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森の日記―――書を捨てて森に入ろう
平成22年9月26日
とても涼しく、空気は澄んでいる。後ろからさしてくる陽光が背中をぽかぽかと暖めてくれる。歩く地面には、ぼくの影が先に進み、ぼくのからだの形を教えてくれる。もしそのようにぼくにつれて変化する影がなかったら、地面の光の彩は、気づかないほどゆっくりとした変化だから、地面の模様に見えるだろうし、そこにある土や落葉や草は、そのような色なのだと思うだろう。
光と物の分離。これは、ちょっとした推理から可能になるが、精神だけの推理ではなく、ぼくがからだをもっている、からだであるということからはじめて可能になることではないだろうか。世界の現象はすべて影なのだといったプラトンは、からだ抜きの精神を前提しているようで、少し推理のしすぎではないかと思う。
口や鼻ばかりでなく、からだには無数の微細な穴があいていて、微粒子や小さな波が行ったり来たりしている。酸素はもちろんのこと、たばこやお酒の微粒子、無数のアレルゲン、薬局で渡される小さな白い粒、森のなかのスピリットたち、それらちょっとしたもので、精神の状態は変化し、思考の量も質も内容も変えてしまう。

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