黄斑円孔手術体験記


森の日記―――書を捨てて森に入ろう


 わたしには睡眠障害があって、何時に眠ろうと、朝の6時前に起きてしまいます。朝から突然仕事という気にはなれず、わたしは近所の森に出かけていきます。そして、1時間半ほど歩き回って帰ってきます。わたしは散歩者です。

 散歩者とは、思うに、目的も、その目的を妨害するものたちへの防御体制も何もなく、ただぶらぶらと歩き、しばしば立ち止まって風景をぼんやり眺め、どこへ行くともなく、だからといって休んでいるわけでもなく、深呼吸して、ときには蟹たちのように横向きに歩いたり、ときには梟のように、とまったままくるりと振り返ってみたりする、そんなひとのことです。

 普段行くところは森のようなところで、ほとんど数人にしか会いません。わたしが出会うのは、多くの樹木や無数の草や、小さな蝶や見えないほどの虫たちです。毎日違ったところで立ちどまると、前日には見えなかったものが見えてきます。同じ場所に立ったとしても、顔の角度を5度ずらすだけで、初めて見る風景に出会います。

 前日もこうなっていたのかと驚きますが、実はパースペクティヴ(見る視線の向きで見える射影)は360度無限なので、同じ場所でも無限の数の新しい風景があるのです。毎日行って、いつも違うものを発見します。隣の公園にはベンチがあるので、お気に入りのベンチ(公園になぜか必ずある時計の見えにくいところ)に座って、それから自分が発見したことを20分から30分(時計がなければ無際限に)回想します。そのあと、自分でも不意に立ちあがって、日向を通って小川のそばをとぼとぼと歩きながら帰ってくるのです。

 「ある散歩者の思索」という表題は、右眼に障害があって視力が出ず、ものを見るときに左眼ばかりを使ってしまって頭や首や肩が疲れるので、自然な両眼視をする訓練としていいかもしれないと思い、近所の森を散歩するようになりましたが、そうするなかで、森でさまざまな発見をしたり、省察をしたりするようになったので、それを書き留めることにした、という意味です。


2010年8月5日
                                    船木 亨


         

ある散歩者の思索(黄斑円孔手術体験記)   船木 亨
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