性があるほうが完

全情報下にあるより不公平なだけに面白いと思う。損する人と、得する人がいな

いと逆に市場が成り立たないのではないだろうか。

完全情報はありえないとは思うが不完全な情報でないと成り立たないさんぎょう

もある。例えばパチンコ屋、宝くじ、競馬などである。どこまで情報化を進める

かはこれからの大きな問題であると思った。

 

F、1ネットワークの組織と市場に与える影響を検討せよ。また、2ネットワークの外部性とは何か説明せよ。

 

●●● "Yositaka Uda"

情報経済論の宿題

<ネットワークの組織と市場に与える影響を検討せよ。>

ネットワーク化の組織と市場のバランスにどう影響するかを考えてみる。従来は調整コストにおいては、組織<市場であり、生産コストにおいては組織>市場であった。そして現在のネットワーク化は複雑化した現代社会において、調整コストそのものを低減させる効果をもたらした。生産コストに関しては組織>市場という構図を崩すようになった。組織内で自ら生産するより、ネットワークを利用して市場で購入する方がコストダウンにつながるからである。よってアウトソーシングを推進する「アドホクラシー」のような組織の出現が予想される。

 

<ネットワークの外部性とは>

ネットワークの外部性とは多くの構成員がいることによって、市場を通すことなく他のネットワークに経済効果を発揮することができることである。外部性(プラスの効果)を発生させるのはシェアの大きさと技術力であろう。

  

●●● Yoshiki Kishida

1.現代社会において、複雑化する産業活動を円滑に行うためには、コンピューターによるネットワーク化が、必要不可欠となってくる。その効果としては、調整コストの低減効果であり、調整集約的な構造を求める現代では最大の武器である。また、調整コストは組織よりも市場での方が大きくなるのに対して、生産コストは組織の方が大きくなる。従って、ここでネットワーク化が起きると、調整コストを下げるので、市場と組織のバランスが崩れ、組織内で生産するよりも、市場で購入することが増えるので、市場の活性化が起こりうる。

2.ネットワークの外部性とは、実際に発生してくる機会コストと大きく関係し、情報社会における意思決定の機会損失を減らそうとするものである。

 

●●● megumi mathunami

1.ネットワークの組織と市場に与える影響

ネットワークの組織が市場に与える影響はとても大きく、代替効果、需要増加、

経済構造全体に波及する。コンピュータの導入される前の企業形態がいちばん調

整コストがすくなかった。コンピュータが導入され、一番調整コストが少なくは

なくなった。情報技術の発達は、生産性をあげるためのものだった。ネットワー

クは、消費者の行動を即時に分析し、そのニーズにいち早く対応することを可能

にした。ネットワークは市場を介さないので日本特有の卸売業の必要性がなくな

る。そうすると、中間マージンの減少が考えられる。いろいろな部分で無駄を省

くことができるとおもう。

2.ネットワークの外部性

外部性とはより多くの構成員からなる為、市場を介さずに他のネットワークに経

済効果を発揮することができることである。これは、機会費用との関わりがつよ

く、時に人は、情報に振りまわされ、安定性にかける。

感想

機会費用についてはわかりやすかったです。でも宿題となるとなかなか難しくて

いつも困ったりしています。今回の宿題は、入力ミスで、昨日出したのが戻って

きていたのでもう一度出します。

 

●●● Yasuyuki Kina

6月17日の宿題

<ネットワークの組織と市場に与える影響を検討せよ>

コンピューターを導入しネットワーク化する事により不必要な調整コストを低

減する事が出来る。ローゼンブルス国際同盟の例を挙げて考える。日本からスイ

スに行く時に直行便がなく個々の会社がバラバラでネットワークが組まれていな

い場合、例えば日本からまずフランスに行き、またそこで新たにスイス行きのチ

ケットを買って行くと言う手間のかかる方法を取らなければならないが、ネット

ワーク化が組まれていれば、初めからフランスを経由スイス行きのチケットを買

う事が出来たりと手間や余計なコストを使わずにすむ。外部の組織同士がネット

ワーク化する事によって余計なコストを削減する事が出来る。

しかし、コンピューターによって調整コストを低減すると、今までの市場より

も組織の中で生産を重視して来たバランスが崩れ、組織内で自ら生産するよりも

市場で購入する事が増えてくると考えられる。その結果、市場化の進展であり、

アウトソーシングの推進であり、大型の垂直統合型の従来型組織からより小規模

なモノへの変換であり、アドホクラシーの登場である。このように考えると生産

コスト、調整コストの両方とも市場に委ねた方がよいと思う。そうする事にで、

ネットワークにより市場が活性化し、アドホクラシーのような組織が出現してく

る。しかし、アドホクラシーするためには情報技術により組織が柔らかくされて

いて、それに参加する人がある程度のレベルを要していると言う条件が必要であ

る。

 

<ネットワークの外部性とは何か>

ネットワークの外部性とは普通とは違い市場を通さない形である。つまり、生

産から販売に直接結びつく事です。機会費用をふまえてネットワークの外部性を

考えるとネットワーク選択コスト=限界生産費用+機会費用という式が成り立

つ。

 

 

●●● 6/17の課題 E08−0621A 高橋牧子

1.ネットワーク化によってコンピュータは生産者間や生産者消費者間でのコミ

ュニケーションを活発にし、また不必要な調整コストを削減し、調整集約的であ

る。ネットワークの交通技術は1.代替効果 2.需要増加 3.経済構造全体へ

の波及がある。このようなネットワーク化によるコンピュータの調整コスト削減

は、組織と市場のバランスを崩してしまう。それは調整コストは市場で大きくな

り、生産コストは組織で大きくなり、お互いのバランスをとっているためであ

る。調整コストの削減に伴う生産コスト削減のためにはより柔軟な組織化が求め

られる。

2.ネットワークの外部性はそのネットワークか多くの人から構成されていると

き、さまざまな状況における行動選択の差の幅が広がってしまう。外部性は機会

費用に大きな影響を与える。

 


●●● 近藤洋一
(1) ネットワークの組織と市場に与える影響を検討せよ
ネットワークにおける市場と組織においては、ウィリアムソン(人名)によっ
て説明されている。市場(マーケット)と組織(ヒエラルキー)は代替関係にあ
り生産コスト>調整コストということが成り立つ。生産コストにおいても調整コ
ストにおいても、組織>市場が成り立ち、市場に依存した方がコストが安くお金
がかからなかった。調整コストを考えても馬鹿にならない額であった。例を挙げ
ると銀行業において、生産者>需要者という式が成り立っていたのが、ネットワ
ークによって生産者<需要者(生産者と需要者が同じ値からになってくる事)に
変化した。先ほど述べた組織(ヒエラルキー)になぜするかというと、コンピュ
ータが入る前のシステムでは調整コストが最も少ないからである。そしてコンピ
ュータが入ってくると、調整コストの仕組みが変わってくる。その結果、情報技
術が十分に組織を柔らかくしているということが出来る。
次は、ネットワークの外部制について述べたいと思う。普通は市場を通して生
産と販売を結ぶが、市場を通さない形(外部経済・外部不経済)のことを外部性
と言う。日本はこれを昔から問題としており現在でも環境問題としてその形を残
している。そこでは、機会費用と呼ばれる実際には存在しない費用が発生する。
その事について人間について述べると、「自分たちの払う金には機会費用が入っ
ていて人間は情報に振り回されている」と言うことが出来る。機会費用を含めて
ネットワークの外部性を考えると、ネットワーク選択コスト(市場で発生する)
=限界生産費+機会費用(市場では発生しない)と言う式が成立する。自分も、
機会費用と言うものが自分のすぐ真近で発生しているとは意識もしなかったし分
からなかった。言われてみれば、靴を買う時に店では2万5千円であったのが、
雑誌では2万円なんて事が良くあるのを覚えている。後ではとても悔しい思いを
したことも数知れずである。これからはそのようなことに注意すると共に、機会
費用が発生していてネットワークが組織と市場に与える影響などを少しでも考え
て生活していけたらいいと思う。
(2) ネットワークとは?
ネットワークとは、産業構造の中で大きな役割を果たすものである。(組織に多
大な影響を与える)。単刀直入にいうと、情報処理技術のことであるネットワー
クにおける経済は調整集約的(cordination)である。交通技術の進歩に関して
は、3つの効果が大きく挙げられる。まず代替効果(コンピューターが人間の何
倍もの力を持っている)、次に、需要増加によって新たな需要が出てくる、最後
は経済構造全体への波及である。このネットワークに関しては無知な自分にとっ
てもどれだけ重要で大切であるかが分かる。これからも多種多様に変化して人間
生活にとってかけがいのないもでありつづけることにまちがいないであろう。


●●● Daisuke Fukutome
1.ネットワークが市場と組織に与える影響を検討する。まず、従来の産業社会
では垂直統合型の組織であり”横の競争(世界全体を市場と考えた場合)”があ
まりなく、よって現在のように”横のコミュニケーション”が重要視されていな
かった。だから従来の産業社会ではネットワーク化が進まなかった。しかし、現
在のようにグローバル化が進んだ世界では”横のコミュニケーション”が非常に
大事であり不必要な調整コストを下げるのは競争を勝ち抜くためには避けては通
れない。そのための技術としてネットワークは必需品といえる。だから、情報社
会が進む流れの中でネットワークは非常に重要な役割を果たしたといえるのでは
ないだろうか
2.まず一口に外部性といっても”正の外部性”と”負の外部性”が考えられ
る。ネットワークの外部性を考えた場合、その導入によりネットワーク間の相対
的な機会費用に影響を与えることが、OS間の争いなどのモデルからも理解する
ことができる。つまり、ネットワークの外部性とは市場をかいさずにお互いに影
響を与えることをいうのではないだろうか。


●●● 青木 誠
1.ネットワークが組織と市場に与える影響として調整コストの低減がまず挙げ
られる。産業にコンピュータが用いられ始められると、コンピュータは競争する
生産者同士や生産者と消費者をネットワーク化していった。これにより、大幅に
調整コストを減らすことが可能となった。次に組織と市場の場合を考えてみる。
それまでは調整コスト:組織<市場、生産コスト:組織>市場というバランスだ
った。しかし、コンピュータの投入により、そのバランスが崩れ、結果として市
場の発展につながった。2.ネットワークの外部性とはネットワークそれ自体が
他のネットワークに影響してしまうということである。また、現代のような情報
化社会では、人間が機会費用で動いている。そのため、ネットワークを選択する
場合のコストは限界生産費+機会費用となる。


●●● masahiro yadoiwa
1、ネットワークが組織と市場に与える影響は、代替効果、需要増加、経済構造
全体への波及がある。代替効果は、単に労働者の代わりにコンピューターを導入
するというのではなく、仕事の優先順位を決めたり、適材適所に仕事を割り振
り、仕事の効率をよくする。また、そのようなことから、仕事の範囲は広がり、
それに応じて、消費者のニーズも広がる。それが需要増かにもつながる。これは
同時に、ネットワークの拡大を求められ、その調整費を上げることになるが、そ
れ以上に利益を上げることができる。経済構造全体への波及の例を挙げると、あ
る小売店がネットワークと導入すると、供給者や、卸売り店が、その小売店の中
の1つの存在になってしまうことや、ある産業全体がつながっている時、大会
社、中小会社、関係なく生産余力のある会社に需要が行くようになる。国際的に
は、ローゼンブルス国際同盟がある。
 また製造業など、コンピューターを導入することにより、調整費を下げ、それ
にともない外生化が進んでいる。そのため、企業は世界中から、最も良い、最も
安いものを手に入れられ、結果世界中で、企業の垂直統合がなくなっている。
2、外部性とは、機会費用と呼ばれるものである。(間違い)これは、本来得られるべき利
益が上げられないということで、情報化により、今まで知らなかったさまざまな
情報が入ってくることによりあらわれる。この結果行動をしてからでは遅いと考
え、情報に振り回されてしまう時がある。

感想 ネットワーク技術がいかに企業に貢献しているかがわかりました。しかし
このような外部性の問題を解決するにはどうしたら良いのか考えさせられまし
た。今まで感じなかった費用なので、結局は心の持ちようですが、そう簡単には
割り切れないような気がします。


●●● 庄司

@ネットワークの組織は調整集約的である。市場に与える影響はまず、代替効果、つ
ぎに、需要増加、そして、経済構造全体への波及があげられる。市場と組織の関係は
代替的で理論的にも一致する。情報技術は調整コストを下げる作用があるので、組
織、ヒエラルキーを破壊し、市場を重視し、活性化させる。
Aネットワークの外部性とは市場を介せずに影響を与え、それは大きければ大きいほ
どよい。ネットワークによって、調整コストが減少し、効率的になり、組織を変容さ
せ、アドホクラシーのようなことが可能になってくる。


●●● 三村 ネットワーク導入前の市場と組織の関係は、生産コストでは市場<組織、調整コストでは市場>組織であり、部品の製造などは、同じ組織内の系列会社に任せるという状態であった。ネットワークの組織に与える影響は、調整コストを削減するということである。これにより、生産コスト、調整コスト両面でも市場<組織という関係になり、組織から市場中心となり、垂直統合の減少、系列会社中心から、世界市場での競争になるだろう。 また、アドホクラシーのような新しい組織形態もできるであろう。 また、外部性とは、市場を通さない経済主体間の直接的相互影響である。 ネットワー クの普及はこの外部性が大きな要因である。 外部性とは、マーケットシェア、 技術的優位性によって決定される。技術的に優位で、多数の人が使っているネッ   トワークを 消費者は選び利用するであろう。 これにより、マーケットシェアは   さらに拡大し、このネットワークの普及度はさらにあがるであろう。   ●●● 情報経済論の宿題
megumi mathunami
1.ネットワークの組織と市場に与える影響
ネットワークの組織が市場に与える影響はとても大きく、代替効果、需要増加、
経済構造全体に波及する。コンピュータの導入される前の企業形態がいちばん調
整コストがすくなかった。コンピュータが導入され、一番調整コストが少なくは
なくなった。情報技術の発達は、生産性をあげるためのものだった。ネットワー
クは、消費者の行動を即時に分析し、そのニーズにいち早く対応することを可能
にした。ネットワークは市場を介さないので日本特有の卸売業の必要性がなくな
る。そうすると、中間マージンの減少が考えられる。いろいろな部分で無駄を省
くことができるとおもう。
2.ネットワークの外部性
外部性とはより多くの構成員からなる為、市場を介さずに他のネットワークに経
済効果を発揮することができることである。これは、機会費用との関わりがつよ
く、時に人は、情報に振りまわされ、安定性にかける。
感想
機会費用についてはわかりやすかったです。でも宿題となるとなかなか難しくて
いつも困ったりしています。今回の宿題は、入力ミスで、昨日出したのが戻って
きていたのでもう一度出します。

 

●●● 矢作 敏和

@ネットワークの組織に与える影響は調整コストの削減、組織内での横のコミ

ュニケーションの充実、作業の簡略化・時間節約などさまざまある。

次に市場に対する影響である。コンピューターが調整コストを低減するとすれ

ば市場で一番良いものを買ったほうが自社で生産するより良いわけである。これ

は市場競争を推進させる働きがあるわけだから市場は活性化する。また市場に構

えている企業でもネットワークを導入する事により作業のスピード化や、先ほど

も述べたように横のコミュニケーションの充実がはかれるのである。

Aネットワークそれ自体が他のネットワークに対し市場を介さない経済効果を

持っている事。

 

 

●●● 朝賀 浩之

@:ネットワークの組織と市場に与える影響は、コンピューターの特性である調

整コストの低減効果が関係している。コンピューターは、これまで不必要であっ

た調整コストを最小限に抑えることができ、調整集約的な構造への転換を可能に

する。コンピューターの導入によるネットワーク化は、調整コスト=市場>組

織、生産コスト=市場<組織であった従来のバランスを崩すことを意味する。結

果的に外生化(組織内での生産⇒市場での購入)が起こり、市場は多様化し、活

性化するといえる。それによって、大型の垂直統合型の従来型組織は機能しなく

なり、小規模で柔軟性を持った組織が求められる。つまり、ネットワークは市場

化の進展、それによるアドホクラシ−などのより柔軟な組織の誕生を導くといえ

る。

A:外部性とは市場を介さない経済効果であり、ネットワーク自体も強い外部効

果を発揮する。ネットワークの外部効果は機会費用に大きな影響を与え、ネット

ワーク選択コスト=限界生産費+機会費用であることもわかる。また、ネットワ

ーク化によって社会が情報への依存度を強めていくと、人々は機会費用によって

行動を決定することになる。

 

 

●●● 情報経済論 6月17日の宿題

Wed, 15 Jul 1998 13:48:07 -0700

Daisuke Unpou <e080345@isc.senshu-u.ac.jp>

 

ネットワークが組織と市場に与える影響には、調整コストの低減効果が挙げられる。コンピューターによるコミュニケーションコストを含む調整コストの低減は、複雑な現代社会を調整集約的な構造へと促進させた。そして、調整コストの低減は市場を活性化することができる。組織内で自ら生産する生産コストと、市場で購入する時の調整コストがあるが、調整コストの低減によって市場で購入することの方に積極的になるからである。これによって、垂直統合型の従来の組織から小規模への変換やアドホクラシーの登場が起こった。ネットワークの外部性とは、より多くの構成員からなるネットワークそれ自体が市場を介さずに他のネットワークに影響を与えることである。この外部効果は、ネットワーク間の相対的な機会費用に大きな影響を与える。

 

 

 

●●● 6/17の宿題

Tue, 14 Jul 1998 13:06:19 -0700

akinori wakabayashi <e080123@isc.senshu-u.ac.jp>

 

@《ネットワークの組織と市場に与える影響》

ネットワークの組織と市場に与える影響は@代替効果A需要増加B経済構造全

体への波及である。ネットワークの発達は、WALMARTの例であるように、

購買部の人員を削減できた。これはコンピューターの導入により、物が売れるた

びに供給者が商品を補充するシステムになったからだ。このようにネットワーク

化は、調整コストの大幅な削減を可能とした。市場(マーケット)と組織(ヒエ

ラルキー)は代替関係で、生産コスト:組織>市場

調整コスト:組織<市場というバランスを保っていた。しかし、ネットワーク化

による調整コストの低減でそのバランスは崩れ、組織(ヒエラルキー)よりも市

場(マーケット)を重視するようになり、市場は活性化した。これは、企業の垂

直統合がなくなり、アドホクラシーの出現を意味している。しかし、アドホクラ

シーの出現に際しては、柔軟な組織化が求められている。

A《ネットワークの外部制》

ネットワークの外部生とは、生産から販売に直接結びつくことで、市場を介さ

ずに経済効果を生み出すことである。そこでは、実際には存在しない機会費用が

発生し、ネットワークの外部性を機会費用を含めて考えると、

ネットワーク選択コスト=限界生産費+機会費用という式が成立する。

 

 

●●● sakai hayato

Wed, 08 Jul 1998 17:42:03 -0700

<ネットワークが組織と市場に与える影響を考える>

組織と市場のバランスはネットワーク化することでどうなるのか?調整コストに

ついては、組織、市場でした。ネットワーク化することで複雑な経路をとうらず

に販売できるので、コストを確実に、削減することが出来る。このような動きが

あると[アドホクラシー]喉の組織などが現れる。

 

ネットワークの外部性は、生産から販売に直接結びつくことをいいます。

これは、ネットワーク選択コスト+限界効用+機会費用式が成り立つ。

 

 

●●● 6/17情報経済論の課題 中村晃司

Wed, 08 Jul 1998 14:26:25 -0700

@ ネットワークの組織と市場に与える影響

現代のネットワーク化により、組織と市場に多くの効果をもたらした。その効果

は、調整コストの低減効果であり、様々な産業間の取り引きに伴うコストを大幅

に削減する。不必要な調整コストを削減する。また調整コストと生産コストがネ

ットワーク化により、組織と市場のバランスが崩れ、市場の頻度が増え、活性化

につながった。ネットワーク化は市場の活性化を進めるのに役立つ。

 

A ネットワークの外部性について

外部性とは、私的な経済活動が他の経済主体に影響を及ぼす事である。ネット

ワークの外部性は、目に見えない経済効果である。これは機会費用に似るものが

ある。これはコンピューターのOSのように、あるOSがシェアを増やすと、他のOS

に負の影響が出る事である。ネットワークの外部性は市場を介さずに、他のネッ

トワークに経済効果を与えるものである。

 

感想:情報伝達(ネットワーク化)により、世界の経済が発展していった。ネッ

トワーク化が、現代に大きく役立っている事を今回の講義で再度認識した。

情報を使いこなすものが、今後も更に発展していくだろうと思った。

 

●●● junji kurihara <e080103@isc.senshu-u.ac.jp>

 

ネットワークの組織と市場に与える影響は3つあります。まず1つめは代替効果

で、これは仕事の流れをスムーズにするために、どの企業にこの仕事を任せたら

一番効果が上がるだろうかということや、どのような順序で仕事を構成していく

べきかなどを決定します。このような代替効果の結果、より仕事の効率が上が

り、消費者による需要も増加します。ネットワークの組織と市場に与える影響の

2つめは、この需要増加となります。3つめは、経済構造全体の波及で、これ

は、ネットワークの導入により、大、中、小の企業がつながっている場合にどの

企業でも関係なく適所に需要が行き渡り、その企業全体で需要増加の効果を得る

ことが出来ます。しかしこのようなネットワークの導入は、同時に調整費を上げ

ることとなります。このあがった調整費よりも大きい成果を上げるために、ネッ

トワークが持つ力を最大限に引き出させることが重要な問題ではないでしょう

か。

ネットワークの外部性とは多くの構成員によって形成されているため、一般と違

い、市場を通すことなく経済効果を発揮する事が出来るということです。

E080103J 栗原淳二

 

 

●●● 6月17日の課題

Wed, 08 Jul 1998 13:55:28 -0700

shunichiro mitsutake <e080533@isc.senshu-u.ac.jp>

1、ネットワークの組織と市場に与える影響は、コンピューターの持つ調整

コストの低減 効果が挙げられる。コンピューターのこのコストの低減効果

は、現代の産業経済にとって 非常に大きいものである。しかし、コンピュー

ターによる調整コストの低減により、今ま で、調整コストの割合は組織より

市場が大きく、生産コストの割合は市場より組織が大きかったバランスを崩

してしまうのである。バランスが崩れると、組織の中で自ら生産するよ

り、市場においての購入が増えてくると考えられる。このように、結果的には、

外生化が起こり、市場化が進展し、大型の垂直統合型の従来型組織は機能

しないようになり、小規模なものへ変換され、アドホクラシーのような柔

軟な組織を登場させるのである。

 

2、ネットワークの外部性とは、ネットワークそれ自体が市場を介さず、他

のネットワークに影響してしまうことである。またネットワークの外部性

は、機会費用にも大きな影響を与える。ネットワーク選択コスト=限界生産

費+機会費用であることからも分かる。

 

 

●●● 情報経済論6月17日の宿題

Wed, 08 Jul 1998 13:44:53 -0700

Daisuke Unpou <e080345@isc.senshu-u.ac.jp>

ネットワークが組織と市場に与える影響には、調整コストの低減効果が挙げられ

る。コンピューターによるコミュニケーションコストを含む調整コストの低減

は、複雑な現代社会を調整集約的な構造へと促進させた。そして、調整コストの

低減は市場を活性化することができる。組織内で自ら生産する生産コストと、市

場で購入する時の調整コストがあるが、調整コストの低減によって市場で購入す

ることの方に積極的になるからである。これによって、垂直統合型の従来の組織

から小規模への変換やアドホクラシーの登場が起こった。

ネットワークの外部性とは、より多くの構成員からなるネットワークそれ自体が

市場を介さずに他のネットワークに影響を与えることである。この外部効果は、

ネットワーク間の相対的な機会費用に大きな影響を与える。

 

Eサービス産業における情報技術の役割と影響を検討した後で、情報技術のこれまでの技術との違いを検討せよ。

 


●●● junji kurihara
サービス産業において、情報技術の導入される前は、意思決定において中央集権
化と分散化の2つに1つを選ぶといった状態でした。そしてこの形は、企業の末
端から情報を本店に送る際、中間企業を通ってから送られるので大変時間がかか
っていました。しかし情報技術の導入によってオンライン化されたあとは、企業
の末端から中間を飛ばして本店へ情報を送れるだけでなく、末端だけでも情報処
理を行えるようになりました。また、意思決定の集権化と分散化の同時進行も可
能となりました。このように、技術導入前と後では、システムの統合による違い
が大きいと思います。それによって、補完関係の機能が強化されたり、代替関係
の機能が更に整理されるといった逆分業がおこりました。このようなシステムの
統合は、確率性、連続性、抽象性といった性質を作り出すことに成りました。し
かし、エラーをした時のリスクは、大きなものとなります。
このように情報技術は変化していき、より高度なものとなってきましたが、パー
フェクトのものではないと思います。多少のエラーでも揺るがないようなシステ
ムを開発することは難しいけれども、それがサービス産業をより大きくするもの
であると思います。
E080103J 栗原淳二

●●● 6/10情報経済論の課題 E08-0203C 中村晃司

サービス産業において、オンラインによるシステムの統合は、末端から案件に応

じて様々な部門に多くの情報を流す事ができ、案件の内容により末端が処理でき

るようになった。このことは意思決定システムの分散化を起こすようになった。

さらに、末端から処理できない事を支店へ通さず、直接本店に依頼する意思決定

の中央集権化にもなり、組織の水平化になりうることになった。

銀行業においては、第三次オンラインにおける金融の自由化、国際化により

様々な銀行の統合化が起き、そして一つの取り引きにより即座に多くの処理が完

了し、エラー原因についても分析できるようになった。

コンピューターの導入、オンライン化によりシステムが統合され、他部門の取

り引きも容易になるし、代替効果を得る事ができる。さらにコンピューターの処

理能力を早くし、エラーの減少をする事により、信用性の利益を生むだろう。だ

がコンピューターの停止におけるすべての機能に影響を及ぼすというマイナスの

めんを考えないといけない。

 

感想 コンピューターのオンライン化による効果は多大なものであった。情報

技術が産業に入る事により様々な効果が生まれ、今後更に情報技術が進歩してい

くので、さらに多大な効果が得られると思う。だがそうすると情報技術の進歩と

共に人間も能力を高め進歩していくことが必要になるだろう。

 

●●● akinori wakabayashi

サービス産業における技術の導入は、生命保険の例では、オンライン化により

末端の営業マンでも苦情などの案件を処理できるようになった。また、直接情報

を本社に送れることから、支店では処理できない案件を本社に頼むことも出来る

ようになった。このように、技術の導入(オンライン化)は、意思決定の分散化

と、集権化を同時に可能とした。その影響として、専門家以外でも容易に業務が

こなせることからゼネラリストの必要性が強まった。銀行業の例では、第3次オ

ンラインにより、国内の業務と海外の業務の連携が可能となり、システムの統合

が行われた。この統合こそが、情報技術とこれまでの技術の違いだ。統合により

情報技術では、連続性、確率性、抽象性という特徴を備え、機能間における補完

関係は強化され、代替関係と重複の整理が図られたことにより、生産性は向上し

た。しかし、連続性という特徴から、システムをチェックする能力が必要とな

り、ミスが許されなく、コンピューターの故障などによる仕事への影響や、確率

性という特徴から、仕事の単純化による人間の能力の低下というマイナス面もあ

るのだ。

 

●●● Daisuke Unpou

情報技術が与える影響をサービス産業において考えてみる。まず、オンライン化

によって意思決定の中央集権化と分散化が同時に見られるようになった。本店に

つなげる場合や、案件によっては末端や支店で解決する事もできるようになっ

た。そして、情報技術のこれまでの技術との一番の違いは、システムの統合化で

ある。統合化によって、機能の補完強化や代替、重複の整理がおこなわれた。そ

して、業務は連続性、確率性、抽象性を持つようになった。これにより、労働者

はより広いプロセスを理解する事が必要になった。

 

 

●●● shunichiro mitsutake

サービス産業における情報技術の導入は、まず生命保険業界の例でもわ

かるように、 意思決定の中央集権化と分散化が同時に行われるようになった。

また本店と支店を瞬時に結 び容易にデーターのやり取りが行なわれるようにな

った。それから銀行業の例では、今まで 部門毎にやっていたシステムが統合さ

れ、国内の業務と海外の業務との連携が可能になった 。これによる影響は、専

門家があまり必要なくなったことと一つの処理を瞬時に終わらせる ことであ

る。

情報技術とこれまでの技術との違いは、連続性、確率性、抽象性という特徴

を備えたことである。

 


●●● 朝賀 浩之
情報技術はサービス産業において、意思決定システムに大きな影響を与えたと
いえる。これまで組織の意思決定には分散化と集権化のどちらかを選択しなけれ
ばならなかった。しかし、情報技術の導入によるオンライン化は、意思決定の分
散化と集権化を同時に行うことを可能にした。組織は集権化と分散化のそれぞれ
のメリットを得ることができるようになった。サービス産業では広い範囲での市
場(本社での処理)と細分化された市場(現場での処理)それぞれ即時の意思決
定が必要であり、情報技術はそれを可能にすることができる。
情報技術とこれまでの技術との決定的な違いは、システムの統合を可能にした
ことである。分断されていた分業体系は情報技術の導入により、その効果として
補完の強化、代替、重複の整理が図られ分業の再統合(逆分業)を導いた。この
統合により、情報技術はこれまでの技術には存在しなかった連続性、確率性、抽
象性という特徴を備えたといえる。
 また、情報技術の登場によって、「リエンジニアリング」による生産性の向上
という可能性が生みだされたのではないのだろうか。


●●● 近藤洋一

まずサービス産業について例を挙げて情報技術の役割と影響について例を挙げ
て考えたいと思う。まず大きな発展としての1つめは、第一生命のHome Office
についてである。1969年にオンラインシステムが出来てから様々な変化を遂げて
きた。ここであげる大きな変化といえば、2次、3次における意思決定システム
の変化であろう。これは、Home Officeから74の支店に分離しそれがまた、135に
も及ぶ販売拠点に分離する流れの中で、コンピュータ化によってその支店や販売
拠点を飛ばすという水平化が可能になったことである。それらのような事によ
り、中央集権化と分散化という事をプラスして考えられるようになった。後の
1983年には完全なコンピューター化が完成した。
2つめの大きな発展は、銀行業を例に挙げて考える。銀行業は、1950年代の中頃
に、オートメーシヨン化をとげ1965年にオンライン化をとげた。1970年から1972
年の間に第一次オイルショックと第二次オイルショックがおこり日本自体の経済
が下降するがすぐに立ち直った。これについては前の授業で述べたように徹底的
な省エネ化によるものであった。そして銀行業もコンピュータを導入せざるを得
なくなった。日銀中心の全銀システムにより、ネットワークが出来上がり始めて
のオンライン化が成功した。そして住友銀行が良い例である第三次オンライン化
が起こった。それにより、金融市場の自由化と金融市場の国際化が銀行に求めら
れるようになった。第三次オンライン化による一番の結果は外国の国々とのシス
テムのINTEGRATIONによってお金が合わなくなるような事が少なくなった。今ま
での情報技術からはかなり大きい進歩と言えるであろう。そしてコンピューター
化により様々な変化が起きた。まずオンライン化によってgeneralistになれなく
てもspecialistになれるようになった。そして仕事の上でも仕事が安易になっ
た。技術の導入によって分業(意志、階屋、人間の能力)の3つが成り立つよう
になった。
まとめると、INTEGURATIONの効果は補完関係の機能が更に強化され代替関係の
機能が整理され同じ関係の機能も整理された事である。その技術は、連続性を持
ち確率的であり工場でもオフィスワークでも同じ事が言える事に成る。これらの
事を見ると、サービス産業における情報技術によって(コンピュータの発展によ
って)色々な事が変わってきていて進歩してきている事を実感しました。しかも
サービス産業によるものがここまで大きな影響を与えている事は知りませんでし
た。これからはそれらのような事を頭に入れながら、銀行などを見ていこうと思
います。



●●● 青木 誠
情報技術の導入によって、サービス産業に様々な変化がもたらされた。例えば生
命保険業の場合、意思決定の中央集権化と分散化が同時に行われた。処理案件の
性質によって、その意思決定を本店が行ったり、支店または営業マンが行ったり
することが可能になった。また、銀行業の場合では、第3次オンラインによりシ
ステムの統合が行われ、国内業務と海外業務の連携が可能になった。これによ
り、タイムロスが減り、業務が簡略化され専門家の必要性が少なくなった。サー
ビス産業における情報技術の導入は、結果としておもに「統合」を推し進めた。
それにより人間は選択の幅が広がり、いろいろな可能性が増えた。また、情報技
術はそれまでの技術とは違った性質(連続性、確率性など)を持つため、仕事に
求められる性質も変化した。

●●● 鈴木 6月10日の課題(情報経済論)
今までの情報技術は、組織の水平化が行われた。コンピュータの導入により、市場産業は組織の統合が為され様々の分野においても分散化が進んだ。サービス産業を見てみると、
オンライン化により、意思決定機能にも影響を及ぼした。また、組織の連続化がなされた。
これは、統合からの連続化と言えるのではないだろうか。連続化によって一瞬での案件の処理が可能になったと言う利点も大きいが、逆にそれにより行程システムにおいてミスが許されないと言う不安も増大した。だからこそ、逆分業を進めることによってまだまだ可能性は見えてくるだろう。
授業の感想
情報技術もいろんな形で進化してきたが、やはりその組織においての適応性が重要だと思った。オンライン化によって進化したとはいえパーフェクトではない。だからこそ、進化してゆく未来が楽しみである。



●●● 情報経済論 6/10宿題 三村和則
今までの産業では、情報化により組織の水平化、意思決定の分散化がおきた。
サービス産業では、オンラインにより、今まで本店によって処理されていた案件がデーターベースなどの利用により支店でも処理可能となり意思決定の分散化が進んだが、支店では処理できない案件を直接本店に送り処理を頼むといった意思決定の集権化も同時に進んだ。
またこれらのオンラインは、サービス業においては一つの組織内だけでなく、他の組織とも結ばれ産業内にも浸透していった。これにより、産業内での情報の共有、システム間の相互補完を強化し代替機能整理による生産性の向上につながった。しかし、このシステムは業務を連続的、確率的、抽象的にし、一つのエラーによってすべての仕事に支障を来たすという危険性も増大した。


●●● masahiro yadoiwa
 これまでの情報技術は、組織の水平化を導いた。その結果、中間管理職が行っ
ていた情報管理は、コンピューターに変り、いくつかのプロセスは統合された。
また新技術は、若い高学歴の労働者に対する需要を高め、経験と腕にもとづく階
層組織を崩壊させ、柔らかい分業を促進させた。
 サービス産業における情報技術は、その業界自体の水平化をもたらしたように
おもえる。
 オンライン化により、案件の情報を直接本社に送れたり、末端でも処理できる
ようになったり、意思決定の中央集権化と、分散化が同時に起こった。また、そ
の業界自体や、海外の支店とオンライン化をすることにより、業務が連続化さ
れ、一瞬で案件などの処理が可能になった。
 サービス産業では、その他の産業に比べて、オンライン化することによって、
分散化が進んだようにおもえます。

感想

コンピューターのネットワーク化が、いかに仕事を早くするかがわかりまし
た。ただ目に見えないところで、連続して仕事が進むので、ミスや、故障したと
きが大変だと学び、完璧なものはやはり、簡単ではないと思いました。

●●● 宇多 6月10日
情報技術の役割と影響について考えると業務の連続化といえる。その連続性によ
って、一つの処理がスムーズに行えるのである。これをふまえて、これまでの技
術との違いを検討すると連続性を本にして、意志・階層・人間の能力と言った分
野で統合(補完・代替)がなされた。その結果、このような状況ゆえに末端部門
で処理できる案件も出てきた。つまり、集権化と分散化が同時に存在するように
なったのが一番の違いである。

●●● 6/10の課題 E080621 高橋牧子
サービス産業においての情報技術の導入は、本店と多くの支店を一瞬にして結
ぶことによってさまざまなデータのやり取りが容易にできるようになる。また、
意思決定の中央集権化と分散化が同時に行えるようになった。それは技術や生産
性がミクロのレベルにまで進んでいる。
これまでの情報技術によって組織は水平化されたが、サービス産業においての
情報技術はそれらを統合するものである。そしてその統合化がサービス産業内で
の業務をスムーズに進めるだろう。


●●● Yasuyuki Kina <e080468@isc.senshu-u.ac.jp>

6月10日の宿題
サービス産業においてオンライン化は決定システムに影響を与えた。業務の連
続化によって瞬時に1つの処理が完結する事、専門家でなくても容易に業務をこ
なせるようになった事に加え、CAREER PATHという専門職、一般職、
地域限定職などのキャリア選択制度の導入などさまざまな影響を受けた。第三次
オンラインによってシステムが統合され、経済性は各ジョブの中にある様々な機
能間における補完の強化、代替、重複の整理が図られる。統合によって情報技術
はこれまでの技術とは異なる連続性(CONTINVOVS EVENT)、確
率性(STOCHASTIC EVENT)、抽象性(ABSTRAG EVE
NT)という特徴を備えるようになった。しかし、現在の情報社会では一度コン
ピューターが麻痺してしまったら、何も出来なくなり仕事自体も麻痺してしまう
と言うマイナスの要素も含んでいる。
感想
確かに、以前の日本人の新しい技術の導入に対する意欲は終身雇用と言う存在
が大きかったと思います。日本人の性格と言うか風土上、これが必要ですとか大
事ですと言われると不満を漏らしながらも勉強して習得しようとします。しか
し、終身雇用制度が崩壊してしまった現在において日本人労働者の技術導入に対
しての考えも変わってきているのではないかと思います。


●●● 糀谷一泰

膨大化した仕事を瞬時にこなすという上で、情報技術の導入は、いまでは絶対的
存在となっている。また、部門間の統廃合が進み人員削減やだれでも簡単に仕事
をこなせるようになったという点で経費削減にもつながる。人件費がかさむサー
ビス産業において、仕事の合理化はまさに死活問題といって良い。当然、人を減
らしても今までかそれ以上の生産力を上げたいところである。サービス産業にお
ける情報技術の導入の影響は、今までのケースとは多少異なり、意思決定システ
ムにみられるような確実性・分析力や解析力などに特に強い能力を求められる点
である。現代において、不測の事態がおきた場合でも的確な処理を下せなければ
顧客は他に逃げてしまう。情報のより迅速な解析こそがサービス産業に要求され
るものと考える。



●●● Daisuke Fukutome
サービス産業における情報技術の役割は、銀行の例でも明らかだが「オンライン
化によるシステムの統合」という一言につきる。これによって国内のみならず海
外市場ともつながった。金融の自由化、国際化の中で、情報技術の役割はかかせ
ないものになっている。また、これによる影響として考えられることは、キャリ
ア選択制度のほかに、優秀なゼネラリストの必要性が一層強まったことなどが考
えられるのではないかと思った。また、これまでの技術との違いは、連続性、確
立制、抽象性などの特徴が挙げられるが、自分が思ったのは、物事を客観的に見
て、問題を発見し解決する能力が最も必要とされるようになったことがこれまで
とはおおきく異なるのではないかと思う


●●● 矢作 敏和
生命保険会社の場合で言えばコンピュータの役割は企業を
オンラインで結ぶことであると思う。つまり企業の上から下
までをネットワークで結ぶことで営業の促進化を図ることで
あろう。
それまではオンラインではなかったために一番下の子会社
はその上の直営の会社にしかネットがつながらなかった。し
かしオンライン化により子会社でもその場で本社に接続でき
るわけだから仕事の効率がよく、また連続的になり専門職が
あまり必要でなくなった。
これまでは情報技術は人一人の仕事を簡単にするための道
具としてしか見られていなかったが、今では企業単位の仕事
をも楽にしている。

 

●●● 大前 コンピューターの導入によって、連続性と統合(INTEGRATION)の効果を考えると、まず、第1に補完関係の機能が強化され、第2に代替え関係の機能が整理され、最後に重複関係に機能が整理されたことがいえる。この結果、効率上がったといえる。

さらには、知識の重要性がました。

このことからも、技術の導入は企業にとって大切なことである。

また、過去の日本の技術導入への積極的な態度は終身雇用にあったともいえる。

今後、終身雇用が崩壊するだろうといわれるなか、日本は日本は技術導入に積極的な態度をとることができるのであろうか。

 

感想:

今回の授業で、コンピューターの導入により組織と技術の同化にどのような

影響を与えたのかということが良く分かりました。

この授業を聞くたびに思うことが、企業による、効率を考えることは本当に

面白いなということです。そのためには、コンピューターの導入は不可欠で

あるし、企業にシステム全体を考えることも不可欠である。これからの授業

が楽しみです。

●●● 水沢 1998.6.10 宿題
 サービス業において技術の導入(on line化)は、仕事、意思決定の分散と中央
集権を生んでいる。
 オンラインネットワーク化は、情報の共有により中央で行われていた仕事を各
端末で行われる分散された仕事にしていることがある。 (例)スカンジナビア
航空では、苦情処理業務は本社で集中処理されていたが、苦情は各端末の窓口で
対応できることが望ましく、同社では苦情処理業務を分散させ、端末で対処する
ようにした。これはオンラインネットワークによる情報の共有がトラブルがどの
ようにおこったかを端末で調べることを可能にし、苦情処理業務のマニュアルを
データベース化することによって、スペシャリスト以外でも仕事を容易にこなせ
るようになったことによる。
 一方で分散されていた仕事、意思決定権を中央集権化させることもある。銀行
ではオンラインネットワーク化により、各支店での取引は瞬時に中央に計上さ
れ、各支店での経営管理の多くは中央に吸収され、集権化されている。これによ
って各支店では、より顧客に深く対応できるようになっている。
 このようにサービス業における技術の導入(on line化)は、仕事、意思決定を
分散させたり、中央集権化させ、顧客に密に対応できることを可能にしている。


●●● "Yoshiki Kishida"

サービス産業における情報技術の導入は、意思決定の中央集権化と分散化を同時に行えることを可能にした。例えば、案件の処理を支店では対応しきれなかった場合に、その意思決定を本店に任すことにより、スムーズな仕事が可能になった。また、第3次オンラインにより、国内と国外の業務の連携がおこり、金融市場の自由化や、国際化が図られた。これらの、情報技術の効果としては、補完の強化、代替と重複の整理で、このような統合により、連続性、確率性、抽象性という特徴を備え、仕事の性質も変化し、逆分業という矛盾も、矛盾ではなくなり、生産性を上げる要因となった。


●●● megumi mathunami
サービス産業にをける情報技術の役割はとても重要な位置を占めており今では情報
なしでは成り立たない産業であるともいえる。わたしがバイトをしているコンビ
ニでも、何十代の人が何を買っているのかという統計はボタン一つで出てくるよ
うになっている。その統計や次の日の天気予報を元に商品を発注している。この
ようなものは、本当にここ十年足らずで発達してきており、この情報技術の発達
は、これまでと違い、その地域や状況に応じた事ができるようになった。

●●● 庄司

情報技術のこれまでの技術との違いは統合である。それによって、瞬時にわかるよう
になり、意思決定を中央集権化と分散化で同時にできるようになった。そして、補完
関係の機能が更に強化され、代替関係の機能が更に整理された。すなわち、連続性、
確立性、抽象性がもたらされた。しかし、それとともに危険度も増した。人間の能力
に関しても、情報技術の導入によって仕事を単純化し人間の能力をDe-Skillingされ
たが、逆に、問題を指摘する能力、解決する能力、Handlingする能力、幅広い知識の
重要性(前行程と後行程のプロセスがわかる)、が必要になってきた。

 

●●● 08-0597k 横田真紀

サービス業における情報技術の役割と影響は、オンライン化による意思決定と分

散化と中央集権を同時に実現とシステムの統合ということである。第一生命の場

合では、本店と支店、末端を直接結び、データのやり取りが簡単になり今までか

かっていたコストと時間が大幅に縮少できた。そして末端の意見も直接上に届く

というシステムになった。銀行業では1970年の第3次オンラインで金融市場の自

由化と国際化を進めた。サービス業における情報技術の導入は産業ないでの情報

の共有と業務の連続性を高めた。

これまでの技術と情報経済の違いはサービス業においては、オンライン化によ

って、意志を自由に伝えられ顧客によりはやく対応できるということである。こ

れからますます情報化が進み、意志の疎通が早まり、サービスを受ける側が主体

になる。消費者主体で多種多様なサービスが必要となってくるであろう。

 

●●● サービス産業における情報技術

Wed, 15 Jul 1998 17:49:37 -0700

daisuke sekiguchi <e080491@isc.senshu-u.ac.jp>

サービス産業における情報技術の役割は、意思決定に関する事だと思う。それま

では意思決定は中央集権だった。そのため一つの意思決定に多くの無駄な時間と

労力を費やした。しかし、第一生命ではオンライン化することにより、意思決定

を中央集権化と分散型とを同時に行う事に成功した。その結果無駄な時間と労力

を減らす事ができ、意思決定をスムーズに行う事ができるようになった。その結

果組織の水平化が進んだ。

 

 

●●● sakai hayato

Wed, 08 Jul 1998 15:39:16 -0700

サービス産業における情報技術の導入は、生命保険において、オンライン化する

ことで、末端のサラリーマン、営業マンでも苦情などの案件を処理することがで

きるようになった。情報を安易に送れるので、難しい案件などは、本社に任せた

り出来るようになった。

銀行においては、いままでは難しかった。国内、海外の業務の提携が出来るよう

になった。つまりシステムの統合である。これにより情報技術では、連続性、確

立制、抽象性、特色を持ち機関における補欠関係はより強い者となった。これに

より生産力もあがった。

 

サービス産業では、オンライン化は、意志決定の分散化、集権化を同時に可能と

した。その影響で容易に業務がこなせることから、ゼネラリストが非常に必要と

なった。

銀行業においては、ミスすることが許されなく コンピュータが故障したりする

と業務がまったくおこなえないなど仕事が単純化してしまい人間の能力の低下に

結びついている。

 

 

●●● 6月10日情報経済論の課題 E08−0265E 内山ゆう子

Wed, 08 Jul 1998 14:20:18 -0700

サービス産業における情報技術の導入は、オンライン化で本店と多くの支店を一

瞬にして結ぶことにより意思決定の中央集権化と分散化を同時に行うことを可能

にした。

また国内だけでなく、海外支店等との連携が可能となったことにより、業務が連

続化され、瞬時に1つの処理が完結することを可能にした。

これらの影響で、経験や知識を多く必要とする専門家の必要性は少なくなった。

また、これまでの技術との違いは、統合による連続性、確率性、抽象性という特

徴を備えることである。しかし、利点も多いが1つのミス、エラー、ウイルスが

許されないという不安もある。

感想

オンライン化ということで,POSレジ?を思い浮かべました。情報技術を導入

し活用することで、私達のちょっとした行動も情報となるのだなとふと思いまし

た。

 

 

●●● 大慈彌

Eサービス産業における情報技術の役割と影響を検討した後で、情報技術のこれまでの技術との違いを検討せよ。

 

サービス産業では、オンライン化することで末端でも業務を処理できるという意思決定の分散化と、末端では処理不可能な業務を本部に依頼するという意思決定の中央集権化が同時におこった。つまり、情報化によって組織の水平化と意思決定の分散化がおこった。

また、オンラインによる効果は、サービス産業の生産性を向上させるとともに、業務上のミスは仕事全体にストップをかけてしまうというリスクを背負うことになった。

Dソフトウエア生産における専門性に基づく分業と、柔らかい分業とを比べ、その功罪を論ぜよ。

 

 

●●● junji kurihara

ソフトウェア生産における専門性に基ずく分業とは、アメリカのように1つ1つの

部門が完全に分断され、個人はその分断された部門の中の1つの仕事だけを専門

的に行っていくことです。実際には、立法、行政、司法といったように、

SD,PROGRAMIMING,TESTERといったそれぞれの部門が独立し、他の2つの部門には

まったく関与しないということになります。すると1つ1つの部門の質は高くな

り、結果的に、より良いものを生み出せるようになる可能性も高くなります。そ

の反面、エラーの発生率は高くなります。なぜなら、自分が気がつかなかったミ

スを、他人に指摘されるといったわれわれの日常のことでもあるように、その部

門で起こったエラーはその部門内の人では気ずきにくいということがあるからで

す。その点日本が行ってきた柔らかい分業では、アメリカのように完全に部門部

門が決まっていて、1つの仕事だけをしていくわけではなく、同時に他の部門に

も目を通せるためエラーの発見生は高く、そういった意味で、エラーは少ないも

のとなります。しかし1つの仕事に対する理解度が曖昧なものになってしまうと

いった点で、アメリカよりは生産性は低くなります。

したがってこの2つの分業は、どちらが最適かと言うのは、一概には言えませ

ん。これらはそれぞれの国で効果を上げた結果、どちらの国でも現在に至る成長

を遂げているのです。結論として、一番大切なのは、その国、その時に応じた風

土に合った分業体制を見つけることだと思います。

 

●●● 石田

ソフトウェア生産 における専門性に基づく分業と、柔らかい分業についてであるが、日本においてアメリカ式の専門的な分業体系を実践するにはいくつか問題点が挙げられる。

1 アメリカと比べてソフトを制作する人の絶対数が足りないのではないか?

2 柔らかい分業のためソフトのエラーチェックが正確に行われない(時間がかかる)

3 今現在では、アメリカの絶対的な力を持つ企業のソフトに打ち負けてしまう。

と、こんなふうに問題点は挙げられるが、日本の企業にとって良い面も見られる。

例えば、去年から話題になっているメールソフト、PostPetは日本の企業のものだし、

今でこそワープロソフトはmicrosoftのWARDであるが、1.2年前に流行った一太郎が日本の企業のものである。これらの日本の企業のソフトの成功のカギは、やはり日本人の感覚にあったものを作り出した ということではなかろうか?これは、いくらアメリカの企業が頑張っても勝つのは難しいのである。

しかし、このままで日本の企業が良いかと言われると、答えは・/FONT>NO狽ナある。それは現在

日本のソフトウェア会社がエラー率の少ないものを作っているというが、それはアメリカの企業と比べた場合、明らかにそのソフトにかける時間が長いのである。時間をかければエラーの発生が妨げられるかもしれない、しかしソフトウェア関連はこれからの時代の担い手となっていく分野であり、さらに急速なスピードで進歩をとげていく分野であるためこのような日本の方式では追いついていけないし、また制作を急ぐあまりエラーが発生したりするであろう。

ということは、これからの日本のソフトウェア産業はどういった道を選択すれば良いのか?僕が考えるに、日本もアメリカと同じような質、量を持つソフトを制作したいと考えるなら、やはり日本もアメリカ式にすべきなのではないだろうか?しかし、今現在ではまだそのような体制も整ってないし、絶対的な制者人数が足りないという問題が生じる。だから、当面は日本の得意とする分野に焦点をしぼり、性能が良くアメリカソフトとは異なる日本人に適したソフトを作っていくしかないだろう。そこから徐々にアメリカ式に移行していきつつその都度両者の良い面と悪い面を取り入れていき、ソフト制作に良い環境を作りだすことが大切である。

 

 

●●● Daisuke Unpou

アメリカはSDとProgrammingとTesterに完全に分かれていて

専門性にもとづく分業が行われている。一人一人の仕事がはっきりしているため

生産性は高い。また、外部労働市場によってアメリカのソフトウェア市場は発展

している。しかし、専門的分業のため労働者の向上心が低いことや創造性が発揮

しにくいという問題もある。日本は未分化な分業制で、部門間の境界はあいまい

である。このことが生産性が低い一つの要因になっている。では、日本も専門的

分業を取り入れてはどうかと考えられるが、労働者の向上心の低下や日本の社会

風土にあわないなど問題がおこってくる。また、社内生産が多い内部労働市場の

ため国内の市場が発展しない。日本の良いところは、エラーの発生率など品質管

理において非常に優れていることである。これは、内部労働市場や柔軟な分業制

にもよるものである。このように日本の分業制は長所と短所をあわせもってい

る。それぞれの国によって風土や環境が違うのだから、日本にあったやり方を探

せばいいと思う。

 

●●● 小野智之

アメリカのソフトウエア産業は、専門性に基づく分業により、立法・行政・司法

が分離していてそれぞれが、専門家になっているので、生産性はとても高い。

日本では、これらが未分化のままであり、生産性はあまり高くない。

しかもソフトウエア産業に対しても、アメリカは政府の資金投入があったのに対

し、日本では民間主体でしかも大手メーカーの下請けが多いことも日本のソフトウエ

ア産業の伸び悩みの一つである。

しかし日本の特徴である柔らかい分業の下で、労働者たちは終身雇用などによ

り、労働意欲は高く、ゲームソフトなどの創造的な分野で力を発揮したり、エラー率の低さが世界でもトップクラスの製品を作ることができるので、日本は無理してアメリカの

真似をやらずに、日本の風土に適合したアメリカのいいところを取り入れ、日本独自のスタイルで行けばいいと思います。

提出が遅れてすみません。

 

●●● 論点5 田辺健太

専門性に基づく分業と柔らかい分業の功罪は前回の論点で述べた通り。これをソフトウェア業界という視点で考えるとき注意しなければならないのがバグ発見時の処理方法であろう。今まではアメリカ式の分業では、その場で処理ができないという問題があったがこれもITの進歩により情報の共有化が実現し、その弊害がなくなったと考えられる。具体的には進捗状況の共有化が可能となったことである。これによりバグが発見されると瞬時にすべての人間がそれを知ることが可能となったのである。すべての人間が知らなくてもプロジェクトリーダーさえ知れば的確の処置がとれるシステムが完成した。また、ここで日本の優位性が消えた。労働者のキャリアデベロップメントに関してはOJTで補うという考え方もできるが、基本的に日本もアメリカも個人の適正を会社が判断してしまうというのは変わらないようであり、適正を個人が判断する制度も必要であろう。

結論、ITの進歩により進捗状況の共有化が可能になったため、アメリカ型の方が効率、コストを考えても優れているといわざるを得ない。

●●● 横田真紀
ソフトウェア産業において、アメリカではソフトウェアは独立していて、市場
からパッケージを購入するため、市場競争によりソフトウェア産業は向上してい
った。また、専門性に基づく分業でSD,プログラマー、テスターと完全に分業
されているので、他人のミスを見つけやすく甘えが許されないため、個々の責任
とプロ意識が高まり生産性が高まっている。
一方日本ではソフトウェアはハードメーカーの下請けかをしてしまい市場競争
の波に飲まれずにつぶれることがない。また、柔らかい分業でSDとプログラマ
ーとテスターが未分化でやさしいものを作ろうとし、向上心を失い甘えが許され
てしまう。そこが日本の弱さである。しかし日本は品質管理という面で、エラー
率は低く世界最高の質を誇っている。悪い面を自覚し良い面を伸ばしていけば日
本のソフトウェア産業も独自のシステムで生産性は上がっていくであろう。


●●● sakai hayato
ソフトウェアによる分業生産性から見ると専門性を重視したアメリカは、
立方 行政 司法という部門がしっかりしているため、生産性の向上につながって
いる。
しかし日本は、分業が非常に柔らかく行われると、ハードウェア産業に見られる
ような生産が向上する事は望めない、そしてこのことは、生産の伸び悩みにもつ
ながる。しかし日本にも素晴らしい分野がある、それはゲームソフトやソフトウ
エア質の高い生産が柔らかい分業で行われているので一概に日本の分業体制が悪
いとは言えないと想う。
今現在アメリカのソフトウェア産業は非常に活発だが、日本のソフトウェアは、
今よりももっと質の高いものを作り出す事が出きれは状況も変わってくるかもし
れない。

●●● 6/3の課題 E08-0294B 奥澤 啓之
アメリカにおける専門性に基づく分業では、分業であるために作業の効率性があが
り、時間も短縮でき、コストも抑えられる。また、システムデザインに時間をかけ
るのはどんな物を作るのかという事を明確に示すことによって後の行程を行う人が
やりやすいようにするためではないだろうか。しかし、問題もある。最後の仕上げ
をするテストの時にもし欠陥が見つかったとしたら、専門別分業においては現場で
の処置ができないので、その仕事をまたプログラムに戻したり、もしくはシステム
デザインに戻してはじめからやり直しという事が起こる。また、アメリカのような
流動的な労働市場では、その仕事を行った人がもう会社にいないということも考え
られる。非常に時間とコストがかかり非効率的である。
一方、日本の柔らかい分業ではシステムデザイン、プログラム、テストがそれぞれ
混ざり合っており、現場主義で各々がすべての作業を行えるため、欠陥が見つかっ
ても即座に処置できる。また、システムデザインよりもプログラムに時間をかける
ので試行錯誤が多く時間とコストがかかるが、エラーの少ない高品質の商品を作れ
る。しかし、問題もある。やりながら直すという方法なので無駄が多く、またみん
なで作るという事で間違いの発見に気づきにくいと言う問題点もあるようである。
 
授業の感想
グローバルスタンダードが確立する中で、一概にグローバルスタンダードが良いと
はいえない。日本的な柔らかい分業も評価すべきではないだろうか。

●●● 6/3(水)の宿題
akinori wakabayashi
ソフトウエア産業におけるアメリカの専門的な分業では、立法、行政、司法が
分離し、それぞれの部門が独立しているために生産性は高い。しかしその反面、
分業が専門化し、部門がはっきり分離しているために、労働者の労働する向上心
を低下させてしまう。一方ソフトウエア産業における日本の柔軟な分業では、分
業体制が未分化しているため、生産性はアメリカ(専門的な分業)に比べて低
い。しかし、質の面から考えると、終身雇用制や、内部労働市場で会社中に情報
が回るために、エラーの発生率が世界一低い。また、柔軟な分業では、専門的な
分業と比べて、労働者の労働意欲は高く、創造性が発揮できる環境にあるため、
質の高いゲームソフトなどが生産され、世界でもトップクラスのものとなった。
今後の日本のソフトウエア産業を考えた場合、生産性を上げるために専門的な
分業に変えるべきだ、という声もあるかもしれないが、日本が専門的な分業に変
えたからといって、生産性は必ずしも上がるものではないと思う。風土的な違い
もあるので、むしろ日本は日本独自の柔軟な分業を行うことで、ソフトウエア産
業の生産性を上げて行くべきだと思う。ゲームソフトに代表されるように、日本
のスタイルを貫き通す事で、世界のトップに立つことも出来るからだ。


●●● kouji nakamura
専門性に基づく分業は立法、行政、司法といった部門が完璧に分断化され、それ
ぞれ独自の仕事を的確にこなす。
分断化されているため、他人の目が変化すると、細かいチェックができエラーが
低い。一つの部門だけを担当するため、生産性が高い。だが部門に分けられてい
るため、労働の変化がおこなわれず、向上心を失ってしまう。
一方柔らかい分業は、部門間が分断されず分業の未分化である。このためいろ
いろな仕事に携わるために、目がいききしずらくエラーが発生しやすい。このた
め生産性が低い。
ここでアメリカは専門性の分業であり、日本は柔らかい分業である。アメリカ
は自分の仕事をまっとうし、他人の仕事を一切しない風土のため、専門的な分業
体制に適しているが、ここで日本が専門性の分業を行うと、日本の風土上人々の
向上心がなくなり、日本においては生産性が低くても柔らかい分業をするほうが
適している。
だが日本はハードウェアが高いため、ソフトウェアに関しても同じ方法や、終身
雇用制によるデーターの収集により生産性を上げ、エラーを減らし品質管理がよ
いので、日本の分業体制は良くとも悪いとも言えないと思う。

感想:今日の講義でハードとソフト産業の分業体制の功罪が理解できました。こ
れにそれぞれの国の風土が関連していることが大事であると知りました。


●●● 朝賀 浩之 <e080177@mail.isc.senshu-u.ac.jp>

アメリカ(専門性に基づく分業)のソフトウエア産業の場合、それぞれの分野
(SD,Programming,Tester)が完全に分離し、独立してい
るため生産性の高いものになっている。一方、日本(柔らかい分業)のソフトウ
エア産業の場合、それが未分化であるために短期的には生産性が低いといえる。
しかし、長期的な視野で見ると、労働意欲の向上、創造性が発揮できる環境、質
の高いソフトの供給などの観点から日本の柔らかい分業はソフトウエア産業にお
いて最適な分業体系であるといえる。これらのことから、その産業が未成熟であ
るときは専門性と効率性を追求したアメリカのような分業が必要であり、産業が
成熟した段階では日本のような柔らかい分業が望まれる。
けれども、アメリカと比べ産業の成熟度で見劣りする日本のソフトウエア産業
が、アメリカのように専門性を追求することが必要であるということではない。
アメリカよりも優れているエラー率の少ない質の高いソフトやゲームソフトは日
本の柔らかい分業から生まれたものである。日本独自の方法でソフトウエアの生
産性を向上させることが必要ではないだろうか。

●●● 青木 誠
ソフトウェア生産における分業の功罪を、まず生産性の面からみてみる。専門性
における分業が行われているアメリカの場合、生産が順序立てて大きく三つに分
離されており、そのため非常に効率的であり、それが生産性の向上につながって
いる。一方、日本のような柔らかい分業が行われると、ハードウェア産業にみら
れたような生産性の向上にはつながらず、かえって生産性の伸び悩みの一因にな
ると考えられている。しかし、品質の面からみると、日本のゲームやソフトウェ
ア工場に代表されるような質の高い生産が、柔らかい分業のもとに行われてい
る。このようなことから、どちらのほうが良いとは簡単にはいえないが、現在の
アメリカのソフトウエア産業の活躍をみていると、やはり専門性における分業の
ほうが効果が大きいのではないかと思う。

●●● 近藤洋一

このソフトウェアの逆にハードウェアというものもある。しかし、今回のレポー
トはソフトウェアについて聞かれているのでソフトウェア中心に述べていこうと
思う。
まずソフトウェアにはOPERATION SYSTEMというコンピューター資源の管理ソフ
トでハードウェアからソフトが独立したものがある。これは、ENGINEERから
TECHNICIANへの変化である。そして、高級言語ができて、そのおかげでソフト労
働者という人たちが生まれた。そして今まではその仕事はとても属人的で1人が
独占しており、その人しか直せなかったが、だれでもそれが出来るようになっ
た。これらのことを、構造化ともモヂュール化という。そして、労働管理が
TAIRORRISMの影響を受けるようになった。そして、「ハード」と「ソフト」は完
璧に分かれた。分業が行き過ぎた時逆分業が起こるという仕組みが出来上がっ
た。アメリカは(ハード<ソフト>であるのに対して日本は(ハード>ソフト)
という状態であった。日本はソフトウェアがとても弱く第1次オイルショックの
後はGDPがマイナスになり、外国人のだれもが日本のソフトウェア産業はもう駄
目だと思っていた。しかし、日本はその予想を裏切り持ち返したのだった。その
理由は、コンピュータを使った徹底的な省エネ策であった。これによりソフトウ
ェア産業に対する注文が増大した。日本のソフトウェア産業の弱点は、荒波にも
まれていなく、生産性が少ないという所に有った。
これからの、日本はソフトウェア産業がいかに伸びていくか(「ソフトウェア
のボトルネック」)が重要であると思う。そのためには、日本人の中にある「ソ
フトはハードの従属物だ」という理念をなくさなくてはならないと思う。日本の
ソフトウェアは他の国に比べて品質管理が世界1という利点をもっと生かして他
の国の目を引けばいいと思う。日本のシステムにおける分業はまだまだ未分化で
ある。それは日本の社会フードが熟していない、いわゆる専門性に基ずく分業に
するのは今の段階では無理なのである。技術と組織、どちらがいいとは言えない
が、日本はいつもアメリカの真似ばかりしていると思う。そこをまず何とかする
事から始めるべきではないだろうか。

●●● 情報経済論、庄子穏行

ソフトウェア生産における分業について、日米の比較を通じて考えてみたい。
専門性に基づく分業を行なっているアメリカについてだが、立法、行政、司法、つ
まり、SD,Programming,Testerにはっきり分離されていて生産
性が高い。
柔らかい分業を行なっている日本についてだが、アメリカのように専門性に基づく
分業がしっかり行なわれていないので、その分業があいまいで、短期的に見れば、生
産性が低い。
このことを一概に日本は未熟だと言いきることができるだろうか。言い換えるなら
ば、アメリカだけがグローバルスタンダートすなわち、アメリカだけが真理なのだろ
うか。日本には日本のいいところがあるし、アメリカにはアメリカの得意分野があ
る。それぞれのあり方が存在してもいいと思う。それぞれ独自のその国の発展の仕方
があって当然だ。それは人間性や風土、文化、価値観、歴史などの違いに起因する。
それを人間に置き換えて考えてみる。人間にはそれぞれ能力の違いがある。この人
はこういうことにむいているが、あの人はこういうことに向いている。というよう
に、能力の違いを認めて、それぞれ自分の得意分野で勝負すればいいと思う。それ
は、もちろんその人の背景などにも大いに関係している。
日本は一部にゲームソフトなどの様に創造的な領域や、ソフトウエア工場のよう
に、終身雇用の下で、エラー率の少ない質の高いソフトをつくることができる。その
ような得意分野を生かしていくべきである。僕はコンピューターが本当に普及するの
は家電になったときだと思う。僕はDOSのころからコンピューターを使っている
が、今のOSを使うと昔のコンピューターとは明らかに使い方もずっと簡単になって
るし、違うものになってきている。昔は、コマンドを入力していちいちやっていた
が、今はマウスをクリックするだけでできてしまう。コンピューターも歴史とともに
形も性能も変わっていくと思う。もし、コンピューターが家電になったら、日本の時
代が来ると思う。日本は高品質で、軽薄縮小のモノを作るのがうまい。よって、日本
は日本の得意分野で勝負していけばいいと思う。
日本は、アメリカのような専門性に基づく分業をしろとはいわないし、例えそうし
たとしても、日本には合わないだろう。例えば、サッカーなどがいい例である。サッ
カーの強い地域は南米とヨーロッパの2つに分類することができるが、日本はJリー
グの結果から見るとJリーグで優勝したチームを見ると南米スタイルが多い。日本は
とりあえずは南米スタイルを目指すべきだが、日本がブラジルみたいなサッカーをす
れば勝てないし、日本はブラジルみたいなサッカーはできない。それは、体格さも違
うが、能力も違う。したがって、日本の目指すサッカーは南米スタイルでもないし、
ヨーロッパスタイルでもない。日本は日本独自のサッカースタイルを目指すべきだ。
すなわち、分業においても、日本は日本独自の分業を構築していくべきである。それ
は時代とともに変化していくのはもちろん当然であるが・・・。



●●● 米国と日本のソフトウエア産業の違い

関口大輔

アメリカと日本のソフトウエア 産業における、大きな違いは、アメリカは市場
からパッケージを購入する外部 労働市場なのに対し、日本は社内生産における
内部労働市場であるという点である。アメリカは、専門的な知識を持った人が、
さまざまな企業に行き、そこで製品を作り出すため市場が形成され、競争が発生
し、活発に発展した。日本は終身雇用制度により、一つの企業に収まり、その知
識、技術が外部に出ることがないので、アメリカに対してさまざまな点で後れを
取ることになった。しかし、エラーの発生率と言う点では世界最高に位置してい
る。これは、日本がハードウエアを作るのに適した風土であり、ハードウエアて
きにソフトウエアを作成したためである。
E08-0491




●●● Yasuyuki Kina <e080468@mail.isc.senshu-u.ac.jp>

<6月3日の宿題>
ソフトウェア生産における専門性に基づく分業の功績はアメリカでは政府特需
により莫大な資金が投入され、これによりソフトウェア企業が数千に増えソフト
ウェア業界の生産力が高くなった。しかも、ハードとソフトの未分化な状態か
ら、OS、プログラミング言語、構造化あるいはモヂュール化という技術進歩の
中で、ソフトウェア労働を立方、行政、司法に比べられるSD、Programming、
Testerとはっきりと分離させた事によってソフトウェア生産が世界に先駆けて進
歩した。罪は長期的に考えるとはっきりと分離させる事は労働者の向上心を奪っ
てしまうことです。
柔らかい分業の功績は終身雇用の下でエラーの発生率が世界で一番低い、質の
高いソフトを作るソフトウェア工場である。それと外部労働市場の傾向があるゲ
ームソフト産業である。罪は日本のソフトウェア産業の労働分業体制の未分化で
ある。未分化のため日本のソフトウェア産業の生産力は低い。
<6月3日の授業の感想>
今回の授業で思った事は良い案だと思っても、相手と同じ環境や状況でないの
でそのまま取り入れて活用する事は出来ないと言う事です。何かを決定する事は
簡単そうで実は難しい。その時の状況や環境やタイミングなどその他たくさんの
要素を考慮して決定しなければならない。その時に冷静に物事を見極められ間違
いの無い判断の出来る能力を身につけたいと思う。


●●● 情報経済論宿題 鎌田大介

ソフトウエア産業について、日米を比較するとアメリカの方が生産性が高いのは
企業体系が中央集権型であり、専門性の高い分野で戦略的決定に優れている
からである。逆に日本は部門間の横のつながりが強かったため、トラブルに対処
する力はあったが、専門的な意思決定は弱かった。
しかし、今ではネットワークの活用によってアメリカのsystem design,programer
testerという三権分立を維持しながらも、横のつながりができ以前から指摘されて
きたコミュニケーションの不足という問題は解決されていると思う。
製造業ではこの形の生産方法が一番効率がよく、理想的であると私は思う。

授業の感想 日本の品質の高さは内部労働市場による終身雇用制によるデータ
蓄積であったということについて、キャッチアップ時に有効に機能したとされるこの
制度は、これから崩壊していき企業の外部発注も活発になっていくと思う。
そうなると、これからはインターネットを使ったデータの蓄積が必要になってくるので
はないかと思う。


●●● 情報経済論
Toshinobu Mizusawa
1998.6.3宿題
 ソフトウエア生産における、system design. programing. tester.という専
門性にもとずくアメリカ的分業では生産性が高い。価格競争が激しく、国がリー
ドして進める産業、また冷戦後、軍関係からの技術者の流出などでSDとしての人
材も豊富であり専門性にもとずく分業も当然かもしれない。しかし、ソフトウエ
ア産業の資源はアイディアであり、日本のように人材の少ない場合、柔らかい分
業により複数分野の仕事を行えたほうが個々のアイディアが反映されやすく、よ
り、資源を有効に使えるやり方かもしれない。

●●● 06/03の課題
時田 竜行
ソフトウエア生産において一つ一つの内容における品質を求めるのであればゲー
ム産業のように専門クリエーターによる小人数ながらも一人で開発からデバック
まで大変ではあるが良いプログラムを作れるのであれば良いし、メディアの安定
性を求めるのであれば大規模工場内でそれぞれ決められた作業をこつこつと作れ
ばよい。本当はこの2つを足して2で割れればよいのだけれどもしこれをやるの
なら日本の企業形態すべてを変えないとだめだと思う。それぞれどちらが良いか
とははっきり行って述べることはできない。ただ個人的に言えば前者の方がSEか
らプログラマーなど多種に亘る仕事に携われることから向上心をめざす事ができ
るので良いと思う


●●● 6/3の宿題
矢作 敏和


アメリカの分業は専門的な分業である。ゆえにその分業レベルは高い。
一方、日本の分業は柔らかい分業でありそのレベルはアメリカに比べて低
いものである。しかしアメリカのレベルは高いとは言え、一人一人が一つ
の仕事しかできないために柔軟な対応ができないわけである。それに比べ
て日本では一人一人がいろいろな仕事ができるため、非常にスピーディに
仕事を運ぶことができる。さらに内部労働市場により情報が会社中に行き
届くため、日本はアメリカに比べてソフトのエラー発生率は低いわけであ
る。
このことで思ったのは必要としているものによってどちらがいいのか
は国や企業によってそれぞれ違うのではないかということである。
例として似ていると思ったのはサッカーの戦術である。
ブラジルなどは個人の能力が高いために自分一人で切り込んで行ったり、
マンツーマンのディフェンスを敷いたりというように個人を尊重する。し
かし日本はワンタッチのパスや、ゾーンディフェンスという<集団>で世
界に対抗している。このことにしてもどちらがいいというのはその時の判
断ではないだろうか。
企業は自分たちに合ったやり方を見つけることが必要なのだと思う。

 

●●● Ogawa 6月3日の宿題

アメリカ型の縦割りの産業システムんの特徴は、1つ1つの役割がはっきりしていって専門性が高い、日本型のシステムの特徴は柔軟なシステムでいくつかの工程が重なっていると授業で教わった。この特徴を踏まえてソフトウェア産業を考えてみると、現在はアメリカの方が数段発展しているが、システム的に見て日本のシステムでも十分に対応できると思う。ソフトウエアは、様々な人間が使うものだと思う。だからソフトウェアはその1人1人の要求に対応できなければならない。アメリカ型のようなシステムだと専門性が強く、ある1つの分野に対しては専門的な意見を言えるが、トータルでそのソフトに対する意見を言えないのではないかと思う。やはり、それなりの知識がある人の意見をたくさん取り入れて試行錯誤して制作した方がいいソフトが制作できると思う。その点、それぞれの過程を担当している人でも自分の担当以外の分野にも意見できる日本のシステムはソフトウェア制作に適しているのではないだろうか?

●●● masahiro yadoiwa
 専門性にもとずく分業は、SD、プログラマー、テスター、つまり立法、行
政、司法がきっちり3つに分かれて、それぞれがその道のプロにより行われるの
で、お互いが管理し会い、生産性が高く、優れたソフトを作れる。しかし、きっ
ちり分けられているがゆえ、労働者が、その仕事だけをやっていれば良いと考え
てしまう場合があるので、労働者の向上心を伸ばすには向いていない。
 柔らかい分業は、立法、行政、司法がはっきりしていないので、互いの仕事の
管理があいまいになり、生産性や、内容も低いものにしてしまう。しかし、長期
的には、SDがプログラマーにもなれるなど、労働者の仕事への向上心を伸ばす
ことが出来る。
 アメリカのように、労働者が、決められた仕事以外はしないという時は、前者
になり、日本のように柔らかい分業が風土になっているような国は後者になる。
 これからにほんのソフトを発展させるには、ソフトが、ハードの附録という考
え方をなくすことが重要におもえる。

感想
 形のないソフトを価値のある者とみなすのは、何か難しいと思いました。

 

●●●6月3日の課題,suzuki

ソフトウェア産業においての専門性に基づく分業は、それぞれの行程をプロが担当するため、まさに三権分立がしっかり行われているため生産率がアップし、機能性の優れたソフトが作られる。しかし、独立企業のため強い企業しか残ることが出来ないし、外部労働市場のため企業データが漏れてしまうという欠点がある。それに対して柔らかい分業は、米国のように分割はしっかりしてないが、仕事区分が確立してないため、長い目で見た場合に労働者に向上心が生まれる。また、社内生産による内部労働市場のため、データは内部に蓄積され品質においては世界トップの実績を持つ。しかし、日本は知的生産物に対して弱い。これは、プロ集団が存在しないためである。

現在、日本のソフトウェア産業は完全に米国に負けているし、これからも追い越すことはないだろう。そのためには、組織風土を変えなければいけない。しかし、未来は誰にも分からない。

授業の感想

やはり、どちらの分業が良いとは一概に言えない。それぞれのメリット、デメリットを考えながらの分業が一番良い方法であると思う。この鍵を握るのもやはりそれぞれの風土ではないかと思う。


●●●6/3の宿題 E080182
"Yoshiki Kishida"
アメリカのソフトウェア産業は、SD・Programming・Testerの3つの独立した分業のもとで専門性を重視しているため、ハードの場合と比べると、非常に高い生
産性をもち、外部労働市場を対象としているので需要も多いし、政府もバックアップしている。
これに対して、日本のソフトウェア産業は、アメリカで見られた3つの分業が、交じり合い、未分化していて、生産性も低い。そして、内部労働市場であることか
ら産業としては、まだまだ未成熟である。しかし、日本にこれらの分業の独立を求めた場合、恐らく労働者の向上心は損なわれるだろう。また、日本はあえて未分
化にすることで、ゲームソフトのようなエラー率の少ないソフトでさらに生産力を活性化させることができるだろう。

<授業の感想>インターネットからの取り込み作業でまた遅れをとってしまって友人からコピーさせてもらうことになった。いい加減、パソコンにも慣れてきたの
で今度は自分で出来るようにしたい。

●●●宇多 6月3日
まず専門性に基づく分業においては、授業の内容に促して言えば、SD、
Programming,Testerがはっきり分離されているということである。これは分業の
効率化をねらったもので、スペシャリストになることによって生産性が向上する
というメリットがある。一方、柔らかい分業では未分化であるといえる。これは
逆に生産性は下がるが、仕事に関するモチベーションはSD部門への飛躍が可能な
ため高い。どちらが良いとは言えないのである。それは各国の文化・国民性の違
いによるからである。国民によって分業最適化のグラフの曲線の傾きの数値が異
なると言うことであろう。


●●●糀谷 一泰

アメリカは古くからソフトウェア産業というものが成熟し、一つの市場として機
能している。
そこでは、授業でも扱ったように国を挙げてとりくんでおり、有能なOSソフト
などを世界に送り出した。その理由として、専門的分業によってスペシャリスト
が養成され、ソフトウェアの全体のレベルを押し上げていると考えられる。特に
優秀なスペシャリストは、各企業からヘッドハンティングされ、しのぎを削って
いるからではないだろうか。
一方、日本ではソフトウェア産業の歴史がまだアメリカと比べると浅く、肩を
ならべるまでにはなっていない。ソフトウェア産業にも日本的労働慣行をもちこ
み、柔らかな分業をおこなっているせいか、アメリカソフトとの国際競争力では
大きく水をあけられている。
しかし、指摘されたようにゲームソフトという面では、話は別である。日本で
はコンピューター=ゲームというような形で浸透している事からも解るように、
需要は大変に多い。必然的に力を注ぐのもゲームソフトとなってしまう。そこで
日本の場合は、スペシャリストだけというよりも企業が一丸となって開発してい
る事が多い。創造性や斬新なものを求められるゲーム業界においては、むしろ柔
らかい分業のほうが機能している。これから急激にアメリカナイズされていいた
時、日本の個性を無くさないようにしなければならないだろう。



●●●6月3日の課題
shunichiro mitsutake
専門性に基づく分業は、SD,プログラマー、テスター、つまり立法、行政、
司法が3つに 分かれていて、それぞれの部門がきっちりと独立しているので
生産性は高い。しかし、こ のように各部門がはっきりと分かれているので、
長期的に考えると、労働者の向上心を奪 ってしまっている。
柔らかい分業は、専門的な分業とは違って、立法、行政、司法が交じり合
い未分化であ る。そのため生産性も低い。しかし、長期的には、ソフトウエ
ア労働者の動機付けの面か らは未分化の方が良いように思える。また質の面
でも、終身雇用制のため、エラー率が少 ない。
このように見ると、どちらが良いともいえない。だからその国にあった風
土によって分 業は行われるべきだと思う。

授業の感想
今回の授業で日本ではとても質の高いソフトが作られている事が分かった。


●●●Daisuke Fukutome
ソフトウエア産業における分業についてその功罪についてだが、アメリカのよう
に生産を分離することによって生産性を上げるというのは、確かに”功”の部分
であると思うが、だからといって日本の柔らかい分業が”罪”であるというのは
まったく違うことだと思う。それは、風土や文化の違いという観点からも説明す
ることができるし短期、長期という時間的な観点からも説明することが出来るの
ではないだろうか。むしろここで問題になるのは、国の対応ではないだろうか。
アメリカは国防省などの政府資金の投入があったのに、日本は民間主体であり産
業が成熟しなかった。
「授業の感想」前回の感想でも述べたが、インターネットからのデータの取り込
みの説明がはやすぎてなかなかついていけない。一応言われたとうりにやっては
いるがもう少し詳しくやさしく説明していただければありがたい。


●●● Daisuke Unpou
アメリカはSDとProgrammingとTesterに完全に分かれていて
専門性にもとづく分業が行われている。一人一人の仕事がはっきりしているため
生産性は高い。また、外部労働市場によってアメリカのソフトウェア市場は発展
している。しかし、専門的分業のため労働者の向上心が低いことや創造性が発揮
しにくいという問題もある。日本は未分化な分業制で、部門間の境界はあいまい
である。このことが生産性が低い一つの要因になっている。では、日本も専門的
分業を取り入れてはどうかと考えられるが、労働者の向上心の低下や日本の社会
風土にあわないなど問題がおこってくる。また、社内生産が多い内部労働市場の
ため国内の市場が発展しない。日本の良いところは、エラーの発生率など品質管
理において非常に優れていることである。これは、内部労働市場や柔軟な分業制
にもよるものである。このように日本の分業制は長所と短所をあわせもってい
る。それぞれの国によって風土や環境が違うのだから、日本にあったやり方を探
せばいいと思う。

 

●●● 情報経済の課題D E08−0265 内山ゆう子

ソフトウエア生産における分業について、専門性を重視したアメリカでは、それぞれの分野,SD,PROGERAMMINNG,TESTERが完全に分離し、それぞれが独立している為、効率的で、生産性は高い。しかし、最後のテストのとき、ミスを発見した場合、そこで処置できないのでSDに戻したり、PROGRAMMINGに戻したりと非効率的である。

一方、日本のような柔らかい分業の場合、分業があいまいで短期的に見ると生産性が低い。しかし、分業があいまいで混ざり合っているためミスが見つかったら、すぐに処置できる。

また、終身雇用、内部労働市場の下で、エラー率の低い高品質のソフトを作ることができる。

感想

どちらのやり方がいいとは一概にいえず、日米それぞれの風土に合った分業をおこなえばいいと思いました。

 

 

●●● 大慈彌

Dソフトウエア産業における専門性に基づく分業と、柔らかい分業とを比べ、

その功罪を述べよ

 

アメリカのソフトウエア産業では、システムデザイナー、プログラマー、テスターの仕事がそれぞれ専門化し、司法、立法、行政のようにそれぞれまったく別の仕事として成り立っている。その結果、生産性が高くなる。

一方、日本では、この3つの異なる業種を一人でこなしている。そのため入力ミスがあってもなかなか発見しずらく、トライアンドエラーを繰り返し時間のロスが大きい。したがって、生産性は低くなる。

このように、生産性の面から見てみるとアメリカの専門性に基づく分業の方が効率的に思えるが、品質の面から見てみると、日本のソフトウエアや、ゲームソフトのエラー発生率は世界一低く品質面ではアメリカよりも優れているということができる。

このことから、アメリカの専門性に基づく分業と日本の柔らかい分業はどちらがいいと決めることはできないと思う。同じ物を生産するにしてもその国の風土や国民性にあったやり方があり、その方法を用いて生産性が上がればそれで良いと思う。

 

 

C専門別分業(アメリカ)と柔らかい分業(日本)が、技術導入の際に与える影響につい
て、その功罪を論ぜよ。

 

●●● 5/27の課題  E08−0294B 奥澤 啓之

日本の柔らかい分業では新技術を取り込みやすい風土が確立していたとあるが、私

はアメリカの専門別分業にも新技術の導入はあると思う。ただ、新技術の導入後に

アメリカと日本では差が生まれたのだと考える。

日本は給与体制の中に生産性の向上による利益増加分を労働者にも還元できるシス

テム(給与の2割が生産性によって左右される)であったために、生産性を上げる

ために新技術を導入しようとした。そこで労働者は、さらに効率よく生産性を上げ

ようと考えその結果、すべての人間が一連の作業を行えるといった、日本的な柔ら

かい分業が出来たのではないかと考える。要するに、新技術導入によって一連の作

業全体の効率化が図られたのではないかと考える。

一方、アメリカにも新技術の導入はあったと考えるが、専門別であったために一つ

一つの行程での新技術の効率化ははかられたと思うが、一連の作業工程ではそれら

がかみ合わず、生産性の向上にはつながらなかったのではないだろうか。また、生

産性に賃金が左右されないとすれば、労働者の労働意欲の低下で生産性が上がらな

いと言うことも考えられると思う。

以上が私の仮定である。

 

 

授業の感想

日本的な柔らかい分業が良いのか、アメリカ的な専門的な分業がよいのかという問

題があるが私は、各産業、企業に応じた分業があると思います。一概にどちらか一

方に絞るべきではないと思うのですが。

 

 

●●● 大慈彌

C専門別分業と柔らかい分業について

日本の柔らかい分業というのは、自分の仕事はこれと決まっているわけでなく、また他人の仕事が遅れていればそれも手伝うので、誰か1人がかけてもお互いに補っていけるので、仕事の進行にはあまり影響を与えないという利点がある。

アメリカの専門別分業は各自の専門が決まっているため、1人が欠けてしまうと仕事全体がストップしてしまう事もあるだろう。つまり、一人一人はそれしか出来ないという事かもしれないが、見方を変えればスペシャリストという事が出来るわけで、日本の柔らかい分業とアメリカの専門別分業は一概にどちらが良いかは、言えないと思った。また、それぞれの方法で向く産業、向かない産業が必ずあると思った。

 

 

●●● Makiko Takahashi

6/3の課題 E08−0621A 高橋牧子

アメリカにおける専門性を重視した分業では効率性があがり、コストも削減で

き、生産性が向上する。しかし、はっきりとそれぞれの部門が分かれてその部門

内で専門性が高いため、それぞれの部門でトラブルが生じた時にその部門の人で

しか、解決できないということが起きてしまう。一方で、日本は柔らかい分業の

ため生産性はアメリカに比べると低い。しかし、ソフトウエア産業においてエラ

ーの少ない専門性をより向上していけば生産性は高くなるだろう。

 



●●● 5/27 情報経済論の課題 E08-0203C 中村晃司

専門別分業(アメリカ)と柔らかい分業(日本)が、技術導入の際に与える影響に
ついて、その功罪を論ぜよ。

専門的分業とは、会社から決められた自分の仕事を責任を持って行うだけであ
り、一切他人の仕事に関与せずに、職務をまっとうするのである。この為に自分
の仕事は確かに、はかどるかもしれないが、会社における各部門間への伝達など
のコミュニケーションがうまくいかず、客とのコミュニケーションの悪さが生じ
ると思う。しかし人間の能力を見極めたもので、仕事の速い人の能力を考えてい
る。
一方柔らかい分業は、決められた仕事以外に遅れている部門を手伝ったりし
て、いくつかの部門で協力し、一つの作業をするというものである。この分業は
情報伝達が進み、コミュニケーションがよく、欠点を協力して補うことができ
る。だが個人の能力を引き出すという体制ではなく、みんなで協力し作業をする
ようなもので、いくら能力が高く、仕事が速い人でも、その人は他人を助け、仕
事を手伝うことがあるだろう。だがこれは日本人の人柄から生まれた分業体制で
あると思う。確かに一人で他人の仕事を手伝わずに仕事をしたほうが良いが、一
つの生産物を作るということでは、多数の意見と協力し、情報を交換するほうが
利点や欠点を導き出すことができる。
このように日本の柔らかな分業により、品質を上げていき、新しい技術を導入
していく方向に行くことができ、生産性も向上した。そして新しい技術により、
相乗効果を生み、日本は高度成長していった。
一方アメリカの専門的分業は、徹底した分業のため、コミュニケーションが未発
達であり、欠点を指摘し会うことができず改善しにくい分業体制のため、新しい
技術を導入しずらい。

講義の感想
前半の日経NEEDSのデーターの導き出し方は、昨年電算で教わったのだが、
数字の入れ方を忘れていたので、今回は復習になった。
後半は日本の組織的な経済風土について組織的にすごいと思った。日本の高度成
長の要因が理解できた.

●●● 5月27日の宿題
junji kurihara
アメリカと日本は共に高度経済成長を遂げてきましたが、それぞれに違う分業シ
ステムを行ってきました。まずアメリカによる分業について考えたいと思いま
す。
アメリカの分業とは、自分が行っている仕事だけを専門的に遂行していくという
ものです。そうすることによってその仕事の理解度が増し、より密度の濃い結果
を出すことが可能となります。結果、その仕事のエキスパートを創り出します。
しかし、このような分業はあまりに専門的であるがゆえに、替がきかないといっ
た欠点があります。アメリカの専門的分業とはこのようなものだと思います。
では日本の分業とはどのようなものであるかというと、もっと柔軟な分業である
ということです。それは、一人一人がその仕事を専門的に、集中的に行うのでは
なく、もっと幅広く、様々な仕事を同時に行うといったシステムであるといえま
す。これによって一人一人の理解度は多少浅くなってしまいますが、欠員が出た
場合でも、仕事の進行を妨げることなく円滑にすることが可能となります。また
日本は、人と人とのつながりを重視する、ハーバード大学によるHUMAN R
ELATION派の影響を受けた結果、相乗効果を生み出しながら積極的な技術
導入を行うこととなり、今日まで成長を遂げて来ました。
これらから考えられることは、アメリカの専門的な分業は‘狭く深く’、日本の
分業は‘広く浅く’であると言えます。そして、どちらが高度成長にとって適し
ているかというと、どちらでもないと思います。アメリカにはアメリカの組織風
土、日本には日本の組織風土があり、それぞれのやりかたで高度成長していった
のだと思います。
E080103J栗原
淳二




●●● アメリカと日本の分業の違いについて
関口大輔


アメリカの分業は、専門的分業であって、個人が与えられた仕事だけをこなして
いればいいという体制であり、それ以外の仕事、他人の仕事、新しい仕事は一切
しない分業の仕方である。このため、他人が休んだ時や、他人の仕事の進み具合
が遅い時など進めることが出来ない。また新しい技術を導入するということも簡
単にはいかない。
日本の分業はアメリカの分業と違い、柔らかい分業であり、互いにささえあっ
ている分業である。人と人とのつながりを重んじる風土が確立している点で大き
く違っている。また新しい技術を生産性向上のために受け入れやすい風土になっ
ており、これが日本の高度経済成長を支えた。
アメリカと日本どちらの分業がよいかと言うことは出来ないが、それぞれの風
土に適した分業だったと思う。

感想
先週は全くコンピュターの授業についていけなかったけれど、何とかついて
いくことができた。

 

●●● 課題 Suzuki

日本の柔らかい分業は、自分の仕事以上の仕事をするため、他に対しての適応性は優れている。だから、労働生産性3原則のもとに相乗効果を生みながら積極的に新技術を導入した結果、分断されていた分業が逆分業なされ、高度成長の要因となった。それに対し、アメリカの専門別分業は、自分の仕事しか行わず他の仕事に対しての適応は出来ない。しかし、そのため自分の仕事の能率は上がり、スペシャリストが存在するのだろう。時と場合によっての適応性が異なるため、また組織風土も関わり、どちらがおい分業とは一律にはいえないだろう。

授業の感想

様々なデータをグラフ化する。分かり難いデータもグラフ化することで、見やすく理解もしやすくなるだろう。これから色々な授業でもこのグラフ化を役立たせていきたい。


●●● Yoshiki Kishida


日本の柔らかい分業において、労働者は、労働生産性3原則によって支えられているので急に解雇される心配や、安定した収入を約束されているいるようなものな
ので、企業は労働者を信頼し、労働者は企業に忠誠心をもつ。このことは、生産性向上のための相乗効果を生み出しながら積極的な新技術導入を促した。これに対
して、アメリカの専門別分業においては、一つ一つの分業をその分野のスペシャリストが長年に渡ってこなしていて移動などがないので、徐々に労働意欲をなくし
ていく。これに、新技術を導入してしまうとアメリカの労働者たちは、新技術についていけず解雇されるのではという恐怖心をもち、企業に対して不安をいだく。
これでは日本のような急激な経済成長は望めなかったように思えた。
<授業の感想>
簡単に大型コンピューターにアクセスでき、すぐに大量な情報を手に入れることができたので、コンピューターの凄さを


●●● 6/3の課題 e−080621高橋牧子
アメリカのIts not my business.という言葉に見られるよう
な専門性の重視は一つ一つの専門分野においての技術は向上していくだろう。し
かしそれは企業全体の効率性の向上という点では、日本のような柔らかい分業と
比べると生産性は低くなるだろう。そしてその横のつながりを活発化することで
多くのさまざまな情報を取り入れることができるし、提供することができ、生産
性も向上するだろう。


●●● 専門的な分業と柔軟な分業の比較
akinori wakabayashi


アメリカ的な専門的な分業とは、It's not my businessやmind your businessに象徴されるように、労働者が自分の仕事以外は行わないとする考えだ。これにより労働者は自分の仕事にのみ専念できるの
で、仕事の能率は上がり、その仕事での成功は得られるだろう。しかしその分専門的な分業では、他の仕事に対応できないので、他者が休暇を取ったときなど仕事が進まないという欠点がある。これに対し、日本的な柔軟な分業とは、労働者がいろいろな仕事を幅広く行うというものだ。徹底的な分業ではないため、何かトラブルが起きてもわりとスムーズに仕事が進むのだ。専門的な分業と柔軟な分業は、アメリカと日本の風土的な違いが影響している。日本は以前、フォード(Taylorism)とハーバード大学(Human Relation)を調査し、ハーバード大学(Human Relation)に影響を受けた。Human Relationとは人間関係を重要視するものだったので、生産性の3原則の中に有るように労働者を定年まで雇用する終身雇用制や、新しい技術を生産性向上のために受け入れることや、生産性向上の結果としての利益増加分
は経営者と労働者とで分配するという日本的な風土が出来上がった。HumanRelationに影響を受けた日本の柔軟な分業は相乗効果を生み出しながら積極的な技術導入の契機になり、その結果、戦後の高度経済成長が実現したのだ。この結果のみを考えると、日本の柔軟な分業の方がアメリカの専門的な分業よりも技術を導入しやすい形態であるといえるだろう。しかし柔軟な分業と専門的な分業で、どちらがよいのかということは、一概には言えないと思う。この産業にはどちらの分業の方が適しているというように、それぞれ異なっていると私は思う。


●●● 情報経済論(5/27の宿題)
朝賀 浩之

アメリカの専門別分業は、企業内の各個人の専門性を重視することによって、
徹底的な分業をおこない効率性を追求したといえる。日本の柔らかい分業は、各
個人が組織内での部門間の壁を超えることによって、改善、修正によるシステム
の活性化をめざした。技術の導入の際に与える影響は、この日本とアメリカの組
織風土の違いが密接に関係している。
労働生産性3原則に支えられた日本の労働者は新技術の導入に積極的に取り組
み、新技術の導入による環境の変化を肯定的に受け取ることができる。また、新
技術に対して柔軟な対応が期待できる。一方、アメリカのような専門別分業は、
硬直的な体系であるため新技術の導入にはむいていない。徹底した分業のなかで
は新技術の導入は受け入れられない。このように、アメリカよりも日本の方が新
技術の導入に積極的に取り組める環境があり、戦後日本の高度成長を支えた要因
となったといえる。もちろん、新技術の導入を除いた部分ではそれぞれメリッ
ト、デメリットがあり、日本の柔らかい分業にもそれによる弊害は存在する。
「授業の感想」
大型コンピューターを利用しての実習をおこなったが、これを機会に授業のレ
ポートや論文などの作成に活用していきたい。
戦後日本の高度成長には労働生産性3原則に支えられた労働者の柔軟性が大き
く影響していることが理解できた。現在、これまでの日本のシステムは機能しな
いといわれているが、どのような改革が望まれているのか(リエンジニアリング
を含めて)考えてみたい。


●●● 5月27日の宿題
Daisuke Unpou <e080345@isc.senshu-u.ac.jp>

日本は生産性の「三原則」があり、この三原則が互いに相乗効果を生み出しなが
ら、積極的な技術導入の契機となった。日本の労働者は緩やかなジョブ規定の下
で、協力しながら品質改善を行う努力ができた。よって、技術導入の際におこな
われた、所属部署の配置転換や会社をまたがる人員の再配置も比較的すんなりと
受けいれることができた。アメリカは専門別にきっちり一人一人の仕事がわかれ
ており、自分に与えられた仕事は責任を持ってこなすが、それ以外の仕事には関
与しなかった。したがって、業務改善の運動もおきず、自分の仕事や部署が変わ
ることに抵抗もあったため、新しい技術導入には消極的になった。


●●● 情報経済論の宿題
megumi mathunami

専門性に基づく分業は、分業による生産性向上を可能にする。それは自分の仕事
に特化することで違う部分を気にせず仕事を進められるからだ。日本における緩
やかな分業は、そういう部分では生産性も上がらず、産業も成熟しにくいと思
う。しかし、自分の仕事に特化しないと言うことは、他の部分を担当している人
のアイデアも取り入れることができるのだから、専門性に基づく分業をしている
場合より多くの人の意見を反映することができると思う。


●●● 5月27日の宿題
shunichiro mitsutake


まず、アメリカの専門別分業は他人の仕事は進んでやらないが、与えられ
た仕事は各自責任を持って行う。しかし、このように専門別分業が進みすぎると新技術の
導入が困難 になる。

次に、日本は労働生産性3原則のため組織への忠誠も高く、与えられた以
外の仕事も積極的に行い、新しい技術も意欲的に導入していった。しかし日本は、仲間
意識が強く遅 れている人の仕事まで手伝ってしまい全体も遅れてしまうよう
な所もあるように思われる .お互いにこのようにメリットとデメリットがあ
るのである。

授業の感想
今回の授業もまた表計算があったが、今回は前回より困難に思えました。
その上スピー ドが速かったのでついていくのがやっとだった。本論の方で
は、いかに日本が労働生産性 3原則に支えられ、新技術の導入への取り組み
がいかに積極的だったかわかった。

●●● 5月27日の宿題

<専門別分業(アメリカ)と柔らかな分業(日本)の功罪につき例を挙げて論ぜ

よ>

柔らかな分業における功績は日本の労働者はつねに柔らかなジョブ規定の下で

協力しながら改善し、生産性3原則のもとに新しい技術を積極的に導入して分業

の壁を取り除き逆分業に導き、高度成長を遂げる事が出来た。それに対して罪は

日本の労働者は自分をある程度犠牲にしてでもやり遂げようとして仕事に追われ

て自分の時間というか、それにより失う物も大きかった。

専門別分業における罪はアメリカは専門性のため労働者は新たに技術を導入す

る事によって自分の仕事が無くなる事を恐れて新たな技術の導入を躊躇したり、

ジョブ規定を超えたところで業務を改善しようとしない。つまり新たな物が創り

にくい環境である。それに対して功績は専門性にため経験を積む事により熟練し

てスペシャリストを創る事が出来る。

 

<授業の感想>

どちらの国にも良いところと悪いところがあり、一概にどちらのほうが絶対に

言いとは言えない。ぼくはこの中間というか、両方の良いところをとった考えが

一番ベストなのではないかと思います。どっちが良いと決めつけずに冷静に判断

して両者の良いところを見極める必要があると思いました。

 

●●● 5.27(wed)宿題 Daisuke Fukutome

専門別分業と柔らかい分業というのは、日本とアメリカにおける組織風土の違い

でありどちらが良い悪いというものでもなく、それぞれに良い面と悪い面がある

のではないだろうか。つまり、アメリカの専門別分業では他人の仕事を一切やら

ない代わりに与えられた仕事については一人一人が責任を持ってこなす、という

長所がある。しかし、専門別分業が進みすぎて柔軟性がなくなってしまうと、新

技術の導入といったときにその受け入れが困難になる。これが短所といえる。逆

に、日本の柔らかい分業では新技術の導入の際にその受け入れが容易である。し

かし、一人一人の仕事が曖昧であるための弊害も数多く見られる。「接待」や

「護送船団方式」、「シャンシャン総会」などといった言葉に代表されるいわゆ

る「もたれあい」というのがその弊害といえるのではないだろうか。結局ここで

いわれている「技術の導入」という一側面から考えた場合には日本の柔らかい分

業のほうが受け入れやすいが、その分の弊害もあるということができるのではな

いだろうか。

「授業の感想」

戦後の日本の労働者が積極的に新技術の導入に取り組んだことが経済発展に大き

く貢献したことは良く分かったが、現在の日本は新技術の導入にはたして積極的

であるといえるだろうか。その点が疑問に思ったので先生の意見を聞かせて欲し

い。自分の考えでは、情報通信分野の開発の遅れを見る限りけっして積極的であ

るとは言えないと思う。

 

●●● 情報経済論の宿題 5/27青木 誠

専門別分業であるアメリカの場合、組織を合理的に管理することができ、生産も

計算上に成り立ち易い。また、大量生産といった合理的な性質が必要とされる作

業に適しており生産性を著しく向上させることに貢献した。しかし、労働者たち

は与えられた仕事だけをこなせばよく、また、終身雇用が保証されているわけで

もなかった。そのため、組織への忠誠は高いとはいえず、新しい技術の導入など

といった労働者たちへの負担が直接かかる変化は、すんなり受け入れられるとい

うことはなかった。一方、柔らかい分業に当てはまる日本の場合、専門別分業ほ

どには組織の合理的管理はできないが、労働生産性3原則が存在したため、労働

者の組織への忠誠は高かった。そのため、積極的に与えられた以外の仕事もこな

していき、また、新しい技術も意欲に取り入れていった。このことが、日本の高

度成長に大きく貢献した。

 

今回の授業で、大型コンピュータからデータを取ってきたが、手順が他の作業

とは少し違っていたので難しかった。また、一世代前の人たちの努力があってこ

そ、今の日本があるのだということが改めてわかった。自分もそのように努力し

たい。

 

●●● 5月27日の情報経済論の宿題と感想Yositaka Uda

組織の形として専門別分業は垂直的であり、柔らかい分業は水平的と言えると思う。専門的分業は各部門が独立している。個々の従業員は仲間と連絡をとるよりも

上司と連絡をとることを重視して、上層部が情報を集中的に管理することによって会社全体を把握し戦略的な決定を下す。このように戦略的には良いが、手足が動

かない、つまり現場がコミュニケーション不足のため効率的に機能していないという弱点がある。しかしこの弱点も情報化投資によりリエンジニアリングされている。

一方、水平的と言える柔らかい分業は部門間の情報共有がうまくいっている。そのため意志決定を現場が単独で行ってしまうケースもあるが(戦略的に弱うという

こと)、いわゆる現場主義であるために自発的な行動・柔軟な対応力にたけていたと考えられる。

技術導入という視点に置いてもこの考えは当てはまると思う。

 

5月27日の感想

現在の状況の歴史的意義の大切さを知った。日本型経営があまりにも悪く現在言われているが、これが過去において機能していたのであって、日本を支えていたと

いう事実を学ばなければ先には進めないのであろう。

 

●●● 情報経済論 三村 和則

日本型の柔軟な分業は、終身雇用を基本としてできていると僕は思います。企業は労働者の雇用を保証する変わりに、労働者は新しい技術の導入を認めるという、ギブアンドテイクの関係でしたが、これにより労働市場が硬直化し、労働者は柔軟に仕事に対処しなければならなくなったのではないでしょうか。この柔軟な分業により、新しい技術が導入されたとしても、労働者は違う仕事もできるということで雇用を確保できていたのでは。

一方、アメリカの専門的な分業は、労働市場が流動的だからできたものだと思います。

欧米諸国では、レイオフや転職が一般的であり、労働者の入れ替わりが激しい。その様な中で、技術の導入に否定的であるが、専門的な労働者の方が効率が良いのだろう。

僕がイギリスにいて感じたこととして、日本人と違って仕事に対しては、生きがいを求めていないということでした。仕事は嫌だけど、余暇を楽しむためにやっているという人がほとんどでした。

このような社会的背景も分業の違いに影響しているのではと思います。

 

●●● 宿題 E080187 近藤洋一

 

まず、アメリカは「It,s not my business. Mind your business.」という言葉

から分かるように与えられた仕事だけをすれば十分であるという思想がアメリカ

人の脳に存在する。

技術と人の組織風土においての、生産性運動においてアメリカについて例を挙げ

る。1つはフォード社(T型フォード)において用いられている科学的労働者管

理である。これは、

「Tairorism」としてよくしられている。それともう1つは「Human Relation」といって小さなグループとしての集まりを利用したものである。

アメリカにおいても労働組合の権力が大きい。そして、相生効果を生み出しな

がら積極的な技術導入の契機に至った。

次に我が国日本についてである。日本人とアメリカ人との大きな違いは、コン

ピューターを導入する際に「国民全員が日本を大きくしていこうという理念を持

っていた」のである。資本の蓄積という理由ももちろんあるが上の事が日本の高

度経済の理由といっても過言ではない。昔は日本でも金がとても無駄に使われて

いた。しかし、国民1人1人の国全体で技術を上げていこうとする気持ちが今に至

り、現在の日本を作り上げている。最近の日本人は、自分の仕事をもっと拡大し

たいと思っている。これを自分に置き換えて考えてみるとあまりはっきりした事

は思い浮かばないがやはり日本人のこの傾向に当てはまると思う。これらの様

に、アメリカと日本とでは技術やコンピューターに対する気持ちが、1番異なっ

ている事が分かった。

 

●●● 5月20日の宿題 shunichiro mitsutake

 

リエンジニアリングとリストラ、組識の水平化の違いだが、まずリストラと

は、会社の中の不採算部門を切り捨てコストを下げるものであり、次に組織の水

平化は、コンピューターの導入により今まで中間管理職により行われていたこと

がコンピューターに集めることができ、情報技術が中間管理職をスリム化するも

のである。リエンジニアリングとは、既存のプロセスの再検討であり、全体の生

産性を上げるためのプロセスの改善であると思う。その為の人員削減はあるだろ

うが、それはリストラとは違う。

授業の感想

表計算があまりやったことがなかったので自分には少しペースが速かったよ

うにおもえました。後リエンジニアリングとリストラと組織の水平化の違いが分

かったようで分かっていないような気がします

 

●●● 情報経済論 Toshinobu Mizusawa

専門別分業ではその部門内での仕事の効率はある程度あがる。自らの部門にこだ

わるゆえに、他の部門の弊害となり、プロセス全体から見ると非効率的になって

いる場合がある。例えば、以前学習したフォードの支払部門では購買注文書、受

取書、請求書の書類が一致しないという例外的にしかない状況のために多くの時

間を裂かなければならなかった。柔らかい分業では、部門間の情報はある程度行

き来しており、トラブルが発生した場合においても柔軟に対応できると考えられ

る。また、多部門を含んだプロセスの迅速化に関する新しい技術の投入も自分の

仕事以外にも関心をもつ環境があれば容易に可能である。

 

前々会の課題に混乱しています。

 

●●● 5月27日の宿題 masahiro yadoiwa

 

 アメリカの場合、契約や約束事どおりに仕事をするので、たとえば、仕事が遅

れている作業場が合ったとしても、それはそれでほおっておくのではないかと思

います。逆にそのような余計な仕事をして、ミスをすることがないと思います。

ほかの仕事にはそれほど責任感がないけれども、自分の仕事には、もろに責任が

あるぶん、個々の仕事に対するプロ意識が高く、そのぶん本当に力のある人が生

き残れると思いました。

 日本は生産性三原則があるため、労働者は、仲間意識が高く、会社を一つのチ

ームのようなものに感じました。ほかの労働者は仲間で、仕事が遅れているな

ら、それを手伝い、みんなで協力して、会社を大きくしていく姿勢が感じられま

す。逆にこのような、少し甘いともいえる姿勢が、労働者のさまざまな他の仕事

を身につけさせ、会社、国をよくしようという気持ちが、戦後の高度成長をもた

らしたと思います。

 

はじめにやった大型コンピューターからデータを取り出す作業が、早くてまった

くついていけなかったので、もう少しゆっくりやってほしいです。

 

●●● 5/27の宿題 Toshikazu Yahagi

日本では労働生産性3原則の

B生産性向上の結果としての利益増加分は経営者と労働者とで分配する

などから相乗効果を生み出しながら技術導入が積極的に行われた。

アメリカでは人一人がある仕事しかできない専門別分業であったため、日本と

の労働意欲と言う面で違いがありすぎたのではないか。

 

コンピュータの実習がちょっと早いような気がします。頑張ってはいるのですけ

れど難しいですね。

 


●●● 情報経済論、庄子穏行

宿題に関しては、前回書いた内容と重複するので省略させていただきます。
感想は今回の授業も非常に興味深かったです。日本の強さを知ったような気がしま
す。技術をネガティブにとらえるのではなく、ポジティブ(人間が技術を伴って働く
ことに積極的)にとらえ柔軟に導入していったところがすばらしいと思います。それ
から、生産性本部が科学的労働者管理よりも人間関係を重視したこともすばらしいと
思います。経済学は人間を根本に考えてこその学問だと私は思っていますので。それ
から、労働者自身も、新しい技術によって仕事が変わったとしても、新しい仕事はこ
れまでの仕事の延長線上としてとらえ、自分自身もがんばるという向上心がすばらし
いと思いました。この向上心こそ日本の強さではないだろうか。以上の理由で、日本
はすごいと感じました。最近、日本経済は内向きになりすぎているような気がしま
す。こんな時こそ、ちょっと待て、日本は強いと、しり込みを続けるのはやめよう
と、言うべきだと思います。



●●● megumi mathunami

アメリカの分業はきっちりしている。ゴミを拾ったりすると「私の仕事が無くな
るからやるな」といわれたりする。アメリカでは、ごみ拾い、皿洗い、接客と細
部にわたって分業がなされており他人の仕事をすることはまず無い。決められた
仕事だけをこなすのである。そうすると困るのは、店が混んだときにひとつが滞
っても他人の仕事には手を出さないから全体に影響がいってしまうことである。
つまり融通が利かないのだ。
一方日本では、緩やかな分業がおこなわれ、いそがしかったら他の仕事も手伝う
し、そういう部分では、融通が利く。しかし、役所なんかでは、「この政策はう
ちの部署が決める。」という利権争いみたいなものが生じたり、責任はあっちの
部署にあるというように責任のなすりあいがあったりする。どちらも分業がしっ
かりしていたら起こらない問題である。実際、何かをたすねても、いろんな部署
をたらい回しにされたという話はよく聞く。分業が緩やかであると利権争いが起
こったり、責任の所在が明らかでないという問題がある。


●●● Tomoyuki Ono
アメリカの専門別分業下では「It is notmy business」と言う言葉が象徴する
ように、

よく言えば、個人・個人がしっかり自分の仕事をする専門性志向。その分野にお
いては、

エキスパートになる。

悪い面は、自分に関係のない仕事に対してはあまり興味を示さない。

そのため新しい技術の導入には積極性が見られない。

一方、日本の柔らかい分業下では、労働生産性3原則の終身雇用などにより労働
者の結束は

高く、お互い協力しながら業務改善をする。

そのため新しい技術の導入に積極的である。


●●● 専門別分業と柔らかい分業
e08-0597k 横田真紀

日本の柔らかい分業は、労働三原則のもとで築かれたものである。終身雇用制
があるため、労働者は新しい技術を積極的に取り入れたのである。また、1つの
作業だけでなく、他のの作業も幅広く行う柔軟性のあるシステムであるため、技
術が導入されても他の仕事に移れるという日本人の器用さというのもこの柔らか
い分業にあっていたと思う。
一方、アメリカの専門性に基づく分業は、労働者が決められた仕事をまっとう
することにある。プロ意識と責任はあるが、技術の導入という面で見ると積極的
に技術を受け入れることはできないのである。
現在日本では終身雇用もあやふやになり、会社との信頼関係も薄くなっている
ため、新たな独自の分業システムが必要になっていると思う。しかし技術の導入
という面で考えると日本の柔らかい分業が適しており、それによって日本は戦後
ここまでの経済成長に成功したのだと思いました。


●●● sakai hayato
日本の分業は、柔らかい分業です、
労働者は、労働3原則によって守られているので、
いきなり解雇される事もなく、収入の面でも安定している
この結果労働者は、企業を信頼する。

アメリカの専門的分業は、各ここの分野のスペシャリストが、
長年やっていて、移動なども無いので意欲も段々なくなっていく、

日本の分業は、守られている所があり安定しているこのため労働者は、
新技術にも応じ生産力も向上した。
アメリカの労働者は、新技術についていけず解雇されるので企業に対する不信感
が募る。

僕は、この二つの分業では、日本の方が良いと思います。日本の分業が、好循環
であるのに対して、アメリカは、とても悪循環のように感じました。

●●● 大前慈子

まず、日本における柔らかい分業について考えてみる。日本の労働者の労働
生産性3原則は
@企業は労働者を定年まで雇用する
A労働組合は新しい技術を生産性向上のために受け入れる
B生産性向上のための結果としての利益の増加分は経営者と労働者で分配する
以上である。
日本の高度経済成長は技術の導入にあったといえる。日本の労働生産性3原則
は高度成長を支えた技術の導入を進めるためにプラスに働いた。
しかし、このような原則が日本の株主軽視等につながったと言えるのではない
だろうか。
さらに、この原則は労働者にもプラスの影響を与えたとおもう。そのことが、
相乗効果を生み出しながら積極的な技術導入の契機になったといえる。

アメリカの専門的分業のことがあまりよく分かりませんでした。

 

●●● 論点4 田辺健太

確かにリエンジニアリングという概念がアメリカで普及する前までは、アメリカの専門別分業はコミュニケーション不足という弊害が存在した。これが生産性向上という視点でアダムスミスの唱えた分業論の効率性という点で種々の問題を生み出していたことは事実であり、日本の方がトータルで見た業務効率という点で優位性が存在していたかもしれない。しかし、アメリカはリエンジニアリングによりこの点が劇的に改善された。この点を如実に証明しているのが「時間あたりの価値生産性(ECONOMIST February 13,1993)」である。アメリカを100とした場合、全産業で日本は58、強いといわれる製造業ですら80でしかない。こうして見ると日本の緩やかな分業はアメリカと比べてもはや優位性を持っているとは言えないのではないか。日本の分業を支えてきたのは労働生産性に代表される就社意識で、アメリカの専門別分業を支えてきたのはキャリア意識である。アメリカの従業員はJob Descriptionにより仕事が規定されている。これがコミュニケーション不足やIt・/FONT>s not my business.などという言葉を生み出したと考えられる。しかし、ITの進歩がその弊害を打ち破った。ITの進歩は情報の一方通行から双方向のコミュニケーションを可能にし、情報の共有化を実現した。これにより今まで言われていたアメリカの分業制度の弊害はなくなった。アメリカの分業はキャリア意識にのみ支えられているため企業としての統制がとれず、それが生産性を抑制する作用になるのではないかという批判があるかもしれないが、アメリカの企業は明確なミッションが存在し、全従業員がこれを共有し、誰もが即座に答えられるような状態にある。このミッションにより企業としての統制が取れているためこうした批判は当てはまらないと考えられる。

こうして考えてくると労働三原則による就社意識に支えられている日本企業はどうしても優位性を保てないのではなかろうか。特にこれからの不確実性の高い時代において、これまでの固定的な労働市場から流動的な市場への変貌が予期されるような状態ではますますその傾向が強くなるといえる。

これからの時代は経済のソフト化・サービス化に伴いホワイトカラー層の増加が予想される。そうなるとホワイトカラーの2極分化が起こってくるものと私は考える。これからのホワイトカラーに必要とされる能力は@語学(グローバル化に伴い必然的に必要になる)、Aアカウンティング(会計基準の高度化にともない財務担当に任せていればいいという時代は終わり、これが理解できないと経営判断ができない時代に突入)、Bマネジメント能力。こうした能力を身につけていない人は2極の下位層に位置付けられるようになり、身につけている人は上位層に位置付けられると考えられる。つまりホワイトカラーは真のホワイトカラーとブルーカラー化したホワイトカラーに二極分化されると思われる。そうした時代のもとではスペシャリストやゼネラリストといったカテゴリーでの分割は無意味なものになってくるのではなかろうか。これから要求されるホワイトカラーのあり方はゼネラリストの要素を持ったスペシャリストであると考えられる。確かにリエンジニアリングによりスペシャリストは必要なくなったかもしれないが、それは過渡的なものではないかと考える。マーケットのグローバル化に伴うメガ・コンペティションの中でCSなどを追求して生き残りを考えていくとしたら、どんな単純労働の中にも専門性の需要は出てくると私は考える。もし、それが誰にでもできるシステムであるとするならその業務はアウトソーシング化が起こると考えられる。なぜならそうした業務は自社で抱え込むよりスケールメリットを生かせるベンダーに任せたほうが生産性、投資効率が上がると考えられるからである。また、労働者がキャリアデベロップメントを考えるのであれば、これからの経営の高度化に対応していくためにゼネラリストとスペシャリストを合わせたマルチな能力が要求されると思う。これが私の考えるホワイトカラー二極化の根拠である。もちろん前者がブルーカラー化したホワイトカラーで後者が真のホワイトカラー。

こうして考えると日本の労働三原則に支えられた分業制度ではもはや新技術導入に対するメリットはなくなったと考えられる。労働三原則を守れるような時代ではもはやなくなってしまったから。アメリカの分業制度のほうが労働者がキャリア意識とミッションに支えられ、明確なJob Descriptionが存在しているため新技術を導入しやすいと考える。何より、リエンジニアリングにより今までの弊害を取り除くことが可能になったのだから。

以上、専門的分業と柔らかい分業が今後の技術導入に対してどうかという視点で考えてみました。

 

 

●●● 大慈彌

C専門別分業と柔らかい分業について

日本の柔らかい分業というのは、自分の仕事はこれと決まっているわけでなく、また他人の仕事が遅れていればそれも手伝うので、誰か1人がかけてもお互いに補っていけるので、仕事の進行にはあまり影響を与えないという利点がある。

アメリカの専門別分業は各自の専門が決まっているため、1人が欠けてしまうと仕事全体がストップしてしまう事もあるだろう。つまり、一人一人はそれしか出来ないという事かもしれないが、見方を変えればスペシャリストという事が出来るわけで、日本の柔らかい分業とアメリカの専門別分業は一概にどちらが良いかは、言えないと思った。また、それぞれの方法で向く産業、向かない産業が必ずあると思った。

Bリエンジニアリングとリストラ、組織の水平化との違いを「例を挙げて」述べよ。

 

●●● 1998.5.20宿題 水沢
リエンジニアリング、リストラクチャリング、組織のフラット化
・リストラクチャリングとは文字どおり構造の再編、つまヒエラルキーに組織さ
れた企業のピラミッドの形を変えることである。ex ある企業が不採算部門から
撤退
・リエンジニアリングとは、構造の変化を目的とせず、既存事業の強化(マーケ
ティング競争力の強化、コスト構造の改革)を目的とし、仕事のプロセスを見直
すものである。ex アパレルメーカーのベネトン。この業界において流行の変化
はめまぐるしいものがあり、顧客のニーズに素早く対応し、マーケティング競争
力を強化するために、仕事のプロセスの改革を行った。従来は、スタイル・色企
画、糸の染色、織布、カット、縫製、販売という先染めのプロセスであったが、
流行色への対応が大きく販売量に影響を与えると考え、スタイル企画、織布、カ
ット、色の企画、布の染色、縫製、販売という後染めのプロセスに変え、色企画
から販売までのサイクルタイムを短縮し、顧客のニーズに素早く対応できるよう
に変えた。
・企業の水平化とは基本的な企業の官僚制のピラミッドに変化を与えないがピラ
ミッドの中心の中間管理職スリム化である。 ex  フォードが支払部門の仕事を
オートメーション化することで500人以上雇っていた従業員を400人に減らそうと
した。これは、フォードは、オートメーション化がもたらすフラット化による中
間層の人員削減をねらったものだろう。

○セイコーエプソン
セイコーエプソンは、分業化のいきすぎによる調整業務を削減するためPC部門に
あった7つの部門を3つに減らし、中間管理職を減らし、庶務担当者を共有化し
た。このことは、4部門の削減ということでリストラ、3つにまとめたことで中間
職のスリム化(組織のフラット化)ともとれるが、目的として1事業の分業のい
きすぎによるコストの削減をねらったものであり、仕事のプロセスの効率上4部
門を削減したものであるから私はこれをリエンジニアリングと考える。


●●●リストラ、リエンジニアリング、組織の水平化の比較 akinori wakabayashi

 

「リエンジニアリング」、「リストラ」、「組織の水平化」の3つは、人員削

減という基本的な目的は同じだが、その内容は大きく異なる。まずリストラは、

不採算部門を切り捨てる人員削減で、非生産的な人的資源の削減だ。よってリス

トラは、それによって生産性が急激に上がるというものではない。次に組織の水

平化と、リエンジニアリングだが、この2つはよく似ている。どちらも非生産的

な人的資源の削減ではないからだ。しかし、この2つも内容は異なっている。組

織の水平化とは、それまでピラミッド型であった形態を中間部門を切り捨て、水

平化させる人員削減だ。これにより伝達コストや時間がかからなくなるので、生

産性は上がるのだ。しかし、組織の水平化では基本的なシステムは変わらない。それ

に比べてリエンジニアリングとは、根本から考え方を変え、新しいシステムを導入す

るものだ。IBMクレジットのケースのように、コンプュ−ターを導入することで支

払部門が切り捨てられ、結果的に人員削減となったのだ。それにより組織の水平

化同様、伝達コストや時間がかからなくなり、急激に生産性は上がったのだ。

 

 

●●● 田辺                   

tanabe-1.gif (6722 バイト)

tanabe-2.gif (4295 バイト)                       

 

 以上をまとめて考えると、リエンジニアリングとはリストラクチャリングを実現させるための手段ビジネスプロセスのリストラから派生したものであると考えられる。リストラクチャリングとは広義には事業再構築の意味で狭義では上記のように細分化される。また、それを実現させるために広範な手法が存在した。(ただし、日本では固定費の削減、つまり、人件費の削減、人員削減としか理解されなかったのは悲しい事実である。)

 近年、競争の激化する市場においてより高いレベルで(とりわけCS,ワールドクラスのパフォーマンスを実現させるため)リエンジニアリングを実現させるための手段としてアウトソーシングが注目されている。アウトソーシングに関しては私の2年次進級論文を参照していただきたいが上記のリエンジニアリングとアウトソーシングの関係について若干の補足を加える。@とAはあくまで私の仮説に基づくものである。@は、リエンジニアリングを実現させる手段としてのアウトソーシング。Aは、リエンジニアリングの限界から生じたアウトソーシング。

 ダイエーに見るリストラクチャリングの失敗例。ダイエーは94年3月に忠実屋など3社を吸収合併し人員削減に着手した。合併時2万6千人いた従業員を1万6千人に削減。(合併前の1万8千人より少なくした)店舗は合併前223店、現在378店。この結果、歪みが生じた。ダイエーは、リストラの結果、95年から96年にかけて経常利益が上昇した。固定費を削減したから上昇するのは当然である。しかし96年からは下降線をたどり、ついに97年に赤字に転落。リストラが短期的戦略と言われるのがよく分かる結果である。一時的に財務体質がよくなっている。この結果で経営陣がリストラは成功したと勘違いしたのではないか。事実は、人をコストとしか見なかったから新しい効率的なシステムが生まれず、従業員の士気の低下を招いたというところではないか。それが波及効果となってあちらこちらに現れた。坪当たりの直営売上高、平均在庫日数、既存店売上高前年比、粗利益率、ダイエーのこれらの数字は全て95年を境に急激に悪化している。唯一従業員一人当たりの売上高が96年から悪化(これは、リストラによる短期的効果の現れのため、また、その後の急激な低下はリストラによるサービスの低下、質の低下によるもの)。確かに95年の阪神大震災、最近の消費不況という外的要因はあるが、それらをさしひいてもダイエーの落ち込みは異常である。それはGMSの平均値と比較すれば一目瞭然である。これは明らかにリストラの失敗を物語っている。

 以上のことからわかるリエンジニアリングとリストラクチャリングの違い

リストラクチャリングは縮小を意図するところが強く結果として部分的最適化になり、これが組織のバランスをくずす要因になりやすい。リエンジニアリングは、そうした弊害をなくすため全体最適化を取る。言いかえれば攻めのリストラとも言えるものである。

 

●●● Makiko Takahashi

5/20の課題 E080621 高橋牧子

例えば、バブル期に1つの仕事を何人ものがやるという状況から、人件費削減の

ために人員を減らす事をリストラといいそして人が少なくなったために一人の負

担が大きくなる。

組織の水平化は情報技術を利用し、今まで人がやっていた中間管理職をコンピュ

ータによって管理する事である。リエンジニアリングは効率性の向上のためにプ

ロセス自体を再検討し、企業の生産性を大きくするためのものである。

5月20日の課題

僕のバイトを例に挙げてみると経営費削減の為、能力の無い人を首にしました。これは、

まさにリストラと言えるだろう。組織の水平化ができれば、その人は辞めずに棲んだはずである。しかし、それでは良い結果は得られないと思う。バイト先の店こそ、リエンジニアリングを行うべきである。

授業の感想

初めて表計算を学び、使いこなせればかなり役に立つと思った。しかし、パソコンに慣れてない僕にとっては、授業のペースが速く授業だけでは理解できなかった。これから、徐々に理解し、利用できるようになりたい。

 

●●● 5月20日の電算と情報経済論の宿題 Mitsugu Ishida

 

体調不良のため宿題が遅れてしまいました。すいません。

電算機の感想

今までは、インターネットや表計算を使って授業が進行していき、スムーズに理

解していたけれど、今回から今までにやったことのない大型コンピューターへア

クセスし情報を入手するということが始まりかなりてこずってしまった。はや

く、この操作に慣れるように努力したい。

情報経済論

リ・エンジニアリングとリストラ、組織の水平化について、例としてテニスサー

クルを挙げてみたいと思う。まず、ここでいうリストラとはサークルにまったく

来ない人や来ても会費を払わない人、つまり、不採算部門を切り捨てることであ

る。

次に、このサークル内で会長、会計、企画、そしてそのサークル員とにわかれ

ていると考えると、昔は会長が幅を効かすしていたが会議の場を作ることにより

みんなの意見を取りいれ様々な事を決定するようになった。これが組織の水平化

である。

最後に、リ・エンジニアリングはこのサークルのシステム、つまり会長、会

計、企画などといったものを無くし、何か革新的なプロセスを見出すことであ

る。

授業の感想としては、表計算は電算機でやったので簡単だったということでし

た。

 

●●● リエンジニアリング、リストラ、組織の水平化 nobuaki komori

まずある企業があって、その企業には5つの部門があるとする。リストラとは、

その部門のなかで、採算の合わない部門を切り捨て、コストを下げて利益率を良

くするということである。組織の水平化は、各部門にコンピューターなどの情報

技術の導入により、中間管理職をなくし部門の余分な人材を取り除き、企業を文

鎮型のスリムな組織にすることである。リエンジニアリングは、5つの部門とい

うその企業の全体のプロセスの再検討と、それに伴う的確なコンピューターの導

入によって、効率化を図り、コストを下げ、利益率を上げることである。

 

 

●●● リストラとリエンジニアリングと組織の水平化 e08-0294 奥澤 啓之

 

リストラとは合理化である。技術進歩を背景にした機械設備の導入などによる

生産性の向上とそれによる相対的剰余価値の生産が目的とされるのではなくて、

労働条件の切り下げによる絶対的剰余価値の生産が直接に目的とされる。簡潔に

言うと不採算部門の切り捨てによる組織のスリム化を行うものである。

リエンジニアリングとは、製品を作る際に、生産、販売、管理など多彩な仕事

が要求されるなかで、仕事そのものよりも、別個の仕事と仕事をつなぐプロセス

を合理化し、改善することによって組織のスリム化を測る方法である。そのため

にも顧客にとって必要かどうかの判断がプロセスの改善には重要視される。

組織の水平化とは、私はリエンジニアリングの一例であると考える。情報技術

の活用によりコンピューターネットワークを発達させ、それまでにかかっていた

プロセスの受け渡しを行う上での手間を省くことによって組織をスリム化するの

である。そうすることで、これまでの企業組織が基礎としてきたトップ・ダウン

型の指示系統は、意味を失い、企業内の人間関係は水平化されるのである。簡単

な例を挙げると、地位の低い社員が社長に何か提案があるときに、いままでは直

接の上役から社長に伝達するまで時間がかかったが、電子メールを使えば直接社

長に伝達できるといったことを言っている。

 

●●● E08-080860F 大慈彌 ゆう子

 

”リエンジニアリング”と”リストラ”の違いを、次のように考えました。

 

リストラとは、主に人員の削減や、不採算部門からの撤退を意味するので、結

果的には企業の一部だけの効率化を目指すことになり、場合によっては、別の部

門がそのしわ寄せを受ける可能性がある。

また、リエンジニアリングというのは、業務や組織体系の見直しを図り、再構

築する上で、情報通信技術などを用いて、企業全体の生産性を向上させることで

ある。

つまり、リエンジニアリングは、企業全体の効率化のことをさすが、リストラ

とは企業の一部だけを効率化することをいう。

 

●●● Unpou

リストラは不採算部門や非生産的な人的資源の削減をおこなうものである。リエ

ンジニアリングは生産の過程の根本から見直すものであり、両者は違うものであ

る。「フォード」の場合も、結局は支払部門がなくなったが、これは支払いの過

程をみなおしてコンピューターを導入したことによるもので、リストラとは違

う。組織の水平化は中間管理職が情報技術によってなくなってくるというもの

で、両極化がおこっていると思う。

 

5/20授業の感想

私は、今までリエンジニアリングとは何か、曖昧な形でしか分かっていませんで

いた。そこで今回、先生の話を聞いて理解でき、また一つ勉強したなという気持

ちになれた。これからももっと、いろいろな知識をつけていきたいと思っていま

す。だから、先生の新しいお話を期待しています。

 

 

●●● Kishida

フォードの場合において、リストラは支払部門のオートメーション化で人員を削

減しただけで支払部門の根本的な改善はなされていない。逆に、リエンジニアリ

ングは、支払という概念を変え、支払部門そのものをなくしてしまった。したが

って、リエンジニアリングを行うことでリストラとは比較にならないほどの人員

削減と作業時間の短縮等が行われ、分業における根本的なものを変えてしまうの

だと思う。

 

●●● E08−0596糀谷 一泰

 

自分なりに例を考えてみて自動車のセールスを参考にしてみようと思った。

まず、どの企業でも行っているリストラは不必要の人間をただ削るという短絡的に人

材を削除しているだけだが、組織の水平化は情報技術を導入することにより数人か

かっていたお客さんからの要望やメンテナンスも1人でこなせるようになり人件費を

抑えることができる。リストラとは性質が異なるのは明らかである。

また、今までやってきたリエンジニアリングを考察してみるとこの場合では、営業の

販売方法や、顧客の管理などのプロセスを根本的に見直し変えていくことで人を減ら

しても今まで以上に販売を伸ばしていくことが可能になるのである。しかし、そこで

は情報器具の有効活用がポイントになるのは言うまでもないことである。

 

●●● 差出人 : Daisuke Kamata   5/20の情報経済論の宿題

送信日時 : 1998年 5月 27日 水曜日 午後 12:00

 

リエンジニアリングとリストラについてまず考えてみると、リエンジニアリングは プロセスを見直すことであり人員が逆に増加することもある。リストラはプロセス を変えずに効率の悪い部門を縮小、削減することである。そして、水平化とは リストラと関係しており、イントラネット等により企業体系がピラミッド型か

ら文鎮 型に移行することであり、同時に中間管理職の削減にもつながる。

 

●●● 差出人 : Kouki Ono  : 情報経済論

送信日時 : 1998年 5月 27日 水曜日 午前 03:31

 

『リエンジニアリング』と『リストラクチャリング』の違い

リエンジニアリングは、ある事業において成長の可能性があるのに うまく業務が機能しないといった場合に、 業務プロセスの再検討・?:ぢ再構築を行うことでより一層の効率化を目指すことで、 リストラクチャリングは、成熟しきった分野から新たな可能性を持つ新分野へ シフトするという、事業そのものの存在を見直すことだと思う。 つまり、単純に言えば、リエンジニアリングは&ldquo;事業A&rdquo;内における変革で、 リストラクチャリングは&ldquo;事業A&rdquo;から&ldquo;事業B&rdquo;へシフトするということである。

E08−0678K 小野 公樹 enciel@knight.avexnet.or.jp <mailto:enciel@knight.avexnet.or.jp>

 

●●● Kina

5月20日の宿題

リエンジニアリング_・と_・リストラ_・組織の水平か_の違い

マツダとフォードの例で考えてみる。マツダは確かにコンピューターのオート

メーション化により支払部門の労働者を5人と大幅に減らしたが、これはプロセ

スを見直した上なのでリストラではなくリエンジニアリングであると思う。これ

に対してフォードはプロセスを見直した上でのコンピューターのオートメーショ

ン化ではなく、ただオートメーション化すれば生産性が上がると考えていた。こ

の場合はプロセスを見直した上ではないのでリエンジニアリングではなくリスト

ラであると思う。ここがリエンジニアリングかリストラの違いである。

 

●●● Koki Ogawa

リ.エンジニアリングとリストラの違い

どちらも人を削減することに変わりがないが、リ、エンジニアリングとリストラには大きな違いがある。リストラは、人件費削減、というか費用ばかりかかって収益が上がらない部門を縮小させる為に行うことが大きな目的だが、リ、エンジニアリングは組織全体を根本から改革することによって本当にその部門が必要無くなり、実際にその部門がなくても、今まで以上に効率的に作業が出来ると判断されたからその部門をカットすることだと思う。

アメリカで行われるリストラと日本で行われるリストラにはこのように大きな違いがあると思う。つまり、日本の場合は、その場ではそ損失が削減され、収益が上がるかもしれないが組織が縮小するが、アメリカの場合は、リストラは組織の縮小でなく、組織の構造を根本から変えることによってスリム化され、組織が大きくなる過程の1つだと思う。

 

5月20日の授業の感想

今回の授業でよく分からなかった所がありました。それは_組織が水平化_とい

う所です。組織が水平化とは_NETWORK技術が自ずと要請する一つの方向_と言っていたが、どのようなモノかいまいちイメージが出来ません。だから、宿題のリエンジニアリングとの比較が出来ませんでした。

 

 

●●● Asaka

まず、「リエンジニアリング」とは既存のプロセスを抜本的に見直すことによ

 

って飛躍的な生産性の向上を得ることができる。一方、「リストラ」は不採算部

門の切り捨て、「組織の水平化」は中間管理職のスリム化によりコストの削減が

期待できる。

 

両者の違いは、既存のプロセスに対する対応策の違いであるといえる。前者は

既存のプロセスを抜本的に見直すことに、後者は既存のプロセスを強化すること

に力を注いでいる。この決定的な違いは、両者の生産性にも大きな影響を与え

る。

例えば、「リストラ」や「組織の水平化」による既存のプロセスの強化でコス

トの削減が得られるとしても、それによって生産力を削減しているので生産量も

減少してしまう。しかし、「リエンジニアリング」は既存のプロセスを抜本的に

見直すため、生産力が削減されたとしても生産量の増加が期待できるのではない

だろうか。

感想 日本の仕事とアメリカのジョブの違いは面白かった。どちらもメリッ

ト、

デメリットがあるが、日本的な考えのほうが個人的には好きだ。

 

●●● 関口

リストラもリエンジニアリングも人材がいらなく回顧しているというてんでは同

じである。しかし、解雇する理由が、明らかに違っている。リストラはある部門

が赤字であり、その不採算部門を削除し、非生産的名人的資源を削除するもので

あり、逆に、リエンジニアリングは、逆分業により、今まで以上の仕事を今まで

よりも少ない人数でこなすことができるため、人材があまってしまい、それを削

除するという点で異なっている。これにより、企業の水平化が進んでいる。

e080491d

●●● 庄司

課題

 

「リエンジニアリング」と「リストラ」、「組織の水平化」の概念との違いを、一つ

の例を挙げながら再検討し、説明すること。併せて、授業の感想も送ること。

 

まず、それぞれの概念の違いを検討する。

 

リエンジニアリングとは、まったく新しい発想のもとで業務や組織を再設計し、経営

の効率性を飛躍的に上昇させる手法のことである。企業全体の生産性上昇を目的とし

ている。

 

リストラとは人員の削減、不採算部門からの撤退を意味する。企業の一部組織の効率

化を目指したもので、一部の合理化が、他への業務押しつけに終わった例もある。

 

次に、組織の水平化を日米の比較によって、再検討してみたい。

 

アメリカ企業は仕事のやり方が徹底した縦割りであるため、横の連絡、調整(水平的

なコーディネーション)が非常に悪い。すなわち、各部門間のやり取り、また、企業

と顧客のコミュニケーションがうまく行かない。なぜなら、塀越しにボールを投げる

と評される現場の性質があり、部門間の責任分担は明確だが、自分の部門の仕事を終

え、次の部門に渡した後は、まったく関与しないためである。つまり、後は野となれ

山となれである。このようにアメリカの企業は自分の責任以外の仕事にはまったく無

関心で、会社との契約で決められた仕事を確実にこなすだけである。

 

日本企業は全般的に見て横断的なコミュニケーションがきわめてよい。すなわち、情

報が行き渡っているために、仕事が効率よく進むことが多い。なぜなら、労働者の

ローテーションによる多能化が進み、いつでも他人の手助けができる体制ができあ

がっているためである。このように日本の企業はたとえば自分の仕事が終わった場合

終わっていない人の仕事をみんなで協力して行うのである。

 

私自身も一昨年の夏休みに日立建機という建設機械をつくっている企業でアルバイト

をした。アルバイトを通して貴重な体験ができ、社会勉強になった。そこでの経験を

述べてみる。

 

工場内は立体的にできているベルトコンベアーともいうべきローラーがあり、部品が

それによって運ばれていくのだ。また、コンピューターを使って工場内と各支店をオ

ンラインで結んでいて、電子メールなどで伝達したい内容などが送られてくるのであ

る。設備もさることながら、一番気を使っていることは安全面だそうだ。いろいろな

アイディアを提案したり、それをいかしたり、対策したり、いろいろ工夫がしてあっ

た。それから、社員教育の方もしっかりしていた。日本企業の特徴である横断的コ

ミュニケーションもすばらしい。例えば、この仕事は誰に聞けばわかるなどといった

具合に、情報がいきわたっているために、仕事が手際よく進むことが多かった。ま

た、そのようなシステムであるため、非常に柔軟性に、環境の変化に対応していく。

意思決定など曖昧なところはあるが最終的にはいいものをつくれるだろう。

 

アメリカの企業はその欠点をネットワーク技術によって、カバーできるようになって

きている。

 

感想

 

今回の授業も非常に面白かった。分業は人と人とのつながりということに感動した。

昔、父が言ってたことを思い出した。言っていた内容はこうである。あるひとりが仕

事が終わらなかったら、それをみんなで助けて協力してやったと言っていた。アメリ

カはIt’s not my business である。こんなことを思い出しながら授業を聞いてい

た。私個人としては、そんな日本的なところが好きです。

 

●●● 「リエンジニアリング」と「リストラ」と「組織の水平化」の概念と違い

E080187近藤洋一

 

「リエンジニアリング」はまずプロセスそのものを見直すという意味で、「リス

トラ」は不採算部門を切り捨てるという意味で、「リエンジニアリング」におけ

るプロセスの見直しには不必要である。これらの違いについて分業体制の見直し

に、のっとって考えてみたいと思う。その一つにプロセスチェックというものが

ある。それは、リストラとの関係、組織が水平化するという事実を現している。

組織が水平化するというのは、Network技術が自ずと要請する一つの方向が水平

になり安定するという事を言っている。

最近は証券市場において金融ビックバンによってこれからどのように営業をす

れば良いのか?という問題もうかびあがってくる。そこで店側としては今までは

手数料さえもらえれば客はどうでも良かった。しかし、近年では、客が儲かるよ

うにアドバイスやヘルプ・サポートをしなければならなくなった。分業と生産性

は人と人とのつながり方である。そして、分業・生産性・技術とはそれぞれまっ

たく異なっている事が言える。

 

●●● 宇田

リエンジニアリングとリストラ、組織の水平化の違いをまとめてみるとプロセスチェックの有無がある。リエンジニアリングは水平分業体制の見直しというプロセスチェックを行い、リストラと組織の水平化においてはプロセスチェックなしの不採算部門に切り捨て非生産的な人的資源の削減ということである。例として、プロのスポーツ選手において、結果=目立つことであると考えてしまい自分のスタイルやチームにおける自分の役割を忘れてしまう。これがリストラであり(?)、リエンジニアリング的発想というものは結果が大切であるならば、その結果を導く過程(自分のプレーの詳細)の分析を行い、自分の得意なプレーでチームに貢献してもらおうとすることであろう。

この講義はかなりみんなを引き付けるような内容であると思う。実際話を聞くみんなの顔もいつものものとは違う。来週からもまた新しい話が聞けることを期待しています。

 

●●● 青木

日本の多くの企業はバブルのころに生産性向上のためにコンピュータを投入し

た。そのころアメリカは経済が伸び悩んでいたため、作業を根本から見直し、い

かに生産性を向上させるかという「リエンジニアリング」の考えを検討してい

た。その結果、それまでにあった不必要な部分が削除され、プロセスがスマート

化された。一方、日本ではバブルがはじけてから企業の経営が急激に悪化したた

め、不採算部門を切り捨てて生産性を向上させる「リストラ」を推進しなければ

ならなかった。「組織の水平化」とはネットワーク技術の発達により組織中間管

理職の必要性が無くなり組織の上と下しか存在しなくなることである

 

●●● Fukotome

1つの自動車会社を例に挙げて考えてみる。その会社では、営業部門に100人

いたとする。そして、課長、部長といった中間管理職が20人いたとして考えて

みよう。そこで、単純に営業成績の悪い人が20人いたら(会社の経営をよくす

るために)その20人を首にすることをリストラというのではないでしょうか。

リエンジニアリングとは、コンピュータを導入することによって本当に営業部門

に100人必要だったのかを考えることをいうのであって、リストラとは基本的

に違う。つまり、結果として営業部門に120人必要だったかもしれない。これ

は少し大袈裟かもしれないが、リエンジニアリングとは(コンピュータ導入によ

る)会社経営全体のプロセスの見直しである、ということが分かる。また、組織

の水平化とはコンピュータ導入の結果として中間管理職の人数が20人も必要で

なくなり、組織が水平になることをいうのではないでしょうか。(つまり結果と

しての水平化である)

「授業の感想」

表計算の説明は、少しペースが早すぎてついていけなかった。後半の授業では

「リエンジニアリング」と「リストラ」、「組織の水平化」の概念の違いについ

てだったが、分かったようでよく分からないような感じだった。上の宿題が全然

理解していないような答えであったなら、指摘してください。一応自分なりに考

えてはみましたがうまく説明できなかったので。

 

 

 

●●● 5/20の情報経済論の宿題

Toshikazu Yahagi

「リエンジニアリング」と「リストラ」の違い

フォードとマツダの場合

 

フォードの支払部門には最初500人が所属をしていた。フォードは、コンピ

ュータにより企業内のオートメーション化をはかった。これにより労働者は40

0人になった。

このフォードのやったことは、コンピュータを導入し情報処理をスムーズにし

ただけでありこれでは「リエンジニアリング」とは言えない。これでは切られた

100人は「リストラ」と言って良いだろう。

それに対しマツダは従来の体制を変えて、コンピュータのデータベースを置く

ことで納入業者に小切手を発行したり、違う品物が届いてもコンピュータに入力

してエラーが出た場合は返品にしたりと、5人で支払部門をこなしていた。これ

が「リエンジニアリング」だろう。

つまり前者と後者が決定的に違うのは、マツダはプロセスそのものを見直し

(リエンジニアリング)たうえで結果的に人数が少なかったけれども、フォード

ではただ人数を切ろうとしてコンピュータを導入しただけで別にリストラができ

ればコンピュータでなくても良かったのであろう。

 

●●● 5月20日の宿題

masahiro yadoiwa

 正直あまり理解しているとはいえませんが、私なりの考えを書いてみます。あ

るあまり生産性の高くない会社がある時、リストラの場合は、会社の中での不生

産部門を切り捨てて、会社を運営するに当たってのコストを低くしようとするも

ので、組織の水平化の場合は、コンピューターを導入する事によって、それまで

中間管理職によって行われていた、従業員、または部門での仕事の情報の管理

が、コンピューターに集める事ができ、中間管理職のスリム化が可能になるもの

で、NET WORK技術の導入が、自ずと要請する一つの方向であると思いま

す。リエンジニアリングは、プロセス全体を見直すことで、生産性の低い、また

は、効率の悪い部門をどうしたら、全体の生産性を上げる事ができるかという点

での、プロセスの改善だと思いました。

 今回は前半のExcelは、使った事があったので、簡単でしたが、後半の講

義は、組織の水平化と、リエンジニアリングがごちゃ混ぜになって、大変むずか

しかったです。

 

●●● リストラ/リエンジニアリング/組織の水平化の違い

takashi yamaguchi

リストラとは不採算要素の切り捨て、リエンジニアリングは過程における最適な

分業による生産性の向上のこと。組織の水平化とは、中間管理職のスリム化によ

る情報伝達速度の最適化である。

 

 

 

●●● 質問  田辺

おはようございます。田辺です。

先日の情報経済論の授業のことで質問があります。

組織の水平化の話ですが、これはダウンサイジングのことを言っているのでしょうか。

情報技術が中間管理職をスリム化したとおっしゃいましたが

このこと自体、つまり、情報技術の導入はリエンジニアリングのことではないのかと

思うのですが。仮に組織の水平化をダウンサイジングとするなら

宿題の3つの比較はできるのですが、水平化を情報技術の導入によるものとするとリエンジニアリングと概念上で重なってしまい頭の中で混乱をきたしています。いかがでしょうか。

 

それから先日の帰納法と演繹法の私の宿題ですが、

水曜日の朝メールで送りましたが届いているでしょうか。

論点のところに載ってなかったので届いたのか不安です。

●●● 5月20日の情報経済論の宿題 鶴田 素秀
「リエンジニアリング」とはプロセスそのものを見直して企業全体の生産性上昇
を目的としている。また、「リストラ」とは人員の削減を目的としたもので不採
算部門を切り捨てる、と言う物であり、「組織の水平化」は情報技術が中間管理
職をスリム化するもの、という意味である。このように、「リストラ」と「組織
の水平化」はプロセスの再検討を行う「リエンジニアリング」とはにているもの
のまったく異なる概念である。アメリカと日本を例にあげてたとえるとよくわか
るが、日本の企業はバブル前の過剰投資により、バブル後に不採算部門を切り捨
てなければならなくなった。これが、リストラや組織の水平化につながっている
のだ。逆にアメリカでは、はやくからリエンジニアリング思想を生かした改革を
進めたため、現在成功しているのである。

●●● 三村和則
リストラとは、構造改革という意味であり、多くの場合肥大化した組織のスリム化、DOWNSIZINGであり、全体のコストの削減のため生産性の低い労働者や、不採算部門の切り捨てである。一方、リエンジニアリングとは、機能改革という意味であり組織内の機能、プロセスを改善し生産性を上げようといったものである。今まで授業でやったリエンジニアリングでは、コンピューターを利用した情報の共有化によるものであった。これは今まで、ある一部門が独占していた情報をデーターベースに置き換え、各部門がそれを同時に利用し、意志疎通することにより横のつながり、業務の水平化が促進され大きく生産性が伸びたといえるであろう
 
●●● Tomoyuki Ono
リストラとは不採算部門の中の非生産的な人的資源の削減などを指す。

組織の水平化はネットワーク技術が、中間管理職をなくしスリム化すること。

リエンジニアリングは分業体制の見直し(プロセスチェック)により組織を逆分業
したりして、

生産力を大幅にアップさせること。

●●● 5月20日の宿題
Date:
Thu, 18 Jun 1998 12:56:49 -0700
From:
junji kurihara
リエンジニアリングとリストラと組織の水平化は共に人員削減という大きな共通
点はありますが、その内容はまったく違っています。まずリストラは、企業の中
のある部分が赤字を出した場合、その不採算部分を切り捨てることによってなさ
れる人員削減です。しかし、リエンジニアリングでの人員削減は分業体制の見直
しにより、従来までの企業システムが革新され、新たな技術導入の結果におこり
ます。また、組織の水平化は企業の中間で情報の中継の役割をになっていた人員
が必要なくなってしまった結果、ピラミッド型であった企業形態が文鎮型になっ
ていくことをいいます。リエンジニアリングや組織の水平化は、分業革新により
おこるものであり、生産性をより高くするためにはこれらの人員削減も否めない
ものだと思いました。
E080103J 栗原 淳二


●●● 酒井隼人

リストラは、不採算部門をきる捨てるものであり、
組識の水平化は、情報技術が中間管理職をスリム化するものである。
私は、スポーツをやっているので、これを例を挙げると、
リストラは、チームの中にあまりやる気が無かったり、ルールを守らない人をチ
ームの為にならないと判断して辞めさせる。
水平化は、チームの人数が、たとえば30人にてして。レギュラーが、9人とした
ら、能力のある人を15人にするとしてやったほうが、チームとしたら経費なども
半分になり互いに実力もあるのでチーム内のムードも良くなると思います。

●●● 大前慈子
「リストラ」とは、授業のまとめに書かれていたように、不採算部門を切り
捨てるものである。つまり、ここでは企業の収益の増加や企業の効率化を望むこ
とは大変に難しい。

一方、「リエンジニアリング」とは、単なる不採算部門に切り捨てではな
く、あくまでも企業全体の効率をあげることを念頭に置いたものである。この事
で企業は効率を上げ、その事で企業は更なる発展を遂げ、収益の増加を期待する
ことがだきる。

「リストラ」は企業1部分で考えたものであり、「リエンジニアリング」と
は、企業全体で考えたものである。
つまり、「リエンジニアリング」とは、企業が更なる発展を遂げるために、今ま
で行ってきたプロセスを再統合し、企業が新しく生まれ変わることではないかと
考えました。

「リエンジニアリング」と「組織の水平化」の違いを述べると、「組織の水
平化」とは、コンピューターの導入などにより、ピラミッド型であった組織で、
中間管理職がいらなくなり組織が水平化することだ。ここでは、企業においてプ
ロセスの再統合が行われているわけではなく、ただ、企業のスリム化が行われた
だけである。

●●● 中村晃司

日本でのある企業の場合、リエンジニアリングでは、圧倒的なプロセスの改善で
あり、全体を考えより良い相乗効果を得ようとするものである。これは企業では
生産が悪い部門のプロセスを改善していくことである。
リストラの場合は、不採算部門を切り捨てるものであり、企業の中の生産が悪
い人を切り捨て、その人件費を減少することである。
組織の水平化は、コンピューターを導入し、それにより中間管理職の必要性を
はかることで、企業での情報の伝達をコンピューターにまかし、中間管理職を減
少することである。


●●● megumi mathunami
例えば、子供のころに遊んだ積み木で考えてみる。より高く積み上げていくため
には、その形は精密であることが必要だと思うだろう。そして、直角でないもの
をはじいてしまう。これがリストラ、つまり会社でいうと不採算部門の切り捨て
である。それに対して、リエンジニアリングとは、これ以上高く積み上げられな
いと思うと自分が今まで積み上げてきたものを見直し、形のおかしいもの同士が
うまくかみ合うようにつみ直すことである。組織の水平化とは、情報技術の導入
により組織における中間管理職の必要性がなくなったことである。これも、積み
木でいうとリストラと同じように要らないものを切り捨てることになる。
授業の感想は、聞いていると良く分かるけれども、いざ宿題をやるとなるとでき
ないと思うことが多い。今回はわからなくて遅くなりました。

 

●●● リエンジニアリング、リストラ、組織の水平化の違い

Kaoru Fujita <e070991@isc.senshu-u.ac.jp>

 

e070991H Kaoru Fujita

リストラとは、人員削減や、不必要事業所、不必要増資等、不採算要素の、切り捨てであり、組織の水平化とは、企業の情報管理、中継の役割を果たしていた人員(中間管理職)を、コンピューターを導入することによって、人員の削減、スリム化にし、企業を水平にすることである。リエンジニアリングとは、プロセスの見直しあり、各部門ごとの、リエンジニアリング及び、全部門を通じたリエンジニアリングは、企業にとって、大変効率よくなり、スリムになると、思います。



A演繹的方法と、帰納的方法の両者を技術と需要創造という観点から論ぜよ。


演繹的方法と帰納的方法の比較

●●● akinori wakabayashi


リエンジニアリングは根本から考え方を変え、新しいシステムを導入するとい
うものだった。フォードの例では購買部門、納入業者、支払部門の3つの部門が
あり、注文書のコピー、請求書、受取書の3つがそろって支払いを行うというシ
ステムはその時代、一般的でそれ以上ない良い方法だとされていた。しかし根本
から考え方を変える事で支払部門をなくし、生産性を上げる事に成功したのだ。
演繹的方法と帰納的方法を考えた場合にも同様な事がいえると思った。演繹的方
法とは、問題から解決策を見つけるというもので、その時代に合わせた一般的な
方法だ。帰納的方法とは解決策から問題を発見するというもので先の事を見つめ
た方法だと思う。市場のニーズに合うような、問題から解決策を見つける演繹的
方法ではなく、SONYが市場調査をせずに開発したウォークマンのように、技
術を提供し、消費者についてこさせる需要創造的な帰納的方法に変えて行くべき
だ。リエンジニアリングにより常識は覆され、新しいシステムが導入されたよう
に、演繹的方法から帰納的方法に変わって行くべきだ。
E08−0123E 若林 顕徳
Inboxの中のReturned mailに入っていてメールが送れていなかったようなので、
あらためて送ります。

●●● 情報経済論

田辺健太

演繹法と帰納法

 演繹法とは、「一般的な原理から特殊な理論や事実を導き出すこと」であり、一本の理由づけラインで表現され、最後に&ldquo;それゆえに&rdquo;では

じまる結論に到達。特徴は互いに導き導かれる関係。三段論法の方式を取り二つの前提から結論を導き出す。演繹法の長所は簡単で明瞭な流れを作り出す

こと。

 帰納法は、「個々の事実からそれらに共通する一定の事柄を引き出し一般的な法則や命題を導き出すこと」であり、同じ種類の事実や考えをグループ化してくくり、そのグループ内の類似性について推測。演繹法のような相互関係なし。長所は、ボトムアップで質問を繰り返しながら理由づけをし、物事を多角的に検証できる。

 具体例としてあげるとすれば、ソニーと東芝のパソコンがいい例である。この2社は家庭使用を前提にPCの開発をした。そこで登場したのがソニーのVAIO,東芝のブレッツアである。結果は周知の通りである。この2社は明暗を分けた。ソニーはPCを個人で使うものとして捉えた。PCのPはPersonalのPであるから当然といえば当然である。また、MD使用者の6割以上がPCを所有していることを突き止めPCとAVを組み合わせた。この帰納法的思考によりVAIOが誕生した。一方、東芝は、PCを家族全員でリビングルームで使うことを大前提とし、PC=家電(小前提)と捉えた。この結果、家電一般原理でPCの開発を推し進め誕生したのがブレッツアである。そして、生産中止に追い込まれデスクトップ部門からの撤退を余儀なくされた。いうまでもなく演繹法である。

 この例を見るまでもなく帰納法的思考が重要なのは言うまでもない。理由は、前述したように帰納法は物事を多角的に検証できるからである。演繹法では事象が複雑化している場合、思考が一本のラインで体系化されてしまうため、短絡的思考に陥りかねない。ただし、演繹法にも長所があり、演繹法と帰納法の両方をあわせた思考がベストであると思う。

 複雑化する市場において、世の中のニーズを自分で見つけ出し、新しいサービス、新しいコンセプトの製品やソフトの開発、つまり需要創造においては演繹法で事実をグループ化し、それを帰納法でまとめる思考が必要ではないだろうか。

 

●●● 帰納的方法と演繹的方法

e08-0597k 横田真紀

演繹的方法では問題があり解決方法がある、つまり経済では需要があり供給が

あるということで、帰納的方法では解決策がありそれにあう問題を探す、経済で

いうと供給を作ってから需要を探すということである。従来の演繹的方法でいま

まで発展してきたが、これからの時代に頭一つ飛び出すには帰納的方法が必要に

なっている。問題から考えると、解決策はみんなほとんど同じ方法になってしま

うが、解決策から考えるということは、それだけ想像力と創作性がなければでき

ないものなのでそれだけ優れたものが生まれる可能性が高い。新しい技術や新し

い需要を作るためにこれから帰納的方法は重要だと思った。

 

●●● 5月13日の宿題

junji kurihara <e080103@isc.senshu-u.ac.jp>

 

技術に関する演繹的と帰納的の違い

まず、この2つの違いは、演繹的は、問題を発見してから、解決策を見つけ出し

ていくというやりかたで、帰納的はその解決策から問題点をはっけんしていくと

いうやりかたです。しかし、この2つには、決定的なちがいがあります。演繹的

は、挙げられた問題,例えば人々の要望に答えるといったかんじで、必要性に応

じて何かを創造していくと言った形であると思います。ですから、段階的に生産

性は向上したとしても、一気には急上昇しないだろうと思います。しかし、帰納

的なやり方の企業(SONY)などは、人の要望以上のもの、人の考えの及ばな

いものを創造していくと言ったことをして、飛躍的に発展していきました。この

ように、段階的に需要を創造していくのが、演繹的であり、解決策から問題を発

見するといった常に新しいものを追求していくのが、帰納的であると思う。

E080103 栗原 淳二

 

●●● 5月13日の宿題

Satoshi Imai

 

演繹的方法によって生産を行うとその技術水準に限られた分でしか需要が上が

らず、一方で帰納法的方法では、未知の技術水準によって需要を作り出してい

る。この考え方は非常に重要であると思う。日本では、慣習や伝統を重んじる風

習が強く、この方法だと限られた部分でしか生産ができず需要も伸びない。この

方法ではもう大いなる発展は望めないと思う。現在の景気を回復するには方法の

転換が大切なのではないかと思う。これは、官僚や公務員にも当てはまるのでは

ないかとも感じる。

E08−0284J 今井 諭

 

●●● okuzawa

 

まず、技術とは辞書(新明解国語辞典 三省堂)で見ると「訓練の結果、習得した

勘によりもっとも短い時間(少ない手間や分量)で的確に事を処理する方法」とあ

る。また、演繹的とは「一般的な原理から、論理の手続きを踏んでここの事実や命

題を推論すること」とある。帰納的とはここの特殊なことがらから一般的原理や法

則を導き出すこと」とある。     

そこで私は今回の市場における演繹的方法と帰納的方法との違いは、いかに幅広く

自由に考えられるかだと考える。

上の説明でもあるように演繹的方法では論理によって考え方をある方向のみに限定

され、視野が狭くなり他の考え方が出来きず、また理論通りの考え方しかできなく

なってしまい、創造力が出てこなくなってしまうと考える。

逆に、帰納的方法で物事を考えられれば幅広い考え方で一つのことから多くのこと

が創造でき、他人が考えもしなかったことを発想できたりして、常に新しいことを

やれるのではないだろうか。

 

●●● 5/13日の情報経済論の宿題 鎌田大介

 

演繹的と帰納的についてその意味を調べてみると、演繹的はより一般的な知識からより具体的な

知識を推論することであり、帰納的は既知の知識からそこで成り立つ一般的な規則を推測すること

であり、具体的な知識から抽象的な知識を引き出すことである。つまり、演繹的とは間違った結論

をだすことはないが、当たり前の推論しかできない。これとは逆に帰納的とは飛躍した推論も可能

であるが、間違った結論にいきつくこともあるのである。

現在の世界経済を考えてみると、どの企業も生き残りをかけた競争が激しく行われており、グロー

バルスタンダードをとるには新たな需要を生み出す創造力が必要である。

このように見てくると、演繹的な方法よりも新たな需要を創造することが可能な帰納的な方法の方

これからの世界経済のなかでは必要になってくるのではないかと思う。

 

 

●●● 情報経済論(5/13の宿題)

hiroyuki asaka

 

演繹的方法は問題の発見から解決策を考えるため、需要のニーズにこたえることに技術が使われ現在の技術水準で最高のものを需要側に提供しようとする。既成のモノの精度はより高いものになるが、現在の技術水準以上のものは生まれず新しい需要は創造できないだろう。

しかし、帰納的方法はまったく逆の発想であるため、技術が既成概念の枠にとらわれず今までとは違った視点から新しいモノが生産できるはずである。それによって、技術が今まで以上に成長し、従来の価値観にはなかった新しいモノが市場に出まわり新しい需要を生むことになるといえる。

これからの時代は、供給側が新しい技術を有効に活用することで、新しい需要を創造することが必要である感じる。

 

●●● 演繹的方法と帰納的方法

Daisuke Unpou <e080345@isc.senshu-u.ac.jp>

 

問題があってそれから解決策を見出していくという演繹的方法とまず解決策があ

りそれによって解決できる問題を発見していく帰納的方法がある。ゼロックスの

コピー機の例を見ても、今必要とされている考え方は帰納的方法であるといえ

る。演繹的方法はまず需要があって、それから技術を開発し供給していく。しか

し、この方法では新しい技術から需要が創造されることがない。また、新しい技

術の可能性を限定してしまう事もあると思う。帰納的方法はまず技術があり、そ

れから需要を探すという考え方で、技術が需要を創造している。需要がなくても

技術が新しい需要をつくる。新しい技術が特定の分野の需要を満たすだけでな

く、いろいろな分野に応用され、活用される。技術の可能性を広げることができ

ると思う。

 

●●● 情報経済論

Yuko Ojimi <e080860@isc.senshu-u.ac.jp>

E08-0860F 大慈彌 ゆう子

 

情報経済論 5月6日の宿題

 

遅くなってすみません。

 

分業は、新技術の導入がなくても生産性は上がり、コンピューターの導入によっ

て生産性が下がる事もある。つまりコンピューターを導入するのがリエンジニア

リングではなくて、物事の過程において、どこでコンピューターを使い、どのよ

うに結ぶか。それを良く考えた上でないとコンピューターはもろ刃の剣であると

いう事だと思った。

 

●●● 情報経済論 5月13日の宿題

 

演繹的方法を使って、レベルアップしてきた製品は数多くあるが、ある一定レベ

ルまで技術が進歩するとそこで滞るというか、止まってしまい、それ以上新しい

需要を生み出す事もできずそれが完結した形になってしまう事が多い様に思う。

また、この方法では、起こった問題に対してだけ答えを求める事になるので、も

し全体的な問題が起こってしまったときに対処しきれないと思う。

帰納的方法を用いたソニーはウォークマンという新技術の供給について、未開拓

の分野だからその需要は測る事ができないとして市場調査を行わず、それが良か

ったんだと思う。せっかくの技術開発が行われていても、その時の需要からしか

考えられない市場調査によって、新しい需要を作り出す機会を失ってしまうのは

もったいない事だと思う。これからの企業の在り方として”需要創造”というの

は考えるべきテーマだと思った。

 

●●● 高橋牧子

−演繹的方法と、帰納的方法の両者を技術と需要創造という観点から論ぜよ。−

技術について演繹的な方法はあるところまでは順調にいってもある一つの問題が生じ

るとそれを解決するのはとても難しい。

そのため技術の進歩に時間がかかるだろう。

帰納的な方法はさまざまな角度から見て問題をつくり出すため、たくさんの可能性が

あり、大きく進歩する可能性は高いだろう。

 

●●● 関口大輔

技術と企業の関係

問題点を発見してそしてそれを解決していく演繹的なやり方は、確かに生産性は

あがるとおもう。しかし、そのようなやり方は、段階的に発展していくのであっ

て、飛躍的な向上は望めないと思う。逆に、解決策を見つけ、問題点を解決して

行く帰納的なやりかたは、段階的に発展するのではなく、ソニー脳オークマンの

ような大きな利潤を得ることができ屡。帰納的には、頭の柔軟性が必要だと思

う。帰納的、演繹的どちらがいいとはいえないが、これら両方の良いところをう

まくとりいれることが 発展につながると思う。

 

 

●●● 5月13日の宿題

shunichiro mitsutake <e080533@isc.senshu-u.ac.jp>

 

演繹的方法と帰納的方法ということだが、技術と需要創造の面から見ると、

演繹的方法では今の技術が与える需要しか創造できない。しかし帰納的方法は、

新しい情報技術が需要を創造するのである。

このように、これからは帰納的方法のように解決方法から問題発見という創

造的な展開が期待されると思われる。

 

●●● 技術と需要について

三村和則

 

技術とは、一般的に必要であるから、または消費者の要求から生まれるものだと考えられる。それ

は、演繹的な考え方で、需要という問題が先であり、それに対しての答えが技術である。

しかし、sonyのwalkmanの場合では、答えである技術が問題であるはずの需要を作り出

した。このケースは帰納的であり、新しい技術が新しい需要を作り出している。

コンピューターに対しても同じ事がいえるだろう。最初コンピューターは大型の計算機という技術

であったが、これにネットワークのための道具という役割もつけられた。これは、コンピューター

という技術が先にあって、ネットワークという新しい需要を提起したのだろう。

現在私たちの生活は、とても豊かで、新しく必要なものといってもあまり思い付かない。このよう

な時代には、今までの常識的に考える演繹法ではなく、帰納的な考えで、新しい技術や方法を作る

ことがとても重要であるだろう。

 

●●● 技術は何のためにあるのか?

takamitsu shiraji <e080553@isc.senshu-u.ac.jp>

もともと技術は、発明によって誕生しておりそれにつられて国民は有意義な生活

をしつつある。このことから技術は国民の満足をもたらすために作り出されるの

ではないことがわかる。

 

●●● 情報経済論の宿題

大前

課題

解決策を決定して、そこから生まれる問題点を考えていく帰納的方法だと問題点

を一つ一つ解決していく演繹的方法よりもやらなくてはいけないことまでの道の

りがはっきり見えているので、リエンジニアリングのような抜本的改革が行えた

とおもいます。しかし、需要創造があるものとして考えられるのでリスクも大き

いとおもいます。

 

●●● 庄子穏行

まず、演繹的方法について考えてみる。演繹的方法とは一般的な原理から、論理の
手続きを踏んで個個の事実や命題を推論すること。このような方法はもっとも基本的
な方法である。考え方の順序からもいっても当たり前である。次に、帰納的方法につ
いて考えてみる。帰納的方法とは個々の特殊な事柄から一般的な法則を導き出すこ
と。このような方法は演繹的方法とは逆の発想である。考え方の順序からいっても逆
である。この発想は今まで当たり前だと思えたことを新しい視点から見ることができ
る。このことは経済にも当てはまる。今まで、必要がモノを創造してきた。しかし、
最近はモノが必要を提供している。これからは帰納法的考え方が重要になってくるこ
とは間違いない。これからは、既存のことに当たり前のことに疑い、そのプロセスを
根本的に見直せるような新しい発想が需要を創造し、このことがキーになってくると
思う。
技術を哲学するなら、技術とはいい意味で、価値観をかえさせるものだと思う。技
術と組織について考えてみる。生産性を上げるには技術をあげる方法と組織を変革す
る方法がある。その両方をすることによって威力を発揮する。技術だけでもそれほど
効果はあらわれないし、組織だけでも技術がなくては効果はそれほどあらわれない。
例えば、サッカーなどがいい例である。近代サッカーは組織サッカーといわれるが、
組織もある程度技術がなければなり立たないし、技術だけの個人技にはチームとして
の強さがない。その技術が組織の中で生きる、また、組織が技術の中で生きるチーム
が相乗効果を発揮する。すなわち、技術と組織は表裏一体だ。野球に関してもこのこ
とが言える。ジャイアンツは個人の技術は他の球団をぬけているが、なかなか勝てな
い。ホームランバッターだけではだめだ。チームにしたときに打線を線にする組織と
しての強さがないと思う。
技術と組織について考えてみたが、技術と組織は個性と組織と言い換えることがで
きる。J.S.ミルは自由論で個性の重要性を論じていたが、個性は重要だが個性を
強調しすぎると組織にうまく当てはまらない。だから、個性も組織の中で生き、ま
た、組織が個性を生かすことができるようなバランスが重要になってくる。
演繹法も帰納法と両方を用いることによって威力を発揮すると思う。そして、いろ
いろな考え方、枠にとらわれない広い視野を持った人などが、これからの時代をクリ
エイティブしていくと思う。

 

●●● 5/13の情報経済論の宿題 Yositaka Uda

 

演繹と帰納(技術と需要創造という視点から)

 

辞書的な意味では、演繹とは「組み立て理論によって、特殊な課題を説明すること」であり帰納とは「個々の具体的な事柄から一般的な命題や法則を導き出すこと」と対になる意味である。これをどちらが良いかを技術と需要創造という点から述べると、帰納的でなければ効率性は望めない。解決策から問題を発見しなければならないのである。

例を出すと、村田製作所という高い技術力を保持している電子部品会社がある。ここは原材料の技術に強み(解決策)がある。それを利用して、他の企業が真似をする前に製品化し市場を独占してしまう先行逃げ切り型の経営をしている。要するに原材料という切り札をいち早く製品化するという、原材料から製品まで一貫して手がけることで業績をあげている帰納的成功例であろう。

 

 

●●● 糀谷 一泰

 

 

まず、演繹法と帰納法を対比して考えてみると、演繹法は初めに問題ありきという考えなので、創造的な技術革新が出来ず、型にはめられてしまう可能性が無かろうか。

帰納法では、様々な解決法を見つける上でアイデアが浮かびより創造的になると思う。

需要創造の観点から考えると、演繹法は問題を発見しつきとめるという点で、より精度の高い製品が作れるが、新しいものはあまり期待できない。逆に帰納法は全く新しいものを作り出せるかもしれないが、演繹法よりは高度な製品を作れないのではないか。

 

 

●●● Yasuyuki Kina 5月13日の宿題

 

演繹的方法は問題があってから解決策を出す方法で、今ある物を大切に考え

て、それを直したり補足したりするだけで結局は今ある物以上の物を作るのは難

しい。それに対して、帰納的方法は解決策があって問題を発見する。つまり、今

ある物が駄目だと分かったときに新たな物を創ろうと考える。需要創造をする上

では帰納的解決法のほうが向いていると分かった。

 

●●● makoto aoki 演繹的方法と帰納的方法

 

今までは、消費者の需要に対し生産者側が技術を開発し供給をする演繹的な方法

が主にとられてきた。このような方法でも、これまではほとんど問題なく生産が

伸びてきていた。しかし、現在では生産の成長は横ばいになり、今までの方法で

は出口が見つからない状態になってしまっている。この問題を解決するために

は、供給する側がまず技術を開発し、それに対して需要を創造するような帰納的

な方法が必要である。このような方法ならば、消費者の購買意欲を刺激するもの

が生まれ新しい市場が開ける可能性が増え、現在停滞している経済を活性化させ

ることも考えられるのではないだろうか。

 

●●● Daisuke Fukutome 演繹的方法と帰納的方法

 

 

演繹的方法では、先に需要がある、ということが前提になっているので、現在の

技術水準を超えて需要を創造すろことはできない。

しかし、帰納的方法では、先に解決方法を考えた後で問題を発見する。つまり、

先に需要があることが前提になっていない。このような考え方でなければ、新し

い需要は創造できないし技術の進歩も限界にぶつかるのではないか。

 

 

 

●●● Yoshiki Kishida 5/13の宿題



市場において、新しい物を他よりも先に広めるために、演繹的方法をとった場合、その物が市場に及ぼす影響や効力を考えながら対応していくので、競争に遅れ
が生じる可能性がある。一方、帰納的方法をとると、実際に市場に出してから、生じた問題に対して、その物を改良していくので、ギャンブル的ではあるが、演繹
的にいったほうが競争に勝つのではないかと思う。

 

●●● YadoiwaB演繹的方法は、問題認識をしてから、解決策を考えるので、ある意味安全策で、確実と言えると思います。しかし、それ

は、他社も同時期に始める可能性があるので、いかに早く、また、他社より何か優れたところを考える必要があると思いま

す。

 帰納的方法は、新しい技術があって、将来の新しい需要を生み出すので、この新しい需要を考える事のできる柔軟な頭を持

った人物が必要だと思います。しかし、必ずしも需要が生まれるとは限らないので、リスクは大きいと思います。そのぶん成

功したときの見返りも大きいので、会社を大きくするならば、こういう方法が必要だと思います。

新しい物を他よりも先に市場に広めるためには、その物が及ぼす影響を考えてか

らでは遅いので、実際に市場に出してから改良していくことが必要だと思うの

で、新しい物を生み出す技術とは、競争に勝つためのギャンブルのようなもので

ある。

 

 

●●● e080626@isc.senshu-u.isc.ac.jp 松浪 恵

先週の宿題を授業履修者のBBS 出してしまったので、情報経済論の論点のと

ころに、のっていませんでした。そのままでもだいじょうぶですか?

前回の授業は、コンピュータが変になって焦ってるうちに聞き逃してしまった部

分がありました。でも企業もいろいろ改革をしているいることを知り、今まで抱

いていた会社のイメージとはだいぶ違うと思いました。

現在、私たちの生活は基本的なものには既に満たされている。これ以上技術

が進んだら雇用すら危ない状況だと思う。いまこの状況で雇用創出するには既に

発売されている商品に特別な機能をつけて差別化を図るとか、改良するぐらいし

かないように思える。しかしこれは、演繹的方法であり、限界はすぐにやってく

る。技術を新しい部門につぎこみ、それで需要を創出する方法を取らなければ、

事業の拡大にはつながらないと思う。

 

●●● Tomoyuki Ono

演繹的と帰納的を技術から論じろ

演繹的問題解決は、問題が生じてから解決策を考えるのに対し、

帰納的問題解決は、解決策を先に作り、その後問題を発見する方法。

新しい技術が、新たな需要を創造するという、セイの法則に対し、

帰納的解決法は、新しい解決策が、問題が起こる前にに問題を発見する。

情報経済論5/13の課題 演鐸的方法と帰納的方法

 

●●● E08−0203C

中村 晃司

 

課題を出すのを遅れてしまい、すみませんでした。

 

演鐸的方法は、基本的な方法であり、物事の考えを正当な順序で行うものであ

り、問題から解決策を導き出す方法である。

これにはまず需要があり、それから技術を開発していくのだが、これには需要と

いう標準の考えがあるため、一定のレベルでの需要創造しかできない。そのため

可能性の目を潰すことがある。

一方帰納的方法は、演鐸的方法の逆のことが言える。この方法は解決策から問

題を導くことであり、技術を開発し需要にしていくため、この方法であると、新

しい需要創造が生まれる。誰も考えない商品が生まれる可能性がある。この方法

により人類は発展していったと思う。

したがってこれからの世界標準の経済の中で、生き残るためにはこの帰納的方

法の考えが必要である。だがこれは標準の方法ではないため、間違った方向にい

く可能性もあるため、これが最適であるかどうか疑問に思う。

●●● 5月13日の宿題 鶴田 素秀
 
演繹的方法とは、問題発見から解決方法の探索という方法で、帰納的方法とは、
解決方法から問題発見という方法である。前者の方は問題を発見してから解決方
法をみつけるため、そのモノの専門的な技術は向上していくが、需要創造という
点ではどうかと思う。(この方法では現在の技術水準に応じた需要しか期待でき
ないから。)逆に、後者の方は解決方法があらかじめわかっているため、その解
決方法というところまでいろいろな道をつくってたどりつくことができる。それ
によってそのモノの技術を新しいモノの技術に利用したりして新しい技術が需要
創造という形をうみだしている。こうしてみると、プロセスの違いが大きく需要
創造に作用しているということが分かった。


●●●5/13分の宿題
Date:
Thu, 18 Jun 1998 15:55:27 -0700
From:
矢作 敏和

B演繹法的方法を用いると問題発見〜>解決方法というように至ってあたりま
えで、違う言葉で言うと「つまらない」といった感じがある。売り上げにしても
だいたいの予想がつくし、せっかく商品を作っても売れなければ意味がないため
に製作者も世のニーズに合わせて作らなければならない。技術の導入に関しても
ニーズに合わせて作ればいいのだから最先端の技術は要らない。
それに比べて帰納的方法では商品をつくってそれを気に入った消費者だけが買
うというまったく反対の方法であり、この方法でSONYはウォークマンを開
発、大当たりした実績を持っている。技術の導入に関して言うとこちらの方は作
りたいものを作るわけだから最先端の技術を導入できるわけである。
この二つを比べて魅力的に見えるのはやはり後者の方ではないだろうか。


●●● 5月13日の宿題 e080436 酒井隼人


演繹的方法とは、問題がおっ乞ってから解決策を考える方法
帰納的方法とは、解決策があって問題をを発見する方法
演繹的方法は、実際に持っているもの以上のものを作るのは、難しいようだが、
帰納的方法は、今あるものがだめなら新しいものをつくろうとする。
この考え方の方が、需要を拡大する上では、前向きな方法だと思う。


●●● Toshinobu Mizusawa
送れていなかった課題を送ります。
1998.5.13
演繹的思考方法とは普遍的命題から特殊命題を導き出す事であり、帰納的方法は
個々の具体的事例から一般的な命題や法則を導き出す事である。
演繹的方法においては現在における問題を普遍的命題とし、それを解決しようと
する。これは既存の需要を促進させるが、新たな需要創造まではいたらない。新
たな需要を創造するには既存の概念、市場の動向にこだわらず帰納的に新しい技
術で可能なものを供給し新たな需要の法則らしきものを導き出す必要がある。


@「分業」と「逆分業」の矛盾について

 

横田真紀 情報経済論 分業と逆分業

 

この授業を受けて、分業により生産性が上がるのはある時点までであって、プ

ラスの生産性とマイナスの生産性(モラルの低下、労働者としての能力の低下、

コミュニケーションの調整コスト)をあわせた実際の生産曲線をみると、ある時

点で生産性が下がってしまい、最適生産点というものがある事が分かった。リエ

ンジニアリングの結果逆分業にたどり着いたというわけである。この考え方は、

今までの学んできた経済学とは違い新しい考えで、授業を受けてそのとおりだと

思いました。最適生産点というものを考えれば生産性の上がることはたくさんあ

ると思いました。

 

akinori wakabayashi

 

国富論の中でアダムスミスが考えたように、分業により生産性は、ある分野で

は高まるとおもう。僕は今、写真の現像所でアルバイトをしています。写真の現

像といっても僕がくらい部屋に入って写真を現像しているわけではありません。

今、スーパー、クリーニング店、コンビニ、酒屋、といったあらゆる所で写真の

現像や焼増しを受け付けています。そのあらゆる所から集まったフィルムが僕の

バイト先に届くのです。そこでは次の順序で分業が行われています。

@フィルムを各店に取りに行く

Aフィルムを仕分ける(翌日までに仕上げるものと、ゆっくり仕上げるものに分

ける。また、光沢仕上げと絹目仕上げを分ける)

Bフィルムをはだかにして1本につなげる

Cフィルムをチェックして写真にする

D出来上がった写真を袋に入れる

E各店に出来上がった写真を届ける

 

A〜Dの作業は同じ建物の中で行われていて、僕はB番の「フィルムをはだかに

して1本につなげる」という仕事をしています。僕はこの仕事を始めてから1ヶ月

ぐらいになりますが、入った当初に比べて明らかに仕事が速くなりました他の人

たちも、それぞれ自分の仕事のスピード(生産性)は上がっています。しかも、

同じ建物内で分業が行われているので、仕事の受け渡しもスムーズです。よって

@〜Eの仕事を一人で行うよりも分業を行ったほうが明らかに生産性は上がりま

す。それではなぜ、IBMクレジットのケースのような逆分業の必要性が問われ

ているのか?私なりに考えてみた。

まず、分業よりも逆分業のほうが正しいだとか、逆分業すれば必ず生産性が上

がる、というものではないと思った。分業をすべて止めてしまうのではなく、分

業の数を減らすという感覚での逆分業が必要なのだと思った。IBMクレジット

のケースのように、受け渡しの時間やコストがかかってしまうような場合、逆分

業する必要性はあるが、僕のバイト先のように同じ建物内で分業しているため、

受け渡しの時間やコストがかからない場合、逆分業する必要性はないと思う。陸

上競技のリレーでは、バトンの受け渡しが最も重要だ。バトンの受け渡しが遅け

ればレースで負けてしまうように、仕事も受け渡しに時間やコストがかかってし

まっては、生産性は下がってしまう。よって、IBMのケースのように分業の数

が多く、時間やコストがかかりすぎる場合にのみ逆分業して、分業の数を減らす

必要があると思った。

 

E08−0123E 若林 顕徳 {とっくに終わっていたのですが、

メールの設定が何度もエラーしたので遅れてしまいました。すみませんでし

た。}

 

前回の授業(5月6日)で先生は、プラスの生産性カーブとマイナスの生産性カ

ーブがあり、その合計をとっていくと実際の生産性曲線ができ、最適分業点があ

ると仮説しましたが、まったくそのとおりだと思いました。それぞれ企業は1番

利益を上げられる曲線の頂上を目指して設備投資などを行うのですが、ウインド

ウズ95〜98になる問題と同様に、行き過ぎた技術の進化や情報は逆にそれを

使う人間を混乱させ、生産性は下がってしまうということが分かった。IBMク

レジットのケースは、最適分業点を超えて行われた分業であったため逆分業が必

要になったのだ。アメリカの場合も最適分業点を超えた分業であったため逆分業

したのだ。アメリカが再生した理由がこれでやっとわかった。しかしどんな企業

でも逆分業すれば良いわけではなく、最適分業点に達していない所では設備投資

などによる技術の向上、よりいっそうの分業が必要なのだ。分業の問題点として

モラルの低下、一人の労働者としての能力の低下、例としてチャップリンの「モ

ダンタイムズ」をあげましたが、分業が行われているところでアルバイトをして

いる私としては、まったくその通りだと思いました。毎日単純作業の繰り返しな

ので、確かに仕事のスピードは始めた当初よりかなり速くなり、生産性は上がっ

ているのですが、その分すぐに飽きてしまい、他の仕事がやりたくなります。そ

のためアルバイトの人はすぐに止めてしまうことが多いので、その後のアルバイ

ト募集の広告費などがかなりかかってしまいます。よって分業の問題点を解決す

る必要があります。

 

e080187 近藤洋一

情報経済論 自分の考えと授業とを比較して述べる

 

この間のレポートにおいて自分は、アダム・スミスの「国富論」について触れ忘

れてしまった。アダム・スミスは国富論において、分業の進展は生産性をあげ、

市場の規模が分業の進展を決定するといっている。これは、組織のあり方と生産

性によるものである。しかし、それに対してリエンジニアリングの結果としての

逆分業による生産性向上が起こっている。これは、モラルの低下、1人の労働者

としての能力の低下によるものである。これは、マルクスが述べたものである。

ここにおいて矛盾が起こるのは分かる。この後生産性と分業の関係をプラスとマ

イナスとに分け、曲線において考えた。そしてそれぞれの曲線の合計した曲線を

考え、そこから最適分業点を導き出した。この事を使ってアダム・スミスの領域

は、最適分業点まであり逆分業は最適分業を超えてしまった場合に最適に戻す運

動とみることが出来ると分かった。自分は生産性の向上は企業によって異なり組

織からテクノロジーへの変動のことばかりに集中してしまい以上の様なことと

は、違う考えをしていました。アダム・スミスの国富論が分業においても重要だ

と言うことがとてもよくわかりました。

 

 

shunichiro mitsutake 分業について再度検討

 

 

分業について再度検討してみて、自分のこの前の考えと比べてみたら、サーク

ルの例で示したように、マイナス面としてコミュニケーションを取るためのコス

トというところで一致していたように思う。

 

アダムスミスは、分業の進展は生産性をあげるといっているが、分業にもいろ

んなマイナス面がある以上必ずしも生産性を上げるとは限らないとおもう。特に

コミュニケーションコストガ高い企業は早くピークをむかえるのだと思う。

 

矢作 敏和, 先週の情報経済論の宿題

 

問題の答えを聞いてみて、発想の転換というものが必要だと思いました。私は(1)から(5)までの仕事を一人一人に割り振ることが分業であると思い込んでいたために、クレジット会社からみたとき、一人一人に(1)から(5)までの工程をさせること自体を分業とするということが思い付きませんでした。少しでも違う角度から物が見れるようにならなければいけないと強く感じました。

 

Takeshi Hayami5/6情報経済論の宿題

 

分業をすることとは、一つのものを作るときに、専門知識のない者が一つの部品を作り、それらを組み合わせることによって一つの完成品を作り上げることである。分業の利点は、専門知識のない者が一つの完成品を作よりも一つの部品を作ることに専念することによって、短期間で一人前の職人として機能することである。 けれども、現在のようにたとえ本人に専門知識がなくともコンピューターによって知識不足を補えるようになると、分業はかえって一つの物事を処理することを複雑にしてしまうだろう。つまり、現在では一つの物事を処理するときには、それぞれの部署で審査なり議論なりをするよりも、一つの部署で処理できるものはその場で処理する方が物事を単純化できるのだろうと思う。

 

Kazunori mimura, 情報経済論の感想

 

家にやっとインターネットが接続されました。アドレスはkmiur@ibm.netです。

先週の情報経済論の感想です。分業と逆分業ということですが、今までやってきた、どちらかというとあいまいな経済学と違い、とても新鮮でした。今までの僕のやってきた経済学では、日本経済は、労働生産性をあげなければいけないと言われ、どのようにあげるのかということがあまりいわれていなく(規制緩和や、終身雇用をやめろとはいってましたが)、つねに疑問に思っていましたが、逆の発想であるはずの逆分業によってあげられるというのは、非常に興味を持ちました。今後も、新鮮な授業を期待しています。

 

小野 公樹 情報経済論『分業と逆分業』

 

能率を上げるために一貫した仕事を分業する。これにより仕事が格段にスピーディーになるはず・・・が、IBMクレジットにおいては成立しなかった。そこでその分業見直し、業務プロセスの再構築つまり逆分業を行った結果、飛躍的に組織成果を向上させた。しかしこれはケースバイケースだと思う。それが単純な流れ作業的な労働なのか、書類転送型の労働なのか、高度な知識判断を伴う労働なのか、いずれの場合によって分業が一発で効果を表すかもしれないし、また二度三度の再構築が必要になるかもしれない。一番大事なのは、分業が一発で成功するにしても、逆分業で再構築するにしても、いかに早くその最終的な

理想とする業務形態に持っていくかということである。その最終形態まで辿り着くまで分業と逆分業の間を迷走していたのでは、その間の時間・労力が無駄である。

 

 

kazuyasu kojitani

宿題

自分が気がつかなっかた点としては2つあげられる。

まず、市場の規模によって分業が滞るという点、またそれに関連して市場が大きくなるとコミュニケーションに時間が係りすぎてしまうという点である。たしかに、コンピュウターの使い方如何によっては、人と人よりもコミュニケーション間でより多くのタイムロスがおきてしまう可能性があり経営者の腕で業績が変ってくる時代によりいっそうなったと感じられた。

 

Yoshiki Kishida 5月6日の宿題

 

アダム・スミスの提示した分業とは、いわゆる単純な流れ作業においては成立するが、コンピューターなどを使用し、各部門間で複雑な作業を必要とするような分業においては、逆に作業を遅らせることになると思う。そして、先生の仮説によるコミュニケーションの円滑化というのは単に作業内容の発展だけでなく、人と人との関わりが重要であるということには、気づきませんでした。

 

5/6の情報経済論の宿題 鎌田大介

 

今回のケースを考えてみて、逆分業とあったがこれは分業によって増加したコミュニケーションコストをコンピュータの導入によってどう下げていくかという事を意味すると分かりました。つまり、企業には分業が必要であり、最適分業点をコンピュータの導入によりどう上げていくかが重要であると思いました。

 

makoto aoki 情報経済論の宿題

 

「分業」の必要性という問題は、この授業を受ける前まで考えたことのない問題だった。IBMが行った「逆分業」の結果を考えると「分業」が必ずしも最適」ではないことがわかった。

前回の授業で80年代のアメリカの一部の産業は、過剰な「分業」のために生産性が落ちていたという仮説を聞いて、この問題は現在において大変重要なのではないかとおもった。

たとえば、現在の日本においてもこの問題は経済復興などに大きな関係をもっているのではないだろうか。

 

hiroyuki asaka情報経済論(5/6の宿題)

 

前回の講義では、IBM Creditのケースでリエンジニアリングの結果としての「逆分業」による生産性の向上の復習と結論を検討した。 前回まで自分が考えていた「逆分業」に対する考えでは、分業と技術を単一のものとして考えていたが、先生の説明で分業(組織)と技術(コンピュータの導入)は独立したものとして考えなければならないことがわかった。また、「逆分業」が分業の発展と捉えるという考えよりも、最適な分業への回帰と捉えたほうがよいと感じた。

 

Yasuyuki Kina 情報経済論5月6日の宿題

 

コミュニケーションが不足すると、その企業の成長のピークを早くに迎えてしまう。僕たちが共同で物事を進めていく時に、その事についてみんなで良く話し合わなければ、進行は大変に遅くなり出来上がる物もイマイチだが、みんなで良く話し合ってからの方が進行はスムーズになり出来上がりも良くなる。また、作業を行う際で便利な道具を使えば更によりスムーズにより良い物が出来る。コンピューターの導入は確かに生産性を上げるが、その前に環境を整備する事により、それも生きて来るのだと分かった。

 

Yuko Uchiyama

 

分業と逆分業にの「矛盾」について、最適分業点の導出により、生産性を上げ

ることが出来ることがわかりました。分業の拡大に伴うコミュニケーションコス

トの増加に対処するため、情報機器が導入されることが多いということですが、

情報が散乱している昨今、専門的なことは大事だが、一本化して全体を見通した

適切な情報を得ること、そして情報をうまく利用することが大切だと思いまし

た。

 

nobuaki komori

 

@ 分業を細分化してしまうことによって、部門間の受け渡しのコストなど、生

産過程に余分なロスが生じてきてしまって、生産性が逆に下がってしまう。しか

し、リエンジリアリングによって、抜本的なプロセスのみなおしによる逆分業

と、それにともなう的確なコンピューターの導入によって、生産性は、飛躍的に

向上する。

 

 

大前

3:「矛盾」についての感想

私が考えていたように必要以上の分業は生産性を下げるということが先生の説明

で良く分かりました。どこまでの分業が、生産性を上げるかの判断が難しいとお

もいました。

 

Yositaka Uda 情報経済論の宿題

 

5月6日の授業での宿題について考えてみた。私の答えは受け渡しをスムーズ化というのをあげていたが、先生の意見を聞いて具体的にそれがコミュニケーション不足であることがわかった。あのようなグラフを利用した解説により、コミュニケーションコストの削減を促進させるEメールの普及がなぜアメリカの経済における生産性の向上の特効薬になったのかが納得できた。

 

 

時田 竜行

 

先生の指摘どおりA.スミスの提唱した分業は一定のライン上までは効果を発揮する。しかしその各自の役割分担の間、つまり仕事1から次の仕事2までの受け渡しまでの時間までもが増加してしまい、そのことを考慮しない限り逆に時間の大幅増加へとつながってしまう。このことを踏まえれば分業化をしつつもその間における受け渡しの時間の最適化もおこなわいかぎり効率化は図れない。

 

 

daisuke sekiguchi

 

先週の宿題の、分業と逆分業の矛盾について、答えが出せなかったけれども、今回の授業を受けて、どこまで分業するかによって、生産性が上がり、逆に度が過ぎた分業が生産性を低下させていることが理解できた。このことから分業と学分業の矛盾について理解することができた。この最適分業点を見つけ出せば、生産性を一番高くできることがわかった。

 

 

Satoshi Imai

 

5月6日の授業で分業と逆分業についてをやったが、ホームページに掲載してある「分業

が生産性に大きな影響を与えるか、それは新しい技術の導入とは独立ある。」とあるが、そ れはどうしてですか?最適分業点とは、具体的にどこですか?

E08−0284J

 

Hiroyuki Okuzawa

先生の講義を聴いてなるほどと納得しました。私は、この矛盾について産業の高度化によって分業というものも高度化すると考えていました。しかし、分業の高度化とは何なのかはっきりとはわかりませんでした。環境に応じた分業の変化だと考えていました。

そこで質問なのですが、私の考えでは産業が高度化するということは生産性が上がると思うのですが、実際はどうなんでしょうか。そうすれば高度化するということでプラスの生産性曲線が上向き、実際の生産性曲線も大きくなると思うのですが。

 

masahiro yadoiwa

 

 今までA.スミスの言うとうり、分業すれば必ず生産性が上がると思っていました。だからそれ以上深くは考えず、分業が進めば進むほど、それは会社にとってよいことだと思っていました。またコンピューターについても同じように、導入すれば、生産性が上がると考えていました。

しかし、前回の授業で、どちらも市場の規模や、組織のあり方と生産性を考えずに行うと逆に生産性を下げてしまう、ということを学んで、やはり会社の経営は、甘くないと思いました。

 

 

E08−0203C 中村晃司

 

5/06の講義の内容により、おおよそ分業、逆分業について理解することができた。分業と逆分業は、それぞれ作業形態により変化すると思う。分業=生産性向上、逆分業=生産性向上というものではない。両方ともそのシステムや作業形態に合うことが重要である。それぞれメリットやデメリットがある。それを見極めシステムを作る変革が大事である。それがIBMのようなリエンジニアリングである。圧倒的なメカニズムの改革により、その産業が進歩し、現代のような競争社会の中を勝ち抜いていけるのである。

 

前回の感想shunichiro mitsutake

 

 

前回の授業で分業のマイナス面についてあった。モラルの低下、一人の労働者としての能力の低下,コミュニケ―ションを取るためのコストであったが、そのとうりだと思った。そのなかでも、コミュニケ―ションコストについては、私もそう思った。やはりコミュニケーションコストが高い企業は早く生産性のピークを向かえるように思える。

 

 

前回の講義で得た感想のひとつに自分の今しているアルバイトに似ている所があると感じました。アルバイトは4.5人で分業してやっています。しかし、時々この人数が6人、7人、となって細かく分業されると仕事の範囲は狭まり、楽になるが個人のやる気がなくなる。マルクスが言っていた分業の良くない所の一つのモラルの低下とはこのことではないかと実感しました。

 

情報経済論、庄子穏行

 

このことについて再度検討してみます。先週私が考えた答えと先生の提示したモデル

とを比べてみると、自分でも驚いているんですが、ほとんど一致していました。だか

ら、比べることができません。言うまでもなく、検討することもできません。

 

Ken Suzuki, 分業と逆分業

今週の授業に風邪のために、出席できなかったため課題メールが遅れました。 時代の流れとともに、情報の伝え方も変化してきた訳で、アダム・スミスの時代における情報方法と現代におけるその方法が異なるための矛盾だと思う。まさに、現代は情報社会で広告の仕方も変化してきている。情報社会により、流通網が拡大したからこそ分業と逆分業の矛盾生じたのではないかと思う。

 

Masahiro Yadoiwa

分業

同一の製品を作るのには分業はその機能を発揮するが、この「IBMクレジット」のようなケースは、客の信用度や経済状態によって、作り上げるローンや金利、信用状が異なってくる。大げさに言えば客によって作る製品が違ってくると言える。

各部門間の移動で客によって異なる製品を0から作るより、客の全体を把握しながら仕事を進められる一本化システムのほうが生産性を上げた。

 

 

E08−0203C 中村晃司

4/22の宿題

作業には分業をしたほうが、生産性を向上させ、コストを減らす分野と、逆分業をしたほうが良い結果が得られる分野がある。分業をしたほうがいい分野は、単純な作業や、(一人で扱う事が難しい)多くの作業をして一つの物などを作るような分野で、分業は効率がいいと思う。 一方逆分業は複雑な作業をするときなどに適すると思う。しかし逆分業の場合は、作業の全体を見極めるほうが良いだろう。一般的には分業をするほうが生産性がいいといわれているが、IBMの例では、分業すると、労働コストやPCのコストがかかり、生産性が減少する。よって分業は効率が良くなるという事ではなく、作業内容によると思う。作業全体のシステムを考える事が、生産性を向上させる要因であると思う。

分業と逆分業 E08−0597K横田 真紀

分業により生産性が上がる場合と、逆分業により生産性が上がる場合がある。自分の経験を考えてみると、以前にホテルの結婚式場で配膳のバイトをしていた時のことだが、式の前に食器などを用意する際、スプーン、フォークを並べる人、グラスを置く人、皿を並べる人、ナプキンを折る人、と分業させた方が絶対に1人にで1人分のテーブルを用意するより効率的である。しかし、歯医者のバイトをしていた時は、アシスタントが3人いたが、レントゲンをとる人、バキュームする人、歯の形を取ったりセメントをねる人と役割を決めないでみんなが1人の患者についてすべて出来たほうが効率的である。

これらのことを考えると、分業と逆分業は、それぞれの場合により、効率性が変わってくる。では、どういった場合かと考えると1人の人ができる仕事の量と時間、次の仕事に写る時の移動時間など色々な事情を考え分業と逆分業どちらが効果的にできるかを計算して使い分けるべきである。どちらが絶対的に良いとは言えず、場合によりどちらも生産性を上げるために必要なことであると思う。

  

分業と逆分業についての宿題 e08-0294b 奥澤啓之

 

 今回、IBMクレジットのケースが取り上げられていたがそこで問題だったのは分業するよりも逆分業(分業しない方)が合理的で効率がよいと言うことだった。このことは、以前ゼミで勉強した内容で日本は現場主義(一人の人がすべての行程を把握している)だがアメリカは各部門が独立していて専門性が強いといったことであり、アメリカは専門性を排除し、日本の現場主義を取り入れた方がよいといった結論になったことに似ていると思う。このことはまさに逆分業ではないだろうか。

 単純作業の多い製造業における生産の場合には、分業による生産性の効率は上がると思う。しかし、受け渡しなどに手間のかかるこういった場合には逆分業の方が効率的であろう。そこでなぜこうなったのかと考えると、これは産業が高度化した結果、分業もまた高度化し、このような逆分業による方が効率的になったのではないだろうか。

  

情報経済論の宿題 鎌田大介

IBMのリエンジニアリングについて考えてみて、この場合の分業はコンピュータを多方面に活用しすぎているのではないかと思う。逆分業で生産性を高めたというよりは、イントラネットなどの活用により無駄を省き横の流れがスムーズになったため生産性が向上したのではないかと思う。

 

E−070756H 竹内 和仁

第一回 情報経済論の宿題

スミスの「分業活動により生産性が上がる」という定説に対して、「リエンジニアリング革命」では&lsquo;逆分業&lsquo;こそが必要である、という矛盾について。「IBMクレジット」のケースでは、コンピューターを個々に導入しても生産性が上がるとは限らない。そこで、全体の中で効率性が必要であるとしている。しかし、スミスの考えにも一理ある。 そこで、考える・・・。生産性を上げることが出来るのは分業か、逆分業か、それは産業の形態によるのではないか?

つまり、どちらの考えも正しいゆえに、矛盾が生じてくると考える。

 

分業と逆分業について e 080596 h 糀谷一泰

 

この2つの例は、一見すると矛盾しているように思えるだろうが、私はそうは思わない。なぜなら、IBMはコンピュウターを一本化することによってより多くの利益を得たが、よく考えると全く分業をしていないわけではなく分業をしつつ、それをきちんと整理して分業を行っているのであって、スミスの言う分業となんら相違しているわけではないように感じるのである。完全なる一本化であるならば話しは違ってくるのであるが、この例でいくと分業を併用しており、本来の逆分業とは意味が違ってきている。つまり、これもスミスの分業の一つと私は考える。むしろ、この場合は分業を現代風にアレンジして、発展させた新しいタイプではない

だろうか。

 

 

5 月6日課題 分業・逆分業

分業

分業を部活(サッカー部)において、述べようと思います。サッカーでは、フォワード・ミッドフィルダー・デフェンス・ゴールキーパーと色々なポジション(仕事)別のプレイヤーがおり、その1人1人の仕事があり、その1人1人が与えられた仕事をすることにより、チームという1つの組織が形成される。1つ1つ分けられたが、1つでも欠けるようなことがあれば、「分業」という言葉は成立しないのである。自分は体育会サッカー部に所属していますが、毎日サッカーをしていてそのことが1番大切であり基礎となっていると思う。

 

逆分業

これについては、運輸業を例に挙げたいと思います。1つの会社が仕事を行うとき、人件費を使って雇い、トラックを買って運転させたり、様々な仕事が集まって運輸業が成り立っている場合が多いですが、それのみが、利益を得られる方法ではありません。人を使わずトラックもその経営者がのる1台さえあれば、利益は生まれるわけです。

 

分業と逆分業について e080696b 鶴田 素秀

 

「IBMクレジット」では、分業制を用いて時間が短縮できずに業績がおちていっ

た。そこで、コントロールディスクを設置して時間の短縮を計ったがそれも失敗した

。そこで、案件担当者をおいて各部門のスペシャリストをゼネラリストにかえたとこ

ろ時間が大幅に短縮された。これは逆に、仕事を一本化することによって改善された

のである。

これは、A.スミスが唱えた「 分業制 」の逆のシステムいわゆる「 逆分業 」をす

ることによって生産性があがったのである。それはなぜなのか、というのが問題に対

し私はこの「IBMクレジット」のケースは逆分業ではなく分業の発達した形だと思う

。なぜなら、案件担当者と各部門が依然とのこっており完全に一本化してるとはかん

がえにくいからである。

 

 

 

 三村

分業と逆分業について

こんにちわ。三村です。遅くなりましたが、宿題です。

分業のメリットとは、時間の短縮と専門性の追求などですが、これらが当てはまるのは、毎回同じことをやる単純作業についてのみだと思います。IBMクレジットの場合は、金利の設定など、毎回同じような仕事でも、客の一人一人によって、毎回違う設定をするので、分業のメリットがいかされてないのでは。

また、各部門で、一つの仕事をするのに、他の部門からの情報を調べ直したりと、ベルコンベアーのような効率性がほとんどない。

これらの点から、僕は、分業は単純労働には効率的だが、知的労働には非効率なのでは、と思います。

 

 

E08-0338F 庄子穏行

分業と逆分業について考えてみました。あくまで仮定なんですが、分業と生産性

の関係は上に凸な放物線とまでは行きませんが、それに似たようなグラフになる

のではないだろうか。ある程度までは分業によって生産性は伸びていきますが、

そのグラフの山を越えた時点で生産性は下がっていくのではないだろうか。ある

仕事を分業によってある程度までは生産性が伸びるが、それを超える極度な分業

は逆に生産性が下がるのではないだろうか。たとえば、ゼミでインナー大会の論

文を書くとき第何章の第何節というように分業によって、かいていきます。しか

し、その分業も第何章というくらいならいいのですが、第何節のどこどこの部分

を書くといった極度の分業は逆に非効率ではないだろうか。論文ですから、一つ

の筋のとおったものにしたいのは当然で、そうするためにこの章と次の章の担当

者でどのようにつなげるなどのコミュニケーションを行うため結局多くの時間を

費やしてしまうことがあります。

 

 

E08−0284J 今 井 諭

4月22日の宿題を送ります。

自分の考えでは、アダム・スミスの分業は、物を生産する過程においてなので分

業の方が生産性が上がり、IBMクレジットの方は、サービスを生産するため、

逆分業の方が生産性が上がるのだと思う。

 

逆分業について(情報経済論)

普通の会社や工場では、分業により生産力がupするのに、

この会社では逆に、分業により、生産力がdownしてしまった。

この会社では、1から5部門に分かれていて、全部で4回も受け渡しがある。

この受け渡しの時間が問題だった。

いくら各部門にスペシャリストを置いても、受け渡す時に時間がかかってしま

う。

だから受け渡しをスペシャリストにしてしまた。

それが、ネットワーク化された現代のパソコンなどのコンピューターだった。

今までもコンピューターを使っていたが、それぞれが独立していて、ネットワーク化されてなかったために、時間がかかっていた。

分業は、複雑だった作業を1つ1つバラバラにして単純作業にしさらに新しい技術を必要としないため効率を上げた。

基本的には、現代も分業が多いが、昔と違って1つ1つの作業が複雑になっていて、受け渡しの場所も隣の工場などではなく遠くなっている。

作業の効率を上げるのに必ずしも分業が、一番いいとは限らなくなっていて、一本化する方が効率がいい場合もあると思います。

 

 

 hiroyuki asaka

前回の講義で、「逆分業」について課題がありましたが、結論はでませんでし

た。 IBMクレジットが、スペシャリストが扱っていた業務をゼネラリストに

行わせることによって生産性が向上したことは、いままで分業によって生産性を

向上したこと矛盾していないのか。個々のプロセスを見直したうえで(分業)、

全体のプロセスが改善された(逆分業)このケースはA・スミスがいった「分

業」と矛盾していないように私は感じました。分業が統合された結果だと思いま

した

 

 

 Masato Furukawa

 分業について

逆分業について、この間の授業の後にいろいろ考えましたが、結局解答は見出

せませんでした。産業革命以来、分業によって爆発的に生産を伸ばしてきたこと

は間違いありませんが、ではなぜここにきて、分業ではなくその対をなす逆分業

が生産性を伸ばしているのか、とても疑問です。

前回の講義を自分なりに考えてみました。「案件担当者」などの導入により、

確かに各部門間の仕事を1人でこなしているように思えます。これを講義の中で

は「逆分業」といっていたわけですが、しかしよく考えてみると、各部門そのも

のの仕事は変わっていません。つまり、この逆分業によって為し得たことは、各

部門間の総合的な統合なのではないかと思います。逆分業と入っても、やはり分

業が主体なんだと思いました。

 

 

 Mitsugu Ishida

今日の授業で、たたひたすらに分業をすればよいという問題ではないということ

がわかった。

分業には、+の生産性と−の生産性が存在しこの両者の差し引きにより最適な分

業量が確定するのだ。逆分業とは、過剰な分業によりこの最適分業量を超えた結

果、生産性が下がったものを、最適な分業量に戻すためにおこる現象であったの

だ。これにより企業はいちがいに個々の生産性を上げればよいというものではな

く、全体、つまり組織間でのコミュニケーションのコストをいかに調整するかと

いうことが重要になってきて、ここで初めて組織をつなぐために技術的向上を考

えていくということがわかりました。

  

E080468 喜納 康之

分業と逆分業の矛盾

前回の授業でIBMクレジットのケースの場合において逆分業が成り立つ理由

は分かったのだが、どうして矛盾が生じるのか分からなかった。アダム・スミス

は「国富論」の中で分業が社会の生産力を改善する最大の要因であり分業によっ

て各分野の労働生産性は増大し、社会の生産物は増加すると論じていた。例え

ば、自動車の生産工場において1人1人が責任を持って車の製造の全ての作業を

やるよりも、コンピューターを使ってのロボットによる流れ作業のほうが断然に

作業の進み具合が早いのだが、IBMクレジットのケースの場合は一本化システ

ムのほうが取扱い時間が大幅に早い。次の例が分業と逆分業に当てはまるか分か

らないが、流通について取り上げてみる。流通業では売り手と買い手の間に人が

入れば入るほどその商品の価格は高くなる。逆に言えば、売り手と買い手の間に

いかに人を入れずに商品を仕入れるかによって、値段が大幅に変わってくるこの

ように、流通業はIBMクレジットのケースの場合と同じで、逆分業することに

より生産性が高まっていると思う。この三つの事から、作業をする上で複雑より

も簡潔になっている方がいいので、複雑になってしまっている場合は簡潔にした

方がいいためではないかと考えた。

 

 daisuke sekiguchi

 

分業と逆分業の矛盾

アダム、スミスが分業が経済を発展させると言ったけれども[IBMクジット]

のケースのように、逆分業する方が効率よく経済が発展する場合がある。逆分業

がなぜ効率が良いか解らなく、今の時点では分業と逆分業の矛盾について答えを

出すことができません。自分は居酒屋でバイトをしているのですがこのバイトの

中ではすべて分業で行われていて揚げ物だけを作る人、焼き物だけを作る人、刺

し身を切る人、飲み物を作る人、そしてそれらを運ぶ人、このように決められた

仕事をすることが一番効率が良く私語とがは過度っつてい屡野で、IBMのケー

スのような逆分業が解らず説明することができません。今後の授業で理解して

 

 

 shunichiro mitsutake

分業と逆分業ということだが、分業は生産性を上げるが、時には逆に下げること

がある。私の例でいくと、サークルのことだが、連絡を回すときに大勢で分けて

するよりも小人数でするか、一人でするほうが良かったということがあった。こ

のように必ずしも分業が効率良く生産性を上げるとかぎらないのである。IBMク

レジットのように一本化システムでやる逆分業が生産性を上げる場合があるので

す。

  

Yoshitaka Uda

分業と逆分業の矛盾について考えてみた。この二つ共通点はスムーズな部門間の受け渡しにあるのではないだろうか。スミスの方でも自動車の生産ラインと同じような効率性が見られるし、IBMの方でも(1)から(5)のプロセスを専門分野以外の仕事をコンピューターのネットワークを利用してスリム化することによって部門間の受け渡しをスムーズにできている。

Toshikazu Yahagi

分業をして効率が上がるときは、単純作業(例えば、自動車を組み立てる場合で言うと、一人の人が一つの作業をするのに「ただこれこれをするだけ」という、作業に意味を持たないということ)の時であり、逆に効率が下がる場合は、複雑作業(クレジット会社のようにレポートを回したり、次の人がそのレポートを読まなければ先に進むことができないというようなところ)でタイムロスが生じるということである、と思う。

 

e080747c 水沢利宣

お久しぶりです、昨年度電算機入門を履修していた水沢です。この講義は私が最も勉強したい分野です。ですから、半年という短い期間の講義ということで残念に思っています。私の興味はネットワークの発達がどのように、社会を変えるかにあります。具体的には取り引きが、より個人的なものとなり、しかもワールドワイドに展開されるうえで、問題はなんであるのか、またシステムはどのように変わっていくべきか興味があります。さて、前回の授業での"逆分業"ですが、私はこれを分業の発達ととらえます。コンピューター、ネットワークの進歩はサービス産業内の流通の進歩だと考えます。つまり、経済全体でとらえると、流通部門の確立。個別の製造業でみる、ベルトコンベアーを使った流れ作業化のように、IBMクレジット内における、流通の分業化が起きたのだと考えます。


田辺健太

こんばんは。田辺です。
情報経済論の宿題を送ります。
結論を先に言うと「リエンジニアリングは逆分業ではなく分業の最適化である。」です。

リエンジニアリングの対象となるのはプロセスであり、組織ではない。企業がリエンジニアリングをするのは営業部門や製造部門ではなく、これらの部門に属する人々のことである。つまり、基本的な作業を首尾一貫したビジネスの「プロセス」に再統合することである。今日の企業は、細分化されたプロセスに基づいた垂直的な構造になっている。この分断化された組織が、驚くほどの規模の不利益(非柔軟性、反応の遅さ、顧客無視、結果より活動重視、官僚制、イノベーションの不足など)を示している。これはアダム・スミスが描いた分業とは正反対である。こうした欠点を補うのがプロセスに視点を置いて再統合するリエンジニアリングであり、必ずしも分業の否定にはならない。また、リエンジニアリングを逆分業というのは少し無理があるように思える。アメリカの場合は、過度の分業が成長の阻害要因になっていたと考えられる。その典型的な例が"It's not my business."である。こうした弊害は部門間のコミュニケーション不足によるところが大きい。言いかえれば過度の分業がコミュニケーション不足を招き非効率化しているといえる。これを抜本的に改善するのがリエンジニアリングである。それを可能にしたものがIT技術の進歩である。ITの進歩が再統合を可能にした。言いかえればITの進歩により、リエンジニアリングにおいて分業の最適化が図れるようになったのである。したがってリエンジニアリングは逆分業であると断言することはできない。

 

小川剛史

分業か逆分業かについて

E08-0224 小川 剛史

分業か逆分業かについて私の立場から考えてみたい。

私はサークルの合宿の幹事として、宿選びから、バスの手配、保険、集金、納金などの仕事をしている。幹事は2人いて、それぞれ仕事を分担して、お互いの負担を減らし、効率的に仕事をしようと思うが、最終的には1人が中心になってもう1人がそれをサポートする形になってしまう。それが進むと自分が動いた方が仕事がスムーズになる、と考えてしまい自分1人で動くことが多くなってしまう。これを考えると、1人ですべてこなす(1本化)の方がはるかに効率がいいと思うが、幹事の仕事をトータルで考えるとその考え方が変わってくる。

合宿にいくまでの準備を、効率がいいからと1人でこなしてしまうと、いざ合宿にいった時に、1人で50〜60人を管理しなければならなくなる。これはかなり辛いことだと思う。そこで思ったことは、合宿を1番効率的に進める為には、合宿のことをはじめから最後まで分かっている人(1本化)が2人いて、それをサポートする人が2人いれば、今回の合宿は1人に負担がかかりすぎず、効率的に進められたと思う。

この経験を生かして分業か逆分業かを考えてみると、やはり数人の人が、はじめから最後まで仕事をこなしてしまう方が効率がいいと思うが、いくつかの過程を分業にすることによって更に効率が上がると思う。

 

大前慈子

情報経済論の課題 大前慈子

私はまず前回の授業を聞いて思い付いたとは分業は確かに生産性を上げるが
必要以上の分業は逆に生産性を下げるではないかということです。
これは、私の身近のことでいうと、たとえば1つの団体の中で役割分担を行うと
します。その時にもしも会計という仕事を1人の人だけではなくさらに会計の仕
事をいくつもに分けて行ったら、おそらくそれは効率的ではなくなるでしょう。
なぜならば、1人で出来るところを何人もで連絡を取りながら行ったり、人任せ
になったりして無駄な時間がかかるからです。
これが、私の考えた意見です。

E080187

近藤洋一

自分は、焼き鳥やさんでアルバイトをしています。このアルバイトを1年間程やっ

ていますが、入ったときに比べると店がだいぶ変わってきました。前迄は焼き鳥の発

注など、ややこしいことを人間の頭のみでやっていたのでどうしても限界があり、ミ

スもありました。しかし、今から約半年ほど前にコンピュータを導入し、表計算など

を取り扱うようになりました。そうすると、客のリストや発注などミスがなくなり、

保存もでき何しろ時間がかからなくなりました。それにより、手間がかかることがな

くなりました。これからも、ますますコンピュータは進化していくと思います。色々

知って挑戦していきたいです。

 

Daisuke Fukutome

アダム・スミスが生きていた時代、コンピュータというものが存在していなかっ

た。つまり、現在の、情報革命は、新しい経済学が生まれる位の転換期なのであ

る。

 

sakai hayato

1回目の宿題

 

初めて宿題を出します。もうずいぶん前の宿題なので、僕が一番遅いかも

分業することで生産力があがるという国富論の考えが、IBMの一本化システム逆

分業

することによって生産力が100倍ににもなった、このリエンジニアリングについ

て自分なりの考えを、考えるのですが、僕ははっきりって難しい問題だと思いま

す。ただ国富論においては、物このリエンジニアリングは、その人に支払能力が

あるのかを調べたりので物を作っていく分業と今回の調査するというようなここ

にが同じ分業でも違いがあると思います。

 

5月6日の宿題 Daisuke Unpou <e080345@isc.senshu-u.ac.jp>

 

分業の進展が必ずしも生産性の向上につながるわけではないことが分かった。分

業が進めばコミュニケーションコストが高くなる。市場の規模やコミュニケーシ

ョンコストによっても最適な分業の程度は変わってくる。行き過ぎた分業によっ

て生産性が落ちこんだ時は、逆分業をとりいれ

ることで最適な分業点に戻すことができることがわかった。

遅くなってすみません。

 

 

5月6日の宿題 e080106e 松村 誠

組織

のあり方と生産性について考えさせられた。アダム=スミスの「国富論」にある

分業の進展にる生産性の向上は最適分業点を超えると逆に生産性を低下させ、調

整コストがかかり、無駄を生んでしまう。逆分業によって最適分業点を分析し見

抜くことが経営者の資質として問われ、部門間同士のネットワークによる結合や

切り分けが重要になってくるだろうとおもった。

宿題を出すのが遅くてすみません。コンピュータについてまったくの初心者なの

で色々トラブルがあったりなどして、なかなか思うようにつかえません。これか

らはメールを毎回出せるようにしていきたいと思います。

  ●●● 鶴田 素秀
Wed, 13 May 1998 14:26:09 -0700
 
この間の授業で、先生が述べた意見は現代における分業の盲点をうまくカバー
したものだとおもう。なぜなら、現代の欠点としてコミュニケーションの問題が
あるが、コンピューターをただ入れただけでは、抜本的な改革にならないことが良く分かった。
この点から情報器具のより合理的な使い方が重要な時代ではないかと痛感し
た。


●●● 5月6日の宿題
Date:
Thu, 18 Jun 1998 13:29:31 -0700
From:
junji kurihara
分業と逆分業の矛盾についてうまく考えがまとまりませんでした。なぜなら分業
と逆分業のどちらが生産性の向上にとって良いものなのかをずっと考えていたか
らです。しかし、これは大きな間違えであり、これら2つを別々に考えるのでは
なく仕事の過程により変化させれば良かったのです。つまり、分業を行ってい
て、その分業の最高分業点まで到達したら、そこからは逆分業を行っていったら
良ということです。ですから、1番大切なのは、分業と逆分業との境目の最適分
業点を見つけていくことだと思います。

とっくに送ったつもりでしたが先生の下にメールが届いてなかったみたいなの
で、もう一度打ち直しました。遅れてすいませんでした。
e080103J 栗原 淳二


●●● 4月22日の宿題
Date:
Thu, 18 Jun 1998 14:08:21 -0700
From:
junji kurihara <e080103@isc.senshu-u.ac.jp>

私はファミリーレストランでバイトをしています。働き始めてもう三年になり、
店の様子もすっかり変わりましたが、一番変わったのが、コンピュ−ターの導入
によって仕事が簡略化されたことです。これは、営業管理に大きく関わり、一時
間かかっていた仕事が約半分の時間で出来るようになりました。また、三人でや
っていた仕事を一人で行えるようになりました。その結果、今日入ったお客の統
計を計る人、一日の収支の計算をする人というように、それぞれ別々の仕事をし
なくてもよくなりました。つまり、一人一人の役割が決まっているのが分業なの
ではないかと思います。そして、コンピューターの導入により、それらの仕事を
効率よく上げられるといったことが逆分業を行っているということなのではない
かと思います。

E080103J 栗原淳二


●●● Mizusawa
分業と逆分業について再度検討
アダム・スミスの「国富論」における分業が生産性を向上させると言う考え以
来、各企業は仕事を細部にわたり分化させ、大量生産・大量供給と言う図式を可
能にしてきた。しかしあまりの分業の行き過ぎは各部門間を孤立させその調整に
支払われるコストは分業の進行に伴い増加し、ある段階で生産性は下降線を描
く。そこで分業が細部にまで浸透していった企業は逆分業、部門間の統合をし、
調整コストを減らして生産性を拡大する必要があった。つまり、分業は個々の労
働者の技巧を高め、作業間の移動の際に失われる時間の節約を産むだけでなく分
化された仕事間の調整を必要とする。よって、分業は生産性を向上させる普遍的
な考えではなく行き過ぎの分業には仕事を統合する逆分業が必要とされる。

 

●●● E08−0621A 高橋牧子

1.「分業」と「逆分業」の矛盾について

一人一人が専門的に一つの役割を果たし、次へ送るという分業発達は効率性が向

上し、さらにそれによって生産性も上昇する。しかしその発達が行き過ぎると逆

に生産性が下がる。たとえば、1〜5のだんかいがあるとする。3において何ら

かのトラブルがあった場合後の4.5の作業がストップしてしまう。逆分業によっ

て最適分業点を見つけることが必要である。

遅れてすみませんでした。