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森の日記―――書を捨てて森に入ろう
平成22年9月4日
森の際には、立派な邸宅が並んでいます。森の風景も見えるから、一層住み心地がいいことでしょう。でも、蚊やムカデの襲来に悩んでいるかもしれません。森の際は、人間の前哨基地のようにも見えます。森の進出を阻んでいる。テレビのシミュレーション映像で見たことがあるのですが、ひとがすまなくなった都会では、あっというまに森に還ってしまうそうです。とすれば、森とは人間の帝国の、樹々を押し込めておく居留地だということですね。
葉っぱを見ると、光を反射する光沢紙のようなものと、ざらざらするマット紙のようなものとがあるのに気づきます。葉肉の厚みも違います。緑類光沢種、緑類マット種という(横断的)分類も可能なはずですが、聞いたことはないですね。分類学者たちは、形態が大好きです。バークリという哲学者は、「視覚的光景は、触覚の記号にすぎない」といいましたが、そうした触知的視覚というのもあるのです。「舐めまわすように見る」といったら、イメージは悪いですが・・・。でも食物を味わうときも、うどんや刺身のように、その固さや弾力性が重要です。
散歩者はひとりで歩きます。連れがあると、森を見ることができなくなるからです。でも、ひとが散歩者になるのは、そのひとが孤立を望んでいるか、事実として孤立しているかのどちらかでしょうね。孤立することと思索することは、日本では切り離せないようです。

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