専修大学文学部歴史学科
東洋近現代史ゼミナール

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更新日 2016-02-24 | 作成日 2008-03-06

卒業論文作成のために

はじめに

IMGP0090.JPG 卒業発表を終えて(2008年2月27日) 御承知の通り、歴史学専攻では卒業論文の提出が卒業のための必要要件として設定されています(他大学でも同じでしょう)。しかし、卒業論文を書くためには膨大な準備作業が必要です。その大変さはレポートなどとは比較になりません。また、どれくらい卒業論文作成のために勉強したのかが、論文を一読すればすぐにわかってしまうところも恐ろしいところです。
 しかし他方で、卒業論文を書き終えた達成感は何ものにも代え難いものです。大学4年間の過程で疑問に思い、研究したことが1冊の卒業論文には詰め込まれていますから、大学生活をここから振り返ることもできるでしょう。
 卒業論文は、ただちに社会に出て役立つような性質のものではないと理解している人も多いでしょう。けれども、何かを調べたり分析したりする方法、あるいはものごとを批判的に、相対的な客観性をもって見る力を身につけるために、卒業論文作成の経験はとても役立つことでしょう。そうした意味で歴史学は立派な「実学」だと思います。どうか、妥協せずに、しかしゆとりをもって世界に一つだけの論文を書き上げてください。
 これまで、卒業論文を書くにあたりたくさんの質問を受けてきました。これを念頭に置きつつ、その他重要と思われる点も含めて書こうと思います。なお、卒業論文を書くための手引きについては、たとえば、歴史科学協議会編『卒業論文を書く』山川出版社、1997年、などの本も出ていますから、参考にされるとよいでしょう。
 なお、“提出する論文の形式について”および“論文提出の期限について”の中には、専修大学での論文提出の方法に依拠しながら書いている部分があります。もし、他大学の人でこれを読んでいる場合には、必ずしも提出方法は同じではありません。念のため。

提出する論文の形式について

 論文作成の形式について、専修大学文学部では『文学部時間割』中の「付録 卒業論文の手びき」に記載されているので、これを熟読の上、依拠することが基本である。
 また、指定のファイルや用紙は締切当日に購入するのではなく、大学内売店で売り切れなどが発生する可能性などに備えて事前に購入し、「付録 卒業論文の手びき」の形式に従って、あらかじめ名前や学籍番号など記入しておくことが望ましい。大学から事前に配布された中表紙などにも事前に名前などを記入し、提出の準備をしておくこと。これが、専修大学で卒業論文を提出する際にもっとも注意すべき点である。
 ただし、表題については空欄のままでよい。もっとも論文に的確な表題は、往々にして最後に決まるからである。

論文提出の期限について

 論文提出にあたっては、提出窓口が何時から何時まで開かれているか、提出場所はどこかなどを確認し、提出当日に慌てないようにしておく。特に、締切当日の窓口の場所・時間については注意すること。そもそも締切日に出すなどという無謀なことをしてはいけない。
 論文提出の締切時間を1秒でも超過すると、窓口は論文を一切受け付けない。教員に泣きついても無駄です。事前に事故・病気などやむを得ない事情があった場合でも、その証明のために公的な証明書の提出が求められ、それが事実かどうかが厳格に問われる。その他、慌てて締切当日に提出することは、不測の事態を招きかねない(締切当日の「悲劇」の事例が多数報告されている)。
 不幸にして論文を提出できないという事態を避けるためには、最低でも締切の少なくとも2週間以上前までに論文を完成させることを目標とすべきである。

論文執筆上の留意点

 論文は、大学に在籍した期間の集大成であると同時に、歴史学の「方法」を理解し、これを論文に反映させているかが問われるものである。独善的なものや論理性・実証性に乏しいものは、当然のことながら評価の対象にはならない。このような誤りを犯さないためには、何よりも日頃から図書館・文書館などに足を運んでテーマにかかわる資料や研究論文を収集し読んでおくことが大切であることはもちろん、論文作成のためのノートを作り、これに論文の構成やその他のメモなどを書きこみ、かつ常に修正を加えるといった作業が必要である。
 以上の作業を経て「下書き」に取りかかることとなるが、執筆にあたっては特に以下の点が重要である。

1)「序章」(「はじめに」)と「結論」(「おわりに」)について

 序章では、後述する先行研究についての検討を踏まえながら、自らの研究の目的や考察の対象や使用する資料などについて書く。結論では、論文における考察の結果明らかとなったこと、およびそれがこれまでの研究のなかでいかなる意味を持つのか、などについて書く。論文の執筆という作業は、同時に論文の文章をたえず修正(推敲)するという作業でもあるから、当初考えていた論文の構想や、場合によっては研究テーマ自体が結果として変わってしまうことは大いにあり得る。したがって、序章と結論は本論の完成後に書くべきである。

2)「先行研究」あるいは「研究史」について

 自分の研究テーマを読み手に伝えるためには、自分が何を明らかにしたいのか、なぜ明らかにしなければならないのかをきちんと説明しなければならない。これを述べるためには、これまでの研究で何が明らかとなってきたか(先行研究の到達点)ということと、研究に不足している点は何か(研究史上の課題)ということを指摘する必要がある。先行研究については、これを整理した上で序章・結論のなかで(必要であれば本論でも)記すべきである。これをしていないということは、先行研究を無視した独善的な論文であるとの評価を受けるということである。

3)論文における「実証」について

 「実証」とは、簡単に言えば論拠を示すということである。しかし、これは簡単なことではない。資料をその根拠として提示する場合には、その資料の性格(誰によって書かれたか、何を目的として書かれたか)や、その資料のもつ限界性(執筆者の立場や主観により、書かれないことがらが出てきたり、一面的に書かれることが常にあり得る)に留意しなければならない。これが「資料批判」である。
 また、資料とは、単に文章として書かれたもののみを意味しない。たとえば建築やその遺構・遺物・証言などが文字資料よりも雄弁に多くのことを語る場合もある(それぞれに固有の限界性も当然存在しているが)。
 論文のテーマを明らかにするために必要な資料がそろっていないことも往々にしてある(この場合の方が多い)。この場合には同時期の他の資料などを多角的に使いながら本質に迫る必要がある。そのためには、綿密な論理を立てなければならない。また、ものごとを多角的に検証すると言うことは、相対的な意味での客観性を保持するという意味でも重要である。
 これらのことを念頭に置いて、資料を引用して本論に掲出し(場合によっては註のなかで掲出)、註にその典拠を明示する。なお、他の論文を見てそこから着想を得たにもかかわらず、その論文に言及しないことを「剽窃」(盗作)という。これが発見された時点であなたの論文の生命は(そして卒業も)終わりです。

その他技術的な問題

1)註(あるいは注)について

 [註]とは、本論で引用・参照した文献を書くためにある。また、本文のなかで述べたことについての補足を書く場所でもある。
 引用・参照した論文を註に記すにあたっては、その著者、論文の表題、その論文が収録された雑誌(単行本)の編者および表題、発行所、発行年、ページ数、などを書かなければならない。以下に、日本語論文を引用した場合の例を示す。

(1)江口朴郎『帝国主義と民族』東京大学出版会、1954年、45~46ページ。

(2)松尾章一「朝鮮人虐殺と軍隊」(『歴史評論』521号、1993年9月)、32ページ。

(3)前掲、江口朴郎論文、55ページ。(←あるいは、“江口朴郎前掲書、55ページ。”でもよい)

(4)古賀史朗「風致の聖と俗 -東京の風致地区を中心に」(原田勝正・塩崎文雄編『東京・関東大震災前後』日本経済評論社、1997年)、332ページ。

(5)同上書、330ページ。

(6)松尾章一「「関東大震災」新資料より」(『彷書月刊』9巻9号、1993年)、5ページ。

(7)前掲、松尾章一「朝鮮人虐殺と軍隊」、35ページ。

(8)こうした「諭告」が、9月7日~8日の日付で忠清南道、黄海道、咸鏡北道、江原道で出されたことが、『朝鮮総督府官報』により確認できる。他の道のもの、特に慶尚南道など避難民が帰郷する港を抱える道の諭告が掲載されていない原因は不明である。


 註(1)は、単行本を引用した例であり、註(2)・註(6)・註(7)は、雑誌論文の引用の例、註(4)・註(5)は単行本の中の論文を引用した場合を例としたものである。

 註(2)・註(4)・註(6)は、“「」”の部分と“『』”の部分とに別れていることが見て取れる。“「」”は論文のタイトルであり、“『』”は、その論文が収録されている雑誌や単行本の書名である。

 註(3)と註(7)は、すでに註に掲出した論文を再び書く場合である。註(3)は註(1)がこれにあたり、註(7)は註(2)がこれにあたる。この場合、既に註に記したという意味で註(3)には“前掲”(前に掲出した)という単語を入れ、論文の表題以下は省略している。一方、註(7)は註(3)とは異なり、論文の表題まで入れている。これは、既に註に記した松尾章一氏の論文が二つあるためであり、このうちいずれであるかを特定するためである。

 次に註(5)であるが、これは直前に記した古賀史朗氏の論文をふたたび引用したために著者・書名まで省いた例である。縦書きの場合には、“同上”ではなく“同右”と書くべきことはいうまでもない。

 引用ではなく、参照したものであることを強調すべき際には、「なお、詳細は、誰々『何々』△△社、□□年、○○ページ、を参照。」などと書いておけばよい。

 註(8)は、本文の補足をしたいが本文にそのまま書くと本文が読みづらくなるなどの理由で、註に補足をした例である。

 このように、本文の記述の論拠を示したり、本文を読みやすくするために註が必要となるわけだ。

 最後に、禁じ手としての「孫引き」の場合。孫引きとは、ある論文で使っていた資料を引用する際に、その原資料を見てそこから引用するのではなく、論文から引用すること(二重に引用すること)をいう。
 孫引きは、基本的にはやってはいけないことであるが、原資料の所在が不明、あるいは個人所有のため閲覧が困難などの理由により、やむを得ず行なう場合もないわけではない。その際は、自分が孫引きをしていることを正直に告白しなければならない。そこで、たとえば

(9)新聞係『記事取締ニ関スル書類綴』1923年9月、(松尾章一「「関東大震災」新資料より」『彷書月刊』9巻9号、1993年、5ページ、より再引用)。

と書くことになる。でも、あくまでも禁じ手です。原資料にあたる努力をすること。

2)冷却期間の必要性

 論文を書いている時には、冷静さを失ってしまうものである。後になって読み返すと、自分が何を言いたかったのかさっぱりわからない、などということがよく起こる。
 対策としては、完成させた論文を一週間ぐらい放っておき、あらためて読むのがよい。そうすれば、誤字・脱字や主語と述語が対応していないなど、ほぼ必ず問題点が見つかる。特に技術的な問題(誤字・脱字や表記の不統一性)については、テーマを決めて読み返すのがよい。たとえば、本文と註の数字がきちんと対応しているかなどの問題にしぼって読み返すのである。先に「最低でも締切の少なくとも2週間以上前までに論文を完成」と述べたのは、このような作業をも想定しているからである。

3)文章に「こだわる」

 それから、一言一句にこだわって読むことも大切である。論文の中で使った単語について、なぜこれでなければならないのか、きちんと説明できるようにして置くぐらいの気持を持って欲しい。たとえば、「思う」と「考える」とではニュアンスが異なっているが、こうしたことに気を付けていますか?
 論文は自分がわからないこと、知りたいことを調べるための方法であると同時に、自分だけではなくそれを読む不特定多数の人にきちんと説明しようとするものでなければならない。独りよがりのものを書いては誰にも理解されません。

最後に

 前述したように、論文とは学生生活の集大成を成すものである。そもそも大学で歴史学を専攻したのは、それなりの問題関心があったためであろうし、論文のテーマについても安易に選択したようでいて、実はどこかに積極的な動機があったはずである。私はなぜ、このテーマを選んだのか、そしてこのテーマから何を導き出そうとしているのか(いわゆる「問題意識」)、常に考えながら論文に取り組んで欲しいと思います。それが結果として完全には分からなくとも、考えること自体に意味があります。そうでなければ以上のつらい作業をとてもやる気にはなれないであろうし、できあがったものに何らの愛着も湧くはずはない。それでは何のために歴史を選んだのかさえ分からなくなってしまう。逆に、問題意識を持って取り組んだ論文を読めば、読み手にも論文の巧拙はどうであれ、書き手の気持ちが伝わってくるものです。
 「論文を書く=自らが歴史を描く」ということがいかに大変なものかは、実際にやってみないと分かりません。しかし、その作業は直接であるかどうかは別として、決して今後の人生において無駄にはならないと私は考えています。これから論文を書く人の健闘を祈ります。