専修大学 寺尾 教養ゼミナール[2010年度版]
【寺尾】
先週の大沼先輩の研究発表について、まず題材がマニアックな物だったので聞いてて楽しかったです。マニアックな物は好きです。日本の某有名タレントが劇中のキャラクターを意識しているだとか、某カリスマ漫画のキャラクターが主人公?の性別を気にしないキャラクターをモチーフにしていると聞いて、たしかに両方とも似てるなーと思い、マニアックな人間にカルト的な人気を誇っていたということが理解できました。
それと同時に、観客が上映中にツッコんだり、ヤジを飛ばしたりと従来の観賞スタイルとは大きな違いを生んだある意味歴史に残る作品なんだなと感じました。カルト的人気のあるものはしばしば新しい物を生むのでしょうか。というよりカルトという意味を今まで真剣に考えたことがなかったので、どこまでのラインから「カルト」作品になるのかというのを今メールを打ちながら疑問に思いました。
【寺尾】
【発表者】
ロッキー・ホラー・ショーは当時の社会環境や人々の常識からは逸脱している。しかし、サブカルチャーとして、コアなファンや他人から白眼視されていた人々、そしてゲイや性同一性障害の人々など性的な悩みを抱えている人々から支持を得たという事は、やはりそれだけ当時のアメリカでは水面下でこのような問題が深刻になっていたのかと感じました。
また、この当時のアメリカではベトナム戦争など国民の不安やストレスも多かったと思います。そんな中、この現実世界から逸脱した作品の世界にのめり込むことで人々は解放感や快楽を味わっていたのかも知れないと感じました。
【寺尾】
【発表者】
ロッキーホラーショーの様にやじが飛ぶのが昔の映画だと言われていましたが、では、先生のおっしゃった様に歌舞伎のやじの様に、盛り上がった時に、それに合った玄人にしか出せない様な映画はあったのでしょうか??
【寺尾】
【発表者】
発表はうまくまとまっており、見たことがなかったけど「ロッキー・ホラー・ショー」の楽しさがわかって、おもしろかったです。観客の歴史や、観客のミュージカル映画への参加、「ロッキー・ホラー・ショー」を観に来た観客の持つ現前性についてよくわかりました。
舞台という上演の空間で、俳優と観客が互いに感じられる現前性・ライプ性ではなく、観客同士の間で感じられる現前性に着目した視点はすごくいいと思いました。しかし、なぜ映画の特徴、二つの空間の分離があるのにもかかわらず、「ロッキー・ホラー・ショー」の観客が、観客同士の現前性を感じ(意識的、無意識的であるにせよ)そんなに盛り上げてやろうという「参加型」になったのか、についてもう少し言及してほしかったです。しかも、なぜ「ロッキー・ホラー・ショー」だけがこんなに観客が盛り上がったのか。コール(?)という観客参加型の映画もあるそうだが、それとの違いや、他のミュージカル映画との違いをもっと論じたら、観客論がより深くなるのではないかと思いました。
【寺尾】
【発表者】
映画館で偶然出会った観客同士のBACCANO!は、話を聞いていると、自分も参加したくなってきました。お米を投げたいです。今、こういう映画の楽しみ方ができるような所は、ないんですかね……いっそゼミでやりますか? なんちって。
さて、今回は映画観客の現前性が主なテーマだった(と思う)のですが、面白く聞かせていただきました。リピーターはこの会場でしか楽しめない雰囲気を楽しみにきたのでしょうね。
発表の中で一つ疑問に思ったのは、その映画館に来ていた観客の層です。レジュメの6に載っているヒッピーやゲイ、ロッカーなどが参加したのでしょうか。それとも普通の人?(そもそも普通の人というのが存在しないという話もありますが) どのような層が集ったかで、雰囲気が大分変わってくるように感じます。
個人的に考えたのは、観客による映画への介入の試みの失敗についてです。観客の身体表現は、果たして映画内への「介入」なのでしょうか。むしろ私は映画と同じ世界観を現実に具現化させようという試みのように感じられました(あ、でも、映画には物語があるから、やっぱり「介入」なのかな……)。正直なところ、『ロッキー・ホラー・ショー』の参加型鑑賞の現場を見ていないので、なんとも言えないのですが、『ロッキー・ホラー・ショー』の内容を逸脱したことは起こらなかったのかな、という疑問が浮かびました。例えば、『ロッキー・ホラー・ショー』のキャラ以外のキャラに扮装する人が現れたり(時代違うけどパイレーツ・オブ・カリビアンのジャックが来たりとか)、お米を投げるところで大豆を投げるとか(あ、日本でしか出来ない……)、映画という規範から外れるようなことは起こらなかったのでしょうか。(「やってたよ!言ったじゃん!」と思ったらすみません、聞き逃してます)。
えーとつまり、「介入」が例え否定されたとしても、こちら側はこちら側で映画と似て異なった空間を作っていて、それは介入が目的というよりもむしろその空間を作ること自体にあるのかなあと……自分で書いてて段々分からなくなってきましたので、わけがわからなかったら無視してください。
あ、あと、映画とはズレるんですけど、もしもピナ・バウシュのダンスの映像で参加型鑑賞をやることになったら、どうなるんでしょうかね……想像がつきません。やっぱり観客の共同体を作るには、物語が必要なんですかね?
とまた返答のしにくいコメントをしてすみません。
大沼さん、発表お疲れ様でした!
【寺尾】
【発表者】
観客がその場でツッコミなどを叫んだりすることで、観客もパフォーマンスに参加しているという感覚が生まれ、それがロッキーホラーショーの魅力なのだという事が分かった。従来の映画とはだいぶ異なっているし、その映画を見に来る人は、「映像」を見に来ているわけではなく、むしろ演じに来ているのだろうと感じた。観客が一体となり作り上げていくという形式の映画は見たことがないので、一度私も参加してみたいと感じた。
【寺尾】
【発表者】
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