研究と教育

5.教養として経済学を学ぶために (専修大学経済学部二部『ガイドブック』より)
■経済学は役に立たない?: 私たちは毎日経済活動を行っている。仕事をして給料をもらったり、物やサービスを売買したり、 お金を貸し借りしたり……。経済学とはこういう活動に役立つ学問なのだと思う人がいるかも しれない。しかし、経済学の研究を仕事としている経済学者はともかく、 日常の経済的な活動に経済学が必要となることはまずない。景気の先行きを正しく予測できれば商売に役立つということは もちろんある。だが経済学者たちの立てるその種の予測はバラバラであり、どれが当たるのかは 後にならないとわからないのが普通だ。では経済学は何の役にも立たないのか。私はそうは考えない。 ここでは二点述べておきたい。
■経済学は歴史科学: 第一に、既に起きてしまったことについては、経済学はそれなりに納得のいく説明を与えてくれる。 将来の予測は確かに難しい。景気を左右する無数の要因が将来的にどう動いていくのかといったことを 特定するのは困難だ。しかし、例えば現在の不況の原因ということであれば、過去にさかのぼって 後知恵的に、銀行のバランスシートの脆弱化、株や土地の高騰(バブル)、経済のグローバル化、 金融政策の失敗、産業構造の転換の遅れ、といった要因を特定することは比較的容易である。 経済学は一種の歴史科学であって、 「なぜそうなったのか」について納得のいく答えを得たいと 思う人には、そういう欲求を満たすのに役立つのである。 これは単なる知的満足の問題ではない。 私たち自身の生活を反省し、社会の在り方について考え直すという問題でもある。
■社会の構成要素としての経済学: 第二に、政府が政策の理由説明をするときや、新聞で経済問題が論じられるときには経済学の 言葉が用いられる。そうしたものについて理解し自分なりの意見をもつためには、自分自身が経済学を 学ばなければならないだろう。変な言い方だが、大学で経済学を学んだ人が 社会に出てから経済学を使って議論をしているという現実がある以上、大学で経済学を学ぶことに 意義があるということだ。 どの社会科学にも多かれ少なかれ同じような面があると思うが、経済学もまた政策その他の行動を 理屈づけるために、したがって特定の利害に資するような形で動員されている。経済学それ自体が 社会の構成要素なのである。この意味において、経済学を知ることが社会を知るのに役立つ。
■次は学ぶ際の心構え: 経済学の有用性は他にもまだあるだろうが、経済学を勉強することの意義について自分なりに 納得する(学ぶことの意味を見いだせない勉強は退屈だろう)には、以上の二つだけでも十分だと 私は思う。そこで次に、経済学を学ぶ際の心構えといったものを考えてみたい。
■2通りの講義の聴き方: 「経済の世界」[私が専修大ニ部で担当している教養教育科目の名前] では、現実の経済現象を取り上げて、それを経済学がどう説明するのかということを主に講義するが、 講義の聴き方にはおおよそ二通りある。
すなわち、@講義の中身から自分の専門(商学や法学)の 勉強に役立つ知識だけを選び取ってそれを吸収するという方法と、A 自分の専門のことはひとまず 忘れて頭を経済学の思考法に切り替え、講義の中に一貫した論理を探ろうとする方法である。 既に自分の問題意識がはっきりと確立している人は@でよいと思うが、そうでない人はAの方法を 心がけてほしい。専門以外の考え方で自分の頭を動かしてみるということは、自分の凝り固まった 考え方を解きほぐす機会になるし、何よりもまず他人の立場に立って考える練習になる。それが、 教養科目として経済学を学ぶことの一つの意義ではないだろうか。以下では、Aの方法で講義を聴く ことを前提に、どういう心構えをもてばより深く勉強できるかということについて二点述べてみたい。
■複雑なことを複雑なままに考える頭をもとう:  第一に、現実は複雑なものだということを忘れるべきではない。 例えば、テレビの経済解説などで 「円が安くなれば輸出が伸び経済が成長する」(命題@)と言われることがある。しかし 理論的には円安そのものは、「円安→海外への資本流出→これを阻止するための金融引き締め」 (命題A)や「円安→輸入品の価格上昇→国内物価の上昇→これを阻止するための引き締め政策」 (命題B)といったルートで日本経済に不況をもたらす可能性だってある。にもかかわらず@が 言われるとすれば、暗黙のうちにAやBを否定する条件(円に対する信認が厚いとか、 日本の労働組合が物価上昇抑制に協力的であるとか)が仮定されているからなのだ。たしかに @を暗記しておけば、今の日本経済についての話には一応ついていけるかもしれない。しかし条件が 変わったり、他の国の経済を論じるときには@だけを知っていても何の役にも立たないだろう。 私が言いたいのは、単純な言い方(命題@のような)には必ず裏があるということだ。 そういうことをいつも念頭においておけば経済学の理解は深まると思う。そして、 経済学を学ぶことによって、単純なことについてもいろいろと複雑に考えをめぐらす習慣を つけてほしい。 複雑なことを勝手に頭の中で単純化してわかった気になることが一番いけない。
■言葉に慣れよう:  第二に、経済学の言葉や思考法に馴れて ほしい。「定義されていない言葉を使ってはならない」 というのは学問の原則だが、それぞれの専門分野には、定義されないままにその分野だけで通用して いる言葉も結構多くある。経済学も例外ではない。辞書を引いても出ていないことが多いそうした 言葉を自分の物にするには、そのニュアンスを専門家に尋ねたり、 その言葉が登場する文章を何度も 頭の中で繰り返してみて文脈から意味を推すといった方法をとらざるをえない。子供は、 定義がわからなくても、その言葉が使われるのを聞いたり見たりしているうちに、いつの間にか その言葉を使えるようになる。教養科目として経済学を学ぶ皆さんには、子供になったつもりで 経済学の言葉を身に付けていってほしい。そして言葉に馴れれば、自然に経済学独特の思考法にも 馴れてくるだろう。
■「参考にして下さい」:  以上、経済学がどう役立つか、そして経済学を学ぶ上でどういう心構えが重要かということに ついて私が考えていることをそれぞれ二点ずつ述べた。科目選択や勉強の際の参考にして いただければ幸いである。

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