活動指針
ゼミテーマ: 古典国文法の理論体系
□ こんにちは。
以下、四つの観点から、やや大げさですがゼミポリシーを記して、どのような方針でゼミを運営するかをご紹介します。
T 須田ゼミ修了生のゴールポリシー
1.5列目の知
日常使う母語としての現代日本語(第一言語)そのものでもなく、まったくの外国語(第二言語)というわけでもない古典日本語を、語学の観点から学ぶ意義とは・・・。古典母語の文法を学ぶ者は、この第一言語と第二言語との「あはひ」 や「きざはし」を走り回ることで、何を身につけるべきなのか。
古典国文法を学ぶことで身につける知性(「1.5列目の知」と須田ゼミで呼んでいます)は、三つあります。
a. 古典の学び → 《変化》を常とする知性
b. 国語の学び → 《他者》をわかる知性
c. 文法の学び → 《全体像》をつかめる知性
a. 言語にとって、《変化》は常態です。日本の古典言語を学ぶということは、一千数百年以上もの間のダイナミックな変化のうねりを見ていくことになります。例を挙げるまでもなく、その変化ぶりには「古文」で十二分に思い知らされている我々ですね(これがかつての日本語だったのかっ!)。他方で、その変化のしかたに一定のパターンを見出すことなどもできそうです。例えば、「あなおもしろ」「遠の帝」のような形容詞語幹用法は、現代語でもよく耳にしますね。
そして、現代人にとって、ものごとは変化し続けるのだということを前提にできる知性は、少なからず価値がありそうです。
b. 母国語ほど、主観化してしまっているせいで見えにくいものはありません。例えば、普通の英語話者がa とtheの違いを説明できないのと同様に、普通の日本語話者も「‐が」と「‐は」の違いを説明できません。血肉となってしまっているものを客観的に論理的に切り出していくという作業は、言っていること・していることが意味不明な《他者》を理解してく作業と等価です。母国語のルーツである古典国語は、最も身近な《他者》なのですね。
そして、現代人にとって、世の中の人々という《他者》が抱える情意を類推・斟酌できる知性は、少なからず価値がありそうです。
c. 文法学の使命は、「木も見て、森も見える人」を世に送り出すことにあると考えています。文法は、全体で一つのシステムをかたちづくっていますが、部分と部分の総和が全体とはならないシステムです。それゆえ、《全体像》をつねに意識下において、部分と部分の多様な関係を見ていける力を磨いていくことになります。例えば、高校までは丸暗記しただけの「未然形」かもしれませんが、大学(古典国文法学)では、「何のために未然形があるのか」などの問題に解を出していくことになります。そのためには、未然形だけ見ていても解けず、文法というシステム全体のなかで考える力を身につけていくことが大切になります。
そして、現代人にとって、単に目先のボールだけ・任されたゾーンだけを見て進むのではなく、《全体像》の中でのその立ち位置を把握し、それを俯瞰することのできる知性は、少なからず価値がありそうです。
U ゼミ受入れのポリシー:
何度でもフォーマットし直せる脳づくり
「文法」というと、どの言語であれ、すでに出来あがったものというイメージが強いかもしれません。しかし「文法」は、一つの言語においてさえ、学習上のゴールやターゲットに応じて編まれてもよいと考えています。古典国文法についても同様です。皆さんが高校までに学んでこられたschool grammarとしてのいわゆる学校古典文法は、数点の国文法理論のうちの一つで、現代日本人(日本語母語話者)が古典籍を効率的かつ適正に解釈する、ということを学習ゴールに据えて編まれた点に特長があります。
須田研究室の長期的な研究プロジェクトの一つに、古典日本語を多くの言語の一つと位置づけて、国語学以外の分野からも、あるいは世界中の様々な言語的背景の人々からも容易にアクセスできるような古典国文法を開発する、というテーマがあります。同時にそれは、日本人にとっては、語学力の基盤を育むような指標文法となることを期待するものでもあります。従来、専大国文法ゼミナールの伝統として、古典日本語をいわば「外国語」・「語学」として扱ってきたことが挙げられると思いますが、須田ゼミもその立場を踏襲していると言えそうです。
ですから、古典日本語のしくみやきまりがなぜそうなっているのか、などの関心をお持ちであることはもとより、既に得ている知識を何度でもフォーマットし直すことを厭わない、という資質や心がけは、入ゼミ時に期待されることの一つです。
V カリキュラム運営のポリシー:
複数並行のプロジェクト型学習
三つのプロジェクトの実施によるカリキュラム構成で、経年実施を予定しています。
@学年別プロジェクト、A班別プロジェクト、B論文作成プロジェクト、の三つです。年度内に同時に2つのプロジェクトに、3年間ですべてのプロジェクトに参画してもらいます。
@は、2年次生・3年次生それぞれの学年内での班ごとに分かれ、2年次生は『とりかえばや物語』プロジェクト、3年次生は古典作文プロジェクト。Aは、三学年混成班ごとに、文法学習ゲーム創作プロジェクト。これらを並行させてタスクを分担しあいます。Bは3年次後期と4年次生が個々にテーマを決めてショートプレゼンを重ねていきます。
@では、個別の文法事項に深く注目することを学びます。Aでは、古典文法についての個別現象と文法現象の全体像についての知見を深めます。
Bでは、@・Aで培った知見や疑問を出発課題に据えて、例えば、「疑問・反語の係り結び」・「二重敬語法」・「断定の助動詞」・「連体形」など大小さまざまな文法現象や、史的変遷・語彙・学史・個別の文法理論についての分析型研究、もしくは古典文法教育についての提案型研究をゼミ生ごとに進めます。扱う資料は、上代から近世までのものを基本とします。トピック選定に向けた足掛かりやデータは、@・Aのほか、「日本語学入門」・「資料研究A」で得ておくことをお勧めします。なお、ゼミ時の時間配分や各プロジェクトの具体的な進捗方法については、「日本語総合」で別途詳述しますが、要するに、@・Aで自らの課題を見つけ、Bで決着をつける、その一連の作業をゼミメイトとサポートし合う、というイメージになります。
W 成績評価のポリシー :
ポートフォリオ評価とパフォーマンス評価
毎回の作業割り当ては、自分達の班内で決めて継続実施してもらいます。@、Aは班ごとに、Bは学生個々に指導していきます。その際、@ABいずれも、指導内容に応じた進捗状況の報告を所定の書式(ポートフォリオ)にそって、毎回提出してもらいます。
@、Aは班ごとのプロジェクトですが、学生個々に評価していきます。評価方法は、プレゼンテ―ション及び協働タスクでの実行内容(パフォーマンス)と、その週のポートフォリオにもとづいて継続的に評価を行っていきます。
Bは当然個々の評価となりますが、プレゼンテーションとハンドアウトの内容については、ポートフォリオでの継続的な評価(30%目途)を行なう一方、最終成果としての卒業研究論文を70%目途に評価対象とします。
□□ □□ □□ □□ □□ □□ □□ □□
◇ 須田研究室の入門教育についてのモットー ◇
日本語運用のスーパーエリートに
◇ 須田研 初年時生 <日本語スーパーエリート> の定義 ◇
・ 予測する読み手
&
・ 階層化する書き手
&
・ 配慮する聞き手
&
・ モニターする話し手
◇ 須田ゼミの就職率 : 過去、90%を下回ったことはほとんどありませんでした。
先輩方や地域社会からのお引き立てのほか、
ゼミ学生のみなさん自身がつけた実力の賜物です。
◇ 「日本語の運用能力などというものは、
社会人になる前に、身につけておくものだっ!」
は、よく聞くけれど・・・
従来、
このような認識は普通のことであり、社会人となる前提条件、いわば本人の良識の問題(常識が無いと言われて片づけられてしまう問題)でした。
須田研究室がことさらに、
日本語運用のスペシャリスト育成を教育上の理想として掲げる理由には、
もはや現代では、社会人としての日本語運用能力は、学習によって習得していかなければ向上を望めない、
そういう次元段階になっている、という認識が背景にあります。
見方を変えると、
日本語の運用能力は、現代では一般知識や常識とは異なるスキルとして、いわば差別化要因(ことばは悪いですが)になり得る、ということを意味しています。
学生の皆さんの立場に立った場合にも、
この現実は切実ですね。
というのも、
語彙の豊富さやモノの言い方は、みなさんご自身が与える印象をしばしば左右してしまうからです。
加えて、
印象の固定化は、人格や人柄としての評価に直結してしまうのが道理です。(私自身はなるべくそれをしないようにしていますので、ご安心ください。言っている内容・主旨の方を重視しています。)
うったえたいことは、
日本語表現が豊かであることは、損か得かでいえば、現代では一段と有利ですよ、ということ。少なくとも、良い意味で目立つでしょうから。
現代日本人の日本語運用能力の低下傾向は、根深くまた広範な現象です。
ですから、
そのための学習は、補助的な学習程度のものでは、不十分なものに終わってしまうでしょう。いわゆるリメディアル(おさらい)目的の補習的授業程度では、どうしても先生方お一人一人の独自の経験則頼み、というのが小学校から高等教育までのこれまでの定石でした。
例えば、
文章構築の真髄は、やれ「起承転結」だの、やれ「序破急」だの、やれ「説得力」だの、
というように。
もっとも、これには、
基礎研究に執心し、教育現場への応用研究を疎んじる傾向のあった関連分野の研究者のありかたにも、反省材料がありそうです。 「説得力」要因を解析することから、はじめるべきでしょう。
文書上でも、口頭でも、
社会が期待する日本語運用能力と、現代日本人の実態とは、かなり隔たりがあります。
その隔たりは、専門的に、かつ、長期的に学習しなければ埋まらないほどに深刻なものになっている、と認識しています。
基礎入門の演習ゼミ(入門ゼミ)では、こんな点を踏まえてもみなさんをサポートしていきたい
と思っています。
◇ 活動指針 ◇
◆ 研究指針: 「 資料、百遍。 」 「知見は世の中へ。」
◆ 就職支援指針: 「 “自分経営者” になろう。 」
|
自己点検
指針ですが、時々しか見直ししておらずお恥ずかしい限り。
ですが、このページを見るたび、須田自身、身が引き締まる思いです
|