黄斑円孔手術体験記


森の日記―――書を捨てて森に入ろう


平成22年9月16日

 雨が降っていても、散歩には行きます。本当は、少し迷ったけどね。最初に気づいたのは、樹の葉がピョンピョンとはねているさま。うれしそうだね。それから小川の濁流、すごい量です。傘をさして、滑らないように、濡れ落ち葉のあいだをゆっくり歩きます。空は曇っているのにもかかわらず、両脇の草の葉っぱたちが一面にきらきらと光っています。

 水の二面性があります。生物たちを生かし、元気にするものと、他方で一切を押し流そうとする暴力。小粒の雨滴は気持ちよく、それが集まったマスの恐るべき潜在的なもの。お風呂に浸かって、ときどき考えます。人間は水のなかでは生きていけない。それなのにそこにひたると気持ちいい。恐ろしさと気持ちよさのあいだを彷徨っています。羊水の時期を思い出している?・・・分からない。

 こうやって朝7時に起きて散歩して、11時頃までボーッとしているのと引き換えに、夜12時以降に4時頃まで起きて、考え事をしたりしていることができません。どちらも、それぞれにいいことだと思うけどね。でも、生は一定の睡眠時間を要求しています。どうしてかは、科学者も知りません。

 神社で手をあわせるなど、十代後半から数十年のあいだ、ほとんどやったことがなかった。「所詮人間が造ったもの」と、醒めた眼で見ていた。子どものときは、大人は何でも知っているが、自分はそれに追いつける、追いこせるという自信があった。いまは、大人でも知らないことがいっぱいあって、どうがんばってもそれを全部知ることなど、できそうにないと知っている。生は、子どものころには、ちょっとした努力で何でも実現してくれるような魔法使いだったが、そのときは、こんなにぼくに無関心だとは知らなかった。いまは、ぼくの方から近づいていく。


         

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