その他(教育・研究)
第02回 後編(2004.04.05)(08.22一部修正)
【 アンデス高地の環境利用の特質に関する調査 2003年度 後編 】
2003年10月6-26日 ペルー共和国

【図7:16日 ワクタパ>カピジャ】
昨夜の宿にした寒村(ワクタパ:Huacctapa)の保育所の土間は快適だった。 今日は本流を遡上し、支流の孤立集落まで一気に進む予定だ。 地形図と空中写真でアタリをつけておいた巨大地すべりが行く手に出てくるはずだ。 昨年、岩田先生( 都立大 )が霧の中でここを通過し、 谷幅一杯にハンモッキー・モレーンが分布するのでは?と疑いをかけた場所だ。 いよいよ件の地を通過するとき、あまりの地形の大きさに地すべりのイメージが沸かなかった。 読図や判読の間違いを懸念したが、見事な滑落崖や丘陵状の移動土塊が確認できた。 確かに、これだけ大きければ地すべりとは気づかないかもしれない。 移動土塊の端を流れる小川の脇で昼食をとった。カピジャ(Capilla)泊。

▲ Page Top
【図8:17日 カピジャ>アウサジャ】
前夜はカピジャの小学校に泊まった。 こんな所にも常設校があり、都会から教師(単身赴任!)が派遣されていることに驚いた。 先生の入れてくれた熱いココアが美味しかった。 教室は小さかったが、天井や壁は手作りの教材であふれていた。 家が一番遠い子は片道2時間かけて数日おきに通って来るそうだ。 おそらく僕と同世代の先生は、今夜もぎしぎし唸るベッドに潜って、 残してきた家族を想っているだろうか。 地形も素晴らしかったが、そんな出会いも新鮮だった。 写真は氷食谷の下流側を望んだもの。谷底を川が曲流し、 湧水のある斜面では草本がみられる。 リャマやアルパカはそこで草をはみ、一日を過ごす。 アウサジャ(Ausalla)泊。

▲ Page Top
【図9:18日 アウサジャ】
氷食谷底は融氷水で潤い、緑豊かな放牧適地を提供している。 しかし長い地質時代を通じて環境は変幻し、 眼前の景観も過去から未来への一時的な姿でしかない。 それにしても、標高4700mのこの地で放牧はいつから可能だったのか。 それを知るには谷底に広がる泥炭の集積開始年代を測定するのが手っ取り早い。 泥炭は湿潤草地でできるからだ。果たして、厚さ約60cmの泥炭の基底は約1000年前だった。 予想外に新しかったが、岩田先生は「アンデスでは完新世の氷河拡大が大きかったから、 十分あり得る数値では」とコメントされた。数千年前までここに氷が存在し、 温暖化でそれが後退して草本が侵入したのだろうか。アウサジャ泊。

▲ Page Top
【図10:19日 アウサジャ>プイカ】
2日続けて標高4780mの牧民の出作小屋に泊まった。 家族4-5人で丁度よい広さの石小屋に調査隊6人が押し掛けたから大変だ。 寝返りさえ難しそうと踏んだ私は、小屋の前の犬の寝場所の脇にツェルトを敷いて寝た。 アンデスの満天の星を眺め、夜風の音を聞いて眠るなんて一生の間にそう体験できることではない。 フィールドワーカーをやってて本当によかったと思ったのも束の間、 夜中に呼吸困難になって何度も目覚めた(高度障害)。体を横たえのが災いしたのか。 一時は死ぬかと思ったくらい息が辛かったが、体を起こして石垣にもたれたら楽になった。そ れにしても、奥さんが茹でた大小さまざまなジャガイモと、 息子たちが小川で獲ってきたマスのフリートが美味しかったこと。プイカ泊。

▲ Page Top
【 図11:20日 プイカ】
鳥居さんと私は、稲村隊長や川本さんより一足先にプイカに戻った。 彼らの帰りを待つ間、私たちは周辺に調査に出かけた。 あちこちで目についたのは、岩壁下方の斜面の埋没腐植土層である。 写真では野帖の少し上に見える、細粒のやや黒い水平層がそれだ。 その存在自体は珍しくなく、日本はもちろん世界中の高山に分布する。 重要なのは、地域の随所に同時代の埋没土層があれば、 その背景に広域の環境変動が絡んでいたかもしれないということだ。 このプロジェクトで地形班に期待されたのは、埋没土層から古環境や農牧史を復元することだった。 プイカ泊。

▲ Page Top
【図12:21日 プイカ>カマナ】
別れの日が来た。 滞在時間は短かったが、私はこうしたスタイルの野外調査が初めてで、 目にするもの、口に入れるもの、耳に入るもの全てが驚きだった。 稲村隊長がイニシアチブをとった今回の文化人類学的野外調査法 (行く先々で成り行きに任せることが多く、 一見すると無計画)には初めは馴染めず、戸惑いが大きかった。 しかし調査も終盤を迎えたとき、これがアンデスでとるべき一つの調査スタイルなのだ、 と私なりに納得した。これは大いに勉強になった。出発直前、マチャカ一家と記念撮影をした。 最後列左=シモン、その右=川本、同=アルド、同=鳥居、前列左=アルド夫人、最前列右=稲村。 カマナ泊。

▲ Page Top
【 図13:22日 カマナ>リマ】

来た道を戻り、リマをめざす。 行きに寄ったチャラの海鮮定食屋にまた入った。 なにせウニとかヒラメとか、私には数年に一度しか口にできない高級魚介類が、 ここでは驚くべき値段で味わえるのだから。私たちが注文した品々のどれも美味だったが、 ウニのセビチェ(ペルー風海鮮酢物)とスダード(Sudado mixto)はたまらなかった。 スダードは新鮮なウニ、ヒラメ、イカ、タコ、赤ピーマン、ショウガなどの煮込みで、 濃厚なあの味わいを思い出すだけで、私はまたペルーに出かけたくなる。 これで一皿約400円。アンビリーバボー!

▲ Page Top
【図14:24日 リマ>成田】
リマに戻ると、稲村隊長や私は帰国準備に追われ、 川本さんと鳥居さんはリャマやアルパカの血液分析に忙しかった。 何とか荷物をパックし、24日リマ発コンチネンタル航空北米行の客になった私は、 25日早朝テキサス州ヒューストンに着いた。 コンコースのスタバでコーヒーをすすり、 タコ・ベル でブリトーなど食べながら時間をつぶして昼前の東京行に乗りこんだ。 写真はコロラド辺りの山並み越えてゆくボーイング777-200ERの窓から。 それにしても草木がないなあ。

▲ Page Top
【 アンデス高地の環境利用の特質に関する調査 2003年度 前編 】へ
・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・
【 アンデス高地の環境利用の特質に関する調査 2004年度 前編 】へ


-TOP- -研究室概要- -山の地形- -アンデス- -その他- -フィールドだより- -経歴- -業績- -Links- -English-