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森の日記―――書を捨てて森に入ろう
平成22年9月23日
空を見あげると、空の模様のようにして、樹の枝々がその半分以上を覆っています。ひとは大地に縛りつけられているという点では樹とおなじですが、樹はその圧倒的な高さによって、ひとと空とのあいだに緩衝地帯を作ってくれます。地と空と、人間と植物との相対的な位置関係が、幾何学的空間とは別の人間的空間性について教えてくれる。
今日は、突然ぱらぱらと雨が降ってきて、やがてざあざあ降りはじめました。ちょうど、都会のパサージュ(アーケード)のように、森の樹々は雨からぼくをかばってくれる。でも、よく考えると、他のすべての生物と異なって、人間はなぜ濡れることを怖れるのか。からだに毛が生えていないから、からだのリズムが簡単に狂ってしまって、風邪をひいたりするからだろうか。「はだか」の皮膚は、生物たちのあいだでは、とても妖しい、あるいはみすぼらしい。
強いか弱いかということは、他の人間たちと比較して、「自分はここがまだましだ」とか、「この点ではひとに勝てる」ということからくるのだろうけれど、生物たちと比べると、強いも弱いもない、むしろパスカルのいう「ひとくきの葦」のように、明晰な意識をもつ分だけ弱いと感じるかもしれない。みな生と死のあいだにある。「自分は強い」という信念から死を選ぶことのできたひとは、その信念によって幸福だったかもしれないけれど、普通は、死をまえにして実感させられる弱さ、はかなさ、他の生物が感じない苦しみを感じさせられる。
小川にはカモ(と思う鳥)が数羽泳いでいました。きょときょと動いている。かれらにも意識があるのだろうが、それはどんな意識だろうか。人間なら、寝ぼけまなこで、自分が何をしているかよく分からず、やったことをすぐに忘れてしまうような、そんな意識だろうか。人間の回想力は強烈で、過去を過去として意識させてくれます。それさえなければ、カモの記憶(上手な餌の捕まえ方)も小川の記憶(どんな風に流れていくか)も人間の記憶も、みなおなじかもしれない。

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