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森の日記―――書を捨てて森に入ろう
平成22年9月10日
ちょっとした事件です。気持が悪いといっていた水辺の草がみな刈りとられていました。なぜなのだろう、区役所がやったことかと思いますが、みんなも気持悪いと思っていたのか、もっとほかに健康上の理由があるのか、ただそんなものなのか、ぼくにはよく分からない。気持が悪くても、放っておいてあげたかった。
水面に石があって流れが変わるところがあります。同心円や曲線が絶えず変化していますが、もしかすると、一定間隔でおなじ変化を繰り返しているのかもしれない。ビデオに撮ってリピートしながら映しだせば、「永遠」が見えるのかもしれない。逆に、「絶えず変化する」というのは、どういう意味だろう。
道のうえには、木の葉や鳥の羽と並んで、たばこの吸殻やつぶされた空き缶があります。自然のなかにも土と水と風と火の幾何学があるのに、この違和感はどうしたことだろう。異質だ。機械を作るための幾何学は、自然の幾何学とどういう関係なんだろう。
樹の枝は、みなくねくねとしていて、捉えどころがありません。共通しているのはくねくねだけで、おなじ種類らいし樹でも、ひとつとしておなじパターンはないような気がする。人間の身体だって、みなどこもくねくねしていて、とくに男性は女性の身体の形態のくねくねが好きなのに、どうして幾何学的なものばかり作るのだろう。
涼しくなったのに、蚊は健在です。立ち止まるたびに襲ってきます。昨日は写真を撮っていたので、手の甲をいっぱい刺されてしまいました。蚊を振り払い、体を捻り、足をけったり、首を覆ったり、中空で手を握ったり、たたいたり、遠くから見たらダンスをしていると思われるかもしれないね。

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