研究と教育 |
9.総合演習Tの教育成果を評価する基準について | |
■「読み書き能力」で問題になる言葉の性格 高等教育を通じて身に付けるべきことの1つは,コミュニケーション能力である。言葉のやり取り がその中身だが,そこで問題になる「言葉」とは,感情の発露でもなければ,「堂々としたスピーチ」 でもない。<自らの思想(*) ・信念に基づいて練り上げられた――特定の問題についての――自己の意 見を他人に伝える>ための言葉がここでの問題である。 文章を「読む」とは,1つ1つの表現の文脈的必然性に注意しながら書き手(という他者)の意見 をその思想とともに推測しようとする作業であるし,文章を「書く」とは,意見を表現する(書く) 過程の中で,自己の意見の真意を発見していく作業である。したがって,「読み書き能力」とは,裏 返せば,読み書きの過程に含まれる「他者理解と自己反省」の能力,あるいは思想形成を進める能力 でもあるのである。(この段落の内容は――文章だけではなく――発話の場合にも当てはまる。) 以上のように,高等教育で問題になる「読み書き能力」は,たまたま1つの解釈を思い付いたこと に自分の個性を見いだしてよしとする能力でもなければ,どこかで暗記した因果関係を文章で再現し て見せる能力でもない。強調しておきたいのは,(その人の)思想・信念に 規制されていない意見を交換することには,意味がない ということである。いや,「たまたまこう考えた」というだけのこと は,その人の「意見」などではそもそもない。新入生はそれぞれに生活の環境を異にしてきたわけだ から,同じ物事に接しても当然に印象・受け止め方は異なるであろう。だから「意見交換」のような ことも行われるだろう。しかし,それが,自己の確固とした物の見方(思想)を探求しようとする態 度において行われる場合と,色々な人の意見内容を覚えておきその中で「ましでありそうな意見」に 与することで自己顕示を図ろうという態度において行われる場合とでは,全く別のことになってしま う。教員は,前者のような態度に価値を置くことを常に表明しなければならない(後者のような態度 しかとれない人は,例えば,記憶力が衰える30歳台後半で出世コースから外される,などという言い 方でもよいかもしれない)。 *)思想とは何よりもまず,世界についての論理整合的な了解であることに注意。 ■授業の成果を評価する基準 高等教育の入口であることに鑑みて,以下2点が評価の基準になると思われる。
(2003年5月13日記)
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「教育は事務ではない。俗吏のする所ではない。教育は精神である。」
(新渡戸稲造)
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