研究と教育

2.大学で何を学ぶか (1999年4月7日東北学院大学経済学部;新入生クラスでのスピーチより)
 グループ主任という立場から3点お話しします。 3点というのは,グループ主任について,勉強の目的について,そして,人間関係についてです。 別に「こう言え」と言われたから話すのではなく,自分が考えることを話します。
■グループ主任について:1つ目はグループ主任についてですが ……[略]……。
■勉強の目的: 2つ目は勉強の仕方とその目的ですが,大学では個々の授業はすべて担当者が専門家としての判断に おいて諸々のことを決めています。個々の授業の勉強の仕方,どういう基準で成績を付けるかと いうことは,それぞれの担当者に聞けばよいので,ここではそれ以外のことを話します。
■ミエのための知識:まず高校までの学校の勉強の場合, 全部が全部というわけではないですけれども,2つの特色があります。1つは, 知識の目的が示されないこと,もう1つは, その人の見栄や妬みに訴えて学習意欲を起こさせることです。 例えば,「数学はすべてのことの基礎となるからやっておけ」とか言うけれど,具体的に何を目的に するのかが分からなければやる気が起きない。そこで「このくらいのことを知らないと恥ずかしい」 とか,「他の人はできるのに」といって見栄心に訴えるわけです。結局,そうやって「みんなが 知っているから自分も知らなければいけない」という理由だけで強迫観念的に得られるのは, ひけらかすための知識でしかありません。 無目的に真面目さを装う人,あとはせいぜい「受験科目に ある」人だけしか勉強しない,そして得られる知識はクイズの答みたいなものばかりです。そういう 知識は後に何も残りません。
■別の目的にも知識は役立つ@: そこで私が考えるのは,知識には「優越感に浸るため」とかいった以外に 目的があってしかるべきだということを,よく皆さんに考えてほしいということです。 経済学の知識が直接に役に立つのは,研究者,役人,新聞記者,評論家といったほんの一部の 人たちですが,それ以外でも役に立つ場合がある。例えば,挫折した人は,自分の思い通りに いかないとき,「世間」を恨み,自分がうまくいかないのは「資本主義あるいは企業社会が 悪いからだ」といった考えをとることがあります。「この状態を脱却したい」。そこで, 経済の仕組みについて知識を得ることに より,やっぱり自分にも責任があるんだと思い直したり,社会の構造を不合理でなくするには どうすればよいかを考えることができるかもしれない。自分を犠牲者と見なして悲嘆に暮れ, 世間を恨んでいるよりは,ずっと前向きに生きられる のではないか。
■別の目的にも知識は役立つA:  もう1つ例を挙げれば,就職してから上司や同僚を説得 しなければならないといった場面で, 知識がなければそういうことはできないということがあります。ただし, 議論に勝つこと,押しの強さは絶対目的ではなく,例えば職場の環境を改善するという目的を 実現するための手段,必要悪です。これを忘れるとゴウ慢になってしまいます。
■社会人でない人間が「社会」科学を学ぶ?!: 2つ例を挙げましたが,挫折した人が自分を見直す,あるいは他人を説得するということに知識は 役に立つということです。つまり,知識は,生きるための条件を変える手段になりうる ものなのです。 経済学は社会についての科学,社会科学です。挫折した人も職場で 説得しようとする人もいずれも,社会と関わりをもとうとした人,もとうとしている人です。 こういうときに経済学なども役立つ可能性がある。知識の目的は,他にも考えればいろいろあると 思うので各自考えてもらえばよいのですが,問題は,社会との関わりをあまりもたない学生は どうすればよいのか,ということです。将来の職業は何か分からないのであれば,現在勉強している こともどう役立つか分からない,ということになります。そういう大部分の人は,自分の生活・ 人生の目的のうちに知識を位置づけるというよりもむしろ,その準備段階として,講義や本で得た 知識が本来どのような目的で出てきたものなのかを考えてほしいと思います。例えば,その本が どういう目的で書かれたのか,をまず考えることです。ある目的の下に 個々の知識が配列されているということが分かれば,知識はそれぞれに意味を与えられる ので,無味乾燥なものではなくなると思います。それをやってほしいということです。
■他人と同じことを知らなくてもいい: ただし基本的な考え方は, 他人と同じことを知らなければいけないということはない, 自分の目的と他人の目的が違う以上,それを実現する手段として必要な知識も異なっていて よいということです。大部分の学生は 卒業するという目的は同じかもしれませんが,それでも1人1人は目指すところが違うはずです。
■では,経済学はどう役立つ?:経済学ということで言えば, 少なくとも経済学は2つの点で役立つ。1つは,大学の経済学部を出た人,経済学を勉強した人が 社会には沢山いて,その人達が経済学の言葉を使って議論をしていて, それが社会に一定の影響を 与えることがあるので,経済学を知っておかないと,そうした人たちのいうことを 理解したり, そういう人たちと議論ができないということがある。もう1つは,経済学を学んでもいわゆる 経済予測はできるようにはなりませんが,過去に起きたことを自分なりに 納得できるように なるかもしれないということがあります。そういったことでは,皆さんが専門で学ぶ経済学は 役立つということです。これはあくまで私の考えですが,思いつきではなくいろいろ考えた上での 今のところの結論です。
■教養科目について:あと,皆さんは教養教育科目というのをとります 。社会が複雑になっているので,いろいろな問題を解決するには,経済学だけではだめなので 教養科目が必要だということがもちろんあります。教養ということについて考えるところは あるのですが,1つだけ指摘しておきますと,教養教育の在り方として,例えば学生が関心を持てる テーマとして「地球環境問題」とか「女性問題」とかいったテーマを設定しておいて,それに対して 様々な研究分野の人,社会学者,政治学者,経済学者,文学者といった人がそれぞれの方法で 論じることによって,様々な研究分野の入門とするといった方法があります。しかし,もう1つの 考え方として,1つの分野を極めれば,すべてに通じる といった考え方もあります。私はこっちの 方が重要だと思います。こういう考え方があるということも付け加えておきたいと思います。
■プラスの人間関係とは?:退屈な話になってきたので, 3つ目の人間関係について簡単に話しておきます。知識の考え方として,自分のであれ他人のであれ 何らかの「目的」を考え,それを実現するための「手段」として知識をとらえる方がよいと いうことは既に言いました。でもこれは知識に限ったことではなくて,現在の自分が もっているもの−−財産という形ある物もありますが,ここではむしろ形の無いもの,知識, 人間関係,能力といったことを考えます−−を,自分が設定した目的のための手段と見なすと いうことは重要だと思います。みんなが個性ある計画をもてば,現在ある物に多様な意味が 与えられ,世の中が豊かになる。これは物が増えるのと同じことです。現在を「しがらみ」と みなしてそこから逃れたいとばかり思っている人もいます。しかしこれは,私の考えでは, 生き生きとした生き方ができないと思います。「周りのものが輝きを失ってしまう」というのは こういうことだと思います。こういうことは実存主義という考え方ですので,興味ある人はそういう 本を読んで下さい。ここで私が言いたいのは,人間関係も,それぞれの計画を もつ個人同士の関係でなければ面白くないということです。 それぞれの人が自分の計画を達成しようと努力していれば, 他人のもつ計画を尊重でき,お互いに励まし合いながら,プラスのものを獲得できますが, 無目的な人同士が「それでもいいよ」と慰め合うのではお互いがマイナスになる。もちろん, 強固な意志をもてないという人もいるでしょうが,大学の在学中は多くの人が一種の猶予期間なので, まずは,やりがいのある目的を見いだすことに努めればよいと思います。
■要約:かなり堅苦しいことばかり言いましたが,要するに, 大学生活において積極的な生き方をしてほしいし, 建設的な人間関係を築いてほしいと いうことです。「楽しい」とかいうことも重要であり,私もそれを重んじていないわけでは ありませんが,教員サイドとしては「大学は勉強するところ」だということを中心に物事を 考えるべきだと思いましたので,敢えて堅苦しい話をしました。参考になれば幸いです。
  3Gグループ主任挨拶(99年4月10日)  (1)新鮮さということ,(2)権威主義ということ,の2点について話す。 * * *  (1) 最初に新鮮さということについて。  新しい環境になった。初めてのことばかりだと,緊張する反面,面白いし,わくわくする。  ところが,しばらくして慣れてくると,「新鮮な気分が薄れた」「毎日が惰性になってしまった」 と感じるようになり,「あの頃はよかった」とはじめの頃をなつかしむようになる。これは, マイナスなのか? 気分がだらけたのか?
 そうではないと思う。大学の生活パターンを身につけた,友だちがどういう人かわかった, ということは一定の進歩,プラスなのだ。
 新鮮さがなくなった,ということは,今度は自分で何かことを始めるべきだということの シグナルだと思う。ところが,このことを考えずに,失われた新鮮さを取り戻すために, 別の場所に移ってもう一度新鮮な気分を味わいたいと思う人がいる。例えば,そういう気分を 味わうために,子供を次々に産む人がいる。しかしそれは,同じことの繰り返しであって, 進歩ではない。それに,新鮮な気分というのは一時的なものだからこそ,思い出の中で貴重な ものとして残るのだ。
 最初はもちろん新しい環境に慣れることが大切だけれども,一息ついたら別のことを何か 考え出して下さい。
 あと,五月病とかいうのがあるけれども,これは今言ったのと少し違うと思う。 新しい環境で知らず知らずに緊張して,精神的な疲労がたまる。そうすると,いろんなことが 億劫になってしまい,何をするのも難しくなり,大学が詰まらなくなってくる。 これが五月病だと思う。ところが逆に考えてしまい,大学というところは詰まらないところなので, やる気が起きないのだと考えてしまうことがある。これは危険だ。そういうときは,まず休んで 疲労を回復するようにして下さい。
* * *
 (2) 次に,権威主義ということについて話す。
「今の学生は覇気がない」という人がいる。覇気というのは「上昇志向」のことだと思う。 競争社会だから,生きていく上で「上昇する」ということも必要になる。だから,学生を 奮い立たせるために,そういうことを言うのも分かる。しかし,覇気や上昇志向がないと 人間として価値がないと見なす人もいるのだ。そういう人は,うわべを見て,「だらしがない」 とか「男らしくない」とかいうレッテル張りをする。お説教をする。
 こういう人間は「権威主義」的であることが多い。「権威主義」とは,既にある権威の体系を 前提にして,それを押し付けること,あるいは自分がその体系の上にいることを利用して他人を 支配しようとすることです。
 こういう人間は,大体話すときに「言葉の権威」に頼るからすぐわかる。「言葉の権威」とは, 自分が言いたいことをうまく言うために言葉を選ぶのではなく,「こういう言葉を使えば賢そうに (物知りに)見えるだろうなあ」という理由で言葉を選ぶことです。
 そういうのは権威主義だと思う。
 もちろん,大学というところは権威なしには成り立たない。卒業証書に価値があるのも, 大学の研究・教育が社会的に権威あるものとして認められているからだ。しかしそれは権威主義とは 違う。
 大学の権威とは,一人一人の教員=研究者が価値のある研究,独創的な研究を蓄積することに よって築き上げるべきもの,「学問的権威」のことだ。だから,いくら大学の建物が立派でも そんなのは大学の権威ではない。そこにいる人間が真面目に研究しているかどうかが 一番重要なのだ。
 しかし,勘違いしている人は多い。つまり,予め大学の権威を前提にしておいて, その権威ある大学で教鞭をとっている自分は権威ある人間なのだと考えてしまう。学生が 単位を取るために先生の話を聞いているのに,自分は偉いから何を言ってもいいのだと 思ってしまう。
 これはやむを得ない面もあります。皆さんも,教壇に立って喋ることができる立場になると, 「これを言ってやれ」「あれを言ってやれ」といろいろ考えると思います。だから, 「覇気がない」などということになる。
 今言ったようなことは私だけが感じるのかもしれないが,他の人も,大学に入って 先生方の話を聞いて幻滅や反発を感じる人がいるかもしれない。しかし,教員はそれぞれの 分野の専門家として自分の知識を切り分けているだけで,必ずしも高尚な人間であるとは 限らない。まあ人間性にすぐれていないと,研究の方も偏るといったことはありますが, 現実としてはそうだ。ただ,そういったことは大学に限らずどこの場所でも同じだと思う。 幻想をもつ必要もないし,幻滅を感じる必要もないと思う。人間観察をせいぜいしてほしい。
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 (3) 言葉の暴力,他人を支配しようとする人間について。これは逃げるしかない。

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