研究と教育 |
3.大学での勉強の勘所 (2001年4月20日総合演習T(1年次配当科目)でのスピーチより) | ||||||||||
「総合演習」という科目は、経済学の基礎を学ぶだけでなく、これから大学で学問を学んでいく
ための基礎、学問一般への入門の科目でもあります。そこで、最初に、大学教育を受けることの目
的、それからその目的を達成するためにはどうすればよいか、といったことを話します。
どういうことを意識すれば、大学教育から「何か」を得た、と言えるようになるのか。逆に言えば、
勉強をサボると何が得られないか、ということを話します。 (1)大学教育の目的: 表を見て下さい。大学教育で養うべき能力を4 段階に分けてみました。下にいくほど基礎的になり、一番上は最終的な目的です。
■初歩的読み取り能力: 次、「初歩的読み取り能力」です。この授業でもそうですが、大学の授業では、本を読んだり、話を 聴いたりします。それでいろいろな知識を仕入れるのですが、そのとき、 知識には目的があります。 何のためにその知識が使われているのか、何を説明するためなのか。そういったことを考えないとい けない。相手や本が「何を言おうとしているのか」を考えないで、知識だけを覚えても意味がないで す。ここで言っているのと反対は、バラバラな羅列的知識の暗記、クイズに答えられるようになるだ けの知識です。クイズ大会で賞金を稼ぎたいのであれば、目的はあることになるけど、そういう目的は大学 教育とは関係ないです。知識を得る、というとすぐに「暗記」と考えて嫌になってしまう人が結構い ると思いますが、それは、高校までの教育で、勉強の目的が示されず、「試験に出るから」と言われて 覚えたり、「これを知らないと社会に出て恥ずかしい」といった見栄に訴えることが多かったからだ と思います。しかし、知識は、それを知っていると格好いい、といった優越感に浸るためのものでは ない。逆にそういうことが格好悪いとなれば、誰も勉強しなくなる。こういう価値観(理科離れ、科学 への無関心に集中的に現れている)が広がって、今の 日本の危機もある、と大げさに言えば、そういうことです。 ■これだけでは40点: 専門用語を知ってて、相手が何を言おうとしているかもわかる。でも、それだけできて いてもテストだと、60点はもらえません。私の場合、だいたい40点くらいしか付けません。 皆さんも知っていると思いますが、この大学は60点とれないと、単位が取れないので、これだけ だと単位が取れないということです。では、なぜか。それは、文学作品ならともかく、経済学の本 なんかだと、「こういうことを言いたい」ということは、 だいたい最初に書いてあるからです。それ を知ることはわりと簡単だと思います。 ■思考力: そこで、考えなきゃいけないのは、「何を言おうとしているか」だけでなく、「言おうとしている」 ことがきちんと「言えているか」ということです。「何が言えているか」の理解、と(表には) 書いてあります。皆さんも、こう言いたい、でも相手に伝わらない、といったことがあると思います。 心の中で、「そうじゃないんだ」とじくじく思っていても、きちんと言えなければ、「甘い」と 言われてしまう。それと同じことは、講義や本でもあります。皆さんには、よく目を光らせて、相手が 言いたいことをどこまで言えているか、を見てほしい。相手が自分と同じ意見の場合だと、なかなか 相手が「言えていること」を冷静に見ず、点数が甘くなってしまう。逆に、相手が反対意見でも、 今度はすぐに揚げ足取りをしてしまう。「何が言えているか」をきちんと見定めるには、 自分の立場・意見・思想といったものをひとまず忘れて、相手の言って いることを虚心に理解しないといけない。相手の主張に「内在的」に、ということをよく言いますが、 それはそういうことです。これは、けっこう難しい。専門の知識を勉強するときには、どういうつな がりになっているか、たどるのは、精神を集中させないとできないからです。「こういうことが述べ られている」ということが分かるまでには、何度も、「こう考えれば分かる のでは?」という仮説を立てないといけない。そして、それを実際に当てはめてみて、理解 したということになる。表に「仮説と適用」と書いておきましたが、頭の中で仮説を立てるというこ とは、頭をフルに使わないとできない。それができるかどうか。できるようにすることが大学教育の 大きな目的の1つです。大学の先生の中には、勘違いをしていて、講義を自分の意見主張の場にして しまう人もたまにいます。そういうとき、その意見が自分のと違うと、講義を聴くのが嫌になって しまうかもしれない。でも、意見や立場はひとまずおいておいて、その根拠づけ、理由づけがどう なされているかを考えるのが勉強なのだ、と思えば有意義になると思います。(往々にして勘違い 先生の場合には、理由づけがよく考えられていないので、大声を出して誤魔化していることが 多いです。)ともかく、どんな理屈か、どんな論理立てか、を考えて理解しないといけない。それ ができれば、自分が何か問題に直面したとき、色々な角度から物事を見られるようになる。これを ここでは「思考力」と言ってあります。人によって、色々と呼び方は違うかもしれないけど、こう いったことができれば、自らの主張(文章・発言)を述べるときに役立つ。「仮説と適用」で得た 考え方がたくさんあって、それを使って自分の主張を検討しておけば、何よりもまず、自信をもって 述べられる。思考力を付けるような方向で考えられた(仮説と適用を経た理解が示されている) 答案だったら、私の場合、最高で80点を付ける。 ■問題解決能力: じゃ、あとの(百点満点の)20点は何かというと、それは、自分の問題に引き寄せて議論ができ ているか、ということで付けます。一人一人抱えている問題、勉強の目的は厳密に言えば違う。そこ まで言わなくても、講義などで「こういうことが問題になっている」ということを知って、それにつ いて自分の頭で考えて問題解決を図る、こういう力が発揮できているかどうかを見るために、あとの 20点が残してある。これが完全(完全ということはないですが)であれば100点。つまり、80点 までの部分は、他人の考え方を摂取する、取り入れるということで獲得される部分。しかし、最終的 に問題の置かれた文脈を総合的に考えて、自分なりの判断を下す、ということが、実際に社会に出たり したときに要求されることです。実際の仕事や人生の中で突き当たる問題というのは、「過去問」と 同じであったり、解答がもう決まっている問題であったりすることはありません。その都度、 新しい「違う」問題に直面して、その解決に当たらなければならない んです。まだ誰も解いたことのない問題 に対するには、自己の信念をもっていないといけない。「こう考えると他の人に考えの浅さを指摘 されるのでは?」といったこと ばかり気にしていては、問題の解決には踏み出すことができない。グローバル化とか言われて、自分 で判断できる、情報発信的、創造的、とかいった能力を鍛えることが、今後の大学の使命であると 言われたりしますが、それは今言ったようなことだと思います。ここでは、そういう能力を「問題 解決能力」と呼んでいます。何か「自分で判断」などと言うと、「独断的」だと思われがちですが、 それは違います。「考える自分」が前提されていれば、それは独断的だということにはならない。 問題解決能力を身に付けるということは、途方もないことのように思われがちですが、そうではな いと思います。問題解決能力の基礎にあるのは、思考力です。きちんとした態度で 本を読んだり、人の話を聴いたりすれば、思考力は身に付きます。そして、1つの問題を 根気よく自分の頭で考えていけば、問題解決能力も付きます。そういう努力ができるかどうか、が 分かれ目ですが。 (2)思考力・問題解決能力を養うには 要するに、大学教育で身に付けようとしているのは、問題解決能力、そしてその基礎になる思考力 です。そこで、次に、そういう力を付けるにはどういう方法・心構えが必要か、を説明します。 ■何を読む?@: 思考力を養うには、まず、「古典」と呼ばれているものをきちんと読むという方法があります。 「古典」というのは、経済学では例えば、ケインズの『一般理論』とか、マルクスの『資本論』と いったやつです。まだ皆さんは知らないかもしれませんが。アダム・スミスの『国富論』も経済 学の古典です。あと、岩波文庫に入っていたりするのが古典です。昔のものでなくても、「現代の 古典」というのもあったりするので、そういうものでもかまいません。とにかく、 一見すると 論理の飛躍がある。どうも変なことを言っている。しかし、よくよく考えてみると、「なるほど もっともだ!」と納得できるような本 が「古典」です。1つ1つの言葉はそれほど難しいとは思えない 。でも、なかなかよく分からない。でも、前後の文章などを考えていくと、いろいろな解釈が 成り立ち、それなりに自分でも納得できる読み方ができる。そういう本は、書いた人がよく考えて 書いてあるんです。決して、常識に訴えて「これで分かってくれるだろう」とか考えず、 「格好よい言葉を並べてやろう」などという色気を出さずに書いた文章。そういう文章は、昔だけで なく現在でもあるはずです。ただ、ポツンポツンと、そういう才能のある人だけが 書けるものなんです。とにかくそういう古典を読む、精読すること。そうすれば、思考力が鍛えられる。 もう一度言えば、自分の思い込みや常識から離れて、他人の思考を学ぶというのが、 思考力の形成ですから、古典となっていて、長年いろんな人が読んできたものは、読んで分からな ければ「自分が悪いのだろう」と考えられるので都合がよいのです。「これは何だ!」というおかしな 部分があるから、また自分の問題(変な感じを解消する)として考えるきっかけにもなります。 そうして文章を虚心に理解することが、思考力を鍛えるのです。 ■何を読む?A: あと考えられるのは、「アメリカ式 の教科書」というのがあります。アメリカの大学では、分厚い教科書が使われ、学生が それを毎週何十ページも読んで授業に臨まないと、単位が取れません。アメリカの教科書 が日本語にも訳されていて、本屋なんかで売られていますから、分からない人は見ておいて 下さい。とにかく、その分厚い教科書は、論理の飛躍ができるだけないように書かれている。 1つ1つのステップはそれほど難しくなくても、論理づくめで長々と内容が つながっているから、頭の中で何度も自分なりに論理の道筋を描かないと理解できないようにな っている。これは思考力を鍛える。 大学では古典(最近ではなかなか読まれませんが)や、分厚い教科書を読まされます。 それは、今言ったように意味があることなんです。言っておかなくてはいけないのは、創造性とか個性 とかいったことも、思考力を鍛える中で、鍛えられる。それは、本を読んで頭の中で解釈を作り上げる ということ、そのやり方は、人それぞれ、十人十色に違うからです。簡単な言葉の説明をやらせてみて も、学生は全員がすべて違う、個性的な考え方をしています。結論が同じであっても、そこに至る 考え方はすべて違うということです。そうした自分だけの特色をもつ考え方を鍛えていけば、自ずと 個性もそれから創造性も出てきます。メニューに書かれたものから選択すれば、自分の組み合わせが できますが、それは個性ではありません。そう勘違いしている人もいますが。何か我を忘れて虚心に 取り組むときに、そこに個性が出てくるのです。学生を見ていると、無理矢理個性的であろうとして 失敗している人、自分の個性を隠そうとして鬱々としている人が目につきます。それはどちらもあまり 生産的ではないと思います。 ■心構え1: 要するに、本当はこの授業でも古典か分厚いのをやりたいところなんですけど、時間の都合上 そうはいかない。そこで妥協して、ある程度文章が練り上げられていると私が判断した教科書を使う ことにします。そうした本でも心構え1つで、思考力を鍛える手段になると思います。という わけで、まず心構えの1つとして、「権威主義」を止めるということを言いたい。権威主義には 2つ、2つの態度があると思います。 ・1つは、知識内容を「正しい」こととして鵜呑みにすること。 ・もう1つは、知識内容を「押し付け」と見なして目を背けること。 人や本から伝えられた知識は、「無条件に正しいもの」とか、「無条件に正しいことを主張する 押し付け」とかいうものではありません。伝えられる知識は、伝える人がそのとき「正しいと 思っていること」にすぎない。それ以上でも以下でもない。それ以上の何か特別なものでなければ ならないと考えるのは、権威主義と言ってよいと思う。権威主義とは、人同士の関係を権威なしには 考えられないという発想です。確かに、日本の社会は権威社会で、何をやるにも、世間のウケを気に しなくてはならない。しかし、それでは、勉強はできない。思考力を鍛えられない。だから、大学 の中で行われる議論は、何かにつけ「自由」でなければならないと言われるんだと思う。あまり 聞かなくなりましたが、「学問の自由」を保証するということは、権威主義をとらなくても よいということを保証してくれるということだと思います。少なくとも、ゼミの議論なんかでは、 権威主義はやめてほしいです。相手に権威があるかどうか、相手の言うことに権威があるかどうか は関係ない。自分の知識について吟味を怠らない人の言うことには、耳を傾ける価値があるということ だけです。 ■心構え2: 既に述べましたが、心構えの二番目は、「何を言おうとしているか」だけでなく、「何を言うことが できているか」をよく考えることです。「何を言おうとしているか」は、意図や立場の問題です。 意図や立場が自分の考えと合わなければ、相手の言うことを聴こうとしないというのでは、自分の 発想法は豊かになりません。考えの貧しい人になってしまいます。立場などには関係なく、それなり によく考え抜かれた意見・主張というのは立派なものだ、という鷹揚な気持ちが必要だと思います。 ただし、相手がよく考えようとしていないか、相手の言葉が不誠実であれば、時間の無駄なので、 内心で軽蔑して、耳を塞いだ方がよいと思います。 ■「問題」をもつ: 思考力を養うコツのようなものばかり言いましたが、最後に、問題解決能力を身に付けるための 心構えを述べて終わりにします。それは、「自分の問題」をもつ、ということです。自分で 「納得」したいとか、誰かを「説得」 したい、といったことです。そういう問題を抱えていれば、その解決のために知識を求める、という ことで、いろいろな知識に「位置づけ」を与えることができます。そうすれば、勉強も無味乾燥なもの ではなくなると思います。そうして勉強がはかどれば、より広い視野で物事を眺めることも できるようになるでしょう。広い視野を求めて、やみくもに知識を仕入れてもダメです。 知識には目的がある、というのはもう言いました。何か、自分の考えの軸となる問題 があれば、それを中心にどんどん視野も広がります。「1つを極めれば普遍的なものに通じる」と 言いますが、それはそういうことです。そういう「自分の問題」がまだない、という人もいると 思いますが、そういう人は、他人がどういう「問題」を抱えているかということを、知るように 努めてほしいです。言葉にならないだけで、実は自分が心の中で「問題」を抱えていた、という ことに気づくということもあると思います。 |