自然科学論・科学史101  第一部:肉眼観測による宇宙の姿

第1回: 地球の形 ---「大きすぎて見えないものをみる」とはどういうことか?

木を見て森を見ず, 群盲象を評す
「 木を見て森を見ず」とか「群盲象を評す」など、大域と局所の把握に関しての古い諺が いくつかあるように、 大きなものの正確な形を知るのは案外困難である。 地球は人間よりもずっと大きなものであるあから、上の諺のように、その正確な形を知るまでに 人類は紆余曲折したのである。

参考:微分と積分

大域的に見ると曲がって見えるどんな曲線(曲面)も、局所的に見ると直線(平面)に見える。 実は微分/積分というのは、ものごと(特に数学的な概念)の局所的な見え方と大域的な見え方の 関係をうまく利用した考え方だ。例えば、半径\(r\)の円の円周の長さは2\(\pi r\)だが, これはどうやって導いたのかご存知だろうか?円周を細かく切り刻み, 直線の集合として考えるのである。 直線の長さはどうやって測定できるか人間はよく知っているので (ピタゴラスの定理を使っても良いし、実験的にものさしで測定しても良いだろう)、 直線の集合として円周が計算できればまことに便利である。 それを可能にしてくれるのが微分/積分法というものである。

参考までに、具体的な計算はどうやってやるか以下に示しておく。 詳細は高校数学の数IIIの教科書を参照していただきたい。 \[ L_{\text{円周長}}=\oint_{\text{円周}} \sqrt{dx^2+dy^2} =4\int_0^{r}\sqrt{1+\left(\frac{dy}{dx}\right)^2} dx \] 最初の積分の中身は微小直線の長さをピタゴラスの定理で表したものである。 この部分がもっとも重要な点であり、どんなに曲がった曲線の長さでも、「短い直線の 足し合わせ」によって計算できることを意味している。 一休さんのとんち風標語で書けば「曲がっているものは真っ直ぐである」といった感じであろう。

ちなみに、2つ目の積分に現れた微分は、 円の方程式は\(x^2+y^2=r^2\)なので、それを微分して \(x+ y\frac{dy}{dx}=0\)を得る。これを上の式に代入すると \[ L_{\text{円周長}} = 4r\int_0^r \frac{dx}{y} = 4r\int_0^r \frac{dx}{\sqrt{r^2-x^2}} \] 最後の定積分はよく知られた値\(\pi/2\)であるから、円周\(2\pi r\)を得る。 が、この計算の詳細は(この講義では)あまり重要ではない。

地球の形

日常生活において「地球の形」を意識することは少なく、また認識することもなかなか難しい。 ただ、身の回りの世界がどうなっているのか知るための「地図」を作るくらいの興味はある。 人間の活動が拡大するにつれ地図は大きくなっていく。ローマ帝国や古代中国王朝のように、 征服や探検によって版図が広がるにしたがい「世界地図」の必要性が生じる。必然的に、 地図の外側、つまり「世界の果て」という考えが生まれる。

「世界の果て」は「地球の形」と密接な関係がある。直感的には地球の形は「平面」 であって、世界の果てとは奈落のそこに落ちていく絶壁の縁である、と古代人は考えた。 しかし、自然哲学者による考察、探検家たちの勇気(クレヨンしんちゃんの原作者の 壮絶な死は記憶に新しいかもしれない)、などによって「平面世界」は否定 されていく。

"The edge of the World" painted by Mr. John Howe

地球の形が「球」であること

古代文明においても、太陽と月の形が円いことは肉眼で容易に観測できる。 この結果を踏まえ、「地球も球形なのではないか?」という考えが 古代人の心に湧き上がった可能性は高い。 とりわけ幾何学を重要視していた古代ギリシアの自然哲学者に とって、円とか球といった図形を使って天体や宇宙(大地を含む)を説明する というアプローチは, 彼らの心の琴線に響いたと思われる。

しかし自分の目で大海原や大草原を眺めると、地球は平らなのではないかという直感を もってしまうのは仕方のないことである。実際、多くの古代文明の初期において、 地球のイメージというのは平らな大地を想定しているものが多かった。 (この矛盾に関する簡単な数学的考察は下の小文を参考にしてもらいたい。)

球面を平面で近似するときの有効範囲についての簡単な考察。

例えば、紀元前6-7世紀の古代ギリシアの哲学者タレスは大海に浮かぶ平らな大地(島)として 「地球」を考えた。

紀元前4世紀ごろになると, 地球の形は球形であると考える哲学者が増え始め、 どうやったらこのアイデアが証明できるか考え始めた。アリストテレスは 月食の際に満月を隠す影は地球の形になっていると考え、月食の観測を通して 地球が球形であることを示そうとした。また、地球が球形であれば、 水平線に遠ざかる船が下側から見えなくなるはずであると考え、実際に観測を行って確認したり した。(注意:「地球が球形ならば、船は下側からみえなくなる」という命題は真ですが、 その逆命題「水平線で船の下側から見えなくなれば、地球は球形である」は必要条件であって、 必ずしも真とは言えない。どうしてか考察してみよ。)

月食観測の実際

地球も月も太陽の光を反射して光っていますが、その裏側は影になり光らない。 地球の「裏側」には地球の大きな影が宇宙空間に伸びており、そこに巨大なスクリーンを置けば 地球の丸い(断面の)形が映るはずである。 月は地球の周りを回っていますので、うまい具合に地球の影に回り込めば、そこに地球の形が 影絵のように映るだろう。 ただ、月の大きさ(直径)は地球の大きさ(直径)の1/4しかないので、 「巨大なスクリーン」ではなく、小さな短冊をかざすような感じになる。 したがって、地球の影の一部分しか月面には映らない。 実際には「地球が丸い」と実感するよりは、 「地球の縁が曲がっている」くらいにしか見えないだろう。 下の記録写真を見ても、そのことは同感できると思う。

月食の観測(2014.Oct、筆者によるもの)。 詳細はこちらを参照

しかし、時間を測定し、その時間の月の性格な位置と影の関係を連続して観測すれば、 地球の影が丸いことを確認することができる。現在の技術(デジタル写真とコンピュータ合成) に頼れば、それは(慣れれば比較的)容易に実行できる。その一例が下の観測写真である。

引用:写真家Yujiro Suzuki氏のホームページより。

月の大きさが地球の大きさの1/4ということは、 4回の月食観測を組み合わせればかなり精度よく地球の概形が わかるはずである(鈴木さんのように2回でも、月が横切る場所によっては半分近くの形がわかるので うまい具合に地球の影絵が浮かび上がってくる)。

月食と(通常の)月の満ち欠けの関係

月食の夜は必ず満月ですが、月食が始まると月が欠け始めたように見える。 これは、通常の月の満ち欠けと混同する人が案外多いが、まったく違う現象であることに 注意する必要がある。

月食の途中で「三日月」のような状態が発生するが、この状態を例にして月食と通常の月の満ち欠けの 違いについて説明しよう。

まず時間間隔の違いから見てみる。月はおよそ29日かけて地球の周りを一周する(公転)から、 三日月の形がその晩のうちに大きく変わるようなことはありえない。1日経っても、やや 月の幅が変わったような気がするだけである。 また14日目の月を十五夜の満月と勘違いする人も多いだろう。

一方、月食という天体現象は数時間程度しか持続しない。満月だった状態から、みるみる月の 形は変わっていくが、4時間もすれば元の満月にもどる。月食の持続時間を見積もってみよう。 月は、地球の半径の約六十倍の場所にあり、地球の周りに公転している。地球の影の大きさは おおよそ地球の半径程度だから、地球の中心から見て、月の軌道上にかかる月食の影を見込む角度を \(2\theta\)とするとおおよそ \[ \tan\theta \sim \theta = \frac{1}{60} \] の関係が成り立つ。したがって、月食の持続時間\(t\)は \[ \frac{t}{29}=\frac{1/60}{2\pi} \] によって求まり、計算すると\(t=1/6\)日、すなわち4時間程度であることがわかる。

次に、通常の三日月には「地球照」という天体現象が見られるが、月食の「三日月」には 地球照がみられない。これは通常の三日月のとき、月は地球の「前」にいて、太陽に対して影の 側を地球に多く見せているが、月食のときは、地球の「後ろ」にいるという違いから来ている。 地球照についての説明は「あなたと自然科学」の講義を参照すること。

まとめ
「 木を見て森を見ず」などの諺は近視眼的にならぬように、という戒めのような形で 使われることが多いが、微分の考え方では、むしろその視点を自在に利用することで 高い水準の思考法に到達している。人間の大きさと地球の大きさの尺度(スケール)の比較を 行えば、人間の視線は地球の微分構造に着目していると考えるのが「自然」であり、 その結果が「平=真っ直ぐ」というのは(微分の立場からは)納得がいく。 ただ、数学には「積分」もあることを忘れてはならない。微分的な構造をキチンと積分すれば 大域的な構造、すなわち球(円)が出現する。「曲がっているものは真っ直ぐ」なのである。