私は現在、火曜日の5限に一般教養の哲学の講義を受けています。
いきなり哲学の事を言われても関係ないのでは思われるかもしれません。
確かに経済知識に直結している内容ではありませんが、知識を得るための手段としてとても大事なことを教わっています。
講義の内容は現代哲学における「分析哲学」といわれる分野であり、「言語の論理構造」というものの分析です。
分析哲学というのは、私たちが普段何気なく用いている言語表現の論理的な構造を分析することによって様々な諸問題を解決に導こうとする方法論の総称のことです。なぜこのような分析を行うかと言うと、 私たちの思考は言語によって、かつ論理的に為されるものであり、つまり自分の考えを他の人に伝えようとするなら言語を用いる以外になくその為には論理という法則に従わなければならないからです。 これはこの哲学における分析哲学のためだけにあるのではなく、私たちがゼミ活動におけるディスカッションや分析したデータ等の理解、構築、プレゼンテーションの進め方や調べる本を読む際にも筆者が何を論じたいのか
または重要な点等を捉える際にも活用できると私は思います。
そしてなぜこのような事を話題にしているかと申しますと、私は物事を筋道立てて相手に伝えようと努めたことがなく自分の思ったこと感じたことを自分の言いたいように言っていました。 これが友人同士などの会話等でしたら問題はそう多くないかもしれません。
しかし、先輩方との真剣なゼミ活動の場ですとこのままではいけないのではないかと思いました。 ディクテーションには時間の制限があり、そのなかで自分が調べてきたことをただ発表するだけではなくそれはあくまでも前提であり、それを基にどのような事が分析できるかということを相手に伝えることが大事だと言う事は前々から色々な方から教えていただいたことですし、今の時点ではそれが当たり前になっていないといけない立場であります。
自分の考えを相手が理解してくれるように伝え切れていない今の私にはもうすぐ後輩もでき自分が指導する立場になるのももう間近なので正しい知識を見につけ、相手に誤解を生じさせないためにも論理的な考えを持つことに努めていきたいと思いました。
今受けている哲学の授業はこのような考えの良いきっかけとなりました。
|