経済企画庁が1995年6月に環境・経済統合勘定の試算を公表したことはすでに述べた。本節では、この試算の方法論を検討する。試算結果そのものは、付録2に掲げた。ただし、試算は、1985年と1990年について行なわれているが、付録に再掲したのは、1990年分だけである。
その開発に当たって、経済企画庁(1995)では、「国連の提唱する諸概念を踏まえながら、我が国のニ−ズや事情を考慮したものを目指しており、今回、国連ハンドブックで示された次のような特徴をもつ勘定を試算した」として『暫定ハンドブック』に準拠しながら、わが国の実情にも考慮したことを述べている。具体的には、まず、1)「SNAのフロ−、ストックの既存計数に含まれる環境保護関係の計数を分割して明示する」。これは、SEEAのヴァージョンUである。さらに、2)「SNAの概念を拡張して、経済活動に伴う環境の悪化(環境汚染、生態系の破壊、資源の枯渇等)を経済活動の費用(帰属環境費用)として貨幣表示する。即ち、環境に関する外部不経済を貨幣的に評価する」。すなわち、SNAの細分を行なうだけでなく、SNAにはない概念を導入することによって、SEEAのヴァージョンWに沿った本格的なサテライト勘定の開発をめざす。さらに、3)「国内純生産から帰属環境費用を控除して環境調整済国内純生産(EDP、eco domestic product)を示す」として伝統的集計値(GDPやNDP)を補完する集計値を算出することを述べている。
しかし、試算は、「必要不可欠と思われる主要項目に絞って」行なわれたものであり、方法論的にも「今後さらに改善していく必要がある」ものでもある。
付録2によって、試算された環境・経済統合勘定の内容を見てゆくことにしよう。
1)SNAの環境関連細分化が行なわれる(SEEAヴァージョンUである)。
まず、『暫定ハンドブック』のSEEA行列の形式と異なり、環境保護関係とそれ以外の財・サ−ビスの産出額が生産者価格で表頭に置かれる。それに輸入と運輸・商業マージンが加えられ、供給合計額を購入者価格で、さらにその使用が項目別(中間消費、最終消費支出、資本形成、輸出)に計上されている。この形式は、1968年SNAの2a表と近いものである。1993年SNAの消費概念の構成からすれば、最終消費支出でなく現実最終消費の概念が使われるべきであっただろう。当然のことではあるが、国内消費概念が使用されている。耐久消費財(CNFAの覚書項目)が家計の最終消費支出の内訳として示されている。
次に、環境保護活動(外部的・内部的)とそれ以外の経済活動の投入構造(中間消費、固定資本減耗、間接税・補助金、雇用者所得、営業余剰)が示されている。表頭にある通り、生産活動は、
産業
環境保護活動
外部的
内部的
環境以外
政府
環境保護活動
環境以外
対家計民間非営利団体
に分類されている。
非金融資産勘定としては、環境保護関係とその他の人工資産および自然資産の種類別のストック額、資本形成額、調整項目が示される。人工遺産の中には、歴史遺産が含まれている。自然資産は、育成資産と非生産自然資産に分類され、前者は、育成林とその他に、後者は大気、水、土壌、土地利用、地下資源に、さらに分類される。ただし、大気、水、土壌については、ストックを計上しない。土地利用(スペースとしての土地)は、さらに開発地、農林地等および保全地域に分類されている。
補助金は、環境保護関連とそれ以外に分類され、環境関連の移転も計上されているが、SEEAの「はねかえり費用」が示されていないので、環境悪化によってもたらされる「健康被害」の取り扱いなどが不十分となっている。
2)上に含まれる現実環境費用以外に、帰属環境費用が以下の項目について発生源別・自然資産の種類別に推計されている(SEEAヴァージョンWである)。
a)大気汚染:SOx,NOx
b)水質汚濁:BOD,COD
c)土地開発・森林伐採による生態系の破壊
d)地下資源の採取(石炭等)
「廃棄物」(ゴミ)については、回収・処理のために実際に支出されている費用だけが計上されているので、帰属環境費用は計上されていない。「酸性雨」については、大気汚染として(現実環境費用・帰属環境費用として)カバーされていると考えることができる。57)
大気汚染(酸性雨)の健康被害については、4000人の死者を残した、1952年12月5〜9日(12月7日、暗い日曜日)のロンドン・スモッグがよく知られているが、大気汚染による喘息患者数などを見ると、決して過去の問題ではないことがわかる。今回の企画庁試算で、1985年と1990年を比較すると、帰属環境費用に占める大気汚染の構成比は、75.9%から81.0%に上昇している。いわゆる「越境酸性雨」の問題がカバーされていないのは、いかにも残念である。電力中央研究所が1994年に発表した、日本列島に飛来する硫酸イオン湿性沈着量に対する東アジア各国の寄与率によると、日本海側では、中国と北朝鮮・韓国を合わせた硫酸イオン量が80%を超え、日本起源の寄与率は20%にもならないという。日本全国で見ても、観測される降水中の硫酸イオンの約半分は、大陸から運び込まれており、とくに中国からの飛来量が多い。58)
地球温暖化、オゾン層の破壊などは、わが国の今回の推計対象からははずされている。オゾン層の破壊については、計上されるべきであっただろう。日本の木材等の輸入に伴う海外の環境破壊は、SEEAそのものの対象でない。最後の点は、すでに述べた。
3)帰属環境費用の推計方法として維持費用法を採用した(ヴァージョンW−2である)。
経済企画庁(1995)は、「維持費用評価法は、環境の質的・量的変化を、環境の質・量をある水準に維持するために必要と推定される費用(例えば、発生源での汚染防止に必要と推定される費用)によって、間接的に評価する方法である」と整理したうえで、2)のa)〜d)について具体的な推計方法を述べている。
まず、a)とb)については、発生源別に(大気汚染と水質汚濁に関する)汚染物質の排出削減の原単位を計算し、これを排出量に乗じて帰属環境費用を求める。次に、c)のうち、土地開発による生態系の破壊については、開発を断念した場合の損失(失われる付加価値)を帰属環境費用とする。一方、森林の伐採による生態系の破壊については、樹木の生長を上回る伐採が行なわれた場合に、その過剰な伐採に対応する産出額を帰属環境費用とする。最後に、d)の地下資源については、その帰属環境費用を「ユ−ザー・コスト法」により推計する。
「ユーザー・コスト法」は、エル・セラフィによって提案された方法であり、地下資源など有限の再生不能資源について、利用可能なn年間の採取から得られる利益Rtの一部Xtを、その資源が枯渇したn+1年目以降にも同様の所得Yが得られるように、他の資産に投資するとした場合のその投資額Xtのことである。この方法は、いわゆる「広義の持続可能性」概念とは整合的であり、『暫定ハンドブック』でも言及されている方法でもある(167段など)のだが、「物質循環」の持続性の観点からは疑問がある。
このような、わが国の環境・経済統合勘定の開発には、今後の課題も多い。すでに述べたことだが、それは、あくまで第一段階の推計に過ぎない。次の段階で実施されるべき多くのことがらがある。本節でもいくつかの言及を行なったが、まず、推計対象を拡大してゆく必要がある。経済企画庁(1995)では、1)NOx、SOx以外の大気汚染物質、2)BOD、COD以外の水質汚濁関係負荷、土壌汚染、3)騒音・振動、水資源等の維持費用、4)地球温暖化、オゾン層破壊等の地球環境問題、5)日本の輸入に伴って海外に発生する森林破壊等の帰属環境費用、6)景観、動植物の生息等のアメニティーの評価、7)森林・農地の環境保全効果等、環境資産の積極的評価の7つの項目を推計対象の拡大の課題として掲げている。上の5)については、表側に、関連する行が用意されていることがわかる。すでに見たようにSEEAの現在の守備範囲をはずれるものではあるが、帰属環境費用の計上は不可能ではないだろう。6)の景観あるいはアメニティーについては、ヴァージョンを変更・追加する必要があるだろう。実際、採用されたヴァージョンW−2に含まれるもの以外の評価原則を検討することも、推計対象の拡大とは別の今後の課題として認知されている。
このような統計作成者である経済企画庁自身が意識している課題以外にも、今後の課題として重視すべき問題は多い。とくに筆者が強調したいのは、モデル・ビルディングのためのデータを供給するという面での勘定の能力を強化することである。それには、SNA型の供給・使用構造あるいは対称的な投入・産出構造を行列に付加することが考えられよう。公表された集計的な試算結果を詳細化する必要がある。同時に、その場合、アンシラリー・アクティヴィティーのより十分な把握(ヴァージョンX−6)に進まなければならないであろう。すでに見たことであるが、『暫定ハンドブック』に示されたSEEA体系自体、このような、モデル・ビルディング(たとえば、CGEモデル)のためのデータ供給という方向は弱いように感じられる。詳細化の方向は、特定のアクティヴィティーの市場的な、あるいは、環境的な成立可能性を検証する手段を提供するものとなろう。
また、北畠・有吉(1996)が示したような実物領域から非実物領域へ勘定の範囲を拡大してゆくことも有望な分野であろう。とくに、非金融無形資産(漁業権など)は、CNFAにすでに含まれ、しかも、自然資産の利用とも密接な関係がある。物量データの並記というSEEAヴァージョンW−2の本来の表示の実行可能性を検討することも重要である。
さらに、自然資産と人工資産との境界領域にある、歴史遺産の保全の問題は、興味深い課題であるといえよう。「草原景観」のような、人間の営みが関わった自然を歴史遺産の範囲に含めることが考慮されてよい。また、環境の問題は、地域の問題として(水俣病の場合のように)顕現することが多いから、(特定の)地域についての勘定の作成という方向への展開も考えられるであろう。これは、詳細化のもうひとつの方向であると同時に地域の環境に対する責任を明確にすることになるであろう。
最後に指摘したいのは、わが国の環境・経済統合勘定の長期的課題としての生産の境界の拡大の重要性である。「無報酬労働」あるいは「無償労働」は、たとえば、主婦の家事労働やボランティア労働を国民勘定統計に含めるべきかどうかということから、とくにジェンダー研究者から関心が寄せられている。同じ問題を環境の観点から考えることができる。ひとつには、現行中枢体系の境界を正当化する論拠のうちいくつかは環境と経済との関わりを考察する場合、意味を失ってしまう。もうひとつは、『アジェンダ21』からの要請である。その第8章プログラム領域Dの8.42段で「経済的に有為という語の定義を拡大し、すべての国において、生産的ではあるが対価が支払われない仕事を行なっている人々が含まれるようにすることができる。このことにより、そのような人々の貢献を適切に計測し、意思決定に組み込んでいくことが可能となる」と述べている(訳書94〜95ページ)。社会の「持続可能性」は、環境の観点ばかりではなく、必ずしも市場主体でない人々の活動の観点からも考察されなければならないだろう。
5.おわりに――環境・経済統合勘定の意義
「環境」は、「外界」とは異なる。「外界」の条件(ウムゲーブンク、Umgerbung)のうち生物の生活に関与するもの(ウムウェルト、Umwelt)が「環境」であると沼田(1994)は解説している。条件反射(パブロフの犬)の例では、「条件刺激となった音や光は、条件づけされる前は、犬の外界ではあっても、犬の生活に関与する環境ではなかった……つまり、環境とは、たんなる外界ではなく、犬の生活に意味をもつものにくみいれられた時、はじめて環境に値するものとなるのである」(72ページ)。今西錦司はかつて「生物が認識しうる世界がその生物にとっての環境」だと言ったという(同上73ページの引用による)。
環境勘定統計は、このような「環境」の定義から考えても、最初から集団としての人間の生活(「物質生活」)と結びつけられるべきものであった。それは、そのような名称を実際にもつかどうかは別として「環境・経済統合勘定」であるべきである。では、SEEAが「環境・経済統合勘定」であると、あらためて名付けられるとき、どのような意味を与えられるべきであろうか?筆者は、それを槌田(1995など)の「社会の物質循環」の視点に求めるべきであると考えている。あるアクティヴィティー(たとえば、特定のリサイクリング活動)が経済主体の行動として持続可能性をもつかどうかは、その経済主体が市場主体であれば、その主体にとっての市場的な状況を問題にしてその成立可能性を検討しなければならないであろう。たとえば、ボランティア労働の参入のためにちり紙交換の業者が駆逐されてゆく過程はそのように分析されるであろう。その場合、マイクロ勘定までゆかなくても勘定の詳細化が必要なことは前節で述べた。制度コアの世界に固執する必要はない。現実の経済には、政策当局を含めた非市場主体が存在する。そこで、資本の(生産資産の)配分としての合理性を含めた検討は、中枢概念によってなされるべきであろう。家計生産の概念を拡大した状況で、<社会的>労働の配分として合理的かどうか、さらに、環境的な成立可能性を(帰属環境費用やEVAの概念によって)検討することが、サテライト分析によってなされるであろう。59)「環境・経済統合勘定」の意義は、このような重層性をそのものとして分析する枠組みを提供しようとすることにあるのではないか?これが筆者の暫定的な結論である。
最後に、環境・経済統合勘定の利用について、若干の付言をして本稿を閉じることにしよう。まず、EDPのような集計値の計算自体にそれほどの意味があるわけではない。しかし、EDPに全然意味がないというわけではない。経済企画庁試算で、1985年と1990年の試算値を比較すると、EDPの伸びは、NDPのそれよりも0.1%高くなっている。このこと(2つの成長率を比較すること)は、ある(必ずしも政治的でない)メッセージを伝えていると考えることができるだろう。
『暫定ハンドブック』で示された環境・経済統合勘定体系の政策志向の強さについてはすでに指摘したが、「帰属環境費用」の算出には、重要な政策的意義がある。算出された「帰属環境費用」は、規制責任の確認ないし少なくとも、問題の所在の確認でなければならない。このことは、環境・経済統合勘定の作成に官庁統計としての限界を危惧することにつながるであろう。水俣病の原因を政府が認知する前にアセトアルデヒド工程の排水に維持費用を計上することはできなかったはずである。むしろ、過去の経済成長を遡及的に環境的観点から評価すること、先進国が途上国の環境利用を監視するようなことが、微妙な政策問題・政治問題を回避した、環境・経済統合勘定の消極的利用として考えられる。
しかし、『アジェンダ21』の要請を真摯に受けとめてゆこうとするならば、環境・経済統合勘定の諸データを政策形成の情報ベースとして積極的に利用してゆくことこそ、「持続可能な発展」という国際社会の目標の実現に資することになるであろう。
(脱稿 1996年11月27日)