■はじめに
経済学科の就職委員をしている坂口です。就職に関連して皆さんにお世話するのは,就職部という
事務の部局の仕事です。私は教員の委員なので,そういうことはしません。
就職委員がする役割とは,就職部が行っていることについて大学教育の理念と
の関係で意味付けを行ったりして,就職部を支援するという役割です。
就職部の利用について私が言って
おきたいのは,大いに利用してほしいということです。就職部は窓口に相談に来た学生に対して,
1人1人を大切にするカウンセリング・マインドをもって接しています。1人1人が抱えるその人な
りの就職に関する問題・悩みに対応してくれますので,積極的に窓口に訪れてください。
ということで,今日ここでお話ししたいのは,新入生の皆さんがこれから大学生活を送る上で,就
職についてどういう意識をもってもらいたいか,ということです。
民間については,3年の冬には,皆さんは就職活動で動き回るようになります。会社説明会に参加
したり
企業訪問などをするわけです。そして面接をやります。就職の面接は何度も(3回も4回も)やるの
で,マニュアル通りの対応というのは不可能です。また,予め作文した文章を覚えて喋ってもそれは
プラスの点数にはなりません。自分の言葉が出てきて初めて点数がつくのです。とにかく
ありのままの自分(人柄,物の考え方)を見てもらうしかありません。
では,どういうふうにすれば,企業が評価してくれる人間になれるのか。それが
キャリア形成ということです。レジュメを見て下さい。今日話したいのは,まず,キャリア形
成とはどういうことか,ということです。その後で,特に,これから皆さんが行う大学の勉強がそれと
どう関係するのか,を話します。
ただ,私はたまたま係として就職委員というのをやっているだけで,就職問題の専門家ではないで
す。Wの参考資料のところに,そういう専門家である根本孝さんの本を挙げておきました。他にも本屋
に行くと大学生の就職に関する本は並んでいます。就職とはどういうものか,どういう実態か,とい
ったことがよく分からない人はぜひそういう本を読んでほしいです。自分で選べない人はこの根本
さんの本を読んだらいいと思います。私もたいへん参考になりました。
私の話は,あくまで1教員として,学生の就職について考えていることです。
■キャリア形成の内容
キャリア形成の中身を3つに分けて書いてあります。最初に言っておきたいのは,こういう
力は勉強だけでは身に付かないということです。サークル活動,アルバイト,それから――これ
は勉強ですけれども普通の講義とは違う――ゼミ,そういった大学生として経験するいろいろ事柄
の中でキャリアは形成されます。よく「就職は大学生活の集大成」
と言われるのは,そういうことです。では順に説明します。
@職業意識
「働かざる者,食うべからず」と書いてあります。私たちは,毎日いろいろな物を消費して生
きています。食べる物,着る物,要するに衣食住を手に入れなければ生きていけない。自給自足じゃ
ないですから,そういう食べる物,着る物は,他人が作った物です。他人が作った物のおかげで
私たちは生きている。だから,そのお返しをしなければならない。私たち自身も他人に役立つ物を
作ったり,サービスを提供しないといけない。職業,仕事にはそういう意味があるということです。
「職業は,社会的責任を果たす方法,社会に貢献する1つの方法」
だと書いてあるのは,そういう
意味です。他にも社会的貢献の方法はあります。ボランティアとか…。でも,何と言っても職業を
通じての社会的貢献というのが,非常に大きな部分を占めていることは間違いないと思います。
だから,その次に書いてあるように,職業において「自己実現」や「自己顕示」は二の次なんです。
もちろん職業は自己実現の場でもありますけれど,それでも,まずは人のために役立つ仕事ができな
ければどうしようもない。「自己顕示」というのは,自分を人一倍目立たせようとすることですが,
よくいるのが,面接で相手(面接担当者)に自分を印象づけようとして,無理矢理に自分を個性ある
人間に見せようとする学生がいます。でもまず面接で見られるのは,職業に対してしっかりした意識
をもっているかどうかということです。意識の転換を図ってほしいということです。
職業意識と言われてもまだよくわからない,またもっときちんと考えたいという人は,Vを見てく
ださい。学生のキャリア支援を行うための教育プログラムとして,後期の共通科目にそういうことを
考える場が用意されています。そういう人には受講をお勧めします。
A仕事への意欲
職業意識というのは,意識の転換を図ればいいので,乱暴な言い方ですが,今すぐにでも心を
入れ替えればそれでいいということです。でも次の「仕事への意欲」はもっと難しいです。
「職業は社会的貢献だ」というのは職業意識の話ですが,それだと何か義務感ばかりでつ
まらなくなります。でも,レジュメに書いてあるように,仕事というのはずっと続けるわけですか
ら,「興味があり楽しいことでないと長続きしない」。また,意欲をもってした仕事は,結局@の
社会に役立つ仕事にもなります。だから,「自分にとって『働きがい』のあ
る仕事は何か」ということを,これから皆さんはよく考えてほしい。自分が「働きがい」のある
仕事は何だろうか,と考えていくと,結局自分がどういう人間か,どういうことが好きで,どういう
ことに向いているのかを考えなければならなくなります。そして「自分はどういう生き方をしたいか,
どんなライフスタイルでやっていきたいか」をよく考えてほしい。
そうして,自分にとって働きがい・意欲をもてる仕事はこれだ,というものを見つけ出してほしい。
仕事に対する意欲がない人は絶対に採用されません。なぜ企業は新卒社員を採るのか,と言えば,
これから経験する未知のことにわくわくしながら,「あれもやってみよう,これもやってみよう」と
思っている人間,フレッシュな人間がほしいからなんです。今の皆さんも大学にとっての「新入社員
」みたいなものですから,ある程度この点はわかると思います。
これは,実際は一生の課題でもあります。中高年の人が「自分探し」をしなければいけなくなって
いる,というのを聞いたことがあるかもしれませんが,これは同じことです。でも,一生のことだか
らと言って,働きがい,生きがいの探求を後回しにしてはいけない。少なくとも,3年の冬には,
「こういう風に考えてきた。この先どう自分の考えが変わるかはまだわからないが,今のところは
こう考えている」と言えないといけないということです。
B能力形成
キャリア形成の中身の3番目は,能力形成です。仕事ができる力をもっているかどうか,という
ことを企業の人事担当者は見ようとします。最近では「仕事力」などという言い方もあります。
仕事の能力というと,すぐに資格のことだと思う人もいると思います。英会話とか,パソコンの操作
とか……。もちろん職種によってはそういう資格を必要とする職種もありますが,多くの会社は
履歴書にどんな資格が書いてあるかはあまり重視しません。ここで説明したいのは,
そういう能力のことではありません。それに,資格を取るとかいうことであれば,やらなければいけ
ないことは割と簡単にわかるだろうと思います。やれるかどうかは別にして。
レジュメに書いておきましたが,「社会に出てから突き当たる問題はすべて『新しい問題』『こ
れまで出会ったことのない問題』」です。普通「問題」っていうのは,解き方が決まっていて,学校
で解く数学の問題だと,解き方を勉強しておいて,その通りにやれば解けます。でも,例えば,
上司から「今度こういうシステムを導入しようという案があるのだが,我が部署で導入したとき
うまくいくと思うかね?」と言われて,その答えを出さなければいけないとき,決まった答えがない
ころはすぐわかります。社会に出て突き当たる問題は,こんな問題ばかりで,その度にいろいろな
条件――そのシステムに関係する人たちの意見も含めて――をひっくるめて,答えを「創り出す」
必要があります。そういう解答を導く力,それが「問題解決能力」
というやつです。仕事の力というのはこのことです。それに,今企業は激しい環境変化――グローバル
化,不況――にさらされ,自身も変化を遂げねばならなくなっています。その中で,問題解決能力は
社員1人1人に求められてくるようになると思います。
では,「問題解決能力」などといったことはどうやったら身に付くのか。(レジュメには)「この
力を鍛えるには,普段から『仮説−適用』の思考態度を心がけ,経験を積むしかない」と書いてあり
ます。「仮説−適用」というところはわかりにくいですが,こういう
ことです。例えば,授業で先生の話がわからないことがあるとします。そういうとき,ただ「わかん
な〜い」で済ませるのではなく,「こう考えればわかるのでは?」というものを見つけ出してほし
い。それが「仮説」です。そういう仮説をもったら,先生に「こう考えればよいのですか?」と質問
します。これが「適用」です。その結果,「その通り」と言われることはあまりなく,だいた
いは「100%違う」などと言われたりします。そう言われて,「なるほど,こういう考え方をして
いたから違ったのだな」と気づきます。そういうことを繰り返すと,だんだん自分の考え方の癖や勘
違いを知ることができ,それを正すことによって,よりとらわれない偏見のない考え方,物の見方
ができるようになってきます。今まで見えてこなかったことが,見えてくる,というのはそういう
経験なしにはありえないのです。特に大事なのは,「仮説−検証」では,
「こういう考え方だけはしてはいけないのだな」ということに気づける
ということです。勉強というのは,皆さんはいろいろな
知識を覚えることだと思っているかもしれませんが,本当は,間違いを経験することなんです。テスト
のために覚えた知識はあっという間に忘れますが,間違いをした経験は一生残ります。こういう経験を
した結果得られる力が問題解決能力です。レジュメには,「偏見を減らすことで心を集中させてあり
のままに物事を見つめる力,『こういう考え方だけはしてはならない』という前提から出発することによって
問題解決への道をスムーズに開く力」,これが問題解決能力だと書いてあります。
「仮説−適用」というのは,勉強のときだけではなくて,例えばサークル活動などでも,何か
行事に取り組むときに,「こうすればうまくいくのでは?」という考えがまとまれば,
それを提案してみればいいと思います。それで他のサークルのメンバーから,「全然ダメだ」と
一蹴されたりします。これも仮説と検証です。いつも「仮説−検証」の態度をしていれば,自然に
力はつきます。「自分の頭で考える」というのはまさにこのことです。「仮説」をもつというこ
とは,その問題・話題に立ち入って考えなければならないんで――やってみればわかりますが――
,他人事では「仮説」はもてないんです。結果として問題解決能力がどの程度ついたか,という
ことはなかなか測れるものではありません。ただ,自分の頭で考えようとする人かどうか,という
ことは面接担当者が必ず見るところです。そういう態度は付け焼刃では出せないんで,普段から
本当に自分の頭で考えていないといけない。そしてそうすることは,慣れれば楽しいと思います。
■なぜ大学教育が重要なのか?
今説明した能力形成について,ではなぜ大学の授業,専門の勉強が大事なのか,ということを
話します。と言いますのは,昔からですね,あんまり授業に出なくてもいい就職ができる学生って
いうのがいるんです。それでまた,企業側も,「大学にいるときはいろいろな社会勉強が大事で,
変な勉強するよりは遊んでいた方がましだ」とか,「勉強は会社に入ってからしっかりやってもら
うんで今のうちはもっと遊んでおけ」などと言ったりするんです。まあ,それは当たっている面も
あるんですが,しかし本当は違うと思います。
授業に出なくてもうまく就職できる学生というのは,さっき言ったように「自分の頭で考えら
れる」人だと思うんです。サークルとかバイトとかの場で,主体的にいろいろ考えている人は,
その経験が仕事でも力を発揮するでしょう。逆に,授業には欠かさず出席していても,自分の頭
で考えず,機械的にノートを取っているんでは,力はつきません。でも,一番よいのは,専門の
勉強で頭を使うことなんです。サークルでもバイトでも大方は「話し言葉」の世界で,自分に直接
利害関係がある身近な問題に取り組みます。ところが専門の勉強は「書き言葉」の世界,
直接に自分の利害に関わらないことを考えなければいけないんです。そういう「書き言葉」の
世界で「仮説−検証」を行う機会は,専門の勉強しかない。
では,「書き言葉」なら何も大学の授業に出なくても,図書館で本を借りて読めば十分ではないか
と思うかもしれません。でも大学が消滅して図書館になってしまわないのには,理由があります。
レジュメを見て下さい。「クオリア」と書いてあります。これは,
脳科学の言葉で,日本語では「質感」と言います。例えば,色があります。赤,青,黄色。色は,
それ自体は単なる波長の違う光なのですが,人間の知覚,感覚においては,赤であれば,迫ってくる
色だし,緑であれば,落ち着き安らぐ色です。こういう違いをクオリア,質感と言います。でも,
ここで私が言いたいのは,特に「ハッとする」感覚のことです。芸術作品,例えば絵でも,見たとき
ハッとするものがあります。こういうのがクオリアです。そこに岡本太郎の例を出しました。知らな
い人は知らないでしょうが,「芸術は爆発」の人です。もう亡くなってしまいました。
彼が言っていたのは,芸術作品というのは,見た人が「これは何だ?!」と思うものでなければなら
ないということでした(岡本敏子『芸術は爆発だ!―岡本太郎痛快語録』小学館文
庫参照)。それで初めて,見た人は自分の問題として受け止められるというんです。つまり,
「今までの自分の物の見方では,とうてい理解できない。これを理解するにはどうすればよいか」と
考えて初めて,見た人(鑑賞者)は自分の見方を反省し,その作品を受け入れる仕方を学ぶわけ
です。岡本太郎は,そういう作品を作ろうとしたんでしょう。ハッとさせる作品,それがクオリア
のある作品です。
今のは芸術作品の話でしたが,芸術だけでなく,一般にクオリア,ハッとすることは,何かを学習
するときのきっかけなんです。発達心理学の分野の大家でジャン・ピアジェという人がいましたが,
そういう人も,人間の学習というのは,外界からの刺激によって始まると言っています。刺激され,
自分の中でそれに対応するための変化が起きる,それが学習だというわけです。それで私の結論
は,大学というところは,知識に関してクオリアを与えるところな
のだということです。大学の講義というのは,皆さんこれから経験すると思いますが,
<できるだけスムーズに抵抗なく知識を習得させる>ということを目指してないんです。まあ,科目
の性質にもよりますが。それよりも,皆さんの「常識」を揺さぶることを目指しているんです。
だから「変なことを言っているな」とか,「本当にそうなのか?」と思ったときが,クオリアを
感じるときなのであってですね,そういうときが自分の問題として受け止めて,自分の考え方を
鍛え直すチャンスなんです。
では,なぜ大学の授業はクオリアを与えることができるのか?大学は「学
問の府」だ,と堅苦しいことが書いてあります。学問と言っただけで堅苦しいんですが,学問
とは,要するに,誰にもわかるような言葉でいろいろと説明することです。きちんと言えば,「学問
研究とは,(自然・社会・人間についての)人間による説明を見直し,よりよい説明の仕方を求める
営み」とでも言えましょう。それだけのことなんですが,「それだけのこと」に大学の先生方は打ち
込んでいるんですよ。なぜかと言えば,大げさに書きましたが,「その成果が人類の財産であり,
人々の物の見方を変えることによって,歴史の流れに影響を与えていく」から,です。私たち教員が
研究で目指しているのは,今常識とされている説明の仕方よりも良い説明を見つけ出すこと,
つまりクオリアのある知識を生み出すことなんです。それが業績というやつですが,でも正直言って
そういうクオリアのある研究成果を世に問うなどということは,仲々難しいんです。だから,せめて
講義の場では,自分の悪戦苦闘振りを(所々で)伝えようとします。一般常識を伝えようとするの
ではないんで,「自らの専門分野の到達地点,現在学界で取り組まれていること」などを私たちは
伝えようとするんです。一番良い講義とは,下線を引きましたが,「教員が今
もっているものをありのままにさらけ出し,後進の人に乗り越えを促すという態度において遂行され
る」講義です。そういうときには,知識が単なる常識の提示ではなく,真剣な「問題」として伝え
られるので,それが学生にクオリアを与えるというわけです。
大学は「冬の時代」だと随分前から言われていて,要するに18歳人口――皆さんの世代のことで
す――が減って受験生が集まらない,大学の経営が大変だ,ということになっています。いろいろ
イメージアップのためのことをやっていますが,小手先のことで乗り切れるほど甘くはないんです
ね。大学の存在価値は,学問的に内容のある知識を伝えることにあるんで,それ以外であれば,他の
ところでやれるはずなんです。だから,文部科学省なども,しっかり研究業績を出せ,などと
大学に要求してくるわけです。いかにしてクオリアある知識を伝えられるか,そのために教員が
どれだけ学問研究に主体的に関われるか,そういったことが長い目での大学の競争を左右します。
話は逸れましたが,要するに,クオリアを感じたとき,ハッとしたときが,自分で考えるチャンス
ですから,それを大切にしてください。そうやって鍛えられる能力を最後に2つにまとめて
あります。1つは,
「理屈のみに価値が置かれる環境」において形成される「
論理的思考能力」です。理屈っぽく
考えることが「人類の財産」につながるなどと純粋に言えるのは,大学くらいのものでしょう。
論理的思考とは,理屈詰めで考える力です。もう1つは,
「自分と違う考え方(本,人)に出会いそれとの関わりをもつ」中で鍛えられる
「コミュニケーションの態度・能力」です。こうした力は,企業側
が「大学で鍛えてほしい能力」に挙げるものです。
■むすび
就職と大学生活また特に大学の授業との関係について,原理,仕組みはこれでだいたい尽きて
いると思います。どれもある意味で結果を出すのは一生の課題でもあるので,とにかく今は,取り
組みの姿勢をもっているかどうか,それが皆さんには問われていると思います。あとは皆さんの
実行次第です。そこで最後に2点述べて終わりにします。
1つは,積極的に動いてほしいということです。何もしないで,
自分の部屋で「これもしなければ,
あれもしなければ…。でも何からすればいいんだろう」とウジウジ考えているのは,ダメです。そ
うではなくて,まずできることからやってみること,そうやって動きながら考えて下さい。それで
何かに突き当たったら,止まって悩むのも良いと思います。それは,乗り越えるべき問題に突き当
たったということです。自分の部屋で考えているだけなのは,まだ問題にも突き当たっていない
ということです。
もう1つは,メインの時間,皆さんで言えば大学に来ている時間をまず
充実させてほしいと
いうことです。社会人になれば,メインは仕事になりますが,とにかく,一番多くの時間をすごる
メインのことを有意義にやれないと,生活の全部が詰まらなくなると思います。詰まらない
自己愛を捨てて,将来(卒業の時,さらにもっと先で)振り返ってみたときに今のこのときが
充実していたなあ,と思えるような今を過ごしてほしいです。
それでは,皆さんが良い就職をできるようお祈りいたします。
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