黄斑円孔手術体験記


森の日記―――書を捨てて森に入ろう


平成22年8月7日

 歩いていて樹の枝が頭に引っかかったり、草が足にからんだりしたりします。以前だと、「頭に何か変なものがついたのでは」とか、「足に傷がついたのでは」などと発想していたのに、最近は、「樹がぼくの頭をなでてくれた」、「草がもういっちゃうの?と引きとめようとしてくれた」と感じます。どちらにしてもぼくの精神に起こることではあるのですが・・・。

 おなじようなことですが、木陰から木陰へと飛び飛びに歩いていたぼくでしたが、少し涼しくなったのもあって、最近は小川のそばの日なたを歩いていくこともあります。陽射しだって自然のひとつだから、少しならいい。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のように、涙を流しながら、おろおろしながら、下を向いて歩いてたっていい。

 途中に神社があって、そこに立ち寄って、(あまり正式ではないやり方で)手を二回打って、「ありがとう」と心のなかでいいます。宗教的になったわけじゃない。一番最初は、「ただ通り過ぎるのも失礼か?」という気持からだったのですが、いまは、神社というのはこの森の代表だという気がしています。ぼくにたくさんの発見を与えてくれる森に感謝、神社はそのための場所と考えています。

 ときどき、がっかりするものは、木に付けられた名札です。「ハナミズキ 原産地どこそこ」風にいろいろ書いてある札をつけられているけど、すぐ忘れる。むしろ、「それが苗字なら、君の下の名前は何ていうんだい?」と聞きたくなってしまいます。何かの施設のひとの、首からぶら下げられたIDカードみたいです。

 今日は、「セミの抜け殻の木」を見つけました。ぼくの背丈くらいの木だったけど、そのたくさんの葉っぱの下側に、それぞれにセミの抜け殻がついている。十数個はあった。ほかの木には見つからないのに、不思議ですね。セミが大好きな木、セミの大好きな木、どっちだろう。

 公園でベンチに座っていたら、遊びに来ていた小学生くらいの子どもから「散歩ですか」と聞かれた。ぼくは突然だったので、ただにっこりしながらうなずいただけだったけれど、きっと、ときどきぼくを見ていたのだろう。「散歩者」と認めてもらえたらしい。見回り警備のひとから「こんにちは」といわれたこともありましたが、それはあやしい人物に対して、「こちらはあなたを認知しました」という意味だと思う。全然違って、うれしいね。


         

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