今日、
中国の小説の中で紅楼夢はNO.1 でだが、普及率においてはたぶん三国演義と水滸伝のほうが高い。水滸伝はやくざの話であるため、個人的には好きではない。
一方、三国演義は日本でも愛読されている。
三国と言うと、最初に思い出すのは、赤壁の戦いだろう。
三国演義によって、当時曹操は83万の大軍を率いて長江で周瑜と諸葛亮が率いた孫権と劉備の連盟軍と対陣していた。
この戦いで諸葛亮特に活躍して、すばらしい計略を使い、曹操の大軍を破った。
その後、劉備と孫権とは領土のため戦い始め、諸葛亮は、再び活躍し孫権の元帥である周瑜を三回怒らせ、最後周瑜がその怒りで死んでしまった。
それを読んだら、周瑜が心の狭い人であるというイメージになってしまうだろう。
しかし、本当の歴史を辿ると、そうでもない。
赤壁の戦いでは、本当に戦略を定め、曹操と戦ってすばらしい勝利を収めたのは周瑜であった。
諸葛亮がやったことは、政治面で、劉備軍団と孫権軍団の連盟を促成したことであった。
そして、本当の周瑜は、ちょうど心が狭いと逆で、非常に心の広い人であった。
周瑜は24歳のとき、若い年齢で孫策に司令官に任命された。
当時南中国で、みんな孫策のことを孫郎、周瑜のことを周郎で呼んでいた。
その郎は、三国時代では、かっこいい若い男性のことをさしていた。
そのあと、周瑜は南中国一番美しい女性の一人、小喬と言う女性と結婚した。
そこから考えてみると、周瑜は、その優れた能力、質、そして、仕事、家庭、各方面においても、文句のない成功人物であるであろう。
そのような人物が他の人のことを嫉妬するわけがないであろう。
本当の歴史によると、劉備や蒋幹などの人はみんな、周瑜の度量が非常に大きい、という評価を出したという。
三国演義の中では蒋幹は馬鹿にされてしまったが、本当は、彼は周瑜のところには行ったが、馬鹿なことを何もやってなかった。
最も言いたいのは、どの歴史人物、どの歴史事件にも、三つの形がある。歴史的な形、文学的な形、民間的な形です。
どの形でも、その存在する意味、価値があるので、どれが一番いいとは言わないが、私たち、歴史を見るとき、それをちゃんと分けてみたほうがいいと思いう。
三国を例にして、普通みんな知っているのは、文学的な形の三国演義であろうそれは本当に文句のない、いい本だが、本当の歴史とはかなりぶれている。
三国時代に本当に興味がある人に、歴史的な形の三国志のほうをお勧めする。
|